
5/2の日記 わたしのはなし
藪漕ぎ
夢のなかで『アルジャーノン』が流れている
映画が終わったのに、そこで待っていてくれる
あること、ないこと
夢のなかでひどいことをされる
想像を広げてくれたんだと思う
足元に落ちてるビニール袋、花に見える
文フリ東京のブース、R-01なのうれしい
一番R。
シャワーを浴びながら、小学六年生のころ、男子にわきをくすぐられたことを思い出す。私がくすぐりによわくて、反応がおもしろかったからだろう。当時おとなしめであまり声を発さなかった私はクラスの一部の男子に関心を持たれ、少しからかわれていた。六年一緒の学校だったのに急にからかわれだしてちょっとだけびっくりしたけれど、思春期なんだなぁと思っていたのを覚えている。
ある時彼らのなかで私のわきをくすぐるのがはやって、最初は手で、途中から鉛筆のおしりでくすぐった。鉛筆のおしりでやられ出したとき、わずかに傷ついた。「手をわきの下に入れるのはなんか汚い気がするし」というようなことを、彼らのうちの誰かが、仲間たちに向けてだったか、クラスの女の子に向けてだったか言っていた。なんのための言い訳だよ、と思いながら聞いていた。傷ついたけど同時に(ほんとに汚いと思ってるのかもしれないけど、思春期男子的に女の子のわきを触るのは色々と支障あるだろうな、他の女の子の目も気になるだろうし、すきな子いたらなおさら)とも思っていて、まぁそうだよな、と納得していた。
そういうことをシャワー浴びながら思い出して、そして、今日はじめてちゃんと「きもちわるい」と思った。特に親しい話をしたわけでもない複数の男子にわきをくすぐられるのはきもちわるいし、わきを締めたり抵抗はしていたけれどそこまでいやがらずに受け入れていた私もきもちわるかった。私は子どもの頃からずっと膜が張ったような頭で生きていて、自分の気持ちに対してさえ鈍かったのだ。今日はじめて「きもちわるい」と思えてよかったと思う。
でも、あのなかの男子のうちのひとりがすきだったんだよな。
図工の時間に「〇〇(わたしがすきだったひと)って〇〇(わたし)のことすきなんよな!」と私の前に座っていた男子が隣の隣に座っている私のすきなひとに向かって言ったときのこと、小学校の頃の記憶のなかでも五本指に入るぐらい色濃く覚えている。
私がすきだったひとは取り乱して「そんなわけないやろ!」ってすぐ言い返して、私はその一連の流れをずっと自分の机上の絵を見つめ、絵筆を動かしながら聞いていた。「そんなわけないやろ!」の後、しん、と気まずい空気が流れたときも、私のすきだった人の近くに先生が立っていたから(先生こまってるやろうなぁ)と思ったり、六人島の机に座る他の子たちの無表情を装いながら困惑している空気を感じながら絵筆を動かしていた。私の隣とその隣の子は女の子で、私は苦手なひとはあんまりいないのだけど、隣の子はちょっと苦手だった。その子も私のことが苦手だったと思うけれど、彼女もやっぱり困ったような空気をまとって自分の絵を見ていた。私の前の子と私のすきなひとの間に座っていた男の子はとても優しい子で、あまり話さない私にもあだ名をつけて話しかけてくれて、彼のランドセルを這う青虫を一緒に見つめたりした想い出があるのだけれど、彼もやっぱりどうしていいかわからないように口を引き結んでいた。みんなが気を遣ってくれているのを感じながら、その場にいた過去の私は実は特に傷ついていたわけでも泣くのを我慢していたというわけでもなく、(本当にそんなわけないにしろ、そうじゃないにしろ、こんな授業中の講習の面前なら「そんなわけないやろ!」の反応になるわ)と思っていて、どういう反応をすればいいかわからなかったから、ものすごく絵に集中していて何も聞こえていないように振る舞うしかできなかった。やっぱり変なやつだと思われるだろうなと思ったけれど、平常運転しかできなかった。
のちのち、私が卒業して少し経ってから、弟が「そういえば図工の〇〇先生が、「お姉ちゃんめちゃくちゃ集中力あるよな」って言ってた」と教えてくれた。私が授業中つくった犬のティシュケースを教卓に置いて使ってくれていたり、どうやら私のことを気に入ってくれていたらしい。「集中力あるよな」という言葉から、あのときの私の演技(?)は上手くいっていたのだと判断している。
この文章を書いていて、今まで考えたことがなかったことがふと気になった。なぜ私の前に座っていた子は「〇〇(わたしがすきだったひと)って〇〇(わたし)のことすきなんよな!」とか言ったんだろう。あのときの彼の声色は明るくて、ちょっといたずらっぽくはあったけれど、そんなにいやな感じはしなかった。何を思って言ったんだろうなぁ。いつかもし会うことがあったら聞いてみたい。ちなみに小学校卒業後、私と、その男の子の隣の家に住んでいた女の子はたまたま同じ私立中学校に通っていたのだけれど、彼女が「〇〇(図工のとき私の前に座っていた子)が〇〇(私)のことよろしくなって言ってたで」と教えてくれた。いいやつじゃん、と感動した。ありがとう。
夢を反芻する。私が恐ろしいものに襲われたとき、父は躊躇もなく助けてくれるだろう。母のことも助けるだろう。あのひとは、同じ状況で私のことを助けにきてくれるだろうか。私は助けにいけるだろうか。普通、という言葉が頭を過ぎる。芸術に身を捧げていないひとのことを、さらっと普通、という呼び方をしそうになって、違う、と思う。普通ってなんだ。普通のひとってなんだ。普通とかないよな。普通とか普通じゃないとかじゃなく、あのひと、小説が人生の中心、みたいなあのひとは、世界を少し離れた場所から見ていて、反応するのにまず頭の動きを必要とするのだと思う。彼は「我が身がかわいくて(窮地の私を助けにいけないかも)」と冗談ぽく言っていたけれど。でも彼の声には寂しそうな温度が滲んでいるような気がして、本音でもあるんだろうな、と感じた。そして、私もおそらくそうなのだ。彼が危ない状況に陥っても、きっと金縛りにあったみたいに動けなくて、スローモーションで動く目の前の光景を真っ白な頭でみている、けれど奥の奥では走馬燈の上を大量の蟻が這っているみたいに文字が駆けているのだ。そんな気がして、そんな自分が怖いのだ。そして、勝手に彼もそうなんじゃないかと思っている。助けに行きたいし、助けに来てほしいけど。
実際にそういう場面にならないと本当のところはわからない。お互いに。勿論そんな状況になりたくないけれど、自分と彼がその時どういう行動を取るのかは、ずっと気になっている。
私は貴方の小説のなかに私を描いてほしいわけではなくて、一時だけ深く見つめてほしいわけではなくて、ずっと貴方の隣で生きたい。
貴方に引かれてしまうかもしれないから言わないけど、私は今まで身近なひとをこんなにすきになったことがなくて、知りたいと思ったことがなくて。自分が身近なひとをすきになれることがわかって、自分を一歩すきになれた。
背伸びをしたって届かない東京タワーの天辺みたいに遠いものだと思っていた『真夜中乙女戦争』の250、251の見開き頁を埋め尽くす一瞬の永遠みたいに煌めく遣り取りを、貴方とならできそうな気がして、貴方としたくて、想像するだけで胸に蝋燭が灯るのです。