“つかむ経験 “から”受け取る経験 “へ
「人生経験が豊富」というと、
海外に行っていろんな価値観に触れてきた、とか
逆境を乗り越え成功しました、とか
みんなで過ごした青春の日々!とか。
本当にそのどれもが間違いなく素晴らしいものだと思います。でも私はそれと同じくらい、時にはそれ以上に、
あらゆる経験をどう感じ、どう解釈してきたかにもスポットライトが当たってほしいと思うのです。
生きていく以上、大なり小なり思い通りにならないことや、したくもない経験をすることになります。
そういった経験を前にどう向き合い、どんな意味を見出すか(あるいは見出さないか)、
その解釈の豊かさによって、経験に唯一無二の価値や輝きが生まれると思うのです。
自分にはこんな制限があって、やりたいことがあるのにできない。そんな感情とどう折り合いをつけながら生きているのか。
今なお割り切れない感情と、どのように共存しているのか。
こういった何の見栄えもしないような経験たちの中から、その人にしか味わえないむき出しの感情、そしてその人ならではの捉え方が生まれてくると思います。
私の好きな言葉に欠如の経験というものがあります。
この言葉に初めて出会った時は目から鱗で大感動した記憶があります。
「何を経験したか」という視点で考えると、
何も経験していない「経験の欠如」として片付けられてしまいます。
でも「どう経験したか」という視点で考えると、
欠如すら経験になり、それに対する自分のあり様に新たな価値が生まれてくるという、根本をひっくり返してしまう発想です。
そしてこの欠如の経験においては、解釈力が大事になってくると思います。
ただポジティブであればいいというわけではありません。
私が個人的に素敵だと思う解釈力は、自分では変えられない現実やどうしようもないものを受け止めた上で、それでも面白みや学びを見出し、ある種のユーモアへと昇華できることです。
私はそういう発想ができてしまう人の感性や知性に、とてつもないセンスと希少価値を感じるのです。
だから私は、何を経験したかだけではなく、どう経験したか、そしてその背景にある解釈力にも、もっとスポットライトが当たってほしいなーと思います。
経験そのものはダイヤモンドの原石のようなものです。
それをどう磨き、どんな輝きを持たせるか。
その磨き方にこそ個々人のセンスや創造性が宿り、唯一無二の宝石が生まれるのだと思っています。
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