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料理学校は、お城だった。

    ロスのレストランへの就職が決まり、日本に帰って渡米の準備を進めていた頃、卒業した専門学校の先生から連絡が入った。
    フランス校の一期生として来ないかという誘いだった。
    ロスのレストランに事情を話すと「卒業後でいいよ」と言ってくれた。こうして、ロスの前にフランスへ行くことになった。


    学校は、お城だった。
    石造りの本物のシャトー。丘の上に建っていた。フランスに来たのだという実感が、その建物を見た瞬間に一気に押し寄せてきた。
    近くには、個人が営む小さなチーズ工房があった。担当になると、そこへ搾りたての牛乳をもらいに行く。生暖かい、本物の牛乳だ。日本ではまず体験できないことだった。


    授業はすべてフランス語だった。
    料理はもちろん、サービス、フランス語、ワイン、パン、菓子と、カリキュラムは多岐にわたる。いくつかのクラスに分かれて、その日の担当業務をこなしていくスタイルだった。

    クラスメートの顔ぶれも面白かった。専門学校を卒業したばかりの若い子もいれば、会社から派遣されてきた経験者、ホテルの総料理長まで参加していた。年齢層の幅が広く、授業以外の場でも色々と学べる環境だった。
    学校のスタッフの中に、マリオにそっくりのフランス人がいた。
    みんなでマリオと呼んでいた。(笑)


    特別講師として、ミシュランの三ツ星シェフが授業をしてくれることもあった。ピエール・ガニエール氏や、クロコダイルのエミール・ユング氏なども来てくれた。
    第一線で活躍するシェフから直接学べる機会は、今思えばとんでもなく贅沢な経験だった。
    すべてフランス語での授業だったから、完全に理解できていたかと言えば正直怪しい部分もある。それでも、料理というのは言葉だけでは伝わらないものがある。目で見て、手を動かして、味わって、体で覚えていくものだと実感した1年間だった。


    卒業後はフランスでの研修の機会もあった。
    でも、ロスが待っていた。
    迷わなかったわけではないけれど、あのジャパニーズフレンチの工事中の店で「是非来てほしい」と言われた言葉が、背中にあった。
    1年間のフランスを後にして、いよいよロサンゼルスへ向かった。

     
     
    フランスで出会ったあの味を神戸から広めたい。600万の仕事を断って、今日もローストチキンを焼いている料理人。波乱万丈な料理人人生で学んだこと、料理のことや飲食業の裏側、人生の話を気ままに書いていきます。

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