
タマが教えてくれたこと
🐈タマのこと
「夜、タマが出てきて背中に乗ってきたよ」
小学四年の孫娘が奇妙なことを言った。
「夢やろう」
私は笑ったが、孫娘は「違う」と言い張る。
タマは十年前、十九歳で旅立った。まさに波乱に満ちた生涯を送ったネコだった。
孫娘は生まれて間もない頃のことであり、実際にタマを見たことはない。もし見たとしても、記憶にはない筈なのだ。
しかしこれまでも、孫娘が会ったことない祖父を見たとか、不思議な話をすることがある。
孫娘の話を信じる、信じないは別として、話を聞いていると、ふと、奇跡としか思えない、タマの出来事が蘇ってきた。
特に晩年の、一生懸命に生きようとする姿には、大袈裟かもしれないが、畏敬の念さえ抱いたほどだ。
話は二十九年前に遡る。
🐈お転婆娘
タマは生後二、三ヶ月の頃、町の小さなペットショップで買った。アメショー(アメリカンショートヘア)のメスだ。残念ながら血統書がなかったため、「雑種」だった。
もともとネコ好きだった、実家の母が子猫を飼いたいと言い出し、私の家族が代わりに買いに行ったのだった。
ところで、「タマ」という名前は、「ネコ=タマ」という、理由とは言えない理由で妻がつけた。(因みに妻はイヌ派)
アメリカンショートヘアの先祖はブリティッシュショートヘアと言われており、十七世紀にメイフラワー号に乗ってイギリスからアメリカ大陸に渡ってきたという。当時はペットとしてではなく、ネズミ退治のために飼われていたようだ。
タマの先祖は遠い昔、イギリスで暮らしていたのであり、その後アメリカ大陸に渡ってきた、誇り高きパイオニアの子孫なのだ。血統書はなくても「世界を跨ぐネコ」と言ってもいい。
アメショーの性格は、
・穏やか
・人懐っこい
・自尊心が強い
・ベタベタされるのが嫌い
などと言われているが、アメショーだってヒトと同じ。性格は個体それぞれ違う。
子供の頃は人懐っこかったタマも、大人になってからはいつもツンケン。プライドだけで生きているような、可愛くないネコになってしまった。
ちょっと触られるだけで、
「シャー!」
と威嚇してくる。嚙みかれたり、ネコパンチされるのは日常茶飯。
まあ、それはタマが成長してからのこと。
話を子供の頃に戻そう。
家にやって来た早々からジッとすることなく、部屋の中を縦横無尽に駆け回っていた。
その割には躾がよくできていて、我が家に来たのが初めてにもかかわらず、砂の入ったトイレに直行し、用を足した。お漏らししたことなど一度もなく、全く手のかからない子猫だった。
ただ困ったことに、爪研ぎで畳はあちこちが破れ、柱は傷だらけ。来た早々からエンジン全開の「お転婆ぶり」を発揮したのだった。
とはいえタマは、我が家で飼うために買ったネコではないのだ。
買って一週間後、実家の母親の元へ届けに行くことになった。前夜、三人の娘たちは別れを惜しみ、涙を流していたのは、今でもはっきりと覚えている。
正直、私も寂しかった。僅か一週間ではあったが、我が家で家族の一員として過ごしたのだから、やはり情は湧いて当然だろう。
🐈出戻り
実家に向かう車の中でタマは、ハンドルを握る私の背中によじ登ってきて、運転の邪魔ばかりした。
小さな爪が背中に当たってチクチクし、そのたびにに手で引き離すが、しばらくすると、また登山再開。もうすぐお別れになることなど、その時のタマは知る由もない。
そしてお別れの時がきた。
「元気でな、タマ」
だが、私たちが実家を後にしようとした時、タマは慌てて玄関まで追いかけてきたのだ。
「置いていかないで!」
と、言っているかのように。
本当なら連れて帰りたい。
私たちは心を鬼にし、実家を後にしたのだった。
我が子を養子に出す時も、こんな思いなのだろうか。
ところが、である。
タマが実家で暮らし始めて僅か数日後、実家の母から電話がかかってきた。
「手に負えない!」
と言ってきたのだ。
普通だったら「自分が飼いたいと言ってきたくせに」と、突き放したいところだ。
しかしこの時ばかりは、
「タマが戻ってくる」
と、家族全員が大喜びしたのは言うまでもない。
晴れて我が家の一員となったタマは病気にかかることもなく、元気にスクスクと育っていった。
むしろ元気すぎた。
そして、実家の母が言っていた「手に負えない」の洗礼を、今度は私の家族が受けることになったのだ。
しかももう子猫ではない。知恵も行動もパワーアップした、立派な成猫であり、もはや我が家に来た当時の「お転婆タマ」ではなかったのだ。
🐈失踪
ある日のこと。私たち家族が外から戻ってくると、タマの姿がない。押入れの中で寝ているのかと思ったが、いない。部屋中を探したが、どこにもいない。
ふとベランダの方を見ると、ガラス戸と網戸が僅かに開いているではないか。ネコは頭が通る隙間さえあれば、体をクネクネさせながら、すり抜けることができる。
「まさか……」
我が家はマンションの七階。イヤな予感を覚えながら、ベランダに出て下を覗いた。
いない。落ちた気配もない。
とすれば、ベランダの手スリの上を歩いてお隣さんの部屋に行ったのか?
案の定、タマは右隣の部屋に遊びに行っていたのだ。ところが、その部屋の奥さんは大の動物嫌い。妻は平謝りでタマを連れ帰ったのだった。
そのことがあってから、出掛ける時には必ず、窓のカギはかけるようにした。とはいえ、賢いタマは家族が家にいる時でさえ、僅かなスキをみてベランダに出てしまう。
気が付いた時は既に遅し。手摺りの上で逃亡態勢に入っている。そして目が合った瞬間、右か左に「ススススーッ」と、手摺りの上を滑るように逃げ去ってしまう。その素早さはまるで、サーカスの軽業師が綱渡りをしているかのようだ。
ベランダの仕切り越しに「タマ、戻ってこい」と呼んでも、「あっかんべー」でもするかのような、太々しい顔で私を見る。
全く油断も隙もない「じゃじゃ馬」ならぬ「じゃじゃ猫」。(もはや「お転婆」を超越)
そんなことが何度かあり、ついに事件とでもいうべき、前代未聞の出来事が起きたのだった。
外から帰ってくると、またタマの姿が見当たらない。この日はうっかり、ベランダ側の窓のカギを締め忘れていたのだ。
「また隣か」
しかし両隣とも行ってはいなかった。それどころか、七階にある六つの部屋のどこにもいないのだ。
「はて、どこに行った?」
以前、八階のベランダから落ち、命は助かったものの、下半身不随になったネコがいたのを思い出した。
「まさかタマも……」
考えたくはないが、一瞬、最悪の事態が頭をよぎった。
あるいは、
「端のベランダから非常階段に飛び移って外に出た?」
そう考えた方が、少しは気が楽になる。
そこで外を探すことになった。
家族五人総出で、何時間も近所を探して回った。
「タマ~、タマ~!」
普通なら名前を呼べば、鳴いて返事をするか、姿くらい見せてもおかしくはない。
だが、どこにもタマがいそうな気配はなかった。
そろそろ日も暮れ始め、捜索は中止となった。
いつか戻ってくるかもしれない。僅かな希望を抱きながら待った。
一週間が過ぎ、二週間が過ぎた。
戻ってこない。(玄関はオートロックだから、非常階段から入ってくるしかない)
「諦めよう」
🐈ネコおばさん
ところが、だ。
失踪して二十日目、玄関のインターフォンが鳴ったのだ。
しかも、午前三時。
夜勤で働いている人ならともかく、ほとんどの人は深い眠りについている時間だ。
「誰だ、こんな時間に?」
怒りよりも不安のほうが先に立つ。
飛び起きた私も妻は何ごとかと構えた。
インターフォンから聞こえてきたのは、二階に住む奥さんの声だった。奥さんは大のネコ好きで、私の家族の間では「ネコおばさん」と呼ばれていたくらいだ。
玄関ドアを開けると、ネコを抱いたネコおばさんが立っていた。
「この子、お宅のネコちゃんじゃないかと思って……」
ネコおばさんに抱かれていたのは、間違いなくタマだった。
タマは、「早く下ろして」と言わんばかりに、ギャーギャー喚いていた。
でもどうして?
ネコおばさんの話では、マンション一階の玄関口で鳴いていたというのだ。マンションの玄関ドアはオートロック。中から解錠しない限り開くことはない。
タマは外で誰かが開けてくれるのを待っていたという。
そんなことって、あるだろうか?
しかも何故、みんなが寝静まった午前三時に連れてきたのか?
朝になってからでもいいではないか。
その時は「ありがとうございます」と、礼を言ってタマを引き取ったが、どうも腑に落ちなかった。
考えられるのは、
1、ネコおばさんの言うように、一階の玄関前で鳴いてタマをネコおばさんが見つけ、自分の部屋に連れ帰った。
2、他の住人が玄関前でタマを見つけ、ネコおばさんに知らせた。
3、脱走したタマが、ネコおばさんのベランダにいたので部屋に入れた。
しかしタマは、ネコおばさんには懐かず、夜中じゅうギャーギャー鳴くので困り果て、もしや◯◯(私のこと)さんちのネコ?と思い、午前三時という時間にもかかわらず、連れてきた。
何があったのかは、二十九年経った今も謎のまま。真相を知っているのは天国にいるタマだけだ。
現在九十歳近くになる、ネコおばさんは娘さんと二人暮らし。それに相変わらず、ネコもいるようだ。
ところが、事はそれで終わったわけではなかった。また大きな問題が持ち上がったのだった。
🐈自由奔放な生活
この時は家族の誰もが、タマのことを諦めかけていた。妻は寂しがる娘たちのために、私が仕事に出ている間に、近所のペットショップでシーズーの子犬を買ってきていたのだ。
仕事から帰ってきた私が驚いたのは言うまでもない。(イヌ好きの妻が欲しかっただけかも)
シーズーは生後二、三カ月のメスで、既に「ポチ」という名前まで付けられていたのだ。(ネコなら日本風に「タマ」。イヌなら「ポチ」というわけだ)
私の布団の上は既にポチが陣取っており、そこに突如、タマが現れたのだから大騒ぎになった。
ポチはタマに飛びかかる。タマも黙ってはおらず、ネコパンチで応戦。
すぐさま二匹を引き離し、その日は違う部屋で寝かせることになった。
しかし騒ぎはその日で収まる筈がない。イヌとネコの喧嘩は次の日も、その次の日も、顔を合わすたびに勃発した。
しかもタマはまたもや脱走を試みる。もはやお手上げ状態。
何とかせねば!
そこで頼らずを得なかったのが、最初に白旗をあげた実家だった。
だが、受け入れてくれるだろうか。
そんな心配もあったが、母が何と言おうがタマは預けるしかなかった。元はと言えば、ネコを飼いたいと言ったのは、母なのだから。
ともあれ、タマは実家で暮らすことになった。
むしろタマにとっては、今まで過ごしたマンションの七階より、一戸建ての実家の方が自由奔放でよかったのかもしれない。
タマが子ネコの時は外に出ないようにと常に目が離せず、母は過度と思えるほど神経質になっていた。それが今では「放任主義」に方向転換。しかも、いつでも出入りができるようにと、裏の窓は常にスキマを作ってやっていたくらいだ。
タマからすれば、「願ったり叶ったり」。活動範囲は今までの比ではなくなり、夜更けに開催される「ネコの集会」にも参加していたのだろう。朝帰りもしばしば。
野生の本能が呼び覚まされたのか、
ネズミを咥えたまま、家に上がってきたこともあったようだ。
「コラッ!」
父と母は驚き、大声で怒ったという。てっきり褒められると思っていたタマからすればショックだったに違いない。
自由奔放な生活にすっかり馴染んでしまったタマだが、私たち家族がたまに実家を訪れると必ず、姿を消してしまうのだ。
「恩を忘れたのか」
つい、グチも言いたくなる。
そのうち父は介護施設に入り、実家では母とタマの二人(一人と一匹と言うべきか)の生活が始まった。
だが相変わらず、タマは自由奔放な生活を謳歌。
そのころ私は大阪に単身赴任していたため、帰省できるのはせいぜい月に一度。そして実家に顔を出せるのは二、三カ月に一度となった。
それから数年。
母も八十代半ばになり、隣に兄夫婦が暮らしているとはいえ、一人暮らしが難しくなった母も介護施設に入ることになった。
「タマはどうなる?」
それが私と妻、娘たちにとって最大の心配事だった。
「隣にお義姉(ねえ)さんがいるから大丈夫でしょ」
しかし兄夫婦の家でもネコを飼っている。しかも三匹。
「一緒で暮らすのムリだろ」
その予感はあたり、結局タマは、住人のいなくなった実家で一人(一匹)暮らしを余儀なくされたのだった。
🐈歩けない
それからさらに数年。
タマは既に十五歳。人間でいえば七十代の半ばの高齢者だ。若い時のような自由奔放さは影を潜め、家の中でジッとしていることが多くなった。
そんな頃、義姉から驚くべき電話が掛かってきたのだ。
「タマが歩けなくなった!」
というのだ。
妻も義姉からの電話で聞いただけで、実際にどういう状態なのか知らない。私も単身赴任中ですぐに様子を見に行くことができない。
「来週にでも帰るから、その時にタマの様子を見に行こう」
そして次の週。今と妻は住人のいなくなった(正しくはタマだけが暮らす)実家を訪れた。隣に住む兄夫婦には連絡していなかったため、二人とも出かけていていなかった。
風通しのためだろう。縁側のガラス戸が少し開いており、玄関に入る前に部屋の中を覗いてみた。
「どうしたんだ……」
タマの姿に、私も妻も声を失った。二畳分くらいはあるだろうか。タマは畳の上に敷かれた、ブルーシートの上に這いつくばっていたのだ。
大急ぎで部屋に駆け込むと、さらに信じがたい、悲惨な光景が目に飛び込んできた。
いきなり異臭が鼻を衝いた。
異臭はタマの「垂れ流し」の臭いだったのだ。ブルーシートはそのために敷かれていたのだった。
子供の頃でさえ、お漏らしは一度もしたことがなかっただけに、私と妻のショックは口には言い表せないほどだった。
タマはカリカリの入った皿に向かって、ブルーシートの上を這っていたのだ。まるで匍匐前進(ほふくぜんしん)のように、前足だけで進もうとしている。いや、匍匐前進なら後ろ足も動かしながら進むが、タマの場合、動かせるの前足だけだった。後ろ足は両方とも麻痺しているのか、全く動かせないようだった。
なかなか進まない。助けてくれる飼い主もいない。
それでもタマは必死に前進を続けている。
「ほら、食べろ、タマ」
私は見るに見かね、カリカリの入った皿をタマの顔の前に持ってきてやった。タマは両手で皿を引き寄せ、美味しそうに食べ始めた。
こぼしてしまったのだろう。
水入れの中は空になっていた。
いくら何でも、これは酷い。酷すぎる。
しかし兄夫婦を責めることはできなかった。
タマは母が飼っていたネコであり、兄夫婦の家でも三匹のネコを飼っているのだ。タマを一緒に部屋で飼う余裕はなかったのだろう、と思ったからだ。
でもすぐに、その考えが間違えであることに気付いた。
「ネコは家につく」と言う。
まさにタマもそうで、兄夫婦の家には寄り付こうとしなかったのだろう。兄夫婦の家には既に飼われていたネコたちの縄張りがあり、そこに入っていくにはハードルが高すぎた。
タマにとっての「家」は父と母が暮らした、私の実家だったのだ。
「今から連れて行こう!」
私と妻の頭には、あの動物病院に連れていくしか選択の余地はなかった。
以前、妻の弟から聞いたことのある、イヌの鍼治療しているという動物病院のことを思い出したのだ。
さっそく動物病院に連絡を入れてみると、「すぐに連れてきてください」と言われた。
兄夫婦への事情説明は後回し。とにかくタマをカゴに入れ、動物病院を目指した。
とはいえ実家から動物病院に行くには、高速道路を使っても一時間半はかかる。私の住む町を通り越して行かなければならなかったのだ。
🐈復活
動物病院に着いた時はちょうど昼で、診察は午後からとなった。
「イヌの鍼治療はしていますが、ネコは初めてです」
開口一番、先生は言った。
断られる?
一瞬、不安が頭を過った。しかしその後、先生の一言で不安は払拭された。
「やってみましょう」
早ければ、効果は一週間くらいから出始めると言ったが、治るかどうかは、何ともいえない、とも言われたのだ。
後は先生を信じるしかなかった。
それから一週間後、信じられないことが起きた。
タマの後ろ足が僅かだが、動くようになったというのだ。その話を私は、単身赴任先の大阪で聞いた。
鍼の効果が出たのに違いない。
私は確信した。
というより、そう信じたかった。
次の週も帰省した。もちろんタマの様子をみるためと、動物病院に連れて行くためだ。
信じ難いことが起きていた。
しっかり歩くことはできないものの、後ろ足で立てるまでになっていたのだ。
歩けるのだろうか?
不安を抱きつつ、マンションの廊下にタマを連れ出し、十メートル離れた場所に置いて呼んでみた。
「タマ、おいで」
しばらくタマはその場にジッとしていたが、何度か呼んでいると、私の方に向かってヨロヨロと歩き始めたではないか。
その時の様子をスマホで動画撮影し、動物病院の先生にみせた。
「これは凄い!」
先生は信じられないというような顔で、スマホの画面に見入っていた。
「やってみましょう」から、
「治しましょう」に変わった瞬間でもある。
それからは毎月一回、私の帰省に合わせて治療に行くことになった。高速道路を使っても片道一時間かかるし、料金もバカにならない。行きは高速で、帰りは下道を使った。
タマの回復力の早さは驚異的だった。「奇跡」が起きたのか、とさえ思った。
しかも一カ月、二カ月と月を追うごと、立ち方も歩き方もしっかりとしていった。
そして治療開始から一年後。普通と変わらないくらい、歩けるまでに回復した。とはいえ若い時のように、飛んだり、跳ねたりすることはできない。
でも歩けるだけで十分だ。
「奇跡」といっても決して大袈裟ではなかった。
🐈旅立ち
私の家族にとって、タマの二度目の「出戻り」は、表現のしようがないほど嬉しく、喜ばしいことであった。
「タマが帰っきた」
三人の娘たちが飛び上がって喜んだのは言うまでもない。ただその時には、シーズーのポチがいたし、その後にきた、シーズーのチャッピーもいた。タマのいない間に、二匹のシーズーが家族の一員となっていたのだ。
喧嘩しないようにと、タマは三女の部屋で過ごさせるようにした。以前のタマだったなら、部屋でジッとすることはなく、スキあらば脱走を図った。
この時のタマには昔のようなプライドはなく、「シャー、シャー」も言わなくなった。しかも自分の方からスリスリしてくる。今までのタマには考えられないことだ。
タマが懐くようになったのは意外だったが、考え方によってはよかったのかもしれない。
あのまま実家にいたなら……
考えるだけでゾッとする。
この時のタマには、もはや脱走する元気はなく、部屋の中でジッとしているだけだった。部屋から出るのは、エサを食べる時と用足しくらい。タマの存在を受け入れたのか、二匹のシーズーたちも干渉することはなかった。
皮肉にも、タマが不自由になったことで、ネコ一匹とイヌ二匹が初めて一つ屋根の下で暮らせることになったのだ。
しかしその頃、シーズーのポチは肺の病気で治療中だったし、チャッピーも糖尿病で病院通いの体だった。
タマの復活から五年後、ポチはとうとう天に召されることになった。二〇一五年十二月、十六年の生涯を閉じた。
そして翌年十月、ポチの後を追うようにタマもこの世を去った。十九歳
。ヒトに例えると九十歳の大往生だったと言えるだろう。
しかし、その十九年の道程は決して平坦なものではなく、「山あり谷あり」のまさに波乱に満ちたものだった。
そしてタマには、
「どんなことがあっても、諦めない」
という勇気をもらった。
タマは若い頃、エサをもらう時以外、飼い主でさえ寄せつけなかった。常に鎧をまとい、身体中がトゲで覆われているかのようだった。
晩年を迎えてようやく、弱い、本来の姿を見せた気がする。
鎧を脱ぎ、本来のタマになることが出来たのだ。
タマの死から五年後。チャッピーが十三歳でこの世を去った。早すぎた死だが、糖尿病で弱った体からやっと開放された瞬間でもある。
「ペットは二度と飼いたくない」
三匹の死で、私と妻は誓った。
飼ったからには看取る責任があるし、覚悟もいる。ペットはオモチャではなく、ヒトと同じ生き物なのだ。飽きたから捨てる、というわけにはいかないのだ。
可愛いというだけでペットを飼うことは、ペットに対しても可愛そうなことだし、悲劇だと思っている。
今まで、イヌもネコも飼った。ハムスターもいた。金魚もカメも。
ともかく生き物を飼うのなら、責任を持って最期まで、と言いたい。
今、タマ、ポチ、チャッピー、それにハム(ハムスター)の四匹は、風光明媚な山あいのペット霊園で仲良く眠っている。
ありがとう!