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エッセイ「チープな生姜焼き」

    ​ ふらりと暖簾をくぐるのは、行きつけで何の変哲もない定食屋がいい。おしゃれなカフェや、大層な看板を掲げた洋食屋ではなく、色褪せたお品書きが壁にずらりと並ぶ、ああいういかにも昭和な空間だ。壁に貼られた品書きがすっかり色あせてるようなね、そういう店だ。そこで頼むものは色々あるんだけど、ときどきは最初から「生姜焼き定食」と決まっている。肉料理の定番中の定番なんだけれど、店によってその表情が全く異なるのが、また面白いじゃないか。

    ​ 世の中にはね、ブランド豚を使い、すりおろしたての高知産の生姜に自家製の秘伝タレを合わせた、洋食屋のこだわりの生姜焼きなんてものもある。確かにあれは美味いよ。文句なしに上品で、贅沢な味わいだ。だけどね、定食屋の生姜焼きというのは、そういう高尚なものとは最初から同じ土俵に立ってないわけ。定食の生姜焼きなんてね、使っている材料も調味料も、そこそこの薄切り肉に業務用のタレといった、そこそこのものしか使っていないはずなんだよ。客観的に見れば、洋食屋のあのこだわりの一杯ほど美味しくないはずなんだ。

    ​ だけどね、そこが面白い。それほど美味しくないと頭のどこかで分かっていながらね、あえてそのチープな味を口に運ぶ。すると、どういうわけか、それが逆にものすごく「通」な感じがして、たまらなく美味しく感じられるという不思議な現象が起きるんだよ。洗練されていないからこそ、ダイレクトに五感を揺さぶってくるというか、気取らない美味さがそこにはあるんです。

    ​ 運ばれてきたお盆の上を見るとね、千切りキャベツの横にどんと盛られた、タレが茶色く絡んだ豚肉。商売っ気のない大盛りの白飯に、味噌汁、そして小さな漬物。この完璧な布陣を前に、最初は純粋に「食事だけ」を済ませるつもりで箸を持つんだよ。今日はお酒を飲まずに、白飯と生姜焼きのガチンコ勝負を楽しもう、なんてね。

    ​ ところがね、いざ肉を一枚口に放り込むと、その決意は一瞬で瓦解する。定食屋の生姜焼きというのは、とにかく味が濃いんだ。これでもかと効かせた醤油の塩気と砂糖の甘み、 そしてふわりと鼻を抜ける生姜の辛み。この三位一体となった濃厚なタレがね、容赦なく口の中を支配してくる。しょっぱいタレが主役なんだけど、それをまとめるのが炒めたときの香ばしい油なんだ。薄いけど噛んだときに旨みが出る一切れの肉で、白飯が何杯でもいけてしまうような悪魔的な味付けなんです。

    ​ この濃すぎる味を前にするとね、身体が本能的に別の相棒を欲しがり始めるわけ。白飯で受け止めるのもいいけれど、この脂と濃いタレを、キリッと冷えた炭酸で一気に洗い流したくなる。そうなるともう、我慢なんてしていられないんだ。「瓶ビールを一本頼むよ」と、つい店員に声をかけてしまうんだよ。

    ​ トクトクトクとコップに注いだ麦酒を、喉を鳴らしながら一気に飲み干す。そしてね、すぐさまタレの染みた豚肉を追いかける。肉の脂っぽさをビールが綺麗にさらい、生姜の風味がさらに際立つ。この瞬間、ただの「夕飯の定食」だったはずの空間がね、一気にああ、極上の大人の酒場へと変貌するんだから、たまらないじゃないか。

    ​ 最近の洗練されたグルメもいいけどね、こういう「分かっている大人のB級の愉しみ」こそが、日常を豊かにしてくれるスパイスなのでしょう。最初から完璧な美味さを求めるのではなく、その店の等身大の味にこちらの体調や気分を合わせていく。そんな風に定食屋の生姜焼きと黙々と向き合う時間はね、誰にも邪魔されない、実に贅沢なひとときなんです。

    ​了

     
     
    50代前半。 素人だから気づいた経済の面白さから、自ら双極性障害歴20年でもある経験をいかした精神医学や日々の気づきまで、思ったことを徒然に書いています。過去の記事はマガジンにあります。 Amazonのアソシエイトとして、適正販売により収入を得ています。

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