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ラーメンは眺めるもの

私の日課の一つに、「ラーメン画像を眺める」というものがある。
noteの「トップ > 料理・グルメ > レストラン」の中に「ラーメン」が位置するようだが、見過ぎたためか私のnoteでは自動的にラーメンカテゴリが表示される。
そして人気順でなく新着順にする。デフォルトでは人気順に表示されるが、新着順にしないと動きが少ないのである。多くの記事が見出し画像にラーメンを使ってい、そして執筆者本人撮影の写真のことも多く、沢山の見知らぬラーメンを眺めることができる。そして、でへへ…ラーメン…と、こころゆくまでその姿に耽溺し、記事を拝見するのである。
ラーメン記事の新着が少ない時と、いちどきにどどどっと更新される時があり、世の中のラーメン消費の脈動を感じる。

脈動を感じていないで自分でも食べに行きゃいいじゃないか、と思い立ち、ラーメン屋に行ってきた。
注文し、席に届き、食べ始めて思う。写真、撮ればよかったなと。どうせ今日はこのことをnoteに書くのに、あれほどでへでへとラーメン画像の恩恵に浴しておいて、自分は提供する側には回らないんだ。あるラーメン画像テイカーの一生。食べ物の写真を撮る習慣がなく、つい忘れてしまう。多分これからも撮らないだろうな。

食べている途中で、「これ…食べ切れるかな…?」と頭を掠める。とてもおいしい、以前も注文したことがあるラーメンだが、なぜか今日は胃に重い。おかしいな、と思いつつ慎重に食べる。昔話で、雪の山道で赤子を抱っこさせられた猟師が、気が付くと赤子がズシン、ズシン、と重みを増していき、耐えかねて雪の上に一度下ろそうとするも手から離れず大ピンチという類型のものがあるが、私がすすっているラーメンも、胃に到達するやズシン、ズシンと重みが倍化している気がする。
水を飲みたいが、どうしてラーメン店の水というものは、氷がガチャガチャに入った冷水ばかりなのだろうか(どの飲食店でもたいていそうか)。こんなものを胃に流し込んだら脂が固形に戻るわ。白湯が欲しい。パイタンでなく、さゆの方。

味玉を追加するのではなかった。なんで食べる前には食べきれる気がするのだろう。ふうふういいながら支払いをし、ふうふういいながら帰宅し、まだふうふう言っている。今日は晩御飯なしでもいいかもしれない。


ここまでお読みくださり、ありがとうございます。
注文する前は、これくらい絶対食べられる、と思っているのに、急にお腹がふさがることありませんか。今後はラーメン小盛で行くしかないのでしょうか。でも絶対そんなん足りん、と注文時には考えるループが見えます。
よろしければまたお越しください。ご縁に感謝。