
牛の解体は人類の生存戦略に叶う〜屠殺の現場を知らない人へ
業界以外の人で、屠殺の全ての工程を見た人はどれ位いるのだろうか?
多分だが、そう多くはない筈だ。
因みに、今では”見学ツアー”というのもあるらしいが、目に出来るのは、解体し洗浄した後の”クリーンゾーン”だけであろう。
私が幼い頃、2度ほど屠殺場に行った事があるので、その記憶を元に”牛の解体”の現場を再現する。今とは随分異なるかもだが、イラストを見ながら説明する。但し、イラストと専門用語は「加古川食肉センターを見学して来ました」を一部参考にしましたが、他は私の記憶に依るものです。
とは言え、このサイトでは多数のイラストを含め、詳しく説明がなされてるので、牛の屠殺に興味がある人はイラストを眺めてるだけでも勉強になる筈です。
牛の解体の始まり
最初は、①の”ノッキング”。
これが一番残酷なシーンだ。デカいハンマーを持ったベテランの職人が、ハンマーを隠し持ち、スルスルっと牛に近づき、殴打一閃、まさに電光石火の早技。これで失敗すると、牛は喚き散らし、大暴れする。
故に、経験と勘のみが便りだが、牛に痛みを感じさせない為にも、大切な作業となる。
しかし今では、エアガンや電気や麻酔で気絶させるそうで、嫌がる牛の追い込みも電動化&自動化されているらしく、見学ツアーでも、ノッキングする所は見せないそうです。
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正確無比に眉間を殴打された牛は、気絶してガクンと前足が折れる。そして、間髪入れずに、喉元を切り、出血死させ、前足の踝部とツノを電動ノコで切断。これが②の”放血”だ。
ここら辺も一瞬の早業で、知らない人が見たら、信じられない光景となろうか。
それに言い忘れまたが。昔はこの時点で牛の生首をストンと切り落とすのだが、まるで、映画「グレートハンティング」(1975)に出てくる様な、大きなギロチンを使い、大の男が二人がかりでストンと切り落とした様な記憶がある。そして、生首は工場裏へと続く下水路へ直行です。
因みに、ここで肛門を抜き、内蔵を分断させ、内蔵や臓器を取出し易い様にしておく。ここにて牛はやっと完全死するが、出血だけでは死なないのだ。
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その後、③の”懸吊&剥皮”へと向かうが、これも早業でした。この皮を履いだ時の匂いが、エグ過ぎてキツ過ぎて、お陰で今も牛肉が食えなくなった。
因みに、昨今の見学ツアーでは屠殺場の中へは直接入れず、ガラス越しで見るらしいので、匂いは殆どしないそうだ。でも、これじゃ見学とは言えないし、屠殺の残忍さの大半は牛が屠殺される瞬間の匂いで、まるで怨霊に満ちた匂いに近かった。
一応、ここまでが”ダーティーゾーン”で、ここは今では見学出来ないとの事だ。
グリーンゾーンからダーティーゾーンへ
ここから”クリーンゾーン”に入る。
まずは、⑤の”洗浄”を経て、⑥の”頭部切除”へ進むが、これも少し残酷で、頭部は切開され、脊椎を吸引し、今はBSE検査に回される。
前述した様に、私が子供の頃は多分この検査工程はなかった筈で、ノッキングの後、牛の生首はそのまま処分場へ直行だった。但し、これら生首はタダで持ち帰る事ができた筈だから、牛の脳を煮込んだ豚骨スープを提供する業者も多かった筈だろう。
でも、死に絶えた筈の生首だけの牛に睨まれた時は、流石に膝が震え、ホント怖かった。
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その後、頭部切除された牛は、腹を裂かれ、⑦の”内蔵摘出”に進み、白モノ(胃や腸)と赤モノ(心臓やレバーや肺など)に分けられ、これまた検査され、内蔵処理に回されるが、肛門を抜かれてるので、一気に内蔵が飛び出してくる感じだ。この時の匂いも強烈だが、内蔵検査の工程も昔はなかった筈だし、当時は今の様に脳も内臓も食わなかっただろうし、殆どが飼料とかに回されていたのだろう。
但し、この工程も残酷で、臭くて油ベットリで、一番タフな作業でもあったろう。
最後に、⑧の”背割り”をして、魚でいう三枚に下ろすヤツで、後は肉(枝肉)の検査と計量をして、冷凍庫に送られる。
因みに、成牛全体重の60%が枝肉(頭部、内蔵&肢端を除いた部位)で、その内の55%が精肉。つまり、700キロの和牛から33%の約230キロの精肉が取れる。
例えば、豚は全体重の50%程が精肉となり、90キロの豚からは44キロだから、牛は精肉含有率が低い。鶏も一羽当り辺り2.6kgから1.2kgの肉が取れるから、45%弱となる。
生きる為に牛を殺すのか?それとも
時間的には、2時間掛かったろうか。ずっと昔の事なので定かではないが、見てて短くも感じたのを覚えている。
因みに、今はクリーンゾーンとダーティーゾーンに分かれてるが、昔はグルッと一周回るようにレイアウトされてたから、家で飼ってた牛が屠殺され、冷凍庫に入るまで、全てを眺める事ができた。
つまり、全てがダーティーゾーンで、見学し放題でもあったが、どっちがいいのやら・・
しかし(色々と調べると)、驚いた事に今でも昔(50年ほど前)と殆ど変わっていない。未だに、人力を頼り、手作業で一頭一頭、家畜を屠殺&解体していく。生きていく為、生活の為とはいえ、やはり残酷に感じる。
でも、それを上回る淡々とした、流れる様な作業にも感心させられる。日常とは残酷さ以上に軽薄なんだろう。
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そういう私は、屠殺の一番残酷なシーンを幼稚園の時に2度も見せられた。その当時は親父を恨んだが、今になって思えば、親父がオレに屠殺の現場を敢えて見せたのには、ちゃんとした理由があったのだ。
私は贅沢の為にブランド牛を、生きる為にハンバーガーを食いたいとは思わない。わざとらしいベジタリアンやヴィーガンになろうとも思わないけど、大豆や魚や鶏だけで動物性タンパクは十分過ぎると思うが、賛否両論分かれそうだ。
でもまずは、親父に感謝です。生きてる時に感謝したかったが、直ぐに他界したので感謝のしようもない。
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やはり、屠殺の一番残酷なシーンを大衆には見せなアカン。そして、生首だけになった牛から睨まれる恐怖を是非味わって貰いたい。
完全に死んだ筈の牛の眼がいきなり開いて、じろりとコチラを剥いて、睨み付ける。
そういった恐怖の体験すれば、牛を毎日食おうという気にはならない筈だが、それでも牛肉を食う奴は食うのだろう。
牛の解体と幼い頃の記憶
ここで、内輪話を一つ。普段は超のつくドケチの親父が、屠殺場の見学の後、牛の生首が捨てられる処分場に隣接する、ボロ食堂に連れて行かれた。
そこで、親父が注文したのが、何と牛丼である。親父のデリカシーのなさに幼稚園児の私はキレた。丼をひっくり返し、食堂の外へ逃げ出した。私は全てがイヤになったのだ。
流石に反省した親父は、牛を降ろして空になったトラックを飛ばし、少し離れたドライブインへ連れて行った。しかし・・である。そこのメニューも屠殺場の食堂と同じく、丼モノしかない。
ここでもボクはキレた。メニューにはない”サンドイッチが食いたい”と言い張る。流石に親父は怒ったが、私は引き下がらなかった。
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すると、奥の方から若く可愛いオネーが出てきて、ニッコリと微笑んだ。”少し時間がかかるけど、我慢して頂戴”
彼女は、メニューにないサンドイッチを作ろうと、直ぐに近くのスーパーに駆け込んだのだ。マヨネーズをベースにしたハムのサンドイッチの美味しかった事・・
それ以来、ハムのサンドイッチが大好物となる。そして、牛丼は牛スジと並ぶ最大の憎きメニューとなった。
以上、牛の解体の現場を幼い頃の記憶を元に紹介したが、テーマとしては微妙でも、こういうのは知ってて損はない。それだけは自信を持って言える。
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ところで、牛は我ら人間が思う以上に利口で繊細な生き物で、屠殺される前日の夜中に泣き喚く。あの大きな牛が目に一杯の涙を溜めて・・
幼い私は夜中に起きて、何度もこの憐れな牛達を慰めたもんだ。家畜とはいえ、一緒に暮らしてるから飼い猫と同じで、情が移るし、何を考えてるか解る。某独裁者や凡々のバカ息子よりも知能が高いかもだ。
屠殺場へ行く当日もトラックに乗らまいと、涙を流しながら全力を振り絞り抵抗するし、大の大人が何人掛かってもビクともしない。
冷酷非情な死刑囚だってギロチンの際は、暴れるというから、家畜も人も同じだろう。
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結局力なく、トラックの荷台に載せられた牛は去勢されたかの様に大人しくなり、屠殺場に着いても暴れる事はなかった。
勿論、屠殺される時は一瞬だが、あっという間に生首が切り落とされ、皮が一気に剥ぎ取られ、そして体の半分以上を占める内臓が抜き取られる。その後、逆さに釣り上げられ、油性マジックで競り番号が記され、冷凍室へ直行。
この工程は一瞬すぎて、屠殺された牛には何が起きたか理解できない程だ。鮮やか過ぎる程の職人技で、子供ながらに頭が下がる思いがしたが、屠殺される牛へのせめてもの屠殺する側のマナーなのだろう。
家畜を殺すという行為
お陰で、子供の頃はハムとかステーキとかは食えたが、大人になると牛肉だけが全く駄目なった。勿論、食おうと思えば食えるが、自ら食おうとは思わない。倫理的にとか生理的にとか罪悪感とかではなく、牛肉の匂いが全く駄目なのだ。それに、皮を一気に剥ぐ時に生じる、あのムッとした生臭い匂いが未だに脳裏に蘇る。
因みに、屠殺業を”馬喰”(ばくろ)と呼ぶが、その息子が牛を喰えないのだから、笑えない。
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家畜を殺して食べる事が悪いのか?どうかは私には解らない。合法なのか?犯罪なのか?違法なのか?必要悪なのか?それとも単なる殺戮か?それとも人類のエゴか強欲か。
一方で、我が家は牛を殺す事で生計を立てたし、贅沢もしたし、そこそこの資産家にもなった。矛盾するかもだが、屠殺した死後硬直後のステーキって、絶妙に甘くて美味しいのだ。
つまり、屠殺した肉は冷凍したら臭くなるし、私達が日常口にするステーキってとてもマズい筈だ。屠殺した後の牛肉はそのまま常温で放ったらかして、死後硬直後に焼いて食うのが一番美味しいが、それも親父が教えてくれた。理屈で言えば、アミノ酸が肉を柔らかくし甘くするのだ。
屠殺された牛の怨霊が乗り移ったのか、今でも美味しい筈の高価な国産牛を見ると、酸っぱい匂いが漂い、”君だけは牛肉を食わんでくれ、それだけは約束してくれ”って牛の呪いが届きそうだ。
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某統計によれば、私たちは年間50億個以上のハンバーガーを食べ、その為に毎年約4500万頭の牛が屠殺、解体される。1日に約12万3千頭、1時間に5千頭、毎秒1頭以上が挽き肉にされている計算だ。全く人間の強欲は留まる事を知らない。
大豆由来の代替え肉が登場しつつある今、屠殺されてきた天文学的な数の牛達は何を思うのか。"こうなると解ってたんだ。言わんこっちゃない"と、あの世で愚痴ってんだろうか?
大豆肉がタンパク質不足の救世主になる日が来るのだろうか。ビーガンとかベジタリアンとかいう人種は信用出来ないし、植物ミートも一時の流行で終りそうな気配もする。
やはり、動物性タンパク質は人類が逞しく冷酷に生き延びる為の必要不可欠なエサなのだろうか。
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人類は家畜を大量に喰らうだけでなく、戦争と言う名の共食いを犯す事でも生き延びてきた。それに、牛の生首にジロリと睨まれた瞬間から、牛の呪いは今も私に取り憑いている。
という事で、色々課題はあるかと思うが、もっと早く、マクドナルドが世界中に繁殖する前に、大豆肉が登場してたら・・・牛の呪いとは無縁だったかもしれない。
勿論、それは自らを正当化する言い訳に過ぎないが・・・
屠殺という行為と仕事は理屈じゃない
勿論、以上で説明しただけでは、屠殺する行為もその必要性も等身大には伝わらないだろう。例えば、「牛を屠る」の著者の佐川光晴氏は、職業作家になる前は埼玉の屠畜場に勤めていたが、その答えは屠殺された牛だけが知ってるとなるのかもしれない。
因みに、「屠殺という仕事に見る、生存戦略としての本能と仕事」では、”屠殺される側も屠殺する側も理屈じゃない”との視点で”牛を屠る”事の本質を探ったつもりだが、人類が家畜を飼育し、”屠殺”して食べるのも自然が人類に授けた本能かもしれない。
同じ様に、仕事で牛を屠るのも神が授けた生存戦略ではないだろうか。それに、屠殺される家畜の痛みを最小限に抑える為の研ぎ澄まされた匠の技を知らずして屠殺は語れないし、語るべきではない。
しかし今では、その大半が機械化&自動化され、昔ながらの屠殺職人は存在しないかもだが、屠殺のリアルを全て目にした私は、ある意味幸せ者かも知れない。
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しかし現実は、そうした”生の屠殺”を知らない連中が牛を殺して食べるのは”残酷で可哀想だ”と、薄っぺらな同情心で受けのいいコメントを撒き散らす。
勿論、屠殺する側も生きていく為の仕事だとは言え、牛に対する愛情は屠殺の現場を知らない人よりもずっと厚い。だからこそ、”屠殺される動物たちの痛みを最小限に抑える”という、匠の技が先人の知恵と愛情を継承する事で確立されてきた。
つまり彼らは、誰よりも牛や豚の苦しみを理解し、そうでないとこの仕事は絶対にやってられない。彼らは本能でそういう事を理解するが、それは理屈じゃない。
それに、私達がスーパーで色んな種類の様々な部位の肉を安心して買えて美味しく食えるのは、屠殺という非情にも思える仕事をあえて引き受ける職人がいるからである。
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一方で、機械化&自動化される屠殺の現実と未予想図だが、世界の食肉加工場で新型コロナの集団感染が確認され、一部は操業停止にまで追い込まれた。こうした中、デンマークの欧州最大の豚肉加工場では自動化への投資が奏功し、パンデミックの影響を受けず操業を続けている。つまり、屠殺の自動化は米国などの食肉加工場で起きる従業員の”消耗品扱い”にも終止符を打つかもしれない。
それに、屠殺の自動化で殆どの作業をロボットがこなすから、解体する時間と作業員の負担は大幅に減り、作業を監視する必要最小限の人数がいればいい。
勿論、自動化せずとも不法就労者を安い賃金で働かせ、生産ラインの働き手を増やせば事足りるが、コロナ渦の大流行により、加工ラインに大勢の従業員を詰め込んだ為に伝染病を広める結果となった。
最後に〜屠殺の理想と未来
しかし、かつて職人が行ってた家畜の解体作業を全て自動化するのは容易ではなく、動物の形や大きさは個体によって異なり、家畜を解体する場合も生物学的変動が必ず存在する。
未来の食肉加工場では、単純な反復作業をライン形式で進めるやり方ではなく、人間とロボットがペアで組み、1頭ずつ家畜の解体を最初から最後まで各ブースで行う事になろう。つまり、従業員に投資する事が食の維持と安全を守る理想解かもしれない。
だが、アメリカでは本物の肉”が品薄になり、”代替肉”の普及が進んでるという。が、ここで食肉の供給システムが壊れたら、元に戻る事はない。”植物ミート”と聞こえは良いが、食肉の生態系を壊す、ある意味コロナ渦よりも恐ろしい存在である。
一方で、新型コロナ渦のお陰で屠殺の自動化と機械化が進展し、屠殺職人に対する認識が大きく変わるとすれば、寧ろ感謝すべきだろう。
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家畜を殺して食う事は、それだけを見たら残酷で冷酷な事かもしれない。しかし、それは人類の最も基本的な生存戦略であり、屠殺という仕事も先祖代々から受け継いできた、神から授かった本職でもある。
もし、屠殺の自動化と機械化すらも神様が与えてくれた本能だとしたら・・・我々は神に感謝すべきかもしれない。
