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二年前に書いた詩

    二年くらい前、
    うつ真っ只中なときに書いた詩を発掘したので載せます。

    !注意!
    これを書いている小此木は、
    宮澤賢治先生が大好きなので、非常に影響を受けています。
    石を投げないでください。

    ↓ここから↓


    わたしの最上のねがいは
    宇宙がうつくしいということをみんなと分かち合うということです。

    時間という感覚も空間もいっしょくたにした、
    いわゆる幻想第四次世界というもののうつくしさを
    みんなと一緒に分かち合いたいのです。

    わたしたちは、
    生命が、あるいは宇宙が誕生したころから綿々と続く、
    濁ったような、
    透き通ったような流れの中に、
    ただぽつんと、光として存在しています。

    その淡い光が、
    淡いままで存在し続けていることに、
    わたしの心はどうしようもなく囚われ、
    震えるようなここちになるのです。

    けれども、わたしは、
    わたし自身のそうしたここちを、
    とるに足らない瑣末なこととして捨ておきたいのです。

    わたしのねがいは、
    濁ったような透き通ったような流れの中にいる、
    すべてのみんなと、
    幻想第四次世界のうつくしさを分かち合うことです。

    わたしたちは、
    みんな、それはつまり、
    ひとや動物たちや、草花や、川や、
    鉄道線路や、石や、光や、星に至るまで、
    そうしたすべてをひっくるめたみんなが、
    もともとはおなじところから生まれてきたきょうだいであることを、
    ほんとうは知っているのです。

    ほんとうは知っていることを、
    日々の生活のつらさのために、忘れてしまっているだけなのです。

    わたしは、
    そうしたみんなと
    宇宙が美しいということを分かち合えたとしたら、
    それは賢治先生のいうところの
    「ほんとうのさいわい」なのではないかと思えてならないのです。

    そして、わたしは
    「まことのみんなのさいわいのために、わたしの体をおつかいください」
    と祈って燃えた、あの蠍のように、
    わたしのからだがつかわれることを
    どんなにねがうか分かりません。

    きっと宇宙には、
    そうした「ほんとうのさいわい」というものに、
    すこしも関心のないひとやものもいることでしょうが、
    わたしはそうしたものに対しても
    こころをそそぎ、そうしたものの幸せを願い、
    愛していくことが、
    わたしが本当にやるべきことなのではないかと思えるのです。

    こうしたねがいは、きっと、
    耳慣れず、たいへん風変わりにうつることでしょうが、
    そしてなにより、
    こうした希求はわたし自身にとってもたいへん辛いことでしょうが、
    これがわたしの最上のねがいということなのだと思います。


    ↑ここまで↑

    当時、精神科の先生に散歩するように言われて、
    一日3~4時間くらい歩き回っていました。
    「これからどうやって生きていこう」と考えながら、
    近所の田んぼ道を歩いていて、
    田植えの季節に、側溝を流れる水があまりにきれいだった、
    というところからできた詩です。

    自分が何をして生きたいのかを考えるときに、
    あの精神なんだよな~となる詩なので、
    発信に力を入れていこうと思っている今、
    見えるところに置いておきたいな、と発掘してきました。

    詩としては
    「永久の未完成これ完成である」(農民芸術概論綱要より)
    の精神なので、自分でも未熟だな~と思っています。

    だから!!未熟なのはわかっているので!!
    石を投げないでください!!!
    石を!!投げないで!!!
    お願いします!!!!

     
     
    おこのぎです。 『フィクションの物語が社会に与える影響』について研究したくて社会人院進目指してます。小説を書いています。

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