メインコンテンツへスキップ
見出し画像

時間的視力

     息子が小学生の頃に入っていたサッカークラブから、その後なでしこジャパンに招集された子がいた。河川敷のグラウンドで、彼女だけがボールを追いかけない、少し大人びたサッカーをしていた。

     ひとりでゴールキーパーより数メートルほど前にいてピッチを見渡し、何かを察して少しポジションを移動する。味方がいっせいに戻って来るのを見計らって、奪ったボールを広いスペースに蹴り込みフォワードを走らせる。小学生の判断とはとても思えなかった。身長は高くても、脚の速さやボールを蹴る力はチームメイトには適わない。その代わりに、敵味方の位置を把握して自陣ゴールへ向かう導線を先に塞ぐセンスは、大人も顔負けのレベルだ。まるで、まだ起きていないことを見ているようだった。

     もしかしたら彼女は、人より少し遠くの時間を見ていたのかもしれない。息子の練習や遠征に付き添ったことはあるが、「走れ!」「戻れ!」「打て!」以上のことをクラブのコーチが指示しているところを見た記憶はない。彼女がどこでそんな能力を身に着けたのかはわからない。ただ、練習や試合のなかで当たり前のように実践していたことには、いまでも驚かされる。のちに日本代表の一員になったのも当然かもしれない。

     スーパーのレジで、自分の番になってから財布を探し始める人がいる。自動改札を一歩出たところで立ち止まり、スマホを見始める人もいる。そういう場面に出くわすたびに、グラウンド上の彼女の姿が頭をよぎる。

     ある週末、河川敷までランニングへ行く途中で、信号待ちをしている自転車が横断歩道を塞いでいたことがあった。こちらに気付いたので避けてくれるものと思っていたが、また赤信号を見つめている。二メートルほど手前の車道上ですみませんと声を掛けたが、おそらく自分がだれかの進路上にただ立っていることに気付いていないのだろう。怪訝そうにこちらを一瞥したので、もう一度すみませんと言いながら自転車を避けて走り出した。釈然としないまま数日が過ぎたが、まただ、と思う出来事があった。

     駅構内の階段を上りプラットフォームに出たところで、整列を促す白線から一メートルほど離れた場所でスマートフォンを操作している人がいた。何かに納得したように小さくうなずいたあとも、その場で立ち続けている。少なくとも列に並んでいるようには見えないが、次に来る列車に乗ろうとしているようでもあった。僕は違う扉の列に並んだのだが、やはり他の乗客も似たような困惑を感じていたのだろう。その人もこれから列に加わるものだと、それぞれが解釈を始めて奇妙な距離感で連なる列らしきものが出来上がっていた。結果、まばらな秩序の電車待ちになり、プラットフォームが不必要に混雑し始めた。見かねた駅員が彼女に整列を促したが、自分のうしろに出来ていた人のうねりには気付いていないようだった。

     なでしこの彼女が見ていたものは何だったのか、すこし分かったような気がした。例えて言うならば、時間的な視力が秀でていたのだ。人より少し遠くに焦点が合っていて、数秒先の人の流れを見ていたのだと考えると納得がいく。忘れていた人の名前を思い出したような感覚だった。

     そういえば、自動車教習所に通っていた十八歳のころ、教官はしきりにミラーを見ろと言っていた。運転が上手なひとはバックミラーをよく見るのだ、と。そんなの危なくて無理だと当時の自分は思ったが、何十年も運転をしていると教官の正しさが理解できる。

     走っているのは目の前の自動車だけではないし、追突されない距離感というものもある。落下物や歩行者、バイクなど、抑制的な運転を求める要素は数えきれない。クラッチを切り、ギアを入れて、アクセルを踏みながらクラッチをつなぐ。そんな運転操作に慣れるまでは、フロントガラスの向こう側にしか、僕の世界はなかったような気がする。

     大型商業施設の駐車場で交通整理をしている人も、車内か車外の違いだけで、似たようなことをしている。一台の車だけを見て旗を振っているわけではない。歩行者だけでなく、路肩を徐行する自動車の列、駐車場の混み具合まで含めて、数十秒先に視力の焦点を合わせて流れを整えようとしているように見える。

     それはスポーツや自動車だけの話ではない。社内規程を一行書き換えるだけで、あすの、もしくは一年後の誰かが困らずに済むかもしれない。まだ発生していないものごとの流れを想像し、その向きを少しだけ変えておく。誰かの才能に頼らなくても、仕組みで人の流れを少しだけ変えられるように準備をする。いまの会社で、そんなことに取り組もうとしている。この時間的な視力は感覚ありきの癖があるので、管理部門というレンズで矯正して仕事をするように気を付けている。

     つい先日も、自動改札の入り口の左右に立って話をしている人たちを見かけた。まるで二頭の狛犬だ。入り口はふたつあったので、みな狛犬を避けて改札を通っていく。阿吽の呼吸は続き、列は長くなるばかりだった。以前なら不快な気分を引きずっていたはずだが、最近では、こういう人を勝手に「時間近視」と呼んでいる。

     時間的な視力には、どうやらかなりの個人差があるらしい。スーパーのレジ、自動改札、信号待ち、そこで見つかった人々は「いま目の前に見えているもの」に焦点が合いやすいらしい。逆に、近い時間に焦点が合わない「時間遠視」や、焦点を合わせ直すのに時間がかかる「時間老眼」なんていうものもあるのかもしれない。

     様々な「症例」を集めるのも面白そうだ。改札を出たら立ち止まる人だけを集めてフットサルをやったら何が起きるか、少し想像してみた。見たことのない楽しいスポーツになりそうだったが、電車の中だったので、そこで止めておいた。

     
     
    人事総務とか生成AIとか企業ガバナンスとか中上健次とか土屋蘭(5310 岡山支部)とかDЯAW♡MEとか。 万年筆と方眼ノート。ZEPとJoni Mitchell。ハーフマラソンとこむら返りとの終わらない戦い。

    あなたへのおすすめ