人のことは断罪するのに、自分のことを断罪されるのは嫌なんですね。
人は誰かを裁くことには慣れている。
「あいつは最低だ。」
「あんなことをするなんて許せない。」
SNSを開けば、毎日のように誰かが誰かを断罪している。
もちろん、本当に許されない行為はある。
批判されるべきこともある。
それ自体を否定するつもりはない。
ただ、一つだけ不思議に思うことがある。
それだけ他人を厳しく裁く人ほど、自分が同じように裁かれることには耐えられない人が少なくない。
少し批判されただけで、
「誹謗中傷だ。」
「攻撃された。」
「そんなつもりじゃなかった。」
と、自分を守ろうとする。
人を断罪することには自信があるのに、自分が断罪される立場になると急に基準が変わる。
それは本当に公平と言えるのだろうか?
もしかすると、人は「正義」が好きなのではない。
「自分が正しい側に立っている」という安心感が好きなのかもしれない。
誰かを悪者にすれば、自分は善人になった気がする。
でも、その立場は永遠ではない。
今日、裁く側だった人が、明日は裁かれる側になることもある。
だからこそ、俺は誰かを批判するとき、自分にも同じ言葉を向けられる覚悟を持っていたいと思う。
もちろん、人間だから完璧ではない。
間違えることもある。
失敗もする。
だからこそ、他人を責める前に一度だけ考えてみたい。
もし同じことを自分が言われたら、素直に受け止められるだろうか。
もし受け止められないのであれば、その言葉は少し強すぎるのかもしれない。
本当の意味で公平な人とは、自分にも他人にも同じ物差しを当てられる人ではないだろうか。
人を断罪する自由はある。
しかし、その自由を使う以上、自分もまた断罪される可能性から逃れることはできない。
その覚悟だけは、忘れてはいけないと思う。
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