ハードボイルドかくあらんやーー。小説『ラウンドミッドナイト』
以前、日本を代表する文学賞の主宰に連なる小説新人賞の選評で、拙作に対して非常に短い文章で「古臭い」と評されたことがある。
こと表現芸術において流行り廃りは禁句だと思っていたから、その文芸賞も名ばかりで、所詮、商業主義に過ぎないのかと激しく落胆したものだ。
いにしえより音楽でも文芸でも、芸術はすべからく不変であるべきと信じる。
だから未だ大勢の人がローリングストーンズを聴き、ヘミングウェイを愛読しているのに、それを誰が「古臭い」と斬って捨てるだろうか。
まあ、おそらく拙作は古臭い以前に、何かが足らなかったのだろうと思うけど、だったらそれを論評してほしかった。
さて前置きが長くなったが、本日はハードボイルド小説についてのお話。
ハードボイルドと聞くと、やはり古臭くてひと昔のイメージだろうか。
もしかしたらやや重苦しく感じる貴兄も多いかもしれない。
近年はハードボイルドではなく、「ノワール」という表現が主流になっているが、犯罪小説に近しいイメージのノワールと比べると、ハードボイルドは登場人物たちの生き様や姿勢みたいなものが問われる気がする。
そんな、今では死語になりかけているハードボイルドであるが、かつては文学の花形であり、主流だった。
その原点は「マルタの鷹」を書いたダシール・ハメットや、探偵フィリップ・マーロウ・シリーズでお馴染みのレイモンド・チャンドラーであり、そこからロス・マクドナルドやジェイムズ・エルロイ、その他大勢に連なる。
日本では大藪春彦、北方謙三、(初期の)村上春樹、大沢在昌、馳星周あたりがそのフォロワーだ。


ものの本によれば、ハードボイルドとは、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいうとある。
平たく言えば無骨な世界観を持つエンターテイメント小説である。
自分自身で言えば、思春期に『ホットドッグプレス』の型破り人生相談コーナーで北方謙三の薫陶を受けてハードボイルド小説の虜となり、氏に勧められるままにヘミングウェイ、チャンドラー、ハメットを読んで来たから、言わば純粋培養のハードボイルドマニアだと思う。

例:Q好きな子に告白できません A押し倒せ
実際なんの制限も縛りもなく好き勝手に書いていいなら、自分が書く小説は自ずとハードボイルドになる。
それはもう水を得た魚のように、悩まなくとも、考えあぐねなくとも、すらすらと書ける。
その代わり、世界の真ん中で愛を叫んだり、誰かが部活をやめるみたいな話は書けない。残念ながら。
だから小説新人賞では受けが悪いのだろう。
アニメ化にもキャラクター化にも程遠い作風は、確かに商業主義からかけ離れていると言える。
そんな訳で、すっかり開き直って書いたのが下記作品だ。
タイトルは『ラウンドミッドナイト』
この作品を書いている最中は、これで自分がデビューできるとか、映画化とか、そんな邪なことは微塵も考えなかった。
ただ心の中に生まれた物語を、欲望の赴くまま、好き勝手に書き殴ったに過ぎない。
それは東の外れの眠らぬ街・錦糸町を舞台に、闇社会に生きる男たち、そして女たちとの出会いと別れを描いた、切なく、哀しく、同時に激しい痛みと悔恨を伴う物語である。
執筆中はマイルス・デイビスの同名アルバムをエンドレスで聴きながら一気呵成に書きあげた。

さて、ハードボイルドの語源は「固ゆで卵」であると聞く。
水を熱く熱く沸騰させ、ぐらぐら煮立った湯の中で固く茹でた玉子のことだ。
でも所詮、玉子は玉子。
殻は簡単に割れるし、中身は柔らかくて脆い。
つまりハードボイルドとは、己の弱さを隠して、必死に抗い、戦おうとする人間たちの物語である。
登場人物たちは皆、弱いからこそ必死で強がり、歯を食いしばって何かを乗り越えようとしているのだ。
それは拙作を読んでもらえればわかると思う。
もし興味をそそられたなら、眠れぬ夜にそっとページを開いてください。
『ラウンドミッドナイト』
