
青い部屋育ちの子供たち
一九八八年九月に発覚した、巣鴨子供置き去り事件。是枝裕和監督の映画『誰も知らない』や、大森靖子の歌『青い部屋』のモチーフにもなったネグレクト事件である。衝撃的な事件だったこともありメディアの報道も大々的だったので、一定の年齢以上の人は恐らく結構な数の方が知っているだろう。
事件の犯人である母親は、父親の違う五人の子供を出産し(うち四人は自宅で出産。うち第三子である男児は乳児の頃死亡)、出生届も出さないまま自宅で生活させていた。
父親である男性側の責任も重いのだが、こうした事件でその点が追及されることはほとんどない。
さておき、子供たちはみんな戸籍がないのだから、就学も出来ない。
そして、第一子である長男が十四歳ぐらいの頃に、母親には新しい恋人が出来た。その恋人と暮らすために母親は一人でアパートを出て行き、後には四人の子供たちだけが残されたのである。
母親から子供たちには月に数万円の送金があり、母親と長男はほんの時折、ファーストフード店で会うこともあったと言う。
しかし当然ながら、そんな生活がずっと送れるはずはなかった。
結果的に生活に困窮し、アパートは長男と知り合った不良少年二人のたまり場になる。二歳の末妹は、その不良少年たちに暴行を受けて殺害され、死体は秩父の雑木林に埋められたと言う。
アパートの一室が不良のたまり場になっていることを知った大家からの通報で、ようやく事件が発覚することになる。
この事件が発覚し報道された時、私は小学四年生だった。事件のそのものは確かに悲惨極まりない。なのに当時の私は、彼ら兄弟がわずかでも経済的な援助を受けながら、子供たちだけで生活していたことが羨ましくもあった。
親がいなくても生活できるならそうしたい。これが当時の私の望みだった。
そんなことを思っていたぐらいだから、私が育った家庭は相当にストレスの強い世界であったし、心も幾度も深く傷つけられていた。客観的に見れば凄絶な環境だったのは間違いない。しかし反面、「何やってんだ自分!」と言うエッセイ集に書いたような、楽しい家族の情景もあった。
苦しさは確かに感じているのに、何故かどこかしら安堵も感じる。私にとって家庭はひどく苦しい場所でありながらも、多少の拠り所を手に入れられる場所でもあった。また、そこ以外に自分がいられる場所もなかった。
ひどい場所だったかと考えてみれば確かにひどいが、そうとばかりも言えないのである。
そうした場所で育った者でなければ分からない感覚がある。そうした場所で育った者特有の感覚が。
あるフォロワーさんの言葉を引用させていただけば、「地獄かどうかは当人次第」なのである。
この言葉で気付かされた。
巣鴨の事件の長男は、警察に保護された時、しきりに
「お母さんはどうなるの」
と、自分を過酷な状況に追いやった母親を心配していたと言う。
仮に善意の誰かが保護されたばかりの長男に、
「ひどいお母さんだったね、かわいそうに」
と声をかけたとしたら、長男は全力で
「お母さんは優しかった。僕たちは仲良く暮らしていた」
と言うであろう気がするし、その言葉は真実の叫びなのだろうと思える。
そして、そう反駁された誰かさんは、どうして長男がそんなことを言うのか理解出来ないと思う。この子だって自分が置かれた状況が悲惨で苦しくて悲しかったに違いない、と言う決め付けに目隠しされて。
調べた限り、この事件の母親は、親として行政上養育上必要な手続等は放棄・放置していても、子供たちに暴言を吐いたり暴力をふるったりと言った行為には及んでいない。
子供たちは母親に対して曇りない愛情を持っており、母親も子供たちに愛情をもって接していた。罪は罪であり、許されることではないとしても、底に危うさを孕んで歪んではいるけれども、幸せな温かい空間にいた親子ではなかっただろうか。
もちろん真実は当人たちにしか分からない。しかし私は自分の経験や感覚を顧みつつ、自分の狭い了見だけで相手の感覚や思いを決め付けてはいけないなと思う。