
連載小説 イッツマイターン #7 最終回
僕が高校生の頃の話だ。僕自身、自分が高校生だった時のことは、なんだか遠い昔話のようなんだけど。
僕の大学受験があるからって、父親が単身赴任することになって。母親と僕は、高三の四月に、埼玉の祖父母の家に住み始めた。
僕は結構、真面目に勉強していて、駅前にある予備校にも通っていた。そこで二人の友人ができた。三人とも一番前の席に座っていたから、自然と話すようになって。
高橋は俺と同じ高校の奴で、隣のクラスだった。もう一人は、女子高に通っていて、河合さんといった。
男子と女子、三人という奇数なのに、不思議と気が合ったな。今思えば、自分も引っ越ししなくていいから、精神的に落ち着いていたし。ほかの二人はとても優秀で、進路先は常にA判定だったから、余裕があったんだろうね。
三人でいるのが居心地よくて、休日も図書館で勉強したりしていた。でも好きだとか嫌いだとかそんな関係にもならず、受験生のわりに、穏やかに過ごすことができたんだ。
次の年、お互い第一志望の大学に合格して、僕だけ岩手に進学した。それでだんだん疎遠になった。
当時、携帯もSNSもそれほど普及してなかったし、僕は大学に入学してからも、あちこち動き回っていたからね。
でもある時、大学も卒業して五年後くらいかな。九州をふらふらしている頃に、たまたま祖父母の家に帰ると、家電に高橋から電話があったんだ。
僕はとても驚いたし、すごいタイミングだったから、盛り上がって会う約束をした。高橋が自宅に来てほしいというので、手土産にコンビニでお菓子とか買って、住所と彼の説明を頼りにお邪魔した。
高三の時にも実家に行ったことがなかったから、いざマンションまで来ると、ちょっと緊張したな。十年近く、会ってなかったからね。
玄関に出てきたのは母親で、僕はなんで高橋が出てこないのか、違和感を感じたんだ。そのまま案内された部屋で、その理由は分かった。
高橋はベットに横たわってた。
なんでもないことのように、
「ようっ。」
て笑いかけてくれて。
彼が自分の状況を説明してくれて、教えてくれた病名は、難病だった。
人生であの時ほどショックを受けたことはないよ。
僕は泣きそうになったけど、あえて昔のように面白おかしく話をするようにした。
高橋もそれを望んでいるように思ったから。
高橋は、同級生から、僕が日本中を暮らして回っている話を聞いたと言ってた。
良かったら、色々な場所の様子を教えてほしいといわれ、僕は二つ返事で了承した。
持参した写真を見せながら、年月を埋めるように近況を語りあって。携帯で、連絡先を交換した。
二時間近く話をして、彼にも疲れが見え始めたから、そろそろ帰るよ、って言ったんだ。
そしたら、高橋に引き留められてね。なんだか、ためらっているようだった。
最後に、僕に、静岡には住んだのかって聞くんだ。僕はまだと答えた。
高橋はしばらく考え込んでいた。それからゆっくりと、机の引き出しを指さして、入っている箱を取ってほしいと頼んだ。
僕は引き出しを開け、水色の箱を手に取ると高橋に渡した。その箱には、「没後処分」と彼の字で書かれていて、僕はぎょっとしたけど、何とかこらえた。
「これ。」
高橋は僕に、そこから一枚のはがきを差し出した。
引っ越しましたの言葉と、小さな女の子の写真があった。どこかで見たような顔立ちで、裏を返すと柳林優紀、旧姓河合、と書かれていた。
河合からのはがきだった。
「懐かしいだろ。二年前に届いたんだ。」
僕は返答に困った。このはがきを僕に見せた、高橋の意図がわからなかったから。
「年賀状のやり取りをしていたんだけど、それが最後で音信不通になってしまった。」
「そうか。結婚して、引っ越したんだな。」
僕はやっとの思いでそう言った。すると、高橋がくすりと笑った。
「違うよ。河合を好きだったとか、そういう話じゃないんだ。」
図星な僕はうろたえたけど、高橋は僕の顔を見て、顔を横に振った。
「高校時代、楽しかったな。」
彼は言った。
「自分がこうなって、一番楽しかったのは高校時代だったなって、思い返して。ただもう一度、三人で話してみたかったんだ。」
そして、手にしていたはがきの写真をじっと見つめた。
「僕たち、写真の一枚も撮ってないな。」
僕がぽつりとつぶやくと、そうなんだよ、と高橋は笑った。
「でも今日、お前と話せて良かった。夢が半分かなったよ。」
僕は何とか笑顔を作ったけど、結局泣いてしまった。それは、彼にとって何の役にも立たないと知っていたのにね。
その後、疲れた高橋が横になりたいというので、僕は箱とはがきを受け取って、机の引き出しにしまった。その時、はがきの差出人の住所を覚え、帰宅すると急いで河合に手紙を書いた。病気のことは伏せて、どうしても連絡が欲しいことを書いたんだ。
自分の住所も、電話も、メールアドレスも書いたけど、何の返事もなかった。自分は鹿児島で働きながら、たまに帰って高橋に会ったり、電話で話したりしていた。
でも、そんな時間は、あっという間におわった。高橋は、この世を去ってしまった。
静岡県掛川市。
河合は、その時、そこに住んでいなかったのかもしれない。僕の手紙は戻ってこなかったから、行き違いがあったんだろう。
でも、僕にとっては、忘れられない場所になったんだ。
森本さんの思い出話は、淡々と終わった。
富士山を見ながら、僕は改めて興味本位だった自分を恥じた。富士山があまりにも堂々としているから、まぶしくなって下を向いた。
「ごめん。重いよね。でも園部君は、なにかしら、答えを探しているようだったから。つい、話しちゃったよ。」
「ありがとう、ございます。」
僕は声をふり絞った。森本さんは、富士山を眺めていた。
「僕はね、今度はできるだけ長く暮らそうと思うんだ。別に、河合に会いたいとか、そういうんじゃないよ。まぁ、もし逢えたら、重くならないよう、高橋の訃報は伝えたいと思うけどね。それは、でも、目的じゃない。」
森本さんは、かみしめるように言った。
「若い時のノリで始めた暮らしだけど、こうして日本を住み歩いたことは、間違いなく自分の人生だったって思える。
でも今度は、たいていの人がそうしてるように、一つのところに根付いてみたいって思うんだ。一つの仕事を、長く続けたい。」
風が吹いて、それが思いの外冷たくて、森本さんも僕も身を縮めた。ふっと息を吐いて、森本さんが言った。
「園部君。だいたい人間は、自分にないものをうらやむようにできてるんだよ。
自由なら不自由にあこがれ、不自由なら自由にあこがれる。だけどね、何してたって生きるのには辛いことがついてくる。もちろん楽しいこともだ。
僕は、時々、高橋のことを思い出して、こう思う。やりたいことやってるぜって。毎日を生き切ってやるって。」
森本さんは僕に言うと、晴れやかに微笑んだ。
今、自分の仕事や生き方に迷っている、僕へのエールに違いなかった。
僕は気の利いたことが何も言えなかった。でも、もう一度富士の裾野から頂上を見据えた。
薄曇りの空に、稜線がくっきりと浮かんでいる。快晴ではないからこそ、その姿は僕の心にしっくりとなじんだ。
結局、僕たちは、六時間以上かかって掛川についた。休憩や、話していた時間が、思いのほか長かった。
賑やかな繁華街から駅前を通り、新しいアパートを見せてもらった。ごく普通の町で、なんなら僕が住んでいる場所に、どことなく似通っているように思えた。
「最後に、見せたい場所に連れていってから、駅に送るよ。」
そう言って、森本さんは僕を案内した。
少し町はずれの方にドライブして、見晴らしの良い場所に降り立った。
そこは、ずっとずっと遠くの方まで茶畑が広がっていた。緑の細長い線が幾重にも重なり、小さなプロペラがくるくると回っている。
「すごい。」
生まれて初めて見る景色だった。
「ここ、僕の新しい職場。」
「ああ、いいですね!まさか、お茶とは。」
大きな空の下、働くのはとても気持ちよさそうだった。思わず深く呼吸をする。空気がやけにおいしく感じられた。
「山、山、山だ。静岡って緑がきれいですね。」
僕が言うと、森本さんは少し含みのある笑いをした。
「でも、あっちの方角、5キロくらい先は海なんだよ。」
「えっ。」
僕はその方角を見た。緑の丘が続いていて、海の気配はない。
「今度、一緒に行こう。この前みたいに。」
やっと来られた。
森本さんは、一人言のように呟いて、隣で大きく伸びをした。
僕は、こっそり、ここで働く森本さんの、これからの生活を想像した。今度は部屋に、テーブルやテレビを置くのだろうか。
「いつかまた、絶対に逢いましょう。」
僕は遠く、海があるという方角を見ながら言った。
森本さんは、あの人懐っこいほほえみを返してくれた。
その時は、この、いくつも重なる緑を越えて、青い海を見に行くんだ。
終