
【エッセイ】寂しがり屋のばあちゃん
ふわっと暖かい春の日差し。
その人の春のような眼差しに包まれて、
私は育った。
メガネの人。
どんぐりみたいなつぶらな目。
おちょぼ口で、ナチュラルパーマ。
ずんぐりむっくりのいで立ちで、歩いてどこにでも出かける人。その傍にいつも少年時代の私がいた。
「マコトー、走ったらあかんよー」
「マコトー、転ぶよー」
と、常に転ばぬ先の杖。
石橋を叩いて割りそうなほど、守られた、
強い光に……。
◇◇◇◇◇
ばあちゃんは79歳で、膵炎で亡くなった。
小さいときから、いとこと2人で箕面の滝やら博物館やら近畿圏のあっちこっちに連れて行ってもらった。
家も向かい同士の団地とマンションで、何かあったらすぐに行ける距離だった。
私が小さい頃は、共働きの両親の代わりに参観日や文化祭、運動会にも必ずと言っていいほど、来てくれた。
「森山のお母さんきてるぞ」
と、言われたばあちゃんが嬉しそうにしてたのを覚えている。
そんなばあちゃんが七十を超えたくらいから、病院へ行ったり、入院したりと調子が悪くなっていった。けれども、当時の私は忙しさにかまけて、ばあちゃんの側に行くことが少なくなっていた。
———
大学生になった私は、遊ぶお金に困ったときがあった。誰にも相談できなかったので、ばあちゃんの家に行った。久しぶりに私が行くと嬉しそうにしていた。
そして、私からお金の話を聞くと、黙って封筒から1万円出してきた。
「ありがとう、必ず返すから」
と、私が言ったら、柔らかくにっこりと微笑んでいた。
味をしめた私は、それを2度、3度と……
「ばあちゃん、ちょっと、困ってて」
と、言いに行っても嫌な顔一つせず、封筒から1万円を出してくれた。その度に、
「ありがとう、助かった」
と、言うと、やはり柔らかい笑顔をにっこりと浮かべていた。
今思えば、少しでも私と接点を持ったことや、役に立っているのが嬉しい。私に使うお金は「生き金」と思ってくれたのかもしれない。あのときの自分を私は叱りとばしたい……
その後、ばあちゃんの入院生活が本格的に始まった。
当時薄情だった私は、家から近い病院なのに何度もお見舞いに行かなかった。あんなに可愛がってもらったばあちゃんなのに……。
そんな日々の中、いとこと2人でお見舞いに行くことがあった。そのときは、ばあちゃんはまだ元気そうだった。
父からも「手術したら治る」と、聞いていたのもあった。だから、本当に陣中見舞いくらいの感覚で、
「ばあちゃん、来たで。欲しいもんない? 」
くらいの軽いノリで見舞いに行った。
すると、なぜかいつもメガネのばあちゃんはメガネも外したまま、私の右手を両手でぎゅっと強く握り、離さなかった。
「何してるん? ばあちゃん。また来るから」
「どうした? ばあちゃん、おかしいで?」
長い時間、黙って私の目を正面から真っ直ぐ見ながら、握った手を離さなかった。
今思えばとても寂しそうな目だった。
今でもその目はありありと思い浮かぶ。
「また会えるからな、ばあちゃん」
「離しや、マコト困ってるで」
と、いとこがばあちゃんの手を無理に離して、ことが収まった。
ばあちゃんはしきりに、
「ほんまにまた会えるか?」
と、食い下がるように私に言っていた。
そのときは、私も
「会えるって、何言うてんの」
と笑い飛ばして、相手にもしなかった。
去り際に、ばあちゃんはベッドからこちらをずっと見ていた。
「ばあちゃん、ボケたんかな?」
と、いとこが心配したほどだった。
しかし、ばあちゃん死は突然訪れた。
あの手を強く握られた日が最後の日になった。
本当に私からしたら、寝耳に水状態だった。仕事中に母から突然連絡が入った。
「ばあちゃんが、亡くなったよ」
その後の仕事のことは、何も覚えていない……
父が言うには医療ミス。そのミスは誰かが予想できるものではないはず。ばあちゃんは知ってたのか、知らいでか……私の手を離さなかったのかもしれない。今思えば、そう思えてならない。
◇◇◇◇◇
生前、こんなことがあった。
私が小学生の高学年頃だったと思う。
「マコト、あんた身代わり地蔵って知ってるか」
と、ばあちゃんは言った。
「聞いたことはあるよ」
と、私が答えると、
「見てみぃ、これ、地蔵の鼻のとこ潰れてるやろ」
「ばあちゃんな、この前自転車で転けたけど、何も怪我なかってん」
と、真剣な顔で言うので、
「良かったやん」
と、私は言った。
「でも、ほら身代わり地蔵を財布に入れてたら、こうなっててん」
見事に潰れた鼻にそのときはそんなに違和感を感じなかった。今思えば、不思議なこと……。
財布の中の地蔵の鼻が潰れたのだから。
後から見た自転車は驚くほど大破していた。
サドルが変な方向を向き、かごもへしゃげていた。相当な転び方で、無事なのが奇跡としか思えない。
夜通しお通夜の番をしているとき、ばあちゃんの死に顔を見ながら何故かそのことを思い出していた。
信心深いばあちゃんは、財布にそんなお地蔵さんのキーホルダーを入れていたのだ、と渦巻きの線香をじっと見ながら考えていた。
お通夜のとき、何度棺桶の中のばあちゃんの顔を見たか分からない。安らかな寝顔だった。本当に寝てるように見えた。でも触ると冷たかった。
これが人が死ぬということ……。
そして、次の日、葬式が始まった。粛々と進められる儀式はまるで現実味がなかった。時折り、演出で司会の人が故人の生前の記憶などを話すが、わざとらしくてイライラした。
しかし、棺が焼き場に出棺するときになり、突如溢れ出した涙が止まらなくなった。
小さいときから可愛がってくれて、あちこちに連れて行ってくれた優しいばあちゃん。
いつも親身になって話を聞いてくれた賢いばあちゃん。
その笑顔が頭に浮かんだ。
浮かんだら今度は自分の後悔が次々に頭に浮かんだ。
ばあちゃんに返せなかった3万円のこと。
お見舞いのときにもっとしっかり手を握っていれば良かったこと。
ばあちゃんのそばにいてやれなかったこと。
そんな思いが噴水のように一気に吹き上がってきた。
……ごめん、ばあちゃん。
後から母に聞いた話だが、ばあちゃんは初孫である私のことが特別可愛かったと言う。誰にでも分け隔てなく愛情を注いでくれていたように思えたばあちゃんだが、私への思いは格別だったようだ。
幼少期に毎朝、私の顔を見たいだけのために朝6時ごろに来ていたこともあったそうだ。もちろん小さかった私は寝ている。けれど、タバコを一本だけ吸って私の寝顔だけを見て、帰っていったそうだ。
そして、必ず「マコトは何してる」と、母に聞いたそうだ。母は「寝てるに決まってるやん」と内心思っていたらしい。
そして、行事ごとは大きい、小さいに関わらず、全て来てくれた。運動会、時には参観日、高校の文化祭。私も私で何かあったらすぐ「ばあちゃん、ばあちゃん」と報告した。
葬式は父の勘違いで、大きい所でやってしまった。互助会に入ってるため、百人くらいのホールでやるつもりだった。「ホール」か「会館」かの違い、名前違いのところに電話したせいで三百人は入るであろう大ホールでの葬式になってしまった。
それでも、そこに訪れる人たちの数は凄まじかった。生前のばあちゃんの人徳だと皆が褒め称えた。
じいちゃんは、ばあちゃんの葬式を何も言わずに黙って見送った。普段から寡黙なじいちゃんだったが、以前脳梗塞になりリハビリ中だったのもある。
車椅子で葬式に参加したが、終始赤い目でばあちゃんを見送った。ばあちゃんが亡くなった数年後、導かれるようにじいちゃんもばあちゃんの所へ行った。
———
ばあちゃんの一周忌を丹波のとある禅宗の寺で行った。
森山家の菩提寺だ。ばあちゃんはこの寺と、住職の念仏が好きだったと、いつか言っていた。
その日は朝から、秋雨が降っていた。少し寒いお寺のお堂の中、一周忌の法要は住職の長い念仏から始まった。
住職の念仏の途中で急に雨が上がった。本当に雨音がピタッと止んだ感じだった。驚くほど急に晴れ上がった。
太陽の光がお寺の中にパァーっと差し込んだ。その光は全員が顔を見合わす程の、強く優しい光だった。強く優しい光……
「ばあちゃんが、帰ってきてる」
誰がいうこともなく、全員がそう思った。
ばあちゃんの娘で私の叔母にあたる人が、
「あの光、ばあちゃんやね」
と、言ったとき、
「うん、オレもそう思った」
と、思わず言ったほど……。
親戚中をザワザワさせた一回忌だった。
帰りの車で、母がばあちゃんのお墓に向かって、
「ばあちゃん、帰るわなー」
と、言ったタイミングでまた少し雨が降ってきた。
もちろん、それはたまたまかもしれないし、人に言うことでもない。でも、返事したように雨は降った。その場にいる者しかこの感覚は分からない。
でも、ばあちゃんは、みんなが急に帰って寂しいと思った気がする。きっとそうに違いない。
———
そして、いつの間にか私も五十を越え、父も亡くなったときのばあちゃんの年齢に近づいていた。
お盆の休みの日に、父と二人で一杯やろうかという話になった。実家に着いたら、いつもするように、線香に火をつけ、仏壇の鐘を鳴らして手を合わせた。そして、ばあちゃんやじいちゃんのことを思った。実家の仏壇に向かうときは大体そうしている。
仏壇のある部屋は線香臭くて好きだ。
何もないときでも嗅ぎたくなるくらいの匂い。
私は久々に父とサシ飲みをしていた。
2人でくだらない話をしていた。
本当にどうでもいいような話をして、4時間ほど飲み続けた。孫がどうとか、親戚がどうとか、そんな話をうだうだ話していた。
そう、昔ばあちゃんがよく見た光景。
じいちゃんと親父がサシ飲みして、本当にくだらない話をして、ばあちゃんを困らせたっけ……
よく、
「タカシー、あんたええ加減にしなさい」
「おとうちゃんも、ええか加減にせんと!」
そんな声が今でも頭の中に残っている。
私も「ええ加減」にして、そろそろ帰ろうかと、立ち上がった。
帰り際にいつものように、もう一度仏壇に線香をあげるため火をつけようと思い、新しい線香を取ろうとした。
そのときだった……。
そこには、ちょうど今刺したてくらいの線香が赤々と火をたたえ、煙を上げていた。父が先に気が付き、
「マコト、マコト、線香。ほらっ!」
と、興奮していた。
父がいたずらでさしたのとも違う。
母は、仏壇の部屋にすら入っていない……。
ばあちゃん、おかえりなさい。
相変わらず、くだらんこと言って楽しく過ごしてるよ。心配やろうけど、安心して。
小さかった僕ももう五十超えてるし、
結婚もして、妻がいてる。
それから、子供もできた。
本当にいい奥さん。
ばあちゃんに会わせたかった。
妻は賢い人で、
「ばあちゃんと会いたかった」って。
あれから妻と何度もお墓には行ってるけど、
ばあちゃんと直接話して欲しかった。
きっとお互い気が合うと思う。
僕が大好きな2人やから。
おやじがな、だんだんじいちゃんに似てきて、
頑固になってきた。じいちゃんみたいに飲んだら、目が三角になってきた。
けど、思慮深いのは相変わらずやで。
頼りになる。
そこは、ばあちゃん譲りやな。
この前、Switchあげたから「ドラクエ」にはまってる。
機嫌ようゲームばっかりやってるみたい。
畑は親父の居場所やからできるだけ長く続けて欲しい。
気難しくなってきたから、親父とは時々揉める。
まあ、オカンが一番大変そう。
また、報告行くからな。
寂しがり屋のばあちゃんへ……
マコトより
◇◇◇◇◇
今でもまぶたの奥にはばあちゃんの笑顔がある。春の日差し浴びると、いつもばあちゃんのことをを思い出す。
不思議な線香の体験や強い光も身代わり地蔵もばあちゃんのことなのだったら、何も怖くない。
なぜか、不思議と自然に受け入れらる。
ばあちゃんは生前、真面目に信心していた人。
念仏や仏教の道の勉強もしていた人。
私はそんなばあちゃんに憧れて、歴史や深く物事を考える人間になった気がする。
おそらく、今でも側にばあちゃんがいてくれて、勇気と知恵をくれているように思えてならない。
私がこうやって、一つの物語を書くことができるようになったのは、ひとえにばあちゃんが本を与えてくれたから。
司馬遼太郎の歴史や星新一のSFに出会わせてくれたばあちゃん。夏目漱石や芥川龍之介の数々の書籍は大体買ってきてくれた。
すごいやろ、ばあちゃん。こんなに長い文章書けるようになったで。
僕が書いた作品全部読んで欲しい。
ばあちゃん本が大好きやったやろ?
仏壇に一つ置いたけど。
読めてるかな?
生きてたときは、全てを喜んでくれたっけ。
悲しみも、憂いも全部受け止めて、その数だけ皺を刻んでいったな、ばあちゃん。
順番にゆっくり、そっちに行くから、もうしばらくはこっちで頑張る。
この作品はばあちゃんに捧げる孫からの愛の歌。
ありがとうな、ばあちゃん。