
人生の夏休み
大学に入るときの入学式の時に、前の壇上の学長から「大学は人生の夏休みといいますが・・・」的な挨拶があった。
多分そこでは、
・それは置いておいてサボらず勉強しましょう。
・社会勉強しましょう。
なんて話をしていたと思うが、私は「人生の夏休み」という単語に猛烈に惹かれた。
結構厳しい親に育てられていたと当時の私は思っていた。
・21時以降はテレビ見ちゃダメ
・夕飯までには帰ってこい
・犬の散歩に行ってこい
今思えば未成年の子供に対しては当たり前のことなのだが、当時は厳しいと感じていた。
高校卒業して初めての一人暮らし、高校の友達も近くにいた。
そうして「人生の夏休み」を謳歌し始めた。
当時横浜に住んでいたのだが、高校時代の友達も近くに住んでいた。
新潟から神奈川に出てきて寂しかったのもあり、毎週会っていたように思う。
特に何をするわけでもなく、ただ集まって酒を飲み、ゲームをして雑魚寝する。そんな自堕落な夏休みを謳歌していた。
土地勘がないので、出かけることは滅多になかったが、今でも覚えているのは一度だけ電車に乗って当てもなく出かけたことがあった。
その日はよくいる3人だったが、寝起きの勢いで「乗ったことがない電車に乗って、降りたことない駅行ってみようぜ!」とか完全にノリで出発した気がする。
当時私は東急東横線の東白楽駅付近に住んでいた。
そこはJR横浜線の東神奈川駅も歩いて行ける。
その先の京急東神奈川駅には皆行ったことがなかった。
私の家から京急東神奈川駅まで徒歩で出かける。
その時は確か7月くらいだったと思う。暑かった。
行きがけに東神奈川駅最寄りのSATYで朝食兼昼食を食べる。
バーガーキングに当時よく行っていた。
今とは違い、当時はポテト山盛りだった。お腹いっぱいで出発する。
京急東神奈川駅では皆乗ったことがないので、ソワソワする。
「次来た電車の終点までだな!」と皆で決める。
次来た電車は「逗子」行きの電車だった。
一番安い切符で入ったので、帰りの電車賃がちょい心配だったが、平日昼間の人が少ない時間、小旅行なこともあってすぐに忘れたと思う。
1人が言った「太平洋見たくね?」新潟市出身なのもあって小学校の頃から海で遊んだりはしていた。ただそれは「日本海」だった。テレビでしか見たことない「太平洋」に心躍った。
空いていたので座って道中過ごしていたと思う。終点までとなると何時間も乗る気がしていたが、1時間もしないうちに逗子に到着した。
心配していた電車賃も1000円しない乗車賃だった気がする。
「水着ギャルいるかな?」と20代男性3人がウキウキで海に向かう。
ナンパする度胸はないのに口だけは一丁前だ。
逗子海岸海水浴場まで歩いて行ったと思う。
7月初めだったのかまだ海開きはされていないようで、海の家も一切開いていなかった。当然「水着ギャル」はいない。
というか人があんまりいなかった気がする。
3人で缶ジュースを買い、「日が沈んだら帰るか」と言った。
晴れていたので日が沈むのを見届けて帰るのを高校時代に何回かやったことあったので、「ここでも同じことやるんだな。」と笑いあった。
夕暮れで気づく「太平洋って日が昇る方じゃね?」。そう、太平洋は日は沈まないのだ。新潟の海(日本海)で、当たり前のように夕日が水平線に沈むのを見て育った私にとって、それは衝撃だった。日本海の当たり前が太平洋に負けた気がした。
夏が近づくと思い出す、人生の夏休みのあの夏の日。
もう戻れないけど、今でも集まるとまた電車に乗りたくなる。