
スパゲッティーミートソース
エッセイ
給食の献立表を見ては、この日が来るのを待ちどおしくしていた。
平らな容器には薄いベージュ色の麺が盛られ、大きな深めの容器に深紅のソースがある。麺はソフト麺ではなく、パスタ麺が使われており、細かく刻んだパセリが彩を添えている。
今日の給食は、スパゲッティーミートソースだ。
パスタ麺の上にソースをかけて食べるのか、ソースの中に麺を入れて食べるのかは、個々の判断によるが、私は専ら前者であった。
フォークで麺を巻いて、口に入れる。引き締まった挽肉の食感に、トマトソースの旨味が広がり、刻み玉ねぎの香りが追いかけてくる。この瞬間が、この上なく好きだ。当時の私にとって、給食の王様は、スパゲティーミートソースである。
小学生の頃、勉強もスポーツも出来ない子だった。絵を書いても、工作を作っても下手くそだから、悪目立ちすることすらあり、そのうえ、父がPTAの会長なんぞをしていたものだから、親父は偉いのにお前はバカだとからかわれることもあった。
ある日、父が学校に招かれて、先生たちと一緒に給食を食べたことがあったらしい。そのときのメニューがスパゲッティーミートソースだったそうだ。うちに帰ってきてから、あれは美味かったと父が言っていたのを覚えている。あの美味しさは、大人も子供も共通なのだと思った。
父は、堅い人と思われていたようだ。笑っているところを見たことないと友人に言われたこともある。
すかいらーくが好きだったり、私が買ってきたコミックを読んでいたりして、意外と子供っぽいところもあるのだが。
ただし、家事をしているところは見たことがない。炊事も洗濯も母がやっていた。昭和の父親はそんな人が多かったと思う。
小学生最後の夏休みは、地域の子供会で夢の国へ行った。アトラクションで一日遊び、帰りに施設内のレストランで夕飯を食べて帰ることになった。
私は、スパゲッティーミートソースを選んだ。楽しく遊んで、大好きなものを食べて帰れば、文句なしの一日になると思った。
でも、違っていた。いつも給食で食べているあの味ではない。トマトソースに熟成感かなく、肉汁が混ざった程度で、噛みしめるほどの挽肉はない。
思わず首を傾げてしまう。
スパゲッティーミートソースなんで、どこで食べても一緒だと思っていた。まるで別物を食べ複雑な気持ちを抱えて帰路についたのだ。
中学生になっても、私は相変わらず何もできない子だったけど、中学でも給食があり、小学校と同じようにスパゲッティーミートソースは美味しかった。
夢の国のあの味が私には合わなかったのだと思っていた。
高校生になると、もう給食はない。このくらいの歳になると行動範囲も広がり、夏休みにアルバイトをしたこともあって、お小遣い以外に自由に使えるお金が増えた。
ある日、母が夕飯にスパゲッティーミートソースを作った。ナポリタンは、幼いころから出ていたけど、ミートソースは初めてだった。その味は、夢の国に似ていた。
まさかと思った。ファミレスに行ったとき、スパゲッティーミートソースを注文してみた。コンビニやスーパーでも買って食べてみた。やっぱり、どれも夢の国に近い味がしていた。
夢の国が私に教えてくれたのは、スパゲッティーミートソースの現実だったのだ。
子供の頃に食べた給食の味が、貴重な存在だったことにようやく気づく。
大学生になった頃、自分でスパゲッティーミートソースを作るようになった。缶詰めのミートソース、乾麺のパスタ、挽肉、玉ねぎ、これらを調達して作ることにした。あの頃の味に会えないならば、自分で作ってしまえばいいのだ。
そして、出来上がりはというと、今一つだった。何かが足りない気がした。挽肉を多めに入れたのは良かったが、それ以外はいまいちだ。気に入らなかったので、給食には存在しない、粉チーズとタバスコをかけて食べてしまった。
その後も給食への挑戦は続いた。玉ねぎと同様にピーマンを細かく刻み、ニンジンをすりおろし、トマトソースに加えた。それでももの足りなければ、コンソメを入れてみる。やっていそうなことは試してみた。
でも、どこか決めてに欠けていた。給食なのだから、特段手の込んだことをしているとも思えない。なにか手軽に出来る仕掛けがあるはずだが。
結局、何かが分からないまま、作ることをやめてしまった。
時が経ち大学を卒業して、しばらくした頃のことだ。
この時期になると、うちの父は家事を手伝うようになっていた。洗濯物を取り込み、食器を洗ったり、簡単な料理も作るようになった。焼きそばやチャーハンなどだったが。昔に比べると丸くなったものだ。
ある日、父がスパゲティーミートソースを作った。美味しく出来たようで、父が自慢げにしている。私も食べてみることにした。
食べた瞬間、ピンときた。懐かしい味。そう、あの給食の味に似てる。
どうやって作ったのか聞くと、
「ウスターソース混ぜたんだよ。ソースなだけに」
そう言うではないか。
ミートソースにウスターソースを入れる。これなら、手軽かつ、大量に作れそうである。
中学を卒業して以来、給食は食べていなかったが、頭の中であの頃の味と重なる。
父が珍しく言った、ダジャレ、いや、ダジャレですら、ないかもしれないけど、ソースなだけに。そこに答えがあった気がした。
本当にウスターソースを使用していたかは、定かではない。
ただ、近づいたことは、紛れもない事実であった。
それから途方もない月日は流れ、父は他界し、しばらく母と暮らしいたが、母も療養のため入院することになった。
この世とは、無常なものである。変わらぬものは、なに一つとして無いのだ。それは、うちの家族にも同様のことである。
最近では、父と暮らしていた頃が、懐かしく思えるようになった。
私は、自宅に一人で住むことになっしまった。長らく三人で住んでいたので、家の中には、使わなくなったものが多々あった。
壊れかけた文房具、着なくなった洋服、使わない家電。家の中は、いらないもので溢れていることに気づく、それらを容赦なく捨てていことにした。
一人になったから出来ることだ。家族といたら、喧嘩になり、それほど捗らなかっただろう。
食品の棚を整理していたときのことだ。戸棚の奥から、スチール缶が出てきた。
ミートソースの缶だった。
また、作ってみろよ。
父がそう言っている気がした。なにかが足りない、そこから前進したのに、私は、それで満足してしまい作ろうとも思わなかった。
あの挽肉の量に、刻み野菜、ウスターソースを混ぜたら、本当にあの味は蘇るのか。
私は、ミートソースの缶を捨てることなく、棚に戻すことにした。