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28歳で引退して、間借りから店を持つと決めた話

    ※バイトを掛け持ちしても未来が見えなかった自分が、もう一度借金を選んだ理由。

    『引退』
    気づけば28歳になっていた。
    この世界では、もう古株だった。

    先輩たちのしつけは厳しかった。
    芸事も接客も、とにかく容赦がなかった。

    それでも辞めなかったのは、
    家の借金がまだ残っていたからだ。
    クビになるわけにはいかなかった。

    そして、その頃には「引退するのが当たり前」という空気があった。

    返済に追われながら、
    後輩たちの生活費も見ていた。

    貯金なんて一度も出来ず、手元に残るものはなかった。

    そんな時、
    育ての親だった祖母が脳梗塞で倒れた。

    それをきっかけに地元に戻った。

    『バイトの掛け持ち時代』

    CDショップ、スーパー、
    夜は居酒屋の配膳、ファミレスの清掃、
    といくつか仕事を掛け持ちした。

    それでも収入は足りなかった。

    ある日、
    居酒屋の常連だった建築業の親方に声をかけられた。

    「気になってるママがいるんだけど、
    上手く話せない。一緒に来てくれないか」

    店主から、自分の前の仕事を聞いていたらしい。

    頼まれてついていくことになった。

    店での時間は、ほとんどが聞き出し役だった。
    親方が知りたがっていたことーー
    ママさんの年齢や、好きなこと、普段の様子。

    それとなく、会話の中で拾っていった。

    数日後。
    そのママから連絡がきた。

    「少し、店を手伝ってみない?」

    引き受ければ、時給は悪くなかった。
    朝のバイトを一つ、辞められる計算だった。

    迷う余裕はなかった。
    その話を引き受けた。

    それから一年ほど、
    居酒屋の仕事が終わった後、朝まで店を手伝った。

    そんなある日、
    遠い国で大きなテロ事件が起きた。

    影響は思ったより早く来た。
    客足が落ち、店を早く閉める日が増えていった。

    その空いた時間を見て、
    ママに持ちかけた。

    「閉店後の深夜2時から朝まで、お店を借りれませんか」

    自分でやるしかないと思った。

    条件はこうだった。
    カラオケは朝6時まで。その売り上げは折半。
    月の家賃は15万円。

    「それなら、使ってもいいよ」

    相場なんて分からなかった。
    ただ、やるしかないと思っていた。

    その条件を受けた。

    今思えば、
    東京のハズレでその金額は高かったと思う。

    でもあの時は、
    それが高いかどうかを考える余裕すらなかった。

    『間借り営業開始』

    昼のバイトはやめた。
    仕事は、居酒屋の配膳と、間借りしたスナックに絞った。

    正直、どうなるかは分からなかった。

    それでも、少しずつ人は来てくれた。
    居酒屋を同伴に使っていた地元のお姉さんたちが、
    アフターで顔を出してくれたり。

    うちのママと同じように、
    早仕舞いせざる得なかった他のスナックのママさんたちも、物珍しさで来てくれた。

    ただ、求められるものは甘くなかった。
    飲ませ方も、空気の作り方も、
    むしろ都心より厳しかったと思う。

    一人では身体が持たなかった。

    知り合いに声をかけてもらい、
    二人ほどスタッフを雇った。

    場所的に値段は抑えなければならない。
    借金の返済もまだ残っていた。

    気づけば、
    35歳になろうとしていた。

    自分で店を持つか、悩んでいた。

    間借りしていたこの店は、築40年。
    かなりガタも来ていた。

    出勤すると、まずネズミを追い出すところから始まる。
    それが毎日の仕事だった。

    借金の返済は、ようやく終わりが見えてきていた。
    でも、店を持つなら、また借金を背負うことになる。

    銀行は貸してくれない。
    そんな状況だった。

    世の中も不景気だった。
    政権交代なんて言葉が出るくらいには、空気が重かった。

    このまま続けるか、
    それとも、もう一度背負うか。
    結論はまだ出ていなかった。

    『決心した日』

    祖母の七回忌には出なかった。

    三回忌の帰りに拾った子猫を、
    どこかで祖母の生まれ変わりだと思っていたこと。
    それと、毎日酒の匂いが抜けない自分の生活を、
    親戚の前に出したくなかった。

    法事は任せた。

    まだ迷っていた頃、
    店を貸してくれていたママが言った。

    「今年の更新で、この店は返そうと思う」

    その一言で、逃げ場がなくなった気がした。

    自分でやるしかない。
    そう決めた。

    以前から、
    「店を持つなら資金の相談に乗る」と言ってくれていた人がいた。

    出自はグレーだけど、
    自分の仕事を評価してくれていた人だ。

    企画書と返済プランを、まとめて渡し、了承をもらった。

    あの決断が正しかったのかは、今でも分からない。
    もっと別の分岐があったんじゃないかと、考えることもある。

    それでもーー

    あの時、自分で選んだ道だった。

     
     
    ◼︎夜の世界で20年働きました🍸コロナで引退 ◼︎現在はゴールドの専業トレーダーで贅沢は出来ませんがご飯食べてます 専業歴5年 ◼︎FXのゴールドを、横に並べたシルバーチャートを先行指標として見て、判断材料にしています ◼︎…たまに縦にもします

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