【撮影日誌第40回】最後のトワイライト色EF81を見届けに松任工場へ行く

宮脇俊三は、「もの書きは同じ内容のことを二度書いてはならない。これが仁義である」としつつ、「はじめて北海道旅行にでかける場合は、せめて往路だけは汽車と連絡船を利用してほしい。そうでないと北海道がわかりにくい」こと、鈍行列車と鶴見線を薦めるという三つだけは「キャンペーンのつもりで何度でも書くことにした」という(「都会のなかのローカル線」『終着駅は始発駅』新潮社、1982年)。
2026年に北海道にわざわざフェリーで行く人はかなり少ないだろうが(北島三郎の『函館の女』(1965年)と石川さゆりの『津軽海峡・冬景色』(1977年)における連絡船表象の違いは連絡船と飛行機のシェアの逆転をよく反映しているが、詳細はまたの回に譲る)、ある場所へ向かう特定の経路に思い入れを持つ鉄道旅行好きは多いだろう。先日、金沢へ行くには直江津を通りたい、という話を聞いた。北陸新幹線ネイティブでありむしろ直江津経由で金沢に行ったことが無い自分は旅行経験の乏しさを感じざるを得ないのだが、金沢~敦賀がJRの北陸本線でないことに少し違和感はある。大きく経路が変わるわけではないし関西から金沢に行くのに武生を通りたいということではないが(武生に恨みはない)、何度か在来線で行き来した区間に並行して新幹線が開業するという経験を初めてしたのはここだ。
この日は、最後のトワイライト色かつJR西日本所属のEF81だった113号機の松任工場入場を見届けに出向いた。トワイライトエクスプレスが運行を終了してからも7年以上にわたって工臨や配給を担当してきた113号機だが、北陸新幹線の敦賀開業を一年後に控えて廃車になった。湖西線のカッター運用に備えて常駐していた宮原から直接松任に回送され、検査切れぎりぎりまで稼働していたと記憶している。働き者の機関車である。
ハピラインへの移管と同時に松任本所は閉鎖されることが決まっており、113号機は4月ごろ解体され、押し込みを担当したDE10 1035も6月に除籍されてじきに解体された。キ209やクモハ475といった保存車も、今も残るB6を除いて2023年度内にすべて解体されてしまった。北陸本線の廃止が強く感じられた出来事だった。
金沢から近い駅前に現れた14haの土地を行政が放っておくわけはなく、今年の2月には再開発案がまとめられた。
北側の「白山めぐりあいゾーン」には「北陸本線の特急車両・蒸気機関車等」が展示されるエリアもできるらしい。キ209やクモハ475、EF81が化けて出ることは間違いないので、着工にあたっては入念にお祓いをしたほうがいいと思う。
ただ、「テトラクロロエチレン」なる有害物質が既に検出されているらしく、再開発にはそれなりに時間がかかるだろう。大船工場も土壌汚染がひどく、村岡新駅の工事が本格化するまでに閉鎖から20年はかかっている。いまのところクモハ11や入換動車のクモル145の目撃情報はないので、霊の怨みにも時間的な限度があるのかもしれない。とはいえ、内裏の清涼殿に雷が落ちたのは道真の死後25年以上が経ってからのことだった。油断は禁物である。
