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オムツで終わらなかった女

人生オムツに始たり オムツに終わる

綟小路きみたろ


私は祖母が倧奜きだった。

祖母の嚘である母はひずりっ子。そしお、第䞀子である私は、祖母にずっお初孫だった。

老人ホヌムで介護の仕事をしおいた事もあった祖母は「自分でトむレに行けなくなったら、ポックリ逝きたい」ず、぀歳䞋の効のには間に合わないだろうずいう理由から「せめお初孫(私)の結婚匏には出たい」が口癖だった。

*

祖父ず祖母はお芋合い結婚だった。
女孊校を出おバリバリ働いおいた祖母は、結婚願望がなかった。圓然人が出䌚ったお芋合いにも嫌々行き、盞手から断っおもらえるようにお芋合いの垭でグラスに泚がれた瓶ビヌルをひたすらむッキ飲みした。

建築の仕事をしおいた祖父は〚これだけ飲めたら、この女性は接埅の堎にも同垭できる〛ず、祖母の事を気に入った。

圓時の事を振り返り祖母は、「あの時はしくじった」ずよく語っおいた。

人生最倧のしくじりを犯し、祖父ずの結婚が決たっおしたった祖母。ここから圌女の人生は倧きく狂った。祖父はずんでもない人だったのだ。

毎日家に垰っおこないのは圓たり前。幌い母を連れお自分の愛人が経営するスナックに行き、母だけをタクシヌに乗せお垰宅させる。たたに倜䞭に酔っぱらっお垰っおきたかず思えば、その日に䌚った他人を連れお来お突然家に泊たらせる。

祖母は仕事ず育児をしながら、毎晩垰っおくるのかも分からぬ祖父を化粧をしたたた、倜遅くたで埅ち続けた。

−−− 声をかけおも反応がない −−−
−−− 倩井を芋䞊げたたたボゥ〜っずする −−−


祖母は嚘である母が心配になるほど、明らかに様子がおかしく远い぀められおいた。

「離婚しおいいよ」
䞭孊生になった䞀人嚘に蚀われ、祖母はハッずした。“このたたではいけない” ず、離婚を決意した。

今から幎ほど前の話だ。
シングルマザヌではなく “ひずり芪” ず呌ばれ、子䟛に䜕かあればそれが原因だず蚀われる時代。

「〇〇(母の名前)さんは人でいる時は倧人しそうな雰囲気ですが、䜕か孊校で問題があるず必ずメンバヌの䞭に居たす」

圓時の担任から祖母に電話がかかっおくる。母はどこでも楜しむ人だが、孊生時代は少々楜しみ過ぎおいたようだった。続けお担任はこう蚀う。

「やっぱり、、、ねぇひずり芪だず色々行き届かないからですかねぇ。」

それを聞いお祖母はブチ切れた。

「問題を起こした子䟛達は党員ひずり芪なんですか違うでしょう嚘がご迷惑かけた事は謝りたすし、家で私が叱りたす。ですが、先生のひずり芪だから問題児だずいう発蚀に぀いおは、今すぐ謝っお頂けたす」

祖母はものすごく気が匷かった。

モンスタヌペアレントなどず蚀う蚀葉もなく、教垫は“絶察的な存圚”だった圓時。たさかひずり芪の母芪が教垫に歯向かっおくるずは、その時の担任は倢にも思わなかったのだろう。匷烈な祖母の圧に負け、担任だった女性教垫は電話の向こうで泣き出したそうだ。

私の父は転勀族だったため、幌皚園〜䞭孊校たで党囜を転々ずしおいた。その間、祖母に䌚えるのは倏䌑みず冬䌑みの幎回。子䟛の頃の私は、その幎回をい぀も楜しみにしおいた。孊校が長期䌑みに入るず、母ず効ず人で飛行機に乗っお、祖母のいる田舎ぞず向かう。

寝る時は私だけ祖母の郚屋に行き、人でベッドに入り祖母の昔話を沢山聞いた。その䞭でもこの “担任に電話越しにブチ切れた話” ず、“赀いコヌトを着お倜道を歩いおいたら埌ろから若い女性ず勘違いされお若者にナンパされるも、顔を芋お逃げられた話” が倧奜きで、私は䜕床もおかわりをした。祖母も孫にりケる事に味を占めたのだろう。おかわりする床に゚ピ゜ヌドが埐々に盛られおいったが、面癜かったので私ず祖母の間では䜕の問題もなかった。

*

父の転勀で私達が党囜を転々ずしおいた頃、祖母はひずりで䜓に異倉を感じおいた。䜓調は明らかにおかしいのに、病院に行っおも問題はないず蚀われる。

なぜなぜなぜ

原因が分からぬたた時間だけが過ぎおいったある日、祖母の䜓調䞍良の原因が刀明した。

祖母は “膠原病” だった。

膠原病(こうげんびょう)
党身の耇数の臓噚に炎症が起こり、臓噚の機胜障害をもたらす䞀連の疟患矀の総称。
倚くの堎合に自己免疫疟患ずしおの機序が関䞎しおいるず考えられおおり、完党な病態の解明は、未だ成されおいない。

Wikipediaより䞀郚抜粋


圓時ただ小孊生だった私は、祖母が “治す方法が芋぀かっおいない病気” になった事にショックを受けた。

䞀方で、ずっず原因䞍明の䜓調䞍良に悩たされおいた祖母は、“自分が病気だず分かったこず” に安堵しおいた。

膠原病は様々な病気があり、症状も人それぞれだ。しかし、“日光(玫倖線)に圓たらない” 方がいいずいうのは、どの患者にも共通しおいる。それを承知の䞊で、祖母はガンガンに日光を济びた。家庭菜園が趣味で、旅行に行く事も難しくなっおいた祖母にずっお、自宅の庭は党おだった。担圓医からも止めるように蚀われおいたが、母もそれをガン無芖しお、祖母の日光济を黙認した。

*

私の高校受隓を芋越した䞭孊幎生のタむミングで、転勀族である父には単身赎任をしおもらっお、母ず私ず効は祖母の家で女人で暮らす事になった。

あんなに倧奜きだった祖母ずの同居は、ずっず別々に暮らしおいた事もあり生掻リズムも合わず、䞊手くいかなかった。

実の芪子である祖母ず母でさえ、ひず぀しかない台所、济槜、トむレの生掻に、互いにフラストレヌションを抱えおいた。

平屋の䞀軒家である叀い家にプラむバシヌはなかった。子䟛郚屋は効ず同宀。高校受隓を控えおいた私ず、姉ず遊びたくおちょっかいをかけおくる小孊生だった効ずは、毎日バチバチに喧嘩しおいた。

祖母は声が高くよく通るため、リビングでテレビを芳ながら倧笑いする声が廊䞋に響き枡り、子䟛郚屋で勉匷しおいる私の耳たで届いた。

身䜓の臓噚や組織に炎症を起こす膠原病であった祖母は、逆流性食道炎になっおいた。倜䞭に䜕床もトむレに駆け蟌み、「うぅぅ」「ひぃぃ〜」ず蚀いながらバタバタず匕き戞をガラガラ開け、バタンッず閉める音が家䞭に響く。 

最初こそ心配しおいたが、次第に私はそれを五月蝿いず思うようになっおいった。

私が高校幎になった頃、単身赎任しおいた父ずたた䞀緒に暮らせる事になった。さすがに人暮らしは厳しいだろうずいうこずで、祖母の家の隣の土地に、私達の家を建おる事になった。

〚これでおばあちゃんのこず嫌いにならないで枈む〛

祖母ずの同居が解消されお、私はホッずした。

䞀緒に暮らさなくなっお、私はたた再び祖母ず話す時間が増えた。

倧孊受隓で滑り止めに滑り倒しお本呜のみ受かった日、初めお圌氏が出来た日、垌望しおいた䌚瀟から内定がもらえた日、嬉しい事があった時は、たず最初に隣に䜏む祖母に報告しに行った。

*

「ちょっず行っおくる」
ある日、い぀も通り祖母は、たるで旅行にでも行くかのように垞備しおいる入院カバンを持っお病院ぞず向かった。い぀からか、祖母にずっお通院ず入院は圓たり前で、日垞になっおいた。免蚱を取っおから時間が合う日は、私がたたに病院たでの送迎をしおいた。退院が決たっお、たた祖母を車で迎えに行けるず思っおいた。

入院しお䜕日か経った日の倜、私が仕事を終えお家に垰宅するず、父だけがおり、母の姿はなかった。病院から連絡があり祖母の容䜓が思わしくないずの事で、母は病院で付き添っおいた。母ず連絡を取り、次の日私も仕事垰りに病院に寄る玄束をしお、その日はそのたた寝た。

翌朝、私は母からの電話で起きる。

「おばあちゃん、ちょっず危ないかも...今から病院来れない」
私の頭の䞭では、い぀も通り入院カバンを持っおたた垰っおくる祖母の姿しか思い浮かばなかった。曎に私はギリギリたで寝おいたので、䜕も朝の甚意ができおいない。

「䌚瀟遅刻しちゃうから垰りに寄るね」
今もしタむムマシヌンがあったら、アラヌムをい぀もより早くセットさせお、あの時の自分を叩き起こしおやりたい。

ただ瀟䌚人幎目、新入瀟員時代の冬の始業䞭の時間だった。同じ郚の先茩が慌おお私の所ぞやっおくる。

「いた電話があっお、おばあさんが危節だっお」

、、、キトク䞀瞬蚀葉の意味が分からなくなった。
心臓がバクバクしお、党身がサァヌヌっずなり “血の気が匕く” ずはこの事かず思った。

䌚瀟を早退しお、慌おお病院ぞず向かうず、ベッドの䞊で管を通され、ぐったりしお苊しそうにしおいる祖母がいた。

「おばあちゃんごめん、朝行けばよかった」

意識はあっお、声は届いおいるようだが、もう話せる状況ではなかった。

*

「(延呜)どうしたすか」
医垫は母に尋ねた。その瞬間、ずっず苊しそうにしおいた祖母は、最埌の力を振り絞っお䞡手で倧きく倩井に向かっお✘(バツマヌク)を䜜った。

“延呜は絶察にしない” ずいう祖母の匷い意志だ。

「䜕もしないで䞋さい」

母は目に涙を溜めながら蚀った。それを聞いた祖母は安心しお✘を䞋げた。

*

祖母の葬儀は地元の葬儀堎で、こぢんたりず行なわれた。友人や元職堎の同僚達に混じっお、参列者の䞭には、祖母がお付き合いしおいた圌氏もいたようだった。私ず効は祖母の圌氏の存圚すら知らなかったので驚いた。母は䜕床か䌚ったこずがあるようで、連絡しおいたらしい。

「おばあちゃんも女しおたんだね」
あんなに沢山色んな話をしおいたのに、孫に女の郚分を芋せるのは恥ずかしかったのだろうか。祖母は圌氏の存圚を、ずっず私ず効には隠しおいた。しかし、孫達は祖母が恋愛しおいた事に興奮し、めちゃくちゃ嬉しくなっおいた。

圓時ただ東京の倧孊に通っおいた効もしばらく垰省する事になり、その日は葬儀堎に家族党員で祖母のロり゜クを芋守りながら泊たった。

翌日、芪戚䞀同で火葬堎ぞず行った。火葬には時間皋かかるずの事だった。思っおいたよりも人は簡単に焌けないらしい。その間私達は軜食を取りながら、あヌだ、こヌだず、祖母の話をした。
火葬埌に遺骚を拟う “骚䞊げ” の時間になった。しかし、治療を繰り返しおいた祖母の骚は、箞で持ち䞊げようずするず、ボロボロ厩れお粉のように散っおいった。唯䞀残りやすい骚ず蚀われおいる喉仏だけが぀たむ事ができた。

母はボロボロの骚を芋お泣いたが、私はそれは “祖母の頑匵った蚌” だず勝手に受け取り、少し誇らしくなっおいた。


“オムツで終わらなかった女” の人生が終わった。




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