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鎌倉物語

       あらすじ
    修一の楽しい子供時代。
    やがて青年期を迎え、好きだった紀美ちゃんとのお別れ。
    作家として自立できない修一は、渋谷の牛乳販売所で住み込みで働きながら執筆をつづけるのですが、本が売れないことが苦になり、統合失調症を患ってしまいます。
    でも、小さい頃から親しんできていた信仰と、精神科の薬のおかげで救われるのです。
    鎌倉の自宅へ戻っていた修一は、啓子と知り合います。
    それは鎌倉市川喜多映画記念館での偶然の出会いから始まったのです。
    そして結婚。
    しかし、新婚旅行の帰りの飛行機の事故で啓子を失ってしまうのです。
    ところが驚くことに、やがて啓子が生きていたことが分かるのです。
    でも運命のいたずらか、記憶喪失で何も覚えていません。
    愛する啓子が生きていてくれたのに、修一のことが分からないのです・・・・・。
    鎌倉山サナトリウムで過ごす二人。
    はたして二人は、幸せになれるのでしょうか・・・・・。

       はじめに

     鎌倉で育った修一の子供時代からの幸せな日々。
    そうして青年期を迎えます。
    修一の悲喜こもごもの半生を、鎌倉の風物詩とともに描いてみました、どうぞお楽しみ下さい。

       一 青春

      二 幼い日々

       三 ひよこ

       四 初恋のころ

       五 小学探偵団

       六 お別れ

      七 文学への道

       八 荒ら波

       九 夜明け

       鎌倉物語
               藤本英明

       一 青春

     湘南の古都、鎌倉。
    温暖で住みやすく、天候に恵まれている。
    山は低いが海辺まで続いていて、一様に丸みがある。
    砂浜に打ち寄せる波が、フジノハナガイを洗い、いさり船のエンジンが軽やかな音を立てて、白い航跡を残す。
    かもめが白い。
    潮風。
     「ギーッ!ギーッ!・・・・・。」
    一艘の手漕ぎの舟が砂浜に沿うように進もうとしていて、先ほどから艪《ろ》を軋《きし》ませているのですが、あまり動いているようすもなく、漕ぎ手の不慣れなことが窺えます。
    「浜ちゃん!大丈夫かい。」
    「大丈夫だよ。まかしといてくれ。」
    舟は、浜ちゃんちの物だから、下手とは認めたくないのでしょう。
    鉄ちゃんと修一は、艪を漕いだことがないので、まかせるしかないのです。
    三人は中学一年の同級生で、鉄ちゃんが浜ちゃんと仲良しだったおかげで、その鉄ちゃんと仲良しの修一は、かねてより一度は味わってみたいと思っていた、艪漕ぎの船とはどういうものか、それを体感しているのです。
    映画やテレビでは見たことがあるのでしょうけれど、オールで漕ぐボートより難しいようです。
    それにしても舟が進みません。
    先程から砂浜の景色が、ほとんど変わらないのです。
    舟から見る砂浜は、また一味違っていて、いつも見慣れている砂浜なのですが、なんだか別の砂浜のようにも感じられます。
    向かう方角は山が海辺の近くまで迫っていて、いつになく新鮮な感動を味わっているようです。
    「漕いでみるかい?」
    いきなり浜ちゃんに言われて修一は少し戸惑ったようですが、先ほどから浜ちゃんが漕いでいるのを見ていると、なんだか自分にも出来るような気がしていたので、いい機会でもあるし、代わってみます。
    教えられるままにやってみると、なんとか出来ているようではあっても、浜ちゃんが漕いでさえ、ほとんど進まないものが、自分がやって、果たして進んでいるのかどうか、とても進んでいるとは思えないのです。
    鉄ちゃんもやってみるのですが、一応様にはなっているようでも、やはり、ここは浜ちゃんに任すしかないでしょう。
    交替するとき舟が揺れるので、少し恐かったようです。
    すわって海水に手を浸してみると気持ちよく、水がきれいなのは分かるのですが、透明度が低いので、底に何が潜んでいるのか分からない、そんな恐さを感じさせます。
    修一は海で泳ぐとき、また、ボートに乗っている時、いつも、そんな恐怖感を覚えるのですが・・・・・、(みんなは、そんな事ないのだろうか・・・・・?)などと考えているうちに、ようやく舟は砂浜を横切って、逗子マリーナを横目に見ながら角を回り込んでゆくのです。
    ここまでくれば漁港が見えてきて、この冒険もこれまで。
    修一は、短くとも又とない舟遊びに、友達のありがたさを感じながら、名残を惜しみつつ舟を降りました。
    おかげで、その日は何だか身体が揺れている感じが終日続いていて、軽い船酔いでもしたのではないかと思われるほどでした。

     一夜明けて・・・・・。
    修一は、その日もお参りに出かけるのですが、さっそく夏の早朝の気分を味わいながら家を出てしばらく歩き、そろそろ由比若宮が近くなってきたな、というところまで差し掛かります。
    すると、やはり向こうから、お参りをするらしい一人の若い女性が歩いてくるのが見えます。
    どうも紀美ちゃんらしいのですが・・・・・。
    やはり紀美ちゃんです。
    夏らしく、彼女は、薄手のワンピースを着ているので、それに体の線がきれいに出ていて、
    思わず、はっとさせられました。
    (すっかり女らしくなって・・・・・・。)
    彼女とも同い年なのですが、女として意識したのは、この時が初めてだったのではないでしょうか。
    (女って美しいものだなあ・・・・・。)
    改めて感じている修一。
    思ってはいけない事を思っているような、それでいて、抑え難い思い。
    それは彼女にも感じ取れたらしく、なんとなく恥じらいを見せています。
    修一は、いつになく男になっていました。
    彼女が先に鳥居をくぐります。
    修一も無言で後に続きます。

     この由比若宮は相模守であった源頼義が奥羽(東北)での戦に勝利し京に帰る途中、一〇六三年(康平六)に鎌倉に立ち寄り、この地に源氏の守り神である石清水八幡宮の祭神を移しまつったといわれています。
    源氏と鎌倉とのつながりができた最初です。その後、源頼朝が現在の鶴岡八幡宮がある場所に社殿を移してから、ここは元八幡と呼ばれるようになったといわれています。

     まだ朝の早いうちなので、柏手の音が清々しい空気を裂くかのように響くのです。
    「ピシッ!ピシッ!」
    お参りをすませると彼女が声を掛けます。
    「修一っちゃん、おはよう。」
    「おはよう、紀美ちゃん。
    ワンピースがよく似合ってるね。
    素敵だよ。」
    「ありがとう!」
    紀美ちゃんは少しばかり、はにかみます。

     青い空には白い入道雲がむくむくと湧きあがり、山からは蝉の声がシャワーのように降り注いでいます。
    境内には打ち水がされていて、社務所の窓辺に咲いている斑入りの赤い朝顔には小さな水玉が宿り、軒の風鈴がチリリンと微かな音を立てていました。

      二 幼い日々

     時計の針が逆回転を始めます。
    どんどん時を遡ってゆきます。
    どんどん・・・・・。
    どんどん・・・・・。
    そして、まだ修一が生まれる前にまで逆戻りしました。

     あれは、そう。
    寒い頃でした。
    木枯らしが舞い。
    木々の枝々を震わせて。
    木の葉を散らしてゆく。
    そんな或る日・・・・・・・・・・。
     鎌倉の産婦人科病院の一室には、母のなつと、父、修がいました。
    「ごくろうさんだったねえ。
    よく男の子を産んでくれたよ。
    ほんとうに、ごくろうさま。」
    「喜んでもらえて・・・・・・・・・・・・
    何よりです。・・・・・・・・・・。」
    二人には四人の娘たちがいましたが、男の子は一人を亡くしていて、二人目だったのです。
    それだけに、修の喜びも、ひとしおでした。
    「お父さん、男の子は未だ育てた事がありませんから、よろしくお願いしますよ。」
    「そうだねえ、一人亡くしてるからねえ、今度は無事にそだてたいよ。」
    「そうですねえ。
    あのときは残念でした。
    この子は何としても元気に育ってほしいですね。」
    「そうだねえ。
    ぜひ、元気に育ってほしい。」
    「頑張りましょうね。」
    なつは優しい目で修を見遣りました。
    「どうだい、気分は。」
    「悪くありません。」
    「そうかい、それはよかった。
    何か食べたいものはないのかい。」
    「そうですねえ。
    今は、これといって別に・・・・・・・。」
    「そうかい、なにかあったら言っときなさい。
    いつでも持ってくるから。」
    「すみませんねえ。
    うちの方は大丈夫ですか?
    みんな変わりはないでしょうか。」
    「大丈夫だよ。
    まあ、なんとかやってるから。
    心配は、いらないよ。」
    「そうですか。
    よろしくお願いしますよ。」
    「みんな弟ができて喜んでるよ。
    私も楽しみだ。
    二人が元気で早く帰ってくるのを待ってるから。」
    「あっ!
    そうそう、お父さん、そろそろ帰らないと病院が閉まってしまうんじゃないんですか。」
    「あっ、そうだった、そうだった。
    うっかり忘れてたよ。
    それじゃあね。
    あした又くるから。
    気を付けてね。
    おやすみ。」
    「おやすみなさい。
    お父さんも、気を付けてくださいよ。」
    「分かった、分かった。
    それじゃあね・・・・・・。」
    修は静かに、しかも急いで部屋を出ていきました。
    窓から見えている商店街には、さっきまでともっていた明かりが一つ消え、二つ消え、しだいに人通りもまばらになってきているようなのです。
    ところが、しばらくすると又お父さんが戻ってきたので、なつは何か忘れ物でもしたのかと思っていると・・・・・・・・・。
    「あははは・・・・・締められてしまった。
    ちょっと看護婦さんを捜してくるよ。」
    そう言いながら、また行ってしまいました。
    病院の窓から見えている澄んだ夜空には星々がまたたいていて、冬の星座たちも優しくほほえんでいるかのようでした。
    それからも、しばらくの間は修の病院通いが続いていましたが、やがて、なつも退院し、生まれたばかりの修一を連れて戻ってきたのです。
    それからというもの、筅家では一人息子を授かった喜びに包まれていました。
    修は修一を抱いてお風呂に入るときも、耳にお湯が入らないようにと、指で両耳をふさいでやるのです。
    「お父さん、着替えはこっちへ置いておきますよ。」
    「ああ、ありがとう。」
    お風呂が終われば夕食が始まります。
    「わあ、お母ちゃん、どうしたの。
    お刺身いっぱいあるねえ。」
    「ぜんぶ切ったから。」
    「あはは・・・・・、お刺身は一遍に、こんなにたくさん切るもんじゃないよ。」
    修が窘《たしな》めます。
    「私は、お刺身が好きだからね。」
    「ははははは・・・・・・・。」
     修は、けっこう風流人でした。
    お茶を嗜《たしな》み、俳句を詠むのです。
    子供たちにお茶の稽古《けいこ》をさせる事もあれば、
    仕事の手を休め、一句ひねっていることもあります。
    そんな修の影響を、なつも自然に受けていました。

     それから季節は巡り、半年以上も過ぎたころ・・・・・。
    暑かった夏も終わろうとしていて、滑川で遊んでいた人たちの姿も見掛けなくなり、山の虫たちも、そろそろ秋の便りを届けてくれる頃で、この歴史ある土地にも時は静かに流れています。
    そうして、ゆっくり、ゆっくりと秋は深まってゆくのでした。
     今日は、お月見です。
    二階の部屋の窓際には、すすきをあしらい、お団子を用意して、みんなで楽しんでいます。
    子供たちはお団子に目がなく、その、かしましいこと・・・・・・・・。
    でも修は静かに味わっていました。
    「お母さんも一句つくってごらん。」
    「そうですねえ・・・・・・・。」
    しばらく一緒になって味わっていましたが・・・やおら、ひらめいたのでしょう・・・表情が明るくなって・・・・・。

     月よりも団子だんごと
            騒ぐ子らかな

    と詠みあげました。
    「うん、それはいい。」
    修が褒《ほ》めます。
    ときおり雲に隠れながらも、こうこうと輝くきれいな月が一家だんらんを見守ってくれているようで、このままの時が、いつまでも続けばいい・・・・・そう思われるほど、なごやかでした。
     ところが、そんな筅家を予期せぬ不幸が襲います。
    修は小町通りで、時計・眼鏡・楽器・レコードなどを商う家業を営んでいるのですが、時計の修理の細かい仕事に根を詰めるなど、心労が重なったのでしょう、ある夜、突然、仕事場で倒れ、そのまま帰らぬ人となってしまったのです。
    これには、なつも茫然とするばかり。
    でも今は、家業を引き継ぐしかありません。
    そんな、なつの心の支えになったのが、修と共にしていた信仰で、お参りのたびに聞くお話に勇気づけられ、商売に、子供たちの世話にと心する、なつなのでありました。
    そうしているうちに、次女が良い縁談に恵まれ、嫁いでいったのです。

     それから歳月はながれて・・・・・。
    いつしか修一は五歳を迎えています。
    ときおり雪がちらつくこともあり、それが、この地方では珍しい事でもあってか、どこの子供たちも大はしゃぎです。
    「わぁーいっ!
    雪だあーっ!」
    「これ、これっ!
    気をつけなさいよ!」
    「わぁーいっ!
    わぁーいっ!」
    「♪雪やコンコン、あられやコンコン、降っても降っても未だ降りやまず・・・・・♪」
    「雪だるまを作ろう!」
    「ちょっと雪が足りないんじゃないのかねえ!」
    まわりの山も、うっすらと雪化粧していて、どこかの雪国にでも迷い込んだかと錯覚させられるほどです。
    でも、すぐに溶けてしまうので、惜しまれる風情でもありました。

     時は巡ります・・・・・。
    「修一っちゃん、早くおいで。」
    「緑ちゃん、待ってよ。」
    一つ上の姉の緑は幼い修一を連れて鶴岡八幡宮のそばの横浜国立大学教育学部附属鎌倉小学校へ行くところなのです。

     鶴岡八幡宮は全国でも有数の八幡社として、一年を通して多くの参拝者が訪れます。
    社前から由比ヶ浜海岸へとまっすぐに伸びる若宮大路は、中央に段葛《だんかずら》と呼ばれる一段高い参道があります。
    これは、かつて源頼朝が妻・政子の安産祈願として作られた参道と伝えられ、春には満開の桜が咲き誇り、桜並木のトンネルがこの参道を華やかに飾ります。

     小中一貫校である、附属鎌倉小学校・中学校の共通の学校教育目標として、「自立に向けてたくましく生きる~夢ふくらませ,心あたたかく,力あわせる~」を掲げており、教職員だけでなく、子ども自身も保護者も「自立」を本校のキーワードとして意識しています。
    「なりたい姿」として自分のめあてを立て、自分で意識し、考えて行動することができているか学期ごとに振り返っています。
    また、校内研究では「自立と共生を軸に据えた教育課程の創造~生活に生きる力の育成を目指した授業デザイン~」を主題に、「自立」と共に「共生」を意識し、授業研究を行っています。

     「修一っちゃん、この花見てごらんなさい。
    こうして、この瓶の中へ詰めるのよ。
    こうして一杯ね!
    どう、匂いを嗅いでごらんなさい。」
    「うわぁーっ!
    いい匂いだね。
    香水みたいだ!」
    適当に寄り道をして楽しみながらの登校です。
     校舎は何度か建て替えられてきているようで味わい深く、これまでに多くの学童たちを育んできているのでしょう、ほのぼのとした温もりに包まれています。
     今、授業が始まっているようで、修一は、というと・・・・・。
    緑の机の横の床へ座り込んで、ぬり絵をしているのです。
    先生は、緑のお母さんが忙しいので、緑が弟の世話をしているのを承知ですから何も言いません。
    修一も騒ぐでもなく、おとなしくしているのでした。
     時は更に巡ります・・・・・。
    窓の外には広い運動場が広がっていて、ときおり木枯らしが落ち葉を舞い上げ、洒脱なダンスを踊らせています。
    そんな学校から、そう遠くないところを流れている滑川は、材木座と由比ヶ浜の間の河口へと続いています。
    そこは子供たちの恰好の釣り場でもあり、よく投げ釣りをしている姿を見掛けるのです。
    みんなにはキャスティングポイントと呼ばれて親しまれていました。

      三 ひよこ

     ある日のこと・・・・・。
    なつは光明寺の夜店で修一に声を掛けました。

    光明寺の開創は、一二四〇(仁治元)年に第四代執権北条経時が然阿良忠を開山に迎えて佐助ヶ谷に創建した蓮華寺を、一二四三年(寛元元)年に現在の地に移して光明寺と改めたのがはじまりといわれています。
    経時がなくなった後も、時頼をはじめ代々の執権が敬った寺院です。

    光明寺の行事で有名なのは「お十夜」です。
    光明寺第九第住職の観誉祐祟が、後土御門天皇の命令で、宮中で人々の安らかな暮らしや作物の豊作を祈る「十夜法要」を勤めたことにより、観誉祐祟が高徳なことに感心した天皇が、一四九五(明応四)年、光明寺を勅願寺とし、光明寺で十夜法要を行うことが許されたと伝えられています。

     「修一、見てごらん、ひよこだよ。
    可愛いでしょう。」
    「わあっ!可愛いなあっ!」
    「どうだい、飼ってみるかい?」
    「うん、飼ってみる。」
    そうして母は修一に、ひよこを買ってやりました。
    そして直ぐにボール紙の箱を利用して、ひよこの家を作ってやったので、修一は興味津々のようです。
    ひよこの家には裸電球が差し込まれているので暖かいのでしょう、親鶏《おやどり》に寄り添うかのように、ひよこは電球のそばに立ったまま目を細め、やがて、うとうとと眠り始めます。
    クリーム色の柔らかな羽毛に包まれて、フサフサ、ムクムクです。
    「ピー子!ピー子!」、そう呼びながら修一は畳を指先で「トン、トン、トン、トン!」と叩きます。
    すると足早に「チョコ、チョコ、チョコ、チョコッ!」と、ピー子は駆け寄ってきます。
    そして赤ちゃんらしい声で「ピィーヨ、ピィーヨ!」と鳴くのです。
    赤ちゃんと遊ぶのが楽しいのでしょう、何度でも繰り返します。
    一日中やっていても飽きないくらいのようです。
    抱き上げてやると、手に、その柔らかさと温もりが伝わってくるので、思わず頬ずりをしてしまいたくなるのです。
    そおっと畳へおろしてやると、あっちへ行っては「ピィーヨ、ピィーヨ!」、こっちへ行っては「ピィーヨ、ピィーヨ!」、修一が歩くと、チョコマカと足に纏《まと》わりついてくるので危なくてしかたがないのです。
    思わず踏んづけてしまったのではないかと、ハッとさせられることもあります。
    お母さんに教わった、ひよこ草を取ってきて与えたり、水をやったりと、甲斐甲斐しく世話をしているのです。
    絶好の遊び相手ができたのでしょう、夢中になっています。
    そんな修一を見て母や姉たちも微笑ましくて仕方がないようです。
    ところが、ひよこを飼うのは大人でも難しいでしょうから仕方がないのですが、とうとうピー子は死んでしまったのです。
    せっかくの遊び相手が死んでしまったのでは、大人でも辛いでしょう。
    ましてや子供のこと、修一の嘆きは、いかばかりだったでしょうか。
    それは、はかり知れません。
    すっかり気落ちしてしまって、ひとり泣いている修一。
    声にこそ出しませんが、それだけに悲しみは深いのでしょう。
    母や姉たちも思いやり、気遣います。
    みんなで集まって、お仏壇に手を合わせ、お祈りをするのです。
    その後、みんなで中庭にピー子を埋葬してやりました。
    修一は呼びかけます。
    「ピー子、ごめんね。
    何もしてあげられなくて・・・・・。
    楽しかったよ、ありがとう。
    また会えたら、一緒に遊ぼうね!」
    そうして、みんなでピー子とお別れをしたのです。
    それは光明寺のお十夜が終わってから十一日が経った頃のことでした。

     緑が近所の友達と遊ぶ時にも、修一は一緒に遊んでもらうことが多く、広場の辺りは、みんなのお決まりの遊び場で、よく缶けりなどをしています。
    もっとも修一は、緑に付いて回るだけなのですが・・・・・。
    「修一っちゃん、早くおいで、隠れるわよ!
    シーッ!黙ってなさい!
    喋っちゃ駄目よ!」
    緑の後ろにくっついている修一。
    それでも面白いのでしょう。
    スリルを楽しんでいるようです。
    また家では、お手玉や、おはじきの仲間に入れてもらうこともあり、時には、緑が友達とバレエの稽古をするのを見ていたりもするのです。
    あるいは山へ、みんなと一緒に行くこともありました。
     今日は、緑と仲良しの、隣の家の姉妹の所へ一緒に遊びにいっているようで、みんなで掘りごたつを囲んで楽しそうにしているのです。
    どうやらトランプをやっているらしいのですが、そこへ、おじさんがやって来て、押し入れの戸を開けて何やらゴソゴソやっています。
    何かと思っていたら、みかんを出してくれるのです。
    「わあ、ありがとう。」
    みんなは喜んで食べ始めました。
    この家の人たちは皆とても親切で、修一としては、この家庭的な雰囲気が大好きらしく、この家の子になってもいいぐらいに思っているようです。
    家でも、お茶のお稽古をしたり、月次祭《つきなみさい》には、みんなと一緒に、お参りをしたりもしています。

     山の坂を少し登った所にある日本風のたたずまいは落ち着いていて、なかなか風情があります。
    広間には着物姿の緑や、よそのお姉さんたちがお琴を奏でているのです。
    月次祭《つきなみさい》です。
    いつにない華やかさに包まれ、少し、かしこまりながらも、鯉の泳いでいる庭の池をガラス戸越しに見るのも常で、お参りは修一に取っても悪いものではないようです。
    それに、この辺りは、よく夜回りで、みんなと回っているのです。
     「カチッ!カチッ!」
    「 カチッ!カチッ!」
    年長者が拍子木を叩きます。
    「マッチ一本火事のもと。」
    「おばさん、おくどの下は、どうですか。」
    「カチッ!カチッ!」
    大きな声で注意をして回るのです。
    これは又、修一の楽しみの一つでもありました。

     ところが商売の方は、だんだん振るわなくなってゆき、だいいち時計を修理することのできない、なつは、ますます行き詰まってしまい、悩んだ結果、お好み焼きの商売を始めたのです。
    子供たちに食べる苦労をさせたくないとの思いからでしたが、お客様にも好評を博し、どうやら難所は漕ぎぬけたようで、船は沈没を免れました。
    そうして日々の暮らしが立つようになっていったのです。

     朝参りにも家族総出で出かけ、早朝献身のお掃除をしたり、皆さんの体験談に耳を傾けたりしています。
    中には宗教家になるという人もいて、その意気込みには感心するばかりです。
    修一は、とても皆さんのようには信仰できないなと思って、内心しり込みをしています。

     お参りの帰りには、よく若い者同士で、そばの山へ登ってみることもあるのです。
    頂上へは朱の鳥居が連なっていて、お稲荷さんが祀られているようです。
    山は海辺近くまで続いていて、そこの砂浜へも良く行くらしく、今日も、みんなで寄り道をしています。
    きれいな砂浜です。
    静かに波の音がしています。
    寄せては返し・・・・・・・。
    寄せては返し・・・・・・・。
    汐風が未だ少し冷たく、ときおり頬を撫でながら潮の香を運んで砂浜をわたり、そのまま家々の庭を巡って空へ戻る頃、どこかで目白が鳴いています。
    梅の花の蜜を求め、木から木へ飛び回っているようで、ひょっこり庭へ顔を見せるかもしれません。
    そんな早春の一日でした。

      四 初恋のころ

     菜の花の咲くころ・・・・・。
    修一は、もう三年生になっていました。
    そんな頃、小学校へ一人の女の子が転校してきたのです。
    顔の小さな子でした。
    「小池千春です。
    よろしくお願いします。」
    お下げの似合う、可愛い子です。
    修一はお昼休みに千春ちゃんを案内してあげたのです。
    「ここが職員室だよ。
    そして、こっちが保健室。
    あそこがおトイレ。
    それからねえ、あの向こうが図書室なんだ。」
    「ありがとう。
    私ちょっと図書室で本を見ていくわ。」
    「そう、それじゃあ僕は教室へ戻っているから。
    また後でね。」
    本は一人で探したほうが落ち着くだろうと思ってのことです。
    午後の国語の授業の時、先生に指された千春ちゃんは、金子みすゞの「わたしと小鳥とすずと」という詩を、スラスラと読み始めます。
    (ああ、おそらく国語が好きなんだろうな・・・・・。)
    修一は、そう思って、趣味が同じことを喜んだのです。
    彼女は、たちまちクラスの人気者になりました。
    彼女の机の周りには、いつも人だかりがしていて賑やかなのです。
    どうも鉛筆削りに使える片刃の安全カミソリを、みんなにあげているようで、彼女の家は美容室を経営しているらしいのですが、お店で使った後のものを再利用しているようなのです。
    修一も言ってみます。
    「僕にも、ちょうだい。」
    すると彼女は、にこにこしながら一つくれました。
    修一は、うれしかったのでしょう。
    顔がほころんでいます。
    学校の帰りには少し遠回りをして彼女の家の前を何食わぬ顔をして、わざわざ通ってみることもあるのです。
    ひょっとしたら丁度よく彼女が出てこないかな、と、心は彼女の方に向いたまま、後ろ髪を引かれる思いで通り過ぎていくのです。
    何度も試してみたらしいのですが、いつも期待外れに終わったようです。
    そうして彼女は、また、あっという間に転校していってしまいました。
    ほんの僅かな、ほんの僅かな思い出だけを残して・・・・・。
    今でも修一は彼女の居た家の前を、ときどき通ってみるようです。
    ただ、それだけの事なのでしょうけれど・・・・・。
    ちょうど、あんずの花が終わり、新緑が目に染みる頃でした。

     そして暑い季節を迎えます。
    鎌倉宮は前夜祭の盆踊りで賑わっています。

     鎌倉宮は、建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣中社です。
     神社本庁の包括下には当初より入っていない単立神社なのです。
     護良親王の通称である大塔宮(おおとうのみや)に因み、地元では大塔宮(だいとうのみや)と呼ばれることもあります。

     なお、「護良親王」は歴史的には「もりよししんのう」と訓まれたと考えられますが、二〇二〇年時点では、鎌倉宮の主祭神としては「もりながしんのう」と呼称します。
    また、「大塔宮」の訓み方は正式には「おおとうのみや」と考えられ、鎌倉宮でもこれを採用しますが、親王薨去の約四〇年後に完成した軍記物語『太平記』の五巻では「だいとうのみや」とも俗に訓まれていたかのような描写があり、鎌倉の地元でもこちらの「だいとうのみや」や更に詰まった「だいとのみや」で訓まれることが多いようです。

     露店も並び、夜が本番。
    色とりどりのお面を並べ、売っている店。
    カラフルなヨーヨー釣り。
    箱入りキャラメルなどを打ち倒す、射的。
    甘くて美味しいカルメ焼き。
    ふわふわの綿菓子。
    まだまだ沢山あります。
    カーバイドの灯りによる独特の匂いの中を、浴衣姿の親子連れが団扇《うちわ》を使いながら、あっちを見たり、こっちを見たり、中には、お好み焼きを頬張っている姿も見られるのです。
    「あれ買ってーっ!
    ねえ、買ってよおーっ!」
    子供たちの、おねだりをする声が、あちらこちらで聞かれます。
    「わあっ!
    ありがとう!」
    境内は子供たちの声で、さんざめいているのです。
    「これ、美味しいよね!
    もう一つ買ってよっ!」
    いつもは比較的静かなお宮さんも今日だけは賑わって、ざわめきは夜遅くまで続いていました。

     そんな頃、ちょうど修一は家でも勉強をする必要があるなと感じ始めていたところだったのでしょう、その事をお母さんに話してみたらしいのです。
    「ねえ、おかあちゃん。
    勉強がしたいんだけど・・・・・。」
    「そうかい、良かったねえ。
    頑張んなさい。」
    母も喜んでくれたらしく、すぐに机を買ってくれ、窓際が勉強場所になりました。
    そして、いよいよ、生まれて初めて家で勉強を始めたようです。
    社会科の教科書を読んでいます。
    ノートに纏めようと思っているのでしょう。
    しかし、どうも内容が今一つ理解できないらしいのです。
    だからノートに上手く纏められません。
    それに字も綺麗に書けないのです。
    だんだんイライラしてきます。
    それはそうでしょう。
    誰だって最初から上手くいくものではないでしょうからね。
    でも、それが気に入らなかったようです。
    修一は、ムカムカッとしてきました。
    (ああっ!もう嫌だ!)
    そして、せっかく始めた勉強を投げ出してしまったのです。
    そうして山へ遊びに行ってしまいました。
    それからも何度かトライしてみたのです。
    でも、いつも結果は同じで、勉強が手につきません。
    とうとう家では勉強をしないことにしたようです。
    なぜなのか?
    自分がどういう思いをしているのか?
    それが分かれば対応のしようもあるのでしょうが、この時の修一には、まだ何も分からなかったのです。

     そこで修一は、唯一好きだった国語の勉強をすることにします。
    金子みすゞの詩です。

    私と小鳥と鈴と

    私が両手をひろげても、
    お空はちっとも飛べないが、
    飛べる小鳥は私のように、
    地面を速くは走れない。

    私がからだをゆすっても、
    きれいな音は出ないけど、
    あの鳴る鈴は私のように、
    たくさんな唄は知らないよ。

    鈴と、小鳥と、それから私、
    みんなちがって、みんないい。

     なるほど、そうだなあ、と思う修一。
    そして読んでいてもリズムが、調べがいいので楽しいのです。
    詩って素晴らしいな、と感心させられる修一。
    (僕も、こういう詩を作ってみたいなあ!)
    そう思いを新たにしたようです。

     近くの広場のそばの池には、アメンボが小さな水輪を揺らしながらスゥーイ、スゥーイと水の上を走り、前方で輪を描いて泳いでいるミズスマシを追い越してゆきます。
    ときどきゲンゴロウが水面に顔を出しては小さな波紋を広げ、トンボが尻を水面に漬けてできた波紋と交わらせているのです。
    樟の小枝に巣を張ったジョロウグモが獲物のかかる度に急いで駆け寄り、糸にぶら下がっている木の葉と共に揺れだす頃には、池にさざ波が立ち始め、モンシロチョウが番《つがい》で舞いながら水面の上を渡って、どこへとなく消えてゆくのでした。

      五 小学探偵団

     時は巡り・・・あれから二年の秋を迎えています。
    山にも紅葉が目立ち始め、ドングリも転がっていて、散り敷く落ち葉が、また層を厚くしていました。
    この山の頂き辺りには岩が群れている所があり、それは麓からも見えるのですが、聞くところに因ると船からの目印になっているらしいのです。
    修一たち遊び仲間は、よく、この山で遊んでいるのですけれど頂上までは、なかなか行けなかったのです。
    その下の砂どめの広場あたりまでが、普段の行動範囲で、その辺りでも、かなり見晴らしがいいのですが、そこから更に草の中に分け入って、もう一登りしなければ頂上にまでは行けなかったからでした。
    (頂上はどんな所だろう。
    いつか、みんなと行ってみたい。)
    そう思っていたであろう修一ですが、いよいよ、その日がきたのです。
    お母さんに、お弁当を拵《こしら》えてもらい、水筒も肩にかけ、近所の優君と佐利君と共に頂上を目差しました。
    麓の人家を離れると笹やぶがあり、ここではよく笹を採って小さな竹鉄砲や竹トンボなどを作って遊んでいるのですが、そこを山沿いに進むと小さな砂どめに出ました。
    山水が流れているのです。
    そのコンクリートの砂どめを渡って山道を更に登ります。
    すると第二砂どめです。
    ここも小さな砂どめですが更に登ると大きな砂どめに出ました。
    ここが第三砂どめで、かなり広いのです。
    大抵いつもこの辺りで遊んでいて、あっちの斜面にも、こっちの斜面にも木の茂みを利用した隠れ家《が》を拵えてあるのです。
    しかし今日は更に登るのです。
    ここからは道がありませんでした。
    山水の流れに沿って登ってゆきます。
    いよいよ、その流れとも離れて斜面のシダの茂っている辺りを膝で掻き分け、掻き分け登ってゆくのです。
    ここは少し手ごわいようで、シダが堅く絡まっているからでしょう、青々としていて、勢いもいいのです。 
    しばらく無言で登りました。
    足を取られそうです。
    シダの葉が足に触ります。
    痛いぐらいです。
    「佐利君、大丈夫かい。
    早く来いよ。」
    優君が先頭を進みながら振り返って言います。
    「大丈夫だけど、もうちょっと、ゆっくり行ってくれないかなあ。」
    「優君、ちょっと休もう。」
    修一が促します。
    優君と修一は同い年の五年生。
    佐利君は一年後輩でした。
    しかし、ここまで来れば、もう岩々が上の方に見えてきているのです。
    あと一息です。
    三人は斜面のシダの上に腰を下ろして、水筒の水を旨そうに、グビグビと飲みました。
    斜面だから葉の上を滑りそうになるのを葉を掻き分けて上手に坐っているのです。
    この山は自分たちの庭のようなもので、手慣れているようではあるけれど、それでも油断は禁物です。
    何が起こるか分からないからです。
    心がはやるので、一息ついた三人は、また、少しづつ、少しづつ、目差す頂上へ近づいていきました。
    かなり登りは、きついのでしょう。
    もう少しのところなのですが、なかなか近づけないようです。
    しばし汗をかきました。
    「もう少しなんだけど、なかなかだねえ。」
    「もう、見えてきてるのにねえ。」
    「まあ、焦らずに、気を付けてゆこう。」
    堅く絡まったシダに足を取られながら、三人は気を付け、気を付け進みます。
    でも、どうやら難所は越えたようで、ようやく岩の下へと辿り着きます。
    大きな岩でした。
    それが幾つも固まっていて、岩と岩との間を少し狭いですがトンネルのように通れます。
    まるで怪人四十面相の住処《すみか》のようではありませんか。
    三人は、いつしか小学探偵団になっていました。
    確かに大きな岩なのです。
    そして、そろそろ、お腹が空いてきたらしく、岩の上で弁当を広げました。
    見晴らしのいいのが何よりのご馳走。
    ここで食べる弁当は格別です。
    三人は舌鼓を打ちました。
    ふと、岩の下の茂みで「ガサガサッ!ガサガサッ!」と、音がするのです。
    一同、何かと思ったのでしょう、固唾を飲んだようです。
    そして身構えました。
    武器になるような物は何一つ身に付けていないのです。
    (どうしよう!)
    不安に駆られたのでしょう、緊張が走ったようです。
    無理もありません。
    沈黙の時が流れます。
    その時。
    犯人が現れました。
    オスの雉でした。
    きれいな赤い顔に緑の羽毛を見せながら斜面を登ってゆくのです。
    「わあ!
    雉だあ!」
    「すごい!」
    みんなは見とれているようです。
    こんな所で雉を見るのは初めてなのでしょう。
    メスの雉もいるのでしょうか?
    子供の雉も、いるのかどうかまでは分からないようです。
    「顔は赤くて体が緑で綺麗だったねえ。」
    「写真で見たのと同じだったね。」
    「この山に雉なんて、いるんだねえ。」
    「初めて見たよ。」
    「僕もだよ。」
    しばし、一同は感激に酔ったようです。
    と、その感激も冷めやらぬうちに佐利君が、今度は犬の足跡を見つけたようです。
    (こんな所に飼い犬が来るだろうか。
    いや、来るまい。
    そうすると、これは何だ。)
    頭が混乱しているようです。
    「山犬だあ!」
    佐利君が青くなっています。
    飼い犬と違って、山犬は獰猛《どうもう》です。
    腹の減った山犬ほど怖いものはないでしょう。
    飼い犬だって人を襲うことがあります。
    ましてや、山犬となれば・・・・・。
    「ほんとうだあ!」
    残る二人も認めます。
    身を守るものは何一つ持っていないのです。
    こんな所で山犬に襲われたら、ひとたまりもないでしょう。
    一同、背筋に薄ら寒いものが走ったようです。
    もう探検どころではありません。
    そそくさと後かたずけを済ませると帰りの道を急ぎます。
    おかげ様で帰りの足取りは来た時よりも早かったようです。
    気が付けば、もう第三砂どめです。
    更に下《くだ》ります。
    第二砂どめです。
    そして第一砂どめへと下ってゆき、そこからは来た時と反対に、右の道を選んだようです。
    すると、道の下の茂みの辺りから「コン!コン!」と、不思議な声が聞こえてくるではありませんか。
    一同、顔を見合わせます。
    (なんだろう?)
    三人が三様に疑問に駆られたようです。
    その時です。
    突然、優君が叫びました。
    「狐だあ!」
    と同時に脱兎《だっと》のごとく駆け出したのです。
    もう、みんな無我夢中です。
    我先になって一目散に麓まで走り続けました。
    「おどかすなよ!」
    「化かされたら、どうしようかと思ったよ!」
    「あははははっ!
    わるい、わるい!」
    とんだ冒険になりましたが、三人は、それぞれに意気揚々と、引き揚げてゆくのでした。

      六 お別れ

     修一は中学へ進みました。
    放課後、体育館に卓球台を出して、友達のみんなとピンポンをします。
    最初は見様見真似でやっていたらしいのですが、だんだん慣れてゆくのでしょう、楽しんでいるようです。
    一つ先輩の武夫ちゃんは時々打ち込んできます。
    残念ながら、それを打ち返すのは至難の業のようなのです。
    しかし、体育の先生方は見事に打ち返します。
    一人の先生が打ち込むと、もう一人の先生が卓球台から少し離れて見事に打ち返すのです。
    さすが体育の先生だと、修一は感心させられるばかりです。
    打ち込む方の先生の球は、スピードのあるのは当然ですが、打ち返す方の先生の球は山なりの、ゆっくりした球なのです。
    (見事な技だなあ!)
    見惚れるばかりの修一は、そんなのを見たのは初めてだったのでしょう、真似をするのは、とても難しいと思えているようです。
    でも、できるようになったら楽しいだろうな、とも思っているようなのです。
     修一は、紀美ちゃんとラリーをするのが好きなのです。
    彼女は打ち込んできません。
    修一も打ち込みません。
    ただラリーをいつまでも続けているのが好きなのです。
    その点は気が合っていました。

     今日は、修一は紀美ちゃんとゴルフの打ちっぱなしに来て練習をしています。
    ここは、江ノ電の鎌倉高校前駅の横の道を少し登った所で、七里ヶ浜が望めるあたりです。

     鎌倉高校は神奈川県鎌倉市にあり、晴れた日には校内から富士山を一望することができる県立高校で、通称「かまこう」、「けんかま」と呼ばれているのです。
    学科は普通科のみで、二年次より文系と理系に分かれます。
    学校行事では、文化祭と体育祭が毎年行われるほか、「キマスポ」と呼ばれる学期末球技大会があります。
    部活動においては弓道部が県の新人大会で準優勝し、東日本弓道大会出場を果たしています。
    出身の有名人としては、女優の鈴木保奈美さんがいます。

     七里ヶ浜は、江の島と鎌倉の間に位置していて、相模湾に面した約二・九キロメートルの美しい浜です。
    サーフィンのメッカとされる「七里ヶ浜海岸」で知られ、一年を通してマリンスポーツを楽しむ人で賑わいます。

     特に夕暮れに映える富士山は絶景で、夕日の絶景ポイントでもあり、江戸時代の浮世絵師、葛飾北斎や歌川広重の作品に描かれたほどです。
     現代では地元の音楽グループ・サザンオールスターズが歌や映画でこの地を讃え、その名を全国に広めました。

     多くの人を惹き付けてやまない景色に誘われて、ふらりと海辺を散歩したり、海岸線をサイクリングしたり。周辺にはおしゃれなカフェやレストランも多く、湘南ドライブの定番コースです。
    江ノ電の車窓から、キラキラ輝く七里ヶ浜の情景を眺めることもお勧めです。

    紀美ちゃんのフォームは、なかなかいいのです。
    女子プロゴルファーを目指してもいいのではないかと思えるほどです。
    と言えば、ちょっと褒めすぎかも知れませんが、いやいや満更でもないのです。
    ドライバーもいいですが、七番アイアンでピンそばへ落すのも、なかなか旨いのです。
    誰かが後ろでビデオカメラを回していたほどですから・・・・・。
    「紀美ちゃん、そろそろやめにしようか?」
    「そうね、この残りを打っちゃったら終わりにしましょうか。」
     そうして二人は、ハーフセットの入ったゴルフバッグを担いで江ノ電に乗り、戻ったのでした。

    それから暫くたった頃のこと・・・・・。
    「修一君、仲良くしてくれてありがとう。
    楽しかったわ・・・・・。」
    「紀美ちゃん、どうしたの・・・・・そんなお別れのようなことを言って・・・・・。」
    「そうなの、引っ越すのよ・・・・・。」
    「えっ!そんなあ・・・・・。」
    「私も別れるのは辛いわ・・・・・。」
    「そうか!行っちゃうのか・・・・・。」
    「寂しくなるわ・・・・・。」
    「どこへ・・・・・。」
    「仙台よ・・・・・。」
    「遠いね・・・・・。」
    「もう会えないわね・・・・・。」
    「そうだ!家へ来ればいい!一緒に暮らそう!」
    「そうはいかないわ!
    父の世話をしなければならないもの・・・母がいなくなってから、ずっと私が面倒を見ているのよ・・・・・・。」
    「お父さんも一緒に来ればいい・・・・・。」
    「そうはいかないのよ。
    仙台支社長に任命されてゆくんだから・・・・・お仕事も大切でしょう・・・・・。」
    「そうか、そうだよね。
    お別れは寂しいけど、元気でね。
    君の幸せを祈ってるよ。
    僕は、いつまでも君の友達だよ・・・・・忘れないでね・・・・・さようなら。」
    「ありがとう。ごめんなさいね・・・・・許して。
    私も、修一君のことは忘れないわ・・・・・これからも良いお友達でいましょうね・・・・・さようなら・・・・・。」
     そうして紀美ちゃんは旅立っていったのでした。
    修一は、涙が止まりません・・・・・。
    卓球をするたび、胸が詰まるのです・・・・・。
    そうして、残り少なくなった中学時代も終わりを迎えようとしていました・・・・・。

       七 文学への道

     修一は鎌倉高校へ進学しました。
    そして文学クラブに入ったのです。
    まず国語の教科書に目を通しました。
    そして好きな詩を楽しんだのです。
    更に図書館でも調べてみました。

      千曲川旅情の歌(小諸なる古城のほとり)
                島崎藤村

     小諸なる 古城のほとり
     雲白く 遊子悲しむ
     緑なす 繁縷は萌えず
     若草も 藉くによしなし
     しろがねの 衾の岡辺
     日に溶けて 淡雪流る
     あたたかき 光はあれど
     野に満つる 香も知らず
     浅くのみ 春は霞みて
     麦の色 わずかに青し
     旅人の 群はいくつか
     畠中の 道を急ぎぬ
     暮れ行けば 浅間も見えず
     歌哀し 佐久の草笛
     千曲川 いざよふ波の
     岸近き 宿にのぼりつ
     濁り酒 濁れる飲みて
     草枕 しばし慰む

     ちくまがわりょじょうのうた
             しまざきとうそん

     こもろなる こじょうのほとり
     くもしろく ゆうしかなしむ
     みどりなす はこべはもえず
     わかくさも しくによしなし
     しろがねの ふすまのおかべ
     ひにとけて あわゆきながる
     あたたかき ひかりはあれど
     のにみつる かを(お)りもしらず
     あさくのみ はるはかすみて
     むぎのいろ わずかにあおし
     たびびとの むれはいくつか
     はたなかの みちをいそぎぬ
     くれゆけば あさまもみえず
     うたかなし さくのくさぶえ
     ちくまがわ いざよふ(お)なみの
     きしちかき やどにのぼりつ
     にごりざけ にごれるのみて
     くさまくら しばしなぐさむ

    語意

    千曲川:信濃川の長野県側での名称

    古 城:ここでは小諸城のこと

    遊 子:旅人 ここでは藤村自身

    繁 縷:はこべ(撫子=なでしこ=科) 春の七草では「はこべら」

    衾《ふすま》:夜具 掛け布団 ここでは白銀の山並みのたとえ

    淡 雪:うっすらと降り積もった雪 春になって降る溶けやすい雪

    浅 間:浅間山

    いざよふ波:漂う波

    詩意

     旅人が小諸にある古城のあたりにたたずみ、白い雲を見上げていると、旅の愁いが一層つのり悲しみが増すのである。
     春まだ浅く、はこべは芽生えておらず、若草も腰を下ろすには十分ではない。
     しかし、白く輝く山々のすそ野では淡雪が溶けて流れている。
     あたたかい春の光はあるけれども、野に満ちる香りはなく、春霞が浅くかかっているだけで、麦の色はわずかに青い。
    畠の中の道を宿場へと急いでいく旅人の群れが見える。
     日が暮れ浅間山も見えなくなり、草笛の音が哀しく聞こえる。
    旅人は千曲川の漂う波の岸に近い宿にあがり、濁り酒を飲んで旅愁をしばらくの間慰めている。

     修一は図書館で、右のように纏めました。

    修一は、詩を勉強したいと思っているのです。
    まだまだ自分で詩を書くことはできないようですが、そのうち取り組むつもりのようです。
    そして文学クラブで、佐藤春樹と村上良子という学友ができました。
    三人はよく、お互いが読んだ本について話し合うのです。
     放課後に学校のそばの高台に登って、眼下に広がる七里ヶ浜の広大な眺めを楽しみながら語らっています。
    ここは三人のお気に入りの場所で、よく来るのです。

     修一が言います。
    「堀 辰雄著”風立ちぬ”を読んでみたんだよ。」
    「ああ、あれはいいね。
    爽やかでね。」
    「そうね、私も読んでみたけど、あれってジブリアニメの”風立ちぬ”の原作になっているんでしょ、悲しいお話だったけど良かったわ。」

     佐藤春樹も言います。
    「僕はさあ、芥川龍之介の「藪の中」を読んでみたよ。」
    「ああ、あれはチョット面白いね。
    事件に対する、いろいろな人の様々な証言があるんだよね。
    いったい何が本当なのか・・・・・。
    そこだよね。
    まさに、真相は藪の中なんだよね。」
    「面白そうね。
    私も読んでみようかしら・・・・・。」

    今度は良子ちゃんが言います。
    「私は太宰治の「走れメロス」が興味深かったわ。」
    修一が応えます。
    「うーん、あれは意味深《いみしん》だね。
    人を信じることのできない王の非を訴えたことにより処刑されるメロスは、たった一人の妹の結婚式を挙げるために三日間の猶予を願うんだよね。
    そのために、友を身代わりにしてさ・・・・・。
    はたしてメロスは、処刑されるために、刑場に戻るのかどうか・・・・・。
    普通なら逃げたくなるだろうけどね・・・・・。
    それでも、信じてくれた友のために、戻って処刑されるのか・・・・・。
    それを推し量る王の思惑やいかに・・・・・。
    本当に人を信じることは出来るのだろうか・・・・・。
    むつかしいね・・・・・。」

     目の前に広がる七里ヶ浜の海。
    西に傾いた陽射しが水面に広がり、輝いています。
    その沖合をヨットが風を受け、滑るように進んでゆくのです。
     ゆっくり過ごした三人は鎌倉高校前駅から、修一は鎌倉駅へ、二人は反対方向の藤沢駅方面へと帰ってゆきます。
    春樹君と良子さんは鵠沼に住んでいるので、石上駅で降りるのです。
    二人は仲良しで、付き合っているのでしょう。
    それは修一にも、うすうす感じられています。

     そうして三人は、そろって湘南芸術大学へ進んだのです。
    さらに三年生の時に、春樹君と良子さんは学生結婚をしました。
    二人とも裕福な家庭で育った坊ちゃんとお嬢様ですから、経済的な心配はないのです。
    「二人とも、おめでとう!」
    「ありがとう!」
    「ありがとう。
    修一君も頑張ってね!」
    幸せそうな二人です。
    春樹君は日本画の世界で活躍するのだとか、、、、、。
    将来が楽しみです。
     修一はというと、作家を目指すことにしているのです。
    そこで「風立ちぬ」のあらすじを書いてみることにしました。

       風立ちぬ
                  
    堀 辰雄

       序曲

     秋の近い日、一面にススキの生い茂った草原で節子は、画架に立てかけたキャンバスに絵を描いていたのです。
    私はいつも、その傍らの一本の白樺の木陰に身を横たえていました。

    そんなある日の午後、私達は節子の描きかけの絵を画架に立てかけたまま、その白樺の木陰に寝そべって果物をかじっていたのです。
    そのとき不意に、何処からともなく風が立ち、置きっぱなしにしてあった絵が画架とともに倒れました。
    「風立ちぬ、いざ生きめやも。」
    ふと口をついて出てきた、そんな詩句を、私は口のうちで繰り返していたのです。
    節子は、もう二、三日もしたら父親が迎えに来ると言います。
    この夏、偶然に出会った私とも、もう会えなくなるかもしれないとのことなのです。

       春

     三月になったある午後、節子の家に行った私は、庭木の手入れをしている父に会いました。
    私は先ごろ節子と婚約したのです。
    そして節子がサナトリウムへ行きたがっていることを知ります。
    おそらく私も付いて行くことになるだろうと思うのでした。
     四月になってから、節子の病気はいくらかずつ快復期に近づきだしているように見えました。
    そんな或る日の午後のこと、節子は、大へん気分もよさそうで、いつも殆ど着たきりの寝間着を、めずらしく青いブラウスに着替えていたのです。
    そして、おずおずと芝生の上へ出てゆきました。
    節子は私にもたれかかっていて、私達はしばらくそのまま黙り合っていることが、こういう花咲き匂うような人生をそのまま少しでも引き留めて置くことが出来でもするかのように感じられていたのです。
    節子は、「どうして、私、この頃こんなに気が弱くなったのかしら? こないだうちは、どんなに病気のひどいときだって何とも思わなかった癖に・・・・・」と、ごく低い声で、独り言でも言うように口ごもります。
    「私、なんだか急に生きたくなったのね・・・・・」
    それから彼女は聞こえるか聞こえない位の小声で言い足しました。「あなたの御蔭で・・・・・」
    それは私達が初めて出会った、もう二年前にもなる夏の頃、不意に私の口をついて出た、そしてそれから私が何ということもなしに口ずさむことを好んでいた、”風立ちぬ、いざ生きめやも”という詩句が、それきりずっと忘れていたのに、又ひょっくりと私達に蘇ってきたほどの、云わば人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉《たの》しい日々でした。

     私達はその月末に八ヶ岳山麓のサナトリウムに行くための準備を始めたのです。
    私は、ちょっとした友達になっている、そのサナトリウムの院長に、いちど節子の病状を診てもらうことにしました。
    院長に診てもらうと、「なあに大したことはないでしょう。まあ、一、二年山へ来て辛抱なさるんですなあ」とのことでした。
    本当はどうだか分からないのですが・・・・・。
    四月下旬の或る薄曇った朝、八ヶ岳山麓方面へ向かう汽車の二等室に乗り込みました。

       風立ちぬ

     そして汽車は、いかにも山麓らしい、物置小屋と大してかわらない小さな駅に停車したのです。
    待っていた自動車に乗り、やがてサナトリウムに着きました。
    私達は、その一番奥の方の、裏がすぐ雑木林になっている病棟の二階の第一号室に入れられたのです。
    八ヶ岳の大きなのびのびとした代赭色《たいしゃいろ》の裾野が漸くその勾配を弛《ゆる》めようとするところに、サナトリウムは、南を向いて建っています。
     院長は言うのです。
    「思ったよりも病そうが拡がっているなあ。
    こんなにひどくなってしまっているとは思わなかったね。
    これじゃ、いま、病院中でも二番目ぐらいに重症かも知れんよ・・・・・」と。
     それはそれとして私達のすこし風変わりな愛の生活が始まりました。

     向こうの山の背に入って間もない夕日を受けて、そのあたりの山だの丘だの松林だの山畑だのが、半ば鮮やかな茜色を帯びながら、半ばまだ不確かなような鼠色に徐々に侵されだしているのを、うっとりとして眺めていたのです。
    そしてずっと後になって、いつかこの美しい夕暮れが私の心に蘇って来るようなことがあったら、私はこれに私達の幸福そのものの完全な絵を見出すだろうと夢みていました。
    節子が言うのです。
    「何をそんなに考えているの?」
    「私達がずっと後になってね、今の私達の生活を思い出すようなことがあったら、それがどんなに美しいだろうと思っていたんだ」
    「本当にそうかも知れないわね」
    彼女はそう私に同意するのがさも愉しいかのように応じました。
    それから急に今までとは異なった打っちゃる様な調子で「そんなにいつまでも生きていられたらいいわね」と言い足すのです。
    「又、そんなことを!」
    私は如何にもじれったいように小さく叫びました。
    「御免なさい」
    彼女はそう短く応えながら私から顔をそむけました。
     その晩、私が隣の側室へ寝に行こうとした時、彼女は私を呼び止めたのです。
    「さっきは御免なさいね」
    「もういいんだよ」
    「私ね、あのとき他のことを言おうとしていたんだけれど・・・・・つい、あんなことを言ってしまったの」
    「じゃ、あのとき何を言おうとしたんだい?」
    「・・・・・あなたはいつか自然なんぞが本当に美しいと思えるのは死んでいこうとする者の眼にだけだと仰《おっしゃ》ったことがあるでしょう。・・・・・私、あのときね、それを思い出したの。
    何だかあのときの美しさがそんな風に思われて・・・・・」
    そう言いながら、彼女は私の顔を何か訴えたいように見つめました。

     そして私は気が付いたのです。
    (あのとき自然なんぞをあんなに美しいと思ったのは俺じゃないのだ。
    それは俺たちだったのだ。
    節子が自分の最後の瞬間のことを夢みているとも知らないで、俺は俺で、勝手に俺たちの長生きした時のことなんぞ考えていたなんて・・・・・)
    私は心から恥かしかったのです。

     八月は暑くて過ごしにくいものでした。
    そして或る日、病棟が騒がしかったのです。
    ひょっとしたら、どなたかお亡くなりになったのかもしれません。
     九月になったころ、ようやく暑さも収まったのですが、お亡くなりになる方が多くなられたようでした。
    十月に入ったころ、父がやって来ました。
    殆どもう病人は治りかけているものと思い込んでいたらしいのに、まだそうして寝たきりでいるのを見て、父は少し不安そうな様子でした。
     そして二、三日で父が帰った後、彼女は今までにない激しい咳に襲われ、少し血痰を吐きました。
    しかし、それも収まって、いよいよ仕事にかかる気になった私は、今の節子との幸せを小説にすることにしたのです。

       冬

     物語の結末を書きあぐねている、ただ長い、不安ばかりの、闘病と付き添いの生活。

      死のかげの谷

     一九三六年十二月一日
    あれから一年ほど後、幸福の谷、とも呼ばれる村の、ベランダのついた木皮葺《きはだぶ》きの山小屋で一人暮らしを始める私は、時折り節子を思い出しながら過ごしているのです。
    こう云ったような山小屋で、お前と差し向かいの寂しさで暮らすことを、昔の私はどんなに夢見ていたことか、と懐かしく思い出しながら・・・・・。

     重苦しい場面へと進んできましたが、そこでふと、節子の亡くなった後へと物語が展開します。
    この、悲しい部分を描かないことが、この物語の良い点だと思われます。

     それに物語の大半を占めている情景描写による雰囲気づくりが素晴らしいと思います。

     修一はこの様に、あらすじをまとめました。

     そうして大学生活も終わりを迎えようとしていたのです。

     伯母の家は北鎌倉にあります。

     北鎌倉は、静寂に包まれた歴史的な寺院が鎌倉の精神性を現代に伝える地域です。
    建長寺(けんちょうじ)は、鎌倉五山の中でも特に重要な寺院で、禅仏教の平和と悟りを追求し、その厳かな庭園と壮麗な建築を通じて禅の精神を伝えています。
    円覚寺は、美術的に価値の高い宝物を保持し、「花の寺」として四季折々の花々を楽しめる場所として知られています。

     明月院(めいげついん)は「あじさい寺」として名高く、特にアジサイの季節にはその美しさで訪問者を魅了しますが、鎌倉最大のやぐらや枯山水庭園なども訪れる人々に静寂と瞑想の時間を提供します。
    円応寺(えんおうじ)は、死後の運命を決定する十王信仰を深く理解できる場所であり、運慶によって作られた閻魔大王の座像は、子供の健やかな成長を願う家族にとって特別な場所です。

     長寿寺は、美しい多宝塔や尊氏像があり、限定公開の庭園では紅葉の美しさを楽しむことができます。
    浄智寺(じょうちじ)は、宋時代の建築様式を残し、鎌倉の自然と歴史を感じさせる寺院です。
    東慶寺(とうけいじ)は、女性の自立と権利を支援し、六〇〇年以上の歴史を持つ尼寺として、四季折々の花と禅文化で訪れる人々に癒やしを提供します。
    光照寺(こうしょうじ)は、隠れキリシタン保護の歴史を持ち、日本の宗教的多様性と寛容性の象徴です。
    これらの寺院は、北鎌倉を訪れる人々にとって、心の平和と歴史的な深みを感じることができる貴重な場所となっています。

     芝生の庭には雑草が生えてくるのです。
    それを伯母は、小さなコテの様なもので、上手に取ってゆきます。
    修一も手伝うことがありますが、なかなか根気のいるものです。
    「修一っちゃん、無理しなくてもいいわよ。
    私は慣れてるけど、大変だからね。」
    そう言われると、なおさら止めるわけにもいかないのでしょう、修一は頑張ります。
    広い庭ですから、一遍にとはいきません。
    「さあ、そろそろお十時にしましょうか・・・・・。
    いらっしゃい。」
    そう言われて、(ああ、助かった!)と思っているらしい修一。
    伯母の心遣いに感謝しているようです。
    茶の間へ落ち着いた二人。
    お茶を頂きます。
    鎌倉名物ともいえる鳩サブレーも・・・・・。
    修一は伯母のことが好きなようです。
    母なつのお姉さんですから・・・・・。
    伯母は主人を早くに亡くしていて子供もいません。
    だから修一を我が子のように可愛がってくれるのです。
    「伯母ちゃん、肩を揉んであげるよ。」
    そう言ってサービスをします。
    「そうかい、すまないねえ。」
    雑草取りで肩も凝っていたのでしょう、目を細めて気持ちよさそうです。
    お年寄りを労《ねぎら》うには、これが一番。
    修一は、母にも伯母にも喜ばれているようです。
    亡くなった義理の叔父は、養蚕で財を成した家柄に育ち、伯母に多額の財産を残しました。
    湯河原には別荘もあります。
    「修一、私の養子にならないかい。
    財産を受け継いでもらいたいんだよ。」
    伯母に言われます。
    「うーん、ありがたいけど、僕は筅家の長男だから、そうもいかないんだよね。
    それに財産が有ったら、きっといい気になって、遊んで暮らすことになってしまうと思うんだよ。
    だから、どこまでできるか分からないけど、自分なりに努力して、人並な生活ができる我が家にしていこうと、そう決意しているんだ。
    ごめんね、伯母ちゃん。」
    「ううん、謝ることはないよ。
    立派なことだ。
    男は、そうでなければいけない。
    それなら、お前のお姉ちゃんに養女になってもらおう、そして婿養子を取るんだ。
    それでどうだい?」
    「うん、お姉ちゃんも喜ぶと思うよ。」
    そうして結局のところ、修一の一つ上の姉の緑が養女になることとなりました。

     或る日のことです・・・・・。
    紅茶と鳩サブレーを頂いて一息ついた修一は、ぶらりと散歩に出かけたのです。
    そして、図書館まで来ました。
    何となく足が向いたのです。
    鮮やかなもみじが燃えるようで、しばらく来なかったのですが、いい季節になりました。
     書棚に向かい本を物色していたところ、石原慎太郎さんの本に行きあたったのです。
    そして、ここ湘南にちなんだ”湘南夫人”を手に取ってみました。
    そして読み始めたのです。

     出だしから複雑な情景で状況をつかみにくかったのですが、どうやら加納家で行われた四組の夫婦での麻雀パーティの後のお茶の席で武田夫人が、訳も知らずに口にしてしまったことによっての気まずさが物語の始まりのようなのです。
     それは、北原の先々代の北原剛造が名流の婦人たちに呼びかけて作った美人のピアニスト、木の宮育子の後援会の、その後の成り行きについてのことでした。
     そしてそれは、北原の家に戻ってのブリッジの手慰みの間にも尾を引いていました。

     主な登場人物と、事情は次のようです。

     北原夫婦、主人は(木の宮)志郎、妻は紀子。
     野口夫婦、主人は健士、妻は良子。
     そして交通事故で亡くなった、北原家の先代の息子の勝彦。
     北原産業(多角経営)が主な舞台です。
     すべての会社を一括してコントロールする北原ファイナンスという持ち株会社が特殊に思われます。
     先々代の北原剛造の知恵で、会社すべてを北原一族が支配する仕組みになっているのです。
     北原ファイナンスの株は株式市場には出回っていないのです。
     株の持ち主は剛造さんの意にかなった者ばかりで、(経営問題には疎い素人ばかり)、すべてワンマン北原剛造の一存で事が済むようになされているのです。
     (北原に関わりあう会社を全て統合して一族で仕切るために、傘下のすべての企業の株を独立して一括保有する会社を別個に造り上げたのです。)

     木の宮育子の夫は夭折した作曲家の篠田徹で、その子が木の宮孝子です。
    その孝子と結婚したのが先代の北原泰造で、その間に生まれたのが木の宮志郎です。
    先代の北原泰造さんには勝彦の他に男の子はいませんでした。
    一人娘の晴子さんだけです。
    勝彦と志郎は異母兄弟なのです。
    木の宮孝子も母親の才を次いで優れたピアニストでしたが、泰造さんは母親のように世に送り出すのを嫌がったのだそうです。
    その代わりに塾を構えて門弟を育てていたのですが、勝彦と結婚した紀子さんは、その弟子の一人で、彼女には才能がありました。

    北原家の先々代の北原剛造《ごうぞう》が生まれ故郷の北陸の二つの中都市を結ぶ鉄道を創設して地域が発展し、それはブームタウンの様相を呈する発展ぶりで、ホテルや観光関係の施設も北原一族が独占して、ある種のコンツェルンを形成するに至った、との構想です。

     そしてその起点ともなった機材メーカーの海外でのセールス拡張の権利にまでも二代目泰造が手を伸ばし、北原一族の事業の展開は国際化とともに揺るぎのないものになっていった、とのことなのです。

     そして寒さの嫌いな剛造は一族の拠点を温暖な湘南に決め、鎌倉からやや離れた稲村ヶ崎から江ノ島まで連なる広大な土地を見つけて購入し、一族のための居住地に仕立て上げた、という設定なのです。

     剛造が湘南を選んだのは、温暖なうえに、湘南という地名の由来の深さにあったとか・・・・・。
    もともと湘南という地域は葉山や逗子《ずし》一帯から小田原辺《おだわらあた》りまでを含む、相模湾を囲む一帯の呼称とされていて、古い文献では、相模の国の南ということで相南とも書かれていたそうですが、実際は、ある識者が支那《しな》の景勝地、湖南省の湘江《しょうこう》の名に因《ちな》んで湘南と名付けた、とのことです。
    剛造は、それが気に入って湘南の地の真ん中に位置する七里ヶ浜を見下ろす高台に居を構えた、とのことですが、ちょうど鎌倉高校のあるあたりから鎌倉山一帯にかけての事になるでしょうか・・・・・。

     冒頭から四組の夫婦が登場するようですが、タイトルの”湘南夫人”とは、これらの複数の奥様方を指すものではないのかとも思えてまいりましたが、あるいは、主人公とも思える北原夫人の紀子お一人のことなのかは未だ分からないところです。

    いずれにいたしましても、これらの夫婦の会話から始まるところなどを読ませて頂くにつけ、セオリー通り充分に構想を練られてからのご執筆と推察させて頂けるところです。
    それに引き換え私(修一)などは、大雑把な構想で執筆をはじめ、行きあたりばったりで話を進めていて、一流の作家さんとの、その差は歴然としています。
    それだけに勉強させて頂けることも多いのです。

     図書館では、ここらあたりまで読んだのですが、今日のところは、第一段落のここいらで本を閉じさせて頂き、本はお借りして続きを読まさせて頂くことにしました。

     野口夫妻と北原夫妻は、鎌倉宮の境内で行われる薪能を堪能したり、円覚寺を訪れたりしながら、野口健士がクラシックのコンサートを企画する仕事に乗り出すなどの変化を見せて、更に自衛隊を退官したという川上明を加えて、北原家で所有している六十五フィートの船で大島へのクルーズを楽しみ、明の勧めでスキューバダイビングの講習を、北原家の飛び込み台を備えた、最深部は水深四メートルを超えるというプールで行い、式根島でのスキューバダイビングを楽しんだりしています。
    ここらで第二段落の終わりですので、ひとまず本を閉じさせて頂きます。

    明が持ち込んだ北原産業での新たな仕事。
    それは防衛省の技術開発センターの副所長の高木が絡み、ミサイルの軌道を目標に向けて正確に制御するために不可欠な部品の製造でした。
    アメリカの製品を買うと、一基、邦貨にして一千万円にもなるものが、自前となれば、その八割ほどで済むといいます。
    国内需要が最低千個として、八十億の売り上げになるというのです。
    そのために明は、会社の営業担当の執行役員になります。

     ここいらで第三段落が終わりましたので、また一旦、本を閉じさせて頂きます。

    紀子が好きらしい明と、二人だけでダイビングした烏帽子岩。
    それは、二人だけの秘密になりました。
    また野口健士は、日本を代表するようなシンフォニーを作曲できる人材を探してプロデュースすることに意欲を示します。
    この先の展開やいかに・・・・・。

    ここいらで第四段落が終わりましたので、またまた本を閉じさせて頂いておきます。

     野口健士はシンフォニーの企画で、北原産業の役員となることになり、自分の血筋が北原一族とつながっていることを明かします。
    そしてまた、野口夫妻、北原夫妻、そして明は式根島でのダイビングに出かけ、ひょんなことから明は紀子への思いを募らせてゆくのです。

    ここらで第五段落が終わりましたので、またまた本を閉じさせて頂いておきます。

    野口健士の企画である、本当の日本独自の交響楽を作曲してもらう作曲家探しが始まります。
    平木陽一という、その作曲家は変わった経歴の持ち主でした。
    とにかく、その彼の手掛けたテレビドラマの音楽が、日本の国の情念がごちゃ混ぜになったものだったので、それを絞り切って交響楽にしたててほしいと持ち掛けたのです。
    その一つのヒントになったのが、瀧廉太郎の「荒城の月」でした。
    日本の四季を古い城になぞらえて作曲された曲で、土井晩翠の詩も美しく見事だが、あれは正しく、この国自身の歌であり、曲でもあった、ということが発端のようです。

     ここで第六段落が終わりましたので、またまた、いったん本を閉じさせて頂いておきます。

    ここいらあたりから物語が急展開していきます。
    起承転結でしょうね。

     明の持ち込んだ、ミサイルの軌道を目標に向けて正確に制御するために不可欠な部品の製造の仕事が、他社に漏れてしまったのです。
    そして、こともあろうに漏らしたのが、野口健士だったのです。
    社長の志郎も承知の上で・・・・・。
    どうも野口の、日本独自の日本らしいシンフォニー作曲の仕事に、多額の費用が必要で、そのために成されたようなのです。

     平木の作曲したシンフォニーが、ものになりそうなのです。
    まだ未完成ではあっても何とか舞台に乗せられ、日の目を浴び、好評を博したのです。
    ただ、その為に演奏してもらったのは、埼玉在住のアマチュアの演奏者たちで構成し不足のパートは有料のプロをかき集めたものというオーケストラだったのです。
    市の文化ホールを最低料金で使用しても、フルオーケストラの構成のための楽器の調達などのためには意外なほどの予算が必要で、それらの費用は概算すると、二千万円近くにもなるというものだったのです。

     ここいらで第七・八段落が終わりましたので、またまた、ひとまず本を閉じさせて頂いておきます。

    その後、一躍有名人になった面々ですが、新聞やテレビなどでも報道されます。
    そうして出かけた新潟での、野口がプロデュースする紀子のピアノリサイタルですが、盛況に終わり、疲れをとるためにと勧められた温泉に向かいます。
    でも、この度のリサイタルには野口は忙しくて同行できず、明が付き添っています。
    そして温泉で寛いだお互いですが、異変は、その夜半に突然襲います。
    震度七の大地震です。
    何とか助かった二人ですが、お互いに体を求めあいます。
    一線を越えてしまった二人。
    この後、どうなるのでしょうか?

     ここで第九段落が終わりましたので、また一休みをさせて頂きます。

    この作品の結末は伏せさせて頂いておきたいと思います。

    日本の交響楽について、またミサイル防衛システムについてなど、博学多識でいらっしゃるところなど、さすがに政界にも乗り出された方だなあと感心させられるばかりです。

    修一は、そのように感慨を述べています。

       八 荒ら波

     修一は、何とか大学は卒業させて頂けたものの、作家としてはとても食べていけません。
    そこで、渋谷の牛乳販売所に住み込んで、牛乳配達をしながら執筆を続けるということに活路を見出そうとしたのですが・・・・・。
     そうして二か月も経った頃・・・・・。
    「修一君、お風呂へ行こう!」
    先輩の橘さんが声をかけてくれます。
    「すいません、いま執筆の方にかかりっきりだから・・・・・。」
    「そうかい、じゃ又ね!」
    ノートパソコンを持ち込んで頑張っているのです。
     そんなある日。
    銭湯で体を洗っていると・・・・・。
    「修一君じゃないか!」
    突然声をかけられました。
    橘さんです。
    「修一君ってお尻が大きいんだね。
    女性なみじゃないか。
    色っぽいね。」
    修一としては、それを言われたくなかったようです。
    「そっ、そうですか?
    そうかなあ。
    それはそうと、今日の夕食おいしかったですねえ。
    僕は鯖の味噌煮が好きなんですよ。
    それにしても先輩はおいしそうに食べますねえ。
    いつも感心しているんですよ。
    あっ、そうだ。
    この間見た映画、良かったですよ。
    なんて言ったかなあ・・・・・。
    あっ、そうそう、暗くなるまで待って、だったかなあ、あのオードリーヘップバーンのね・・・・・」
    (なんで俺は、こんなに喋っているんだろう・・・・・)
    そんなことを思いながら、もう身体は洗い終わっているのに、バスチェアから立ち上がれないでいました。
    そんなに気にしなくても、洋服を着ていたって分かることなんだから、もう、みんな誰でも知っていることでしょう。
    でも、ことさら言われたくなかったんでしょうね。
    恥かしいんでしょう。
    でも、今度のことで良く分かったでしょう、別に大したことではないことが・・・・・。

     そして、二、三日もしたころ・・・・・。
    お店で先輩の榊原さんに言われます。
    「修一君って、お尻が大きいんだってねえ。
    いいじゃないか。
    女の子に負けるな!」
    いつの間にか店中の話題になっているのです。
    まかないの、おばさんにも、女事務員さんにも・・・・・。
    もう体裁の繕いようがありません。
    (お尻が大きい男でいいじゃないか・・・・・)
    そう思って、修一も腹をくくったようです。

     そんなことがあって暫くした頃、修一は店長の小林さんに励まされます。
    「修一君は作家になるんだってねえ。
    期待してるよ。
    頑張ってね!」
    「ありがとうございます。
    ご期待に沿えるように頑張ります。」
    そうは言ったものの、中々うだつが上がらないのです。
    そのうちに店内中の話題になってゆきます。
    みんなに声をかけられるのです。
    「よう!将来の直木賞作家」とか。
    「芥川賞、期待してるよ!」などと、だんだんプレッシャーがかかってきます。
    そうして半年も経った頃には、居ても立っても居られなくなってしまったのです。
    (ああっ!僕は駄目だ。
    駄目な男なんだ!
    このままではいられない。
    何とかしなければ!)
    そんな思いが頭の中を駆け巡ります。
    心は焦るばかり。
    無理もないでしょう。
    もう五年も頑張ってきているのに本は売れず、鳴かず飛ばずなのです。
    そんなことで修一は思います。
    (こんな至らない自分が世の中に認められるには、宗教家になって作家活動をするようでなければ駄目だ!)と。
    でも、いつの間にか自己流になっていた信仰なのです。
    教会からは足が遠のいていました。
    それを顧みずのことなのです。
    今度はそれが知れ渡ります。
    「よう!将来の教祖。
    期待してるぜ!」
    みんなに冷やかされます。
    でも修一は、後へは引けないのです。
    (何とかしなければ)、と焦るばかり。
    しかし怠けていた信仰です。
    成れるわけはありません。
    修一は、さらに落ち込みます。
    そして、(宗教家になったとき結婚できていなければならないだろう、結婚できていないから成れないのかもしれない)、と思うのです。
     そんなある日。
    同僚たちが話し合っているのです。
    それが修一に対して言っているように聞こえるのです。
    「宗教家になるためには結婚できていなければならない。
    もし結婚できなければ大変なことになる!」
    そう自分に対して言っているように聞こえるのです。
    修一は、うろたえます。
    それに、そばでかかっているラジオで天気予報をやっていて、「シベリア寒気団が南下してきます・・・・・」と言っているのが、まるでシベリア寒気団が襲ってくると感じられて、ますます取り乱します。
    そして、急いで事務室のほうへ行ってみた修一は、窓の隙間から、何か白い煙のようなものが入ってきているように見えるので、(あっ、シベリア寒気団が襲ってきている)と思って錯乱状態になり、女子事務員さんに「結婚してくれよお!」と叫びます。
    すると急にカーッと性欲が昂進してきたので堪らず、その場でマスターベーションをしてしまいます。
    そして思うのです。
    (ああっ!もう駄目だ。
    宗教家にはなれない・・・・・)
    すっかり気落ちした修一は、落胆して見る影もありません。
    そうして病院の精神科へ連れていかれます。
    統合失調症の発症でした。
    会社は辞めて自宅へ戻った修一ですが、しばらく療養します。
    やがて落ち着いたころ気が付きます。
    (なにも宗教家にならなくても、普通の信仰者として普通に信仰しても同じことではないか)と。
    それからは、自己流になっていた信仰を改めて、信仰者らしい信仰者として、信仰に身を入れます。
    そのおかげで教えて頂けたことにより、修一は救われたのです。

     
    自分の心を大事にする味を覚えてほしいんです。
    何よりも大事にするんです。
    自分の心を感じて、それを大事にしながら物を言うたり、したりするんです。
    そして人様の心を感じて、それを大事にしながら物を言うたり、したりするんです。
    それが人間の本当の喜びだから・・・・・。

     そのためには家庭信仰が大切です。
    朝詣り、夕詣り、各種心得のお誓い、などを毎日することです。

     そこで修一は、このお教えを実行しました。
    やがて気づかせて頂いた自分の心。
    それは大変なものでした。

     (人は生まれながらにして何も努力などしなくても、何でも完璧にできるようでなければならない。
    努力をするようでは、お話にならない。
    努力など、人間的にできていない人間のすることだ。
    だいたい努力するということは、人間的に出来てないことを証明するようなものじゃないか、そんなこと恥ずかしくて出来るか!)

     こんな思いをしていたことに、生まれて初めて気が付いたのです。
    ”生まれながらに出来た人間でなければならず、努力などしないようでなければならない”だなんて、僕は生まれながらに狂っているんだな、と認識を新たにしたようです。

     そうして、出家こそしていませんが、在野の宗教家にならせて頂けたのでした。

     そんなある日のこと・・・・・。
    懐かしい紀美ちゃんからの手紙が届いたのです。

     「修一君、お元気ですか。
    嬉しいお知らせです。
    わたし結婚しました。
    優しい旦那様です。
    これから幸せな家庭を築いてまいります。
    修一君もお元気でね。
    また会えるといいですね
    それでは御機嫌よう、さようなら。」

     そうか、紀美ちゃん結婚したのか。
    幸せだといいな・・・・・。
    修一は、さっそく返事を書きます。

     「紀美ちゃん、お手紙ありがとう。
    ご結婚おめでとうございます。
    幸せになってください。
    良い子を授かれるよう、お祈りしていますよ。
    いつまでも君の友達、修一より。」

     修一は手紙を投函して、涙にくれました。
    いつかは妻になってくれるかな・・・・・。
    そんな淡い夢を抱いていた紀美ちゃんが、手の届かない人になってしまったのです。
    それは修一の青春の終わりでもありました。
    さようなら、紀美ちゃん。

    それから月日は流れました。
    しかしそれでも、作家としてはまだまだの修一です。
    気分転換に出かけた修一ですが、雨が降っています。
    朝は降っていなかったのに、お昼ごろから降り始めたのです。
    鎌倉市川喜多映画記念館で映画を見終わった修一は、ちょうど雨に見舞われてしまいました。

     記念館は川喜多長政・かしこ夫妻の旧宅跡に建てられており、数寄屋造りの和風建築が特徴です。
     館内の大きな窓からは、緑豊かな庭園や敷地内にある旧川喜多邸別邸(旧和辻邸)の一部を望むことができます。
    展示は常設展と企画展の二本立てで、川喜多夫妻の映画文化への貢献を紹介するほか、映写機や映画ポスター、実際のフィルムなども展示されています。
    また、館内からは四季折々の自然と調和した庭園を眺めることができ、その景観の美しさは広く紹介されており、訪問者からも好評を得ています。
    旧別邸は通常は非公開ですが、春と秋の一般公開時には外観や土間から内部を眺められ、特別公開日には書斎などの内部も見学可能です。

    修一は、ちょうど雨に見舞われてしまいました。
    仕方がないので、もうちょっと映画を見ていようか、などと思いながら迷っていたのですが、ふいに声をかけられたのです。
    「よかったら、お入りになりませんか。」
    見ると、三十代ぐらいの美しい女性が傘をさして立っています。
    「どちらまで行かれますか。
    お送りしますよ。
    私も映画を見ようと思っていたのですが、急いで見る必要もないのです。
    どうぞ、ご遠慮なく。
    さあ、どうぞ。」
    修一も、家は近くだからどおってことはないのだけれど、いま見た映画のロマンスに酔いしれていたので、映画の続きを見ているような気持ちで相合傘を決め込みました。
    (香水の香りが心地よい。
    ピンクのブラウスに浅黄色のスカート。
    こんな三十路《みそじ》を迎えたばかりの男に、こんな出会いがあるなんて、なんという幸運であろうか・・・・・。)
    そんなことを思いながら彼女に身体をくっつけます。
    「どうですか、せっかくだからお茶でもご一緒しませんか。」
    すかさず彼女を誘ってみます。
    「そうですね。
    しばらくすれば雨もやむかもしれませんしね。
    参りましょう。」
     雨の日の小町通りは比較的すいていました。

     小町通りは、鎌倉駅東口から鶴岡八幡宮へと続く全長約三六〇メートルのにぎやかな商店街です。
    若宮大路と並行するこの通りは、伝統と現代が調和した空間で、観光客から地元住民まで幅広い人々に親しまれています。

     かつてこの地域は「瀬戸耕地」と呼ばれる農道でしたが、一八八九年(明治二十二年)に横須賀線が開通し、鎌倉駅が開業したことをきっかけに市街地化が進行。
    商業の中心は鎌倉時代(十二世紀末~十四世紀)には若宮大路の東側「小町大路」でしたが、大正十二年(一九二三年)の関東大震災を経て、現在の小町通り周辺に商家が移転し、にぎわいが形成されました。

    現在の「小町通り」という名称は、戦後に本覚寺近くの蛭子神社の氏子が多く住んでいた「新小町」が変化したものと伝えられています。

     修一は行きつけの喫茶店に彼女を誘います。
    中は、やはりすいていました。
    コーヒーを頼んで、修一は彼女の親切に謝意を述べます。
    そして名乗りました。
    「筅 修一と申します。
    まだ三十路になったばかりの売れない作家です。
    実を言いますと、家はこの近くなんですが、いまだ未婚の未熟者です。
    どうぞよろしくお願い致します。」
    「いえいえ、わたくしこそ未熟者の桜井啓子と申すものです。
    こちらこそよろしくお願い致します。
    そうですか、本を書いてらっしゃるのですか。
    お読みしてみたいですね。」
    「いやーっ!お恥ずかしいです。
    主に恋愛小説を書いていますが、なかなか売れなくてねえ、おかげで未だ独身です。
    あなたは奥様でいらっしゃいますか。」
    「いいえ、実はわたくしも独り身なのです。
    婚期を逃してしまって、もう諦めておりますわ。」
    「それは、もったいない。
    おきれいでいらっしゃるのに、まだまだこれからですよ。
    あなたなら引く手あまたでしょう。
    諦めることはありません。
    きっと、いい縁談を授かるでしょう。
    ご心配には及びません。」
    「そうでしょうか。
    こんなおばちゃんでも、もらってくれる人がいるでしょうか。」
    「大丈夫です。
    私が保証しますよ。
    僕に、もっと財力があれば妻になってもらいたいのですが、残念です。」
    そう言って、その日は別れたのでした。
     その日以来、修一は啓子さんのことが忘れられません。
    何とか、もっと経済力を身に着けて、啓子さんを嫁に迎えたいと思うようになっていました。
    本がもっと売れてくれれば、晴れて啓子さんと所帯が持てそうなのに・・・・・。
    修一の人生にも希望が湧いてきました。
    デイトも重ねているのです。
    そして、とうとう修一の家に啓子さんを迎えることができました。
    姉たちは、お店が忙しいので、修一たちは居間に落ち着きます。
    そうしているうちに、啓子さんがグラタンを作ってくれました。
    ますます世話女房といった感じが出てきたではありませんか。
    「啓子さん、ここで一緒に暮らさない。
    僕も、もっと頑張るから、いずれは、新居を授かるとして、それまでは、ここで一緒に暮らそうよ。
    ねえ、いいだろう・・・・・。」
    そう言いながら、ソファーで彼女を抱きしめます。
    啓子さんは、何の抵抗もなく、修一を受け入れてくれました。
    キッスをしながら彼女のブラウスのボタンを外してゆく修一。
    そして、改めて身体を重ねます。
    彼女の熱い血潮が感じられるのです。
    (心地よい。)
    そう思いながら修一は、このひと時に豊穣の実りを感じていました。
    疲れた後の心地よい開放感!
    窓から入ってくる風にカーテンが揺れています。
    修一は一息入れてタバコに火をつけました。
    彼女も余韻に浸っているようです。
    ラジオから流れてくるジャズが心地よい広がりを見せていました。

     啓子さんは、美容室へ住み込みで働いているのだそうです。
    そして彼女の実家はお隣の藤沢にあるのだとか・・・・・。
    今は父母と兄一家がお住まいなのだそうですが、修一の家で、母と姉たちが切り盛りしているお好み焼きの商売を啓子に手伝ってもらい、所帯を持てないものか、ということになったのです。
    修一は啓子のご両親にもご挨拶に伺いました。
    お父さんも、お母さんも、喜んで下さり、すっかり打ち解け、本来は僕の作家としての収入で一家を支えるのが理想ですが、それまで啓子に頑張ってもらおうということになったのです。

     こぢんまりとした結婚式でした。
    それでも親族一同が集まり、お互いに打ち解け合い、心ほのぼのとした一日だったのです。
    新婚旅行には瀬戸内国際芸術祭なるものがあるそうなので、そこへ行ってみようということになったのです。
     まずは岡山へ来てみました。
    香川県の直島へ来ているのですが、高松から来るより、岡山県の玉野市からの方が、ずっと近いのです。
    おもしろいものですね。
    所々にオブジェがあるのですが、美術館もあって、そこは地下になっているという斬新なデザインなのです。
    天井の中央が明かり取りになっていたりして、地上の明かりが差し込みます。
     帰りは一時間ほど掛かるようで、ちょっと遠いですが、高松へ向かいました。
    フェリーの中は快適で、うどんもありましたが、高松のお店で頂こうと思って、食べませんでした。
    「あなた、瀬戸内海のフェリーって居心地いいわね。
    揺れないし。
    気に入ったわ。」
    「そうだね。
    本当に揺れないね。」
    島々の間を進んでゆくフェリー。
    景色を見ていても飽きません。
     そうして高松港へ。
    「ここから高松の駅まで離れているのね。
    景色がいいから苦にはならないけど、どうしてかしら?」
    「高松港が広いってことかな?
    でも、お城のやぐらのそばを通ってゆくのだから風情があるね。」

     高松は港と電車の駅が隣接していて、近くにお店がありました。
    さぬきうどんです。
    高松と言えば、讃岐《さぬき》うどんでしょう。
    セルフサービスのお店でしたが、いろいろトッピングができるようなので目移りがするのです。
    散々迷ったあげく、シンプルに素うどんにしました。
    啓子は天ぷらうどんです。
    「讃岐うどんって腰があるのね。
    シコシコしてるわ。」
    「うん。
    噂にたがわず、美味しいね。」

     すぐそばが玉藻公園です。
    ここは高松城跡で、別名となっている玉藻城という風雅な名前は、柿本人麻呂が万葉集で讃岐の国の枕詞に、玉藻よし、と詠んだことに因み、高松城周辺の海域が、玉藻の浦と呼ばれていたことに由来するそうです。
     
    北の丸には重要文化財の、月見櫓、水手御門、渡櫓、艮櫓《うしとらやぐら》が現存するのだそうです。

    玉藻公園となった城跡は、高松城跡として国の史跡に指定されているとか。

    城からも船で海に出ることができるそうで、水軍が活躍できたのでしょう。
    長きにわたり松平家の居城として栄え、今治城(愛媛県今治市)、中津城(大分県中津市)と並んで、日本三大水城に数えられる名城だそうです。

    披雲閣という御殿が江戸時代に、今の約二倍の規模で、政務が行われる場所、藩主の生活する場所としてあったそうですが、老朽化により取り壊された跡に、十二代当主頼寿伯爵が大正三年に再建に着手し、大正六年に完成したとのこと。

    この建物は迎賓館としての役割も持ちあわせていて、伝統的な書院造りと洋風技術が見事に融合された構造になっているとか。

    栗林公園
    高松藩初代藩主の松平頼重の頃から本格的に整備されてきた回遊式大名庭園で、松平家の下屋敷だったそうです。

     更に道後まで足を延ばしました。

     道後温泉
    道後温泉本館は日本三古湯と言われているのだとか。

     旅館に落ち着いた我々はさっそく温泉につかります。
    手足を伸ばして今日の疲れをいやすのです。
    「いいお湯だったわ。
    やっぱり温泉はいいわね。」
    「いやぁー。
    すっかり寛いじゃったよ。」
    「わたし、肌がすべすべしてきちゃったわ。」
     夕食は豪華です。
    山海の珍味に舌鼓を打った二人は布団へ入り、新婚初夜を迎えます。
    何度か交わっている二人ですが、心新たに愛し合うのです。
    感無量の時を過ごし、気持ち良い眠りにつきます。
    その日は二人にとって忘れられない一日となりました。

     翌朝の食事の時、啓子が言います。
    「ねえ、あなた。
    私、未だ飛行機に乗ったことがないのよ。
    飛行機で帰らない?
    そうしましょうよ。」
    ということで、当初の予定では、しまなみ海道の橋を渡って、途中の島にある平山郁夫美術館に寄るつもりでしたが、(この地は、日本画家、平山郁夫さんのお生まれになった地でもあるそうで、美術館には、幻想的なシルクロードの絵が展示されているのだそうです)でもこのまま松山空港から羽田へ回ることにしました。

     「飛行機の乗り心地って電車と変わりないわね。
    ただ窓の外の景色が、いかにも雲の上ですものね。
    気持ちいいわ。」
    啓子の喜んでいる姿を見て、修一も満足でした。
    ところが急激に機体が降下し、激しい揺れに襲われます。
    「ガタガタガタガタッ!」
    身体が少し浮いた感がありました。
    「まーあ!
    飛行機って怖いわね。」
    「大丈夫だったかい。
    驚いただろう。
    エアポケットだね。」
    「エアポケットって何?」
    「なんでも局地的な下降気流が原因らしいんだ。
    僕もよくは知らないんだけど、時々あるらしいよ。」
    そうして羽田の上空まで来た時のこと、突然緊急アナウンスがありました。
    「先程のエアポケットが原因らしいのですが、車輪が出なくなりましたので、胴体着陸をいたします。
    大丈夫ですのでベルトを締めてショックに備えてください。」
    機内に緊張が走ります。

     そして突然の突き上げるような激しいショック。
    あとは何も覚えていません。
    気が付いた時には病院のベッドの上でした。
    修一は身体中が痛くて動けません。
    (いったい何事なんだ!)
    自分が何故こうなっているのか、分かりませんでした。

     乗客乗員、合わせて百十一名のうち助かったのは五十八名だけ、大変な惨事になりました。
    残念ながら啓子は、帰らぬ人となったのです。

     修一が事の真相を知ったのは、退院してからのことでした。
    やっと記憶が戻ってきたのです。
    助かったのは奇跡的でした。

     啓子の四十九日も過ぎて、長い梅雨の季節も過ぎた頃でした。

     新婚旅行から帰ってから籍を入れることにしていたので、修一はまだ独身のままです。
    いつまでも尾を引いていてはいけないと自分に言い聞かせるように、仏前で啓子の遺影に手を合わせる修一。
    また徐々に執筆活動に戻ってゆきます。
    そうして月日は流れてゆくのでした。

       九 夜明け

     あれから二年の夏・・・・・。
    悲惨な記憶も漸く薄れた頃・・・・・。
    海水浴をするために由比ヶ浜へ来ていた私は、海辺の砂浜に一人の若い女性が日光浴をしているところに行き合いました。
    (何かがおかしい。)
    違和感を感じるのですが、それが何だかは分からないのです。
    (なんだろう。
    あっ、そうか。)
    シートを使っていないのです。
    サングラスをかけて、日焼け止めクリームも塗っているようなのですが、直接、直に砂の上に横になっているのです。
    (あれでは身体じゅうが砂だらけになって、きれいには焼けないだろう。
    おバカさんだなあ。
    忘れてきたのかな。)
    そう思っていると彼女も気が付いたらしくシャワーを浴びるのでしょう、行ってしまいました。
    私も物好きで、ことの顛末《てんまつ》を見届けるつもりです。
    しばらくして戻ってきた彼女。
    やおら、バッグからシートを取り出しました。
    何のことはない、急いで、うっかり忘れていたのでしょう。
    (おもしろいな。
    楽しませてもらった。)
    そう思って立ち去ろうとすると、「すみません、塗っていただけます?」
    とつぜん話しかけられて戸惑いましたが、お安い御用とばかりに、背中に塗ってあげました。
    「ありがとう。
    助かりましたわ。」
    そう言うと彼女は腹ばいになり、ビキニの背中のひもを解きました。
    私は、いい目の保養をさせてもらったので、静かに、その場を離れました。
    (三十代だろうか・・・・・。)
    私は少し気になっていたので、しばらく砂浜の散歩を楽しんで、また戻ってみました。
    もう彼女はいませんでした。
    ちょっと残念な思いが後を引いているので、私は、海の家の方へ行ってみます。
    (いた、いた!)
    彼女はソフトクリームを食べているのです。
    「一休みですか?」
    私は、声をかけてみました。
    「あら!
    先ほどは、すみませんでした。」
    にっこり笑ってくれます。
    私もソフトクリームを買うと、「ご一緒してもいいですか?」と、すかさず彼女の横に座りました。
    「海へはよく来るんですか?」
    「いいえ、たまーに思い出したときに来るぐらいです。」
    「そうですか。
    僕の家は、此処のそばなんですよ。」
    「まあ、そうですか。
    うらやましいわ。
    我が家の海、みたいなものでしょうね。」
    「まあ、そんなところです。
    この近くに美味しいコーヒーを飲ませる店があるんですよ。
    いい機会だから、行ってみませんか?」
    「ええ、まいりましょう。
    いろいろ教えてください。
    水着のままで大丈夫かしら?」
    「大丈夫です。」

     店の中は比較的すいていて、みんな水着のままでした。
    ボックス席に収まった私たちは、店長ご自慢のコーヒーを味わいます。
    「おいしいわ。」
    「おいしいでしょう、一推しです。
    この後のご予定は・・・・・?。」
    「もうそろそろ帰ろうと思っています。」
    「申し遅れました。
    僕は、筅 修一と申します。
    売れない作家のしがない独り者です。
    家は鎌倉ですが、今は母や姉たち一家と一緒に住んでいるんですよ。
    母の代からのお好み焼きの商売ですが、おかげ様で繁盛しています。
    どうですか、ちょっと寄っていきませんか、歓迎してくれますよ。」
    「まあ!、そうですか。
    作家さんでいらっしゃる。
    わたくし、木村染子と申します。
    私も売れないイラストを描いています。
    藤沢に大学時代の友達がいて、そのご縁で湘南へ足を運ぶようになったんですよ。
    最近はあっていないんですけど、どうしてるかしら、元気にしていればいいんですけれどね。
    そういえば啓子も結婚をして鎌倉のお好み焼き屋さんを手伝うとか言ってましたけど、ご存じありませんか?」
    修一は、青ざめました。
    血の気が引いてゆくのを感じながら、このご縁に感謝しました。
    「もっ、もしかして、桜井啓子さんのことですか・・・・・?」
    「あっ、やっぱり、ご存じなんですね。」
    「けっ、啓子は亡くなりました。
    結婚相手は僕なんです。」
    (ああ、何というご縁か・・・・・。)
    天を仰ぐ修一。
    「どうりでメールが繋がらない訳だわ。
    そうでしたか。
    亡くなっちゃいましたか。
    残念だわぁ。」
    帰りの道々、修一は染子さんに事の次第を話して聞かせました。
    暗い気持ちになった二人でしたが、姉の焼いてくれたお好み焼きを食べながら、心はほどけてゆくのでした。
     夕食を食べて帰れと勧める姉に、明日の仕事の準備があるからと丁重に断った染子さんでしたが、僕も一緒に着いていくことにしました。
     横須賀線は少し混んでいましたが、どうやら座れ、話の続きを噛み締めながら故人の冥福を祈りました。
    どうやら彼女は赤坂の料亭の娘らしく、青山の自宅で両親と一緒に暮らしていると言うのです。

     青山の染子さんの家へ一晩泊まった修一ですが、翌朝は六本木のアマンドで一息入れてから赤坂まで歩くことにしました。
    乃木坂を通っていると着物姿に帯をきりりと締めた若い女性がお使い物を小粋に抱えて歩いてゆきます。
    染子さんは厳格な家庭のしきたりの中で育ったそうです。
     外から見ただけではありましたが小綺麗な料亭でした。
    それから青山へ戻ります。
     しばらく休んでから渋谷へ向かいました。
    ちょうど小腹がすいてきていたのでラザニヤを食べます。
     「ありがとう。
    今日は楽しかったわ。
    このままお別れするのは、なんだか寂しいわね。
    どう、もう一晩泊ってく。」
    ありがたいお誘いでした。
    「是非そうしたいね。
    いいのかい。」
    「誰も誘ったことはないのよ。
    あなただけ特別。」
     今日は染子さんはお休みだそうで、お兄さんが料理長、お嫁さんが女将、染子さんが若女将でお父さんとお母さんが経営者としてやっているのだそうです。
    居間へ落ち着いた修一に、染子さんが勧めます。
    「どう、ブランデーでもいかが。」
    「いただくよ。」
    後はステレオからの音楽を楽しみます。
    ムード音楽の数々・・・・・。
    そうして寛いでいても、修一の心には啓子がいるのです。
    それを察した染子が、修一のグラスにブランデーを注ぎます。
    それでも酔えない修一。
    あの日から酔えなくなったのです。

     そんな修一を、染子はお店に招待しました。
    「今度のお店のお休みの日に、特別に、ご招待いたしましょう」、ということなのです。
     その日は修一は義兄と二人でお邪魔しました。
     固形燃料で、和紙をお鍋に見立てた澄まし汁を温めてゆくと、和紙が震えて、「しゃーっ!」という、まるで雨でも降り始めたような音を立てて煮立ってゆくのです。
    面白い趣向です。
    心づくしの数々のお料理を頂き、心癒されるひと時でした。

     そんな時に驚くべき情報がもたらされます。
    啓子が生きているというのです。
    それは染子が啓子のお兄さんから聞いたことなのだというのです。

     すぐにその足で啓子の家へ向かった修一は、お兄さんから詳しく事情を伺います。
     「実は啓子はあの事故の時、君と同じように生き残っていたんだよ。
    ただ記憶喪失でねえ、兄の私でさえ分からないんだ。
    婚姻届けはまだ出してなかったのだから、君に負担をかける訳にはいかないと思ってねえ、それで死んだことにさせてもらったんだよ、許してくれたまえ。
    でも染子さんが事情を話してくれたんだよ、君が今でも啓子を愛してくれているとね。
    もう隠しておけなくなったんだよ。
    君に真相を話さなければならないと思ってねえ、許してくれたまえ・・・・・。」

     修一は泣きました。
    それは、うれし涙でした。
    (啓子が生きてくれている)
    もうそれだけで充分だったのです。
    (他に何もいらない)
    修一は神に感謝しました。
    場所は、鎌倉精神病院の鎌倉山サナトリウムです。

     修一は訪ねてみました。
    午後の日だまりです。
    皆さん日光浴をしてらっしゃいます。
    (いた!)
    いました。
    啓子です。
    すぐに分かりました。
    間違いありません。
    啓子が生きているのです。
    (よく生きていてくれた。)
    修一は神に喜びを伝えました。
    震える感動を胸に、近づいてみます。
    そしてそばに立ってみたのです。
    啓子はけげんそうな顔をします。
    やはり私が分からないようです。
    「こんにちは、暖かいですね。」
    話しかけてみましたが不思議そうな顔をしています。
    「ご気分はいかがですか?
    何か欲しいものでもあれば持ってまいりますが?」
    啓子はうるさそうな顔をします。
    「ごめんなさいね。
    休んでらっしゃるのに。
    お邪魔しました。」
    それだけ言うのがやっとでした。
    修一は、その場を離れます。
    懐かしい喜びと虚しさが去来します。
    啓子がいるのに語り合えない辛さ。
    修一は、何とか自分が引き取って世話をしたいと思って相談をしてみたのですが、それは難しいとのことなのです。
    こうして啓子の姿を見られるだけで幸せなんだから・・・・・。
    それが分かっていながら、元に戻ってほしいという望みが溢れてくるのです。
    あのままでもいい、あのままでもいいから、せめて一緒に暮らしたい。
    そして何とか快復する手立てを講じよう。
    修一は、その思いを捨てきれません。
    そこで染子さんに頼み込みました。
    「染子さん、僕と結婚してください。
    そして一緒に啓子の世話をしていきましょう」と。
    「それは駄目よ。
    結婚はできないわ。
    あなたは啓子を愛してるんでしょ。
    でも、私も協力するわ。
    手伝うわよ。」
    そして、クラウドファンディングで呼びかけたのです。
    多くの寄付金が集まりました。
    皆さんのあたたかい善意のお心の賜物です。
    更に情報が錯綜します。
    その中の一つが修一の心をとらえます。
    スイスのサナトリウムで記憶喪失の患者が治ったという情報です。
    修一は病院の主治医に相談してみました。
    先生のおっしゃられるには・・・・・。
    「そんなことをなさらなくても私どもの病院でも、何人もの快復された患者さんがおられますよ。
    それに啓子さんは、どこにも行きたくない、ここにいたい、とおっしゃっておられます。」
    とのこと・・・・・。
    修一は、何も分からないながらも内心、心の片隅で、飛行機を見たら事故のことを思い出し、ショックを受けて記憶がよみがえるのではないかと期待していたのですが、諦めたのでした。
    そして、せめて啓子に付き添えないかとお願いしてみたのです。
    それは構いませんよ、とのことで鎌倉山サナトリウムでの生活が始まりました。
    ノートパソコンを持ち込んで啓子との出会いからのことをモデルにして本を書き始めたのです
    懐かしい鎌倉の映画館での出会いから物語は進んでゆきます。
    そばでパソコンに打ち込んでいる修一を見て、啓子は興味を抱いたようなのです。
    「何をなさっているの?」
    「本を書いているんですよ。」
    「へえーっ、そんなもので本が書けるのねえ。」
    「読んでみましょうか?」
    「お願い。
    聞かせて。」

      雨が降っています。
    朝は降っていなかったのに、お昼ごろから降り始めたのです。
    映画館で映画を見終わった啓介は、ちょうど雨に見舞われてしまいました。
    仕方がないので、もうちょっと映画を見ていようか、などと思いながら迷っていたのですが、ふいに声をかけられたのです。
    「よかったら、お入りになりませんか。」
    見ると、三十代ぐらいの美しい女性が傘をさして立っています。
    「どちらまで行かれますか。
    お送りしますよ。
    私も映画を見ようと思っていたのですが、急いで見る必要もないのです。
    どうぞ、ご遠慮なく。
    さあ、どうぞ。」
    啓介も、いま見た映画のロマンスに酔いしれていたので、映画の続きを見ているような気持ちで相合傘を決め込みました。
    (香水の香りが心地よい。
    ピンクのブラウスに浅黄色のスカート。
    こんな三十路《みそじ》に足を踏み入れたばかりの男に、こんな出会いがあるなんて、なんという幸運であろうか・・・・・。)
    そんなことを思いながら彼女に身体をくっつけます。
    「どうですか、せっかくだからお茶でもご一緒しませんか。」
    すかさず彼女を誘ってみます。
    「そうですね。
    しばらくすれば雨もやむかもしれませんしね。
    参りましょう。」
    雨の日の小町通りは比較的すいていました。

     「まあ、素敵なお話ね。
    私もそんな風に生きられたらよかったのに・・・・・。」
    「これはあなたのお話ですよ。
    あなたのことを思って書いているんです。
    気に入って頂けましたか?」
    「面白い方ね。
    また続きを聞かせてほしいわ。」
    「喜んでお聞かせしますよ。
    どうですか、夕食はご一緒に頂きませんか?」
    「よろしいわよ。
    私ちょっと疲れたから一休みするわ。
    ごめんなさいね。」
    そう言って啓子は眠りにつきました。

     しばらくして啓子は目を覚まします。
    先程の触れ合いはもう覚えていないのです。
    修一にも、もう気づきません。
    毎日がそうなのです。
    一から始まります。
    それでも修一は嬉しかったのです。

     或る日のことです。
    昼食が終わり、修一はまた啓子のそばで小説を書き始めるのです。
    「何をなさっているの?」
    「小説を書いているんですよ。
    読んでみましょうか?」
    「ええ、お願い。」
    そうして物語の中では二人の触れ合いが続きます。
    目を細めて嬉しそうに聞いていた啓子は、いつの間にか眠りに誘われます。
    修一は部屋から掛布団を持ってきて、そっと啓子に掛けてやります。
    その時でした。
    ガタガタと揺れ始めたのは。
    地震です。
    床ごと揺れます。
    かなり激しいのです。
    こんな地震は滅多にありません。
    震度四位はあるでしょうか。
    これ以上揺れたら被害が出そうです。
    驚いて目を覚ました啓子は、恐怖におびえます。
    「あなた、怖いわ!」
    「大丈夫だよ、啓子。」
    しばらくして揺れは収まります。
    それでも二人は抱き合ったままです。
    「あなた、私たち助かったのね。」
    あの悲惨な事故を思い出したようです。
    新婚旅行の帰りに乗った飛行機。
    そして、エアポケット。
    アナウンスで告げられた胴体着陸。
    凄まじいショック。
    そして何も分からなくなったのです。
    気が付いた時には、病院のベッドの上でした。
    しかし啓子は、記憶喪失になっていたのです。
    「ここは、どこかしら?」
    「病院だよ。」
    「まあ、私たち本当に助かったのね。
    ドドーン!と突き上げるショックがあったわ。
    後は何も覚えてないけど・・・・・。
    あれから何日たったのかしら?」
    「もう二年になるんだよ。」
    「ええっ!
    そんな、嘘でしょ!}
    「君は記憶を失っていたんだよ。
    でも、治ってよかった。」
    そして改めて修一は、啓子を抱きしめるのでした。
    その夜二人は、新婚旅行いらい久しぶりに結ばれました。
    サナトリウムのみんなが寝静まった頃のことでした。

     やがて啓子は無事に退院しました。
    ようやく二人の新婚生活が始まったのです。
    ちょうど見ごろになった北鎌倉の建長寺の桜が出迎えてくれます。

    建長寺は、北鎌倉の閑静な谷間に位置しています。
     一二五三年(建長五年)に創建された日本最初期の本格的な禅寺で境内には国宝の梵鐘をはじめ重要文化財の諸堂が並び、総門から重要文化財「三門」までの参道の両脇にはソメイヨシノの古木が並んでいます。

    参道を飾る桜のアーチ・・・・・。
    見事に咲き誇った桜。
    それは二人の門出を祝ってくれているかのようです。
     修一の著書”愛を与え続けて”が反響を呼んでいます。
    作家としての道も開けてきたようです。
    本はやがてベストセラーとなります。
    そうして待望の新居を、北鎌倉の伯母の家の隣に授かったのです。
    それまで住んでいた方が老人ホームへ入居なされたので、ちょうど運良く買い取ることができました。
    伯母は児童文学作家ですので、作家同士が二件並ぶことになったのです。
    鎌倉の春は今、たけなわです。
    庭の山桜も見ごろを迎えました。
    啓子が心づくしのグラタンを庭のテーブルに並べています。
    芝生の庭には母をはじめ、伯母と姉の緑夫婦と上の姉一家、そして義父母に義兄一家、さらには染子とその家族たち、みんな集まっての祝宴です。
    こんな日が来ようとは夢にも思いませんでした。
    思えばいろいろなことがありました。
    そうして今日を迎えているのです。
    悠久の時の流れ。
    そして未来へ向かって道は開かれています。
    古都は溢れんばかりの幸せに包まれているのでした。

       おわりに

     お楽しみ頂けましたでしょうか・・・・・。
    今後とも娯楽のお供をさせて頂ければ幸いです。
    なお、鎌倉の風物詩などは、鎌倉観光公式ガイドなどを参考にさせて頂きました。
    ありがとうございました。

    それでは、また別の作品でお会いできますことを楽しみに・・・・・さようなら。

               著者 藤本英明
            えいめいワールド出版

    #創作大賞2026 #恋愛小説部門

     
     
    ショップURL https://f07298334.owndshop.com BASE でネットショップ:一服堂 自称作家:御木洋次郎、を開業いたしました。 BLOG で“試し読み”もご用意させて頂いております。 どうぞお気軽にお立ち寄りくださいね。

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