
第1話 父と野良着
日々の愛の循環を記録することは、この寺子屋の使命のひとつ。以下はその記録のはじめの一歩として、寺子屋のひとの手記(2025年7月)を書き起こしたものです。
父と野良着
なぜだか父は、姉や兄、私のお古を好んで着る人だった。それこそ、ボロボロになった中学校や高校時代の学校指定ジャージとか、上着とか、履く時に足が出ちゃうくらい大きな穴が空いたズボンまで。とにかく、目も当てられないほどのボロを着ていた。
みっともないからやめてくれと、家族の皆が口を揃えてお願いしても、いっこうに装い変わらず、小綺麗にしてほしいとの願いを込めて新しい衣類をプレゼントしても、それを居間に置き忘れて寝てしまうような人だった。畑仕事も普段着も部屋着も寝巻きも、全部いっしょ。自分の子どもたちが着古した衣類に、何か特定の着心地の良さがあるのだろうか、肌触りが良いわけでもなかろうに…そう訝しんでいたが、結局詳細が分からぬまま、父は69歳で他界した。
父が他界して10年。
息子の私は47歳になり、いま、なぜだか急に野良着を着たいと思い出した。野良着に染み込んでいる開拓精神が良いのだと、持論を掲げて誇り高く語っているが、父の命日に、私は突然気づいた。
もしかして父も、同じ気持ちだったのではないか…
15歳の春に家を出て、何もないところから汗水流して働いて、家も建てた。裕福だったわけではないけれど、家族を路頭に迷わせることもなく、3人の子どもたちにいつも、お腹いっぱい食べさせて、立派に世に送り出した。
子どもたちは、自分の力で成長したかのように勘違いし、不要になってサイズが合わなくなった衣類は不要と切り捨てた。でも父は、モノの有り難みも知らぬ無知な子等に何も言わず、愛を注いで巣立って行った子等の残した衣類を、抱きしめるように着ていた。自身が注いだ愛を、何も言わず、誰にも語らず、拾っていたのだ。愛を注いで、巣立って行った子どもたちの抜け殻を。そのボロ着を着る唯一の資格があったのが、父親だったのではないか。
誰がそれを咎めることができよう。
いったい誰が、その気持ちを理解できたか。
ボロ着を拾う行為こそ、父の愛の形ではなかったか。
声高に理想を掲げて、誇り高く語っていた私は、自分を恥ずかしく思った。父は、すべてを知っていた。すべてを理解していた。言葉を知らず、伝える術がなかったけれど、ただそれだけの話。きっと宮城の山奥の大自然から、誰よりも、幼少期から全身で学んでいたのだ。だから山猿で不器用だったのだ。
お父さん、僕もこれから、ボロを着ても良いかな。お父さんが着ていたやつより、もっともっと、ボロくて古いやつだよ。ボロを着て、お父さんの精神を受け継いで、世界に打ち出すんだよ。
血は争えないって、きっとお母さんは笑うだろうね。