
幽霊:第1話 プロローグ
あらすじ
静かに日々を送る絵画講師・大野円。ある日を境に、補助として働く美大院生・小島有が、彼女のもとに不自然なほど頻繁に現れるようになる。何気ない会話と制作の時間の中で、その振る舞いにわずかな違和感を抱き始める。 やがて、二人の距離や時間の流れにも、説明のつかない歪みが混じりはじめる。有は、円の知らない“もう一つの視点”を抱えたまま、彼女のそばに立ち続けていた。 触れられないものと、触れないままでいるもの。 重なりきらない三つの想いが、過去と現在の境界を静かに揺らしていく。
「プロローグ」
僕が日ごろこんなにも君のそばから離れないことを知ったら、君は怖がるだろうか。淡々と送られる君の生活は、とても静かで愛おしい。どれだけ見ていても、君と目が合うことはなく、キャンバスに向かう時以外はいつも少しだけうつむいている。長い時間君のそばにいることができても、二人で訪れたことのない場所にだけはついていけないのが空しい。僕の知らない君も、ずっとそうして視線を落としているのだろうか。すぐに声を掛けられたら、その手を握ることができたら、どんなにいいだろう。
君がデッサンをする音が好きだ。リズムの崩れない安定した摩擦音は眠気さえ覚えるほどで、思わずぼんやりとしてしまう。特に表情を変えることはないものの、時折本当に少しだけ、口角が緩むのがわかる。せめてこの時間だけでも、君が心から楽しいと感じていてくれたらと願う。叶うならその微笑みのそばで、自分も一緒に笑うことができていたら、とも。やけに目覚めの早い朝も、誰もいない講義室を憩う昼も、本当に「とぼとぼ」という足音を立てて帰路につく夜も。いつでも有り得ないことばかりを思い浮かべては諦める、そんなことを繰り返してもうどれくらいの時が経ったのか。なぜ自分は、こんなところにいるのか。いつまで、ここにいればいいのだろうか。