江戸の部落 差別と都市が生んだもう一つの江戸史 第四回 戦国乱世と賤民
戦争が生んだ職能集団
日本史において戦国時代ほど激しい変動の時代はない。
応仁の乱以後、およそ百年にわたり全国で戦乱が続いた。
京都は荒廃し、荘園制度は崩壊し、農民は武装し、武士は下剋上を繰り返した。
だが、この乱世の中で最も注目されない人々がいる。
戦場の後始末を担った人々である。
歴史書には武将の名前が残る。
大名の名が残る。
合戦の勝敗が残る。
しかし戦場に積み上がった死体を誰が処理したのかは、ほとんど語られない。
だが現実には、誰かが必ずそれを行っていた。
そこに後の被差別民へつながる職能集団の姿が見えてくる。
例えば戦国時代の大合戦である。
一度の戦いで数千人、多い場合には数万人の死者が出る。
関ヶ原合戦では七千から一万人以上が戦死したとも推定される。
戦いが終われば戦場には無数の遺体が残る。
放置すれば疫病が発生する。
腐臭が広がる。
河川が汚染される。
農地も利用できなくなる。
つまり戦争には「戦後処理」が必要なのである。
その仕事を担ったのが、河原者や皮革職人などの周縁職能民であった。
彼らは死者を埋葬し、遺体を片付け、戦場を清掃した。
また死んだ軍馬の処理も行った。
当時の軍事力は馬によって支えられていた。
しかし馬もまた戦場で大量に死ぬ。
牛馬の皮は貴重な資源であり、その回収と加工も重要な仕事だった。
ここから皮革技術が発展していく。
現代人は革製品を単なる日用品と考える。
しかし戦国時代において革は軍需物資であった。
甲冑
馬具
太鼓
鞍
弓具
革は軍事に不可欠だったのである。
戦争が長引くほど皮革需要は増大する。
そして皮革職人の技術も向上する。
つまり戦乱は、周縁職能民を社会にとって必要不可欠な存在へと押し上げていった。
だが、その地位が向上したわけではなかった。
むしろ逆である。
必要性が高まるほど職能の固定化が進んでいく。
戦国大名は効率を求めた。
死体処理をする者。
革を作る者。
刑罰を執行する者。
橋を架ける者。
それぞれを組織化し始める。
ここに後の身分制度の萌芽がある。
戦国時代は混乱の時代であると同時に、近世への準備期間でもあったのである。
さらに戦争は大量の流民を生み出した。
村を焼かれた農民
主家を失った武士
戦災孤児
難民
こうした人々は共同体から切り離される。
彼らの一部は都市へ流入する。
一部は河原へ住み着く。
一部は職能集団へ吸収される。
つまり戦国乱世は、人々を周縁へ押し出す巨大な装置でもあった。
戦国大名は彼らを排除するだけではなかった。
利用もした。
たとえば織田信長である。
信長は楽市楽座を推進し、既存秩序を破壊したことで知られる。
その結果、多くの漂泊民や職能民が城下町へ集まった。
豊臣秀吉もまた全国統一の過程で巨大な都市建設を進めた。
大坂城下町はその象徴である。
都市が大きくなればなるほど、皮革職人や土木技術者の需要は増える。
戦争と都市建設は表裏一体だったのである。
そして徳川家康の時代になる。
家康は戦国乱世を終わらせた。
だが戦乱によって形成された職能集団を解散させたわけではない。
むしろ制度化した。
ここが重要である。
戦国時代には比較的流動的だった職能民が、江戸時代には固定された身分集団へと変化する。
戦争のための組織が、平和な社会の中へ移植されたのである。
これによって江戸時代の長吏・非人制度の基盤が整う。
つまり被差別民の歴史を理解するためには、「差別」だけを見ていては不十分である。
戦争を見る必要がある。
都市を見る必要がある。
経済を見る必要がある。
社会に必要な機能が、どのように特定集団へ集約されたのかを見る必要がある。
そこに初めて歴史の実像が見えてくる。
実は世界史を見ても同じである。
中世ヨーロッパにも皮革職人や屠畜業者への偏見は存在した。
イスラム社会にも類似の職能集団が存在した。
つまり日本だけが特別だったわけではない。
人間社会はしばしば「必要だが敬遠される仕事」を特定の集団へ集中させる傾向を持つ。
日本の場合、その構造が中世から近世へ受け継がれ、江戸時代に最も完成された形を取ったのである。
そして、その中心に立つ人物が現れる。
関東一円の被差別民を統括した男。
幕府公認の支配者。
被差別民でありながら権力者でもあった男。
その名が弾左衛門である。
次回は「弾左衛門とは何者か」をテーマに、江戸最大の被差別民支配組織の実態へ踏み込んでいく。
江戸の部落史は、いよいよその中核へ入っていくのである。