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漫画家アシスタント物語 第1章〈2〉 漫画家先生の面接試験

    yes

     

    《 写真上:著者が40年仕事をしたジョージ秋山プロ。これ私のデスクです》
                 < この1章(後)は、文庫本約13ページ分 >

     
      

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    東京、目白通り沿いにあった、当時のうなぎ割烹料理店です。実は面接試験場‥‥
      

                   その5
     

    三顧の礼を尽くすとは、よく言ったもので・・・・・
     
    ジョージ秋山( ‘78年当時、35歳、連載週間誌2・隔週誌2・月刊誌数誌 )には、弟子入りを数回断られた。

    最初は、電話で「 アシスタントォ・・・・? 募集してねぇよ! 」と、あっさり断られる。

    しかし、こっちだってバイトをやめて背水の陣でいるから、『 はい、そうですか 』とはいかない。 

    私は‥‥
    「と・・・とにかく、絵を見ていただくだけでもいいんです!」
    ‥‥と、無理やり面接へ持ち込む。 
    自信のある原稿を何枚か持って氏のマンションへ・・・・・・ ( 写真「第1章その1」 )

    その時の、最初の面接の酷かったこと‥‥‥‥

    23歳の世間知らずが、生まれてはじめて出会う「 才能 」に震え上がるのだ。

    1978年( 昭和53年・・・ホントに古い話で申し訳ない! )3月某日。

    ボンヤリとした春の午後・・・・・。 

    マンションのドア・・・・ ブザーが壊れている(カチャカチャと、何度押しても反応がない)・・・・・・‥‥ノックした。

    ドアを開けてくれたは、アシスタントの一人だ。案内されて通されたのが、奥にある先生の個室。

    私が座ったソファの向かい、こっちに背を向けて仕事中の様子。

    確か、あいさつをしたはずなんだけど、返事は無い・・・・・

    まったく無い・・・!

    物凄く空気が重い! 原稿の仕上がりを待っている編集員が一人。和やかに話しかけてくれた・・・・・・。

    「 ここは良いよォ、アシスタントになれるといいね!休みは多いし、徹夜は無いし・・・・ 本当に、ここは楽だよぉ 」 
     
    まだ23歳、緊張でガチガチになっていた‥‥ 私は、編集員の親切な言葉をただ黙って聞いていた。

    そして‥‥ 黙っているだけではなく、とにかく‥‥ 何か喋ろうとしていた・・・・・。

    「 浮浪雲 」( 小学館「ビックゴミックオリジナル」当時の大ヒット作 )が仕上がったようだ。 ストーリーは江戸の町、問屋場の頭とその家族の話だ。

    私は、適当に当たりさわりない事を考えた。

    「 あのぉ、先生は結婚してらっしゃるんですか? 」

    ジョージ秋山は、見下す様に私をにらみ付ける。
    そして、吐き捨てるように‥‥

    「 おみぃ~は、『 浮浪雲 』の何処を見てっだよおおおっ! あれが、結婚してねえ奴に作れる作品かァ? 子供のいねぇ奴に作れるかぁっ?! 」 

    ‥‥と、怒鳴られた。

    ひょっとして、ジョージ秋山の声は小さかったかもしれない、でも落雷に撃たれた様な衝撃だった・・・・・・。 

    しばらく、ジョージ秋山は編集員と何事も無かったように談笑する。そして・・・・

    「 おみぃ~仕事やめちゃって、困ってんだろぉ・・・・でも、俺だって困るぜ・・・( 苦笑 ) 机も椅子もみんな使ってっからよぉ、おみぃ~の座るイスはにぃ~んだよな~! 」

    血の気の失せている私は、ただ耐えるしかなかった。

    しかし、最後に・・・・・・
    「 まぁ・・・。また来いや。」 
    ・・・・って、いったい、ОKなのかNОなのか・・・・・

    とにかく、数日後、アポをとって3度目の挑戦へ!

    夜、やっぱりドアのブザーは壊れている。 
    わかっているので、ノックする‥‥
    返事は無い・・・・・・・・・・ もう一度ノックする‥‥

    『 どうしよう・・・この時間に来ると言ってあるのに・・・ 』 と、その時・・・・

    ガチャッ ドアが大きく開き、ジョージ秋山と連れの男性が一人。

    「 なんだ、おみぃ~かぁ? これから、出掛けるところなんだよ・・・まあ縁が無かったって事だな・・・・ 」
     ( 私が来る事など眼中にまるで無い? )

    茫然としている私を見て、さすがに気の毒に思われたのか・・・・・・

    「 せっかく来たんだから、メシでも食うか・・・? 」
     
     
     


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    うなぎ料理店で小さくなってる私。この絵は、このブログの書籍化用カットでした。


                   その6


    春の夜。( 1978年 ) 緊張から安堵へ・・・・・。

    「 メシでも食うか・・・? 」の一言で救われた気分。
    秋山のこの言葉で、『 何とかなるかも・・・・・・ 』と、希望がつながった思いでした。

    JR線目白駅から10分ほどの所にある、うなぎ割烹料理店へ。
    ジョージ先生(少しだけ親しみがわいてくる)、山際淳司氏( スポーツライター(『江夏の21球』etc 、惜しい事に若くして亡くなられました )、そして私の3人。 

    高そうなお店で、美味いはずなのに、緊張のため鰻を食ってるんだか、蛇を食ってるんだか分らない・・・・・・。

    ただ、この時の会話を今でもはっきり覚えています。( 40年、50年前のこの時の会話を! )

    ジョージ先生と山際氏との対話に、私なんぞの入り込む余地は無く、ただ黙っていました。

    鰻をご馳走になり、アシスタントにも使ってくれそうな( 十分スタッフはそろっているのに )感じだった・・・・・・。

    黙っている私に、山際氏が話しかけてくれた・・・・・・( 私に気を使って下さっているんだと思っていた・・・・・ )

    山際氏、クールに・・・・・・
    「 いつ頃、プロになるんですか? 」
    踏み込んだ様な質問にちょっと戸惑いつつ・・・・・
    「 ・・・ア・・・アシスタントを2,3年やってから・・・・・ 」
    山際氏、表情一つ変えずに・・・・
    「 2,3年やって、ダメだったら・・・・・・? 」
    「 また、2,3年アシスタントを・・・・・ 」
    山際氏、機械の様に・・・・
    「 それでも、まだダメだったら・・・・・・? 」
    くどい質問だなァと、少し不快に・・・・
    「 また、2,3年・・・・・ 」
    山際氏、冷淡に・・・・
    「 それでもダメなら・・・? 」
    もはや、私に選択の余地は無い・・・・
    「 ま・・・また、2,3年・・・・・ 」
    山際氏のクールな顔が怖い・・・・・
    「 それでもダメなら・・・? 」
    なぜ、こんな質問をされるのか、訳が分らなくなりながら・・・・・
    「 ま・・・また・・・に・・・2、3・・・年・・・・ 」
    私の声が、小さくなって聞き取れない。
    山際氏、ため息をつきながら・・・・
    「 最近の若い人達って、考えないんですよねぇ・・・・・ 」

    しばらく間があって・・・・・
    ジョージ先生、薄笑いを浮かべながら私の顔を見て・・・・。
    「 おみ~は、『 歩 』だなぁ・・・ 」 指で将棋を指すしぐさをしつつ・・・・
    「 ・・・・・・・・ 」 何とも答えようが無い私。

    ジョージ先生つづけて曰く 
    「 一歩一歩、ノロノロと進んで、敵の餌食になる・・・・・だが・・・ 相当、努力して、運も良けりゃあ‥‥『金』に成る!・・・・・・・・・・かもなぁ~ 」

    「 ・・・・・ 」 何とも答えようが無い私。

    山際氏が、面白そうに入り込んでくる。
    「 先生、僕は何でしょうか? 」
    ジョージ先生、すかさず・・・・
    「 おみィ~は、『 銀 』だなぁ! 」
    山際氏、まんざらでもなさそうな顔をしつつ
    「 僕は、『 香車 』じゃないかって思ってたんですが・・・・ 」
    ジョージ先生、一つうなずき低い声で 
    「 違いますねェ。おみぃ~は、『 香車 』じゃねェ~よ、俺ィだよ、俺ィが『 香車 』だよ 」
    山際氏、力を込めて・・・・
    「 違いますよ~・・・・ 先生は、『 王将 』でしょう!? 」( 笑い )
    ジョージ先生、笑いながら
    「 おう・・・? 『 王将 』は困りますねェ‥‥狙われちゃうからねぇ!」( 笑い )
    ジョージ先生、山際氏、二人が笑っている。 私は笑えない。

    私は・・・・・・

    「 ・・・・・・・・・・・・ 」 一生懸命 顔を歪めている。


     


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    秋山プロのあるマンション入り口、手前にあるのが我が愛車。


                  その7


    目白にあるうなぎ割烹料理店での会食後、私はジョージ秋山プロでアシスタントの仕事を始めました( ほんの2・3年のつもりで! )。

    この場合、私は「 仕事を始めた 」つもりですが、ジョージ先生は、「 仕方がねぇから、拾ってやった・・・ 」つもりの様で、この矛盾は40年後の現在でも、あまり変わってはいません。

    漫画家志望で、夢一杯! 
    腹も出ていなかったあの頃( 20代前半は・・・・・)

    アシスタントを10年以上もやっている人がこの世の中にいるとは、予想もしなかった・・・・。いわんや、自分がこの先40年もアシスタントをやってる事になろうとは・・・・・・・

    10年、20年・・・とアシスタントをやれば、漫画家になれるなどという保証はありません・・・・・・いや、それどころか、事態は深刻になっていきます‥‥ 

    長すぎるアシスタント経験は、プロになるために絶対必要な、孤独で戦闘的な感性をトロットロッに溶解させてしまう・・・・・
    ( ただ、人間的にはやさしくて、丸みが出て来るんですが・・・・・ )

    だいたい、50歳過ぎで、漫画の背景が描けますと言ってハローワーク( 職安 )に行っても何の仕事もありません。 

    つまり・・・・・ 今の私なんぞは、漫画家になる以外、何が何でもジョージ先生におすがりして、アシスタントの仕事にしがみ続ける・・・という、選択肢しか残っていないわけです・・・・・。

    結局、楽な人生など何処にも無かったのだ・・・・と言う事に今頃気づいている私です・・・・・。


     漫画家アシスタント物語 血の教訓
    『 誰かのアシスタントになる時は、将来の選択肢が以下
      の3つだけになる事を銘記せよ。
      一つ、絶対漫画家になる。
      一つ、死ぬまでアシスタントを貫徹する。
      一つ、アシスタントを辞めて路頭に迷う。 』



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    秋山プロのあるマンションの階段。毎日7階の仕事場まで上がって行きます。


                  その8


    実は、私にとって漫画家アシスタントの仕事は、ジョージ先生の所でお世話になる4年前から始まりました。つまり、1974年( 昭和49年 )19歳の時から、恥ずかしながら・・・のべ43年も、漫画家のアシスタントをやってきた事になります。( 2017年当時 )

    それで、手に入れたものといえば、小さな夢のカケラがポケットに一つ・・・・
    しかし、不思議と後悔の念といったものが、ほとんどありません。 

    それはたぶん・・・自分が選んだ好きな道を歩いてきただけだからか・・・・ 後悔しても手遅れだからか・・・・・・

    「 アシスタント生活に40年という貴重な人生を浪費した・・・・・ 」と、嘆く事もできますが、絵が好きだ、という点からすれば、「 40年間も好きな事だけやってこれた! 」と笑う(?)事もできます。

    ところで、第1章の最後に書いておかなければならない事が一つ。

    好きな事をやってこれたのは、自分の力や努力などではなく、それを許してくれた先生方、家族、仲間や友人。その他、助けてくれた多くの人たちのおかげだったという事・・・・・。

    (同時に令和の世になって、現在、このヘタな文章を読んでくださっている皆様のおかげなわけです!)

    そんな事に、今頃気づいている・・・ 自分のバカさにただ呆れるばかりの今日この頃。

    今、あらためてこの40年を見つめなおすために、第2章より、3畳一間、裸電球、万年床、インスタントラーメン・・・・19歳の漫画一本道の第一歩を書かせていただきたいと思います。
     
     
     
                  《第1章、2004年11月~'05年1月:初公開》
     
     
     
     ~~ 《 追記 》 ~~~~~
     拙ブログが出版される時に、登場する漫画家先生方から実名表記の承諾を得ています。そのため、このブログは出版化された日より、漫画家名や一部の人物、出版社など、実名表記させていただきました‥‥。
     ただ、新しいブログ掲載による未承諾の先生方、実社名等の表記にご懸念のある方は、是非、ご一報下さい。 どうか、よろしくお願いいたします。

     
     
     
              「 漫画家アシスタント物語 第2章」へつづく・・・・
      
    (第2章は、貧乏生活や、かわぐちかいじ先生への弟子入りなど‥‥)
     
                       「第1章〈1〉」へもどる‥‥

                            「もくじ」 へ‥‥

     
     
     


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                私(yes)の履歴書
              
    1955年(昭和30年) 東京生まれ 世田谷区立駒沢小学校卒。 14歳より、映画館のキップ切り、ビル清掃人、冷凍食品倉庫、等々(10数種)

    1974年(昭和49年) さがみゆき先生 主に(少女系)怪奇漫画。単行本1冊分、3,4ヶ月のお手伝いでした。(19歳)
         
    1975年(昭和50年) かわぐちかいじ先生 この当時の氏は今ほど有名ではありませんでした。背景技術をみっちり仕込まれました。(20歳)

    1976年(昭和51年) 村野守美先生 漫画界一の豪傑と噂され、エピソードには事欠きません。たった1週間しか、勤まりませんでした。(21歳)

    1978年(昭和53年) ジョージ秋山先生 当時「浮浪雲」(ビックコミックオリジナルに連載)が、すごい人気で、渡哲也、桃井かおりの主演でTVドラマ化されていました。(23歳)

    1984年(昭和59年) あと1年で、30歳! 焦っていた。 漫画制作に没頭。出版社めぐりの日々。(29歳)

    1987年(昭和62年) 「雨のドモ五郎」が、「ヤングジャンプ青年漫画大賞」準入選。本誌に2色指定で掲載。事実上のデビュー作。これが同誌への最初で最後の掲載作品となる。(31歳)

    1987ー88年(昭和62ー63年前後) 「ヤングジャンプ月例賞、青年漫画大賞」にて、奨励賞、努力賞、佳作賞、受賞。(31歳)

    1989年(平成元年) 別冊(!)ヤングジャンプ「ベアーズクラブ」にて、100ページ読み切りの「蟹工船・覇王の船」(小林多喜二原作)を発表。(34歳)

    1992年(平成4年)  宇都宮病院事件の「悪魔の精神病棟」を原案とした書き下ろし単行本「サイコホスピダー」製作開始 (37歳)

    1995年(平成7年) タイ王国チェンマイ郊外の山村にて結婚。(40歳)

    1996年(平成8年)  三一書房より「サイコホスピダー」初版出荷、初版で絶版。(41歳)

    2008年(平成20年) 拙ブログ「漫画家アシスタント物語」がマガジン・マガジン社にて書籍化、「雨のドモ五郎」収録。(53歳)

    2008年平成20年 TBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」にゲスト出演、漫画家アシスタントについて語る。(53歳)

    2008年(平成20年) 「劇画 蟹工船 覇王の船」宝島社より「覇王の船」が加筆訂正され完全版として出版。小説「蟹工船」収録。(53歳) 

    2009ー16年(平成21ー27年) 新宿の宝塚大学、漫画学科で非常勤講師になり、「背景美術」を担当する。(54歳)

    2017年(平成29年) ジョージ秋山プロを退社、43年のアシスタント人生を終え、タイ・チェンマイに移住。(62歳)
                 
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    ( 注:不確かな記憶によって記されている個所があります事をご容赦下さい ) 

     


     
     
     

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    42年、漫画家アシスタントをやって・・・ 馬鹿な男が残したかった・・・教訓! 挫折と後悔の手記を・・・ 全漫画家アシスタントと全漫画家志望者へ!   アシスタント歴:ジョージ秋山、かわぐちかいじ他 1987年ヤングジャンプ青漫賞デビュー 宝塚大学背景美術非常勤講師2010-16年

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