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noteの切れっ端

    キッザニア老人ホーム


    認知症のお年寄りの話を度々目にする。

    自分の子供の顔すらわからなくなった方が現役の頃のアイテムを手にした途端、生き生きと当時の様に扱いだし目に光が宿る。

    寝たきりだった元バレリーナのご婦人にバレエの楽曲を聴かせると背筋を伸ばし上半身を優雅に動かし曲の最後まで踊り切る。

    身近な話では母が以前お手伝いしていた書道教室の講師は高齢という事もあり娘家族と同居する事になり家事をしなくてよくなった途端に目に見えて物忘れや認識能力が落ちていった。

    こういう状況を見ていると「何もしなくていいよ」と言う優しさが時として残酷な結果を出すのだと思い知る。

    そんな話を夫としながら一緒に考えていた。

    認知症の方々の営むカフェやレストランもあるのだから、子供達が職業体験が出来るキッザニアの様な設備のある老人施設があっても良いのではないだろうか。

    脳トレと言って手遊びなどをやって貰う場面は見るが、人によっては「赤ん坊じゃないんだからこんな事したくない」という声もあると言う。

    ただの一主婦の漠然とした考えなので妄想の範囲で読んで頂きたい話なのではあるが、もしあったら何か良い効果が生まれないかなと思ってしまう。

    妹にも話してみるとVRで思い出の土地に行けるとかもいいねと言われ、なるほどそれもアリだなと益々妄想を膨らませる。

    ゲーム業界もシニア層に向けて開発を進めていると聞くし今後歳を重ねる事が楽しみになる時代が来ると良いなと思う私なのであった。


    イタリアン中学生


    中学生の頃、音楽の授業で「帰れソレントへを歌う」というものがあった。(今もあるのかな?)

    音楽講師が弾くピアノの横に着いて一人一人歌うテストがこの授業のゴールだ。

    そしてこの歌のテストをイタリア語で歌うと点数が上がるのだ。

    これはもう挑むしかないだろう……。

    イタリア語の歌詞をカタカナにしたものを見ながら音源を聴きとにかく覚える。

    日本語訳とか解釈してる場合ではない。

    帰れソレントへと言われても行ったこと無いし、どんな所かすら知らない。

    知ってるのはナポリはあってもナポリタンは無いことくらいだし。

    今、歌詞の訳を読んでみたが日本の中学生に共感できる内容じゃ無いじゃん。

    そんな事とはつゆ知らず中学生の私は巻き舌も駆使しながら出来るだけ手本のイタリア語に近づけようと努力したのである。

    テスト当日出席番号順に呼ばれ一人一人ピアノの横に行って歌い始める。

    最初の方こそ皆緊張した面持ちで歌うクラスメイトを見守っていたが、テストが終わった生徒は緊張が緩み私語が段々多くなる。

    しかし出席番号が後ろ側の私からしたらずっと緊張状態なのである。

    ざわついた音楽室で嬉しいのは自分の歌に注目されない事だが、ぶつぶつと口の中でカタカナイタリア語を唱え順番を待つ不気味な陰キャ女子となりながら、いよいよ自分の番が来るのである。

    音楽講師から「どっち?」と聞かれ一瞬脳内が「?」で一杯になるもすぐに日本語とイタリア語どちらで歌うのかを問われたと気付き「イタリア語で……」とボソリと言うとニヤリと笑われた。

    やってやろうじゃないか……、耳の穴かっぽじいてよく聴いとけ私の渾身のカタカナイタリア語を!!
    歌唱が終わる頃にはソレントへ帰ってる可能性すらあるぞ!!


    頑張った。

    とにかく頑張った。

    みんなが聴いてないのをいい事に巻けるだけ舌を巻いたよね。


    そこまでは覚えてるのに肝心の評価は覚えてない。
    皆無……、うん、歌い終わった時帰ったのは私の方だった。

    完全にイタリア忘れて日本に帰ってた。


    太鼓バトル


    中学の音楽繋がりでもうひとつのエピソードをお話ししよう。

    楽譜も読めない私だったが、音楽が好きだったので選択授業は音楽にしていた。

    日頃の授業と違いバラエティに富んでいて非常に面白かったのを覚えている。

    ある時はバリ島のケチャの映像を見せてくれた。

    男性が胡座で座り両手を振り上げリズムを取りながら何重かの円で口から奏でられるケチャの映像に皆釘付けになった。

    またある時はドラムが一式揃えられており叩き方を習った。

    何だこれ面白い!!

    授業が終わり教室に戻ってからも皆ペンをスティック代わりに机やペンケースを叩いていた。

    そんなある日、音楽室の扉を開くと「これから遊べるドン」と言わんばかりの和太鼓が部屋の真ん中に鎮座していた。

    私は咄嗟に幼馴染を見る。

    なぜかと言えば、彼女は幼少の頃から和太鼓を習っており小学校の運動会では演目の八木節の伴奏を頼まれ、地域の盆踊りでは毎年己の太鼓で皆を踊らせるという太鼓娘だったからなのである。

    中学に入りその事を全く知らない子もいる。

    一度バチを握らせれば生徒のみならず、きっとど素人しかいないと思っている講師すら驚くだろう。

    フハハハハ……!!見せてやれ!!

    と、和太鼓ミリしらな自分を棚に上げ私が得意げになる。(本当そういうところあるね、私ね)


    講師から和太鼓についての説明を聞く。

    なんと今回の授業の最後に講師と太鼓バトルをするという。

    この展開激アツじゃねぇか!!!

    一人ずつ講師と対戦していくのだが、反対側から暫く一定のリズムで叩いていた講師が急に変則的に叩き始めると皆テンポを崩し脱落していく。

    悔しい……。

    負け続ける生徒を前に嘲笑うかの様な講師の顔がラスボスに見えてくる。

    幼馴染の太鼓の腕を知っている数人が幼馴染の順番を最後にしようと渋る幼馴染を説得する。


    ここでなぜか私も講師に抗いたくなってきてしまった。
    まともに叩いた事もないのに。

    だってなんかやられっぱなしも癪じゃん。

    幼馴染よ見ていろ挑む私の背中を。

    ゲマ戦のパパスの気持ちで講師の向かいに立つ。


    ……来る、変則叩き!!

    私はいくつかの「こう来たら、こう!」と事前に脳内で準備をしていた。

    講師が「お、なかなかやるな」と声を漏らした。

    幼馴染よ覚えているか?
    二人で行った欽ちゃんの仮装大賞の予選を。


    惨敗だったよな。


    そして奮闘虚しく私も更に調子を上げ出した講師の前で倒れたのであった。

    パパスほどは頑張れなかった。

    サンチョでも怪しいくらいだった。


    しかし、良いのだ。

    倒れた私の姿を見て、幼馴染の闘志を湧かす事が出来たなら本望だ。

    そしていよいよラスボスを倒す時が来た。


    幼馴染がバチを握り静かに太鼓の前に立つ。


    事情を知っている数名が固唾を飲んで見守っている。



    「始まるドン」


    徐々に講師の顔が本気になっていくのがわかる。
    幼馴染の腕前に気付き始めた皆がざわつき始めると彼女の耳が真っ赤になっていた。


    白熱の太鼓バトルは終わる気配が無い。


    どう決着が着くのか。

    祈りにも似た気持ちが芽生えはじめた頃、無情にも授業終了を告げるチャイムが鳴った。

    「今日はここまで!」

    皆が幼馴染を取り囲む。

    いつの間に顔まで真っ赤になった彼女は照れ臭そうに笑った。


    実録スプラウト引き出し農法


    私は非常にアホなのである。

    これを前提に聞いて欲しい。

    まだ独身実家暮らしの頃、何かでスプラウト栽培キットを手に入れた事があった。

    目の細かいザルと受け皿が重なった様な入れ物と種がセットになった簡単なキットなのだが、栽培方法に直射日光の当たらない涼しい場所で育てましょう的な事が書いてあったと思う。

    早速やってみっか!と準備をし自室のチェストの上に置いたものの、ふと実家の猫達の顔が過ぎる。

    奴らが私の留守中に部屋にもし入ったら確実にここに飛び乗るだろう。

    これはまずい。

    水も種もお気に入りの虎柄のラグにぶち撒けられるのは避けたい。

    そこで私は何を思ったのかチェストの引き出しの一つの中身を空にしそこで栽培を始めた。

    ここなら猫も私も幸せに過ごせるはずだ。(スプラウトは除く)

    ()内の一番重要な事にも気づけぬ程に脳内がバグったまま私とスプラウトの共同生活がスタートしたのである。

    もし私に植物の声が聞けたならきっと引き出しの中からカートゥーンアニメバリの雄叫びが聞こえてきていた事であろう。

    暫くは引き出しを開けるのが日課となり、
    水替えをし種からも可愛い芽が出てきて平穏であった。

    そんなある日、事件は起きた。

    朝から深夜まで予定が入った日があったのだ。

    必然的に日課の世話をサボってしまった。

    翌日の夜に引き出しを開けた時に小さな悲鳴を上げた。


    スプラウトがもやしの様になっていた。


    白くてヒョロヒョロな芽が四方八方に伸び、例えるなら整えていない白髪頭だ。


    全然食欲の湧かない姿に成長した私のスプラウト。

    もう戻らないスプラウト。

    隣の部屋にいる妹を呼びに行く。


    「ちょっと見て欲しいものがあるんだ」


    私の深刻な顔に妹は驚き、私の部屋に来てくれた。

    「……これなんだけど」

    そっと引き出しを開ける。


    「……は?え?何これ」

    ギョッとした顔でこちらを見る妹。

    「……スプラウト…育ててた」


    「え?……なんで?」

    全然分からないという顔で引き出しと私の顔を交互に見る妹。


    「栽培キット手に入ったから」


    「いやいやいや、そうじゃなくて、何で引き出しでスプラウト育てようと思ったか聞いてんだよ!!」


    「あ……そっち?」


    「どう考えてもそっちだろ!!!」


    そこで自分の脳内バグに漸く気付いた私は、腕を組んで天井を見上げた。


    「なんで私引き出しで育てようと思ったんだろうね……」


    と言うわけで、スプラウト引き出し農法は絶対にやめた方がいいという結果が出た。

    これからスプラウトをお迎えしようと思っている方は教訓にして頂きたい。


    異国料理研究会


    夫と付き合う少し前に怪談仲間の中で比較的近所に住む食に興味のある三人で異国料理研究会(略してイコ研)という会を立ち上げていた。

    東京にいると色々な国の料理の店舗があるので月に一度異国の料理を食べてみようという内容だ。

    元からふざけたメンバーだった事もあり、毎度涙を流す程に笑いつつ料理を楽しんでいた。


     イコ研の内容をブログにして投稿を始めるとサイト内で読んでくれている方達の中から自分も参加したいという声も頂く様になった。

    しかし、人数が増えるとそれだけ店舗を押さえるのも難しくなるので、ゲストという形で色々な方を月毎に呼ぶ事にしたのだ。


    ゲストに来てくれた方はイコ研を楽しんだ後に、自分がどうブログに書かれるのかも楽しみにしてくれ、またそれを目にした違う方から声が掛かる。


    予定と予約の調整と、記憶を頼りに料理レポと会話内容をブログにする作業は中々大変だったが楽しかった。


    イコ研レギュラーメンバーの生活が変わり集まりにくくなって徐々にフェードアウトしてしまい残念だったが、若く独身の時でなければあのパワーは出せなかったと思う。


    人見知りの私に面白そうだと思った事に飛び込む勇気をくれたのは怪談の世界だ。

    イコ研の他にも怪談を通じて知り合ったバリキャリのグルメなお姉様達にも半年予約の取れない東銀座のイタリアンや、恵比寿の料亭、有名な作家がお忍びで来るレストラン、金沢旅行等色々な所に連れて行って貰い美味しいものを教わった。

    人に恵まれていると常々思う。

    いつも良くしてくれるそんな仲間達に聞いてみた事がある。

    「私何もお返し出来ないのに何でそんなにいつも呼んでくれるの?」と。


    そう言うと皆笑って「一緒にいると楽しいからに決まってんじゃん、いないとつまんないよ」そんなの当たり前みたいに言ってくれた。


    テレビやネットで見ただけでディスって冷笑してる人達を度々見掛けるが心が貧しいのだなと思う今日この頃。

    そんな中でこんなポンコツな私を愛してくれる人達がいるって幸せだなとも思う。

    私自身に出来ることは少ないが、周りに感謝しながらこれからも歩いてゆこう。





     
     
    【人生のあらすじ】 いくつかの食の資格を無駄に取った私は怪談と料理とべしゃりスキルで年下夫をゲットするのであった。 そんな私の冒険の旅は続く……。

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