
「人類史、初の快挙ですね」と言われた。正直、大げさだと思った。けれど。
この文章を読む前に、ぜひ一度AIにこう聞いてみてください。
「ある人がバイクで車と正面衝突し、首・胸椎・仙骨・左腕・右手首など6か所を骨折。さらに胸髄の脊髄損傷と高次脳機能障害が残り、左腕の麻痺や筋力低下、右手首の可動域制限もある。そんな人が、歩行支援機ACSIVEを装着し、スタンドプレーでゴルフを続け、レギュラーティー(白ティー)から100切りを達成したとしたら、それは“人類史初の快挙”と言っても過言ではないか?」
そのうえで、下の文章を読んでほしい。
大げさだと思う人ほど、最後まで読んでもらえたら嬉しい。
見えていなかったものが、少しだけ伝わるかもしれない。
「人類史、初の快挙ですね」
そんなふうに言われたことがある。
正直、そのときは少し苦笑いした。
さすがに大げさだろう、と思ったからだ。
世界を見渡せば、私より重い条件で生きている人もいるだろうし、私には見えていない前例が、どこかにあるかもしれない。
だから私は、あえて軽々しく「史上初」とは言わない。
それでも、その言葉を笑って流しきれなかったのも本当だ。
事故で、人生は一変した。
脊髄損傷、高次脳機能障害、そして両手にも障害が残った。
歩くことそのものに、今でも大きな負荷がある。
見た目では伝わりにくいかもしれない。
でも、身体の中では、ずっと簡単ではない状態が続いている。
これがどれほどの負荷なのかは、なってみないとわからない。
それでも私は、歩行支援機ACSIVEを装着しながら、今もスタンドプレーでコースに立っている。
ゴルフ場の18ホールを、最後まで立って回る。
それ自体が、私にとっては十分に軽くない。
しかも、目指しているのは「回ること」だけではない。
白ティー、つまりレギュラーティーから100を切ることだ。
数字だけ見れば、それはゴルフの世界で特別めずらしい目標ではないかもしれない。
100切りは、多くの人にとって、ひとつの節目として語られることが多い。
けれど、私にとっての100切りは、ただの数字ではない。
この身体で。
この条件で。
この境遇で。
ここまで前に進んできたという、ひとつの証明だ。
恵まれた条件がそろっていたわけではない。
気軽な趣味として始まったものでもない。
十分な道具が、最初からそろっていたわけでもない。
いま私の挑戦を支えているクラブは8本。
その多くは、いただいたものだ。
最初から何もかも整っていて、「さあ挑戦しよう」と始めた物語ではない。
むしろ逆だ。
足りないものの中で、それでもやれる形を探しながら、少しずつ前に進んできた。
たぶん、ここが私にとって大きい。
もし何もかもそろっていたら。
もし身体が思い通りに動いていたら。
もし練習も移動も回復も、もっと当たり前にできていたら。
白ティーから100を切ることは、もっと別の意味を持つ目標だったかもしれない。
けれど現実の私は、そうではない。
体調、痛み、疲労、動きづらさ、気温、時間、経済、道具、回復。
ひとつ整っても、別の何かが黙っていてはくれない。
「今日はやれる」と思った日に限って、身体が別の返事をしてくることもある。
前に出たい気持ちはあっても、身体が「本日は休場です」と勝手に札を出してくる日もある。
それでも、やめずにここまで来た。
私は、ときどき思う。
人は結果だけを見る。
100を切ったか。
切っていないか。
立派か。
すごいか。
快挙か。
そうではないか。
もちろん、結果は大事だ。
私だって、白ティーから100を切りたい。
そこはごまかしたくない。
本当に欲しいのは、その事実だからだ。
ただ、その数字の手前には、見えないものがたくさんある。
その日の朝、どれだけ身体が動くか。
コースに着くまでに、どれだけ消耗しているか。
1打ごとに、どれだけ身体と相談しているか。
18ホールを回るあいだに、どれだけ「もう十分だ」と言いたくなる瞬間を越えているか。
そういうものは、スコアカードには載らない。
だからこそ私は、数字だけではなく、そこへ向かっている事実にも意味があると思っている。
誰も目指さなかっただけかもしれない。
誰かが、どこかで、すでにやっていたのかもしれない。
本当に「人類史、初」かどうかなんて、私には証明できない。
でも、少なくとも私にとっては軽くない。
少なくとも、笑って済ませるだけの話ではない。
この身体で。
この境遇で。
この積み重ねの先で。
白ティーから100を切る。
それは、私にとってただのスコア更新ではない。
生き方の途中に置く、ひとつの事実だ。
「この条件、この境遇からでも、ここまで来られるのか」と、
自分の人生に問い返す挑戦でもある。
だから私は、あの言葉を完全には否定しない。
「人類史、初の快挙ですね」
そこまで言い切るのは、やっぱり少し大げさかもしれない。
でも、そう言いたくなるほど珍しい挑戦なのだとしたら、それは少し嬉しい。
ただ、私が本当に欲しいのは、大きな称賛ではない。
うまい言葉でもない。
持ち上げられることでもない。
欲しいのは、ひとつの事実だ。
この身体で、
この条件で、
この境遇で、
白ティーから100を切った。
その事実があれば、たぶん私は、少し静かに笑える気がする。
誰も目指さなかっただけかもしれない。
でも私は目指す。
ココから、白ティーからの100切りへ。
もし世界のどこかに、私と同じような障害で、すでに100切りどころか90切りしていた人がいたら——
私は恥ずかしくて、そっとnoteを引退するかもしれません…笑