
〜300日のふるさと〜前兆に導かれて見つけた宝物
「お母さん!ここに300日住みたいな。」
息子が4歳の夏。
キャンプ場での爽やかな朝、息子が言った。
あの無邪気な声が聞こえた気がして、真っ黒だった私の中に光がスッと差し込んだ。
私は狭く小さな世の中で失望していた。
「子どもを守りたいのに、どうしていいか分からない。」
親になってから、一番苦しかった。
どうすることもできない無力感。
数日前、通っていた園で、息子は6人がかりで暴力を受けた。
私たちを“園から追い出したいと画策していた“と副園長から衝撃的な告白をされて、話し合いが決裂したばかりだった。
ママ友に相談も出来なかった。
もっと上手く立ち回れば良いのにと、たしなめられた経験があったから。
夫には、任せると言われていた。
世界中で、息子の味方は私しかいないような孤独感。
もう、やけっぱち。
どうせ引っ越すなら、あのキャンプ場の近くにしようか。
おさらばだ。
そうして夫を残し、5歳になった息子と二人だけで、新しいふるさとを作りに出発した。
私は、自分のことになるとなかなかの慎重派で美容室を予約するだけでも悩む。
ところが、息子のことになると話は別。
「よし、やってみよう。」
飛行機に乗り、電車を乗り継ぐ。
ビル群から緑へ。
ローカル線に乗り換えるたびに、車両数は減っていき、最後は二両になった。
嫌な重い感情が、車両ごとごっそり削がれていくように感じた。
途中、看板だけの無人駅が見えた。
何もない。大丈夫かな。と気持ちが揺れる私の横で、息子は「冒険気分だよ」と嬉しそうに言った。
新居に着くと、電気がつかなかった。
冒険は、サバイバル。
息子は、キャンプみたいだと喜んでくれた。
ここは歴史ある城下町。
水がおいしいことで有名だ。
駅で湧き水マップを手に入れた息子は、水の飲み歩きに夢中になった。
朝市の通りの湧き水。
保育園へ行く途中の湧き水。
観光客が集まる湧き水。
息子が“利き水“ができるようになったというので、私が毎日あちこちから汲んで来て息子が当てるゲームをした。
当たり!何故わかる?
「微妙に味が違うんだよ」と、得意げだった。
更に息子は、
「明日は雨だよ」とか「晴れるよ」などと、天気も当てられるようになったらしい。
リビングの窓から見えるお城を見れば分かると説明してくれた。
私はガラケーで天気予報を見るのをやめて、息子はお城を見た。
私たちは、明日の天気が楽しみでワクワクしながら寝るようになった。
毎週土曜の夜は、天文台へ通った。
丸い天井が開く大型望遠鏡で見た、土星の輪っか。
しましま模様の木星と、そのまわりを回る衛星。
草の上に寝転んで眺める星空観測会。
息子がいなければ、一生見ることのなかった“宇宙に一番近い景色“。
翌日、日曜は自然観察センターへ通った。
植物も昆虫もきのこも、生物多様性に食物連鎖、先生の話し方まで吸収していく。
常連を通り越して、小さなスタッフみたいに接してもらえるようになり、準備から片付けまで“デキる男“になった。
息子は図書館で読んだ本の“レモネード売り“に憧れ「朝市に出店してみたい。」と、市役所に相談に行った。
「朝市は、ながい歴史があるから、地元の人は歓迎しないと思う。」と言われたが、一応聞いてみようかと電話をして会いに行った。
「大歓迎よ。ぜひどうぞ。」とトマト農家の会長さんに言われ、拍子抜けした。
私が通う職業訓練で出逢った友人や、ママ友も誘って、それぞれが雑貨を作って持ち寄り日曜日の朝市に出店してみることになった。
『よそ者、若者、バカ者』三拍子揃っていた私たち母子は、何処でも珍しがられて、噂の的だったらしい。
結局、朝市でのレモネード売りは衛生上難しかったけれど、息子は諦めなかった。
拾った石に絵を描いたものを出品した。
コロンとした石にカラフルな模様。
近くの川原で拾ったまるい石ころが、息子の手によって特別なものになった。
「これは、僕が石に絵を描いたものです。」
緊張して上ずった声で、小さな店主がテーブル越しに身を乗り出して指差すと、上品なご婦人が足を止めしゃがみ込んで、息子の石を指輪がいっぱいついた手に乗せた。
「まあ、なんて綺麗な石。旅のお守りになりそうよ。」
目を細めた笑顔で、200円を息子に。
お守りにもなると聞いて、飛び上がって喜んだ息子。
買って下さった方と私が話をしている一瞬の隙に、100円玉2枚は斜め前のお店のパンダのストラップに代わっていた。
「あら、息子さんは宵越しの金は持たない“大物タイプ“かも知れないわね。」と、ご婦人は笑いながら「御守りになりそうな石」を2つバッグに入れた。
保育園の帰り道、お友達とザリガニ釣り。
サンダル履きでぶらりとホタル観賞。
キャンプでは、毎回火起こし係。
本物の川遊びでは、怖さも知った。
1300年以上続く伝統の祭りと舞踊。
花火大会では、目の前で点火して興奮した。
そんな風に、この町に溶け込んでいった。
九月。
保育園の行事で“就学前の学校見学"から帰ってきた息子が、珍しくプンプン怒っていた。
「僕は、あの学校には通わないよ。」
「先生は、子どもをぐるぐる巻きにするんだ。」
「僕は、自由な学校に行きたい。」
後から保育園の先生に聞くと、机と椅子をガタンゴトンさせるのをやめさせる為に、ガムテープで“机と椅子の足を固定“された子がいたらしい。
息子は、更に弱々しく続けた。
「保育園を辞めて、幼稚園に行きたい」
「給食が多すぎて辛いし、お母さんのお弁当が食べたい。それと、幼稚園なら早く帰れるから。」
自由な学校か…
日本中の学校探しが始まった。
オルタナティブスクール。
ホームスクール。
カタカナの言葉を初めて知り、引っ越ししてからほとんど使っていなかったPCを出して調べはじめた。
息子の『センス・オブ・ワンダー』を、何があっても守らなくては。
「よし、やってみよう」
職業訓練を継続しないことを告げて、もう四の五の言わずパッと切り替えて転園した。
転園した幼稚園では、“床下探検“が一番楽しい遊びだと息子は言う。
息子が描く絵を、先生は褒めて下さった。
繊細ながらも大胆。
色々なことを考えながら描いていますね。
そしてとても満足しているのが伝わって来ますよ。
落ち葉での焼き芋会が終わって、
一面真っ白の白黒墨絵の世界。
シンとした空気は一層美味しく感じた。
毎日びしょ濡れになるまでソリ遊び。
毎週末はスキー三昧となった。
その冬、自衛隊が出動する災害級の雪。
こんなはずじゃ無かったと雪掻きする横で
息子は、色水をぶちまけてカラフルな恐竜の雪だるまや、かまくらを作った。
毎朝毎夕の、つらい雪掻き修行。
腰も腕もパンパンになり、一人スコップを握りしめて途方に暮れそうになる私に、「奥さん、無理したらいかんよ」「雪はこうやって放るんだ」と、近所のおじさんやおばさんが声をかけてくださった。
ママさんダンプや大きなスコップを貸し借りしながら、冷たい雪が私たちの距離を縮めてくれた。
そんな風に、町の温かさに守られていると実感できたタイミングで、テレビ番組に影響された息子が「“ひとりでおつかい“僕も出来るよね!もうすぐ6歳だし、やってみたい。」と言い出した。
私は前日に、お店に頼みに行き準備した。
息子のミッションは「美容室で散髪をして、肉屋で牛肉を300グラム買ってくること。」
息子はひとりでドアを開け鍵をかけ、気合いを入れた足取りで出掛けた。
私は、気づかれないように2階の窓からこっそり覗いた。
半径200メートルほどの距離。
息子の人生で“最大級の大冒険“だ。
美容室では、飲み物とお菓子を貰った。
お肉屋さんでは、ぬいぐるみのストラップをオマケに貰った。と嬉しい気持ちを爆発させながら帰宅した。
「お母さんが心配してるかも知れないから、急いで走って帰って来たよ。」
そう。
私は、遅いなと思いながらハラハラ待っていた。
美容室でもお肉屋さんでも、しばらくお店の人とお喋りしていたらしい。
残雪のある町へ4月に引っ越し、「やっぱりお父さんに会えないのは寂しい。」と、元の場所へ戻ることにしたのは、翌年2月末。
引っ越しの荷造りをしながら気づいた。
本当に、300日の冒険物語だった。
あぁ…まるで、
『アルケミスト』みたいじゃない!?
あの時、息子の石を買い「旅のお守りね」と微笑んでくれたあのご婦人は、私たちの前に現れた“王様”みたいな存在で、あの石が手渡された瞬間から、私たちの不思議な旅が始まっていたのかもしれない。
だとしたら…
戻った先に、宝物が待っているのかもしれないよ。
あれから、更に引っ越しをして、何年もの月日が流れた。
新参者を迎え入れて下さった朝市の方々は、今も仲間を増やしながら賑やかに街を彩っている。
息子が床下探検をした、あの古い園舎は新しく建て替えられ、今でも床下探検ができるらしい。
どれも宝物のような日々。
もうあのリビングの窓からお城は見えなくなったけれど、次の移住先では燕の飛び方や飛行機雲を見て“天気を予測する方法”を教えてくれた。
更に引っ越ししてきた今では、私も、空を見て明日の天気が分かるようになった。
振り返れば、転園4回、引っ越し4回。
すっかり新しい環境に順応するのが上手くなった息子は、夢を叶えるため、この夏渡米してアメリカの高校生になる。
あの頃の、真っ黒に固まっていた私なら、きっと怖くて動けなかった。
「ここに300日住みたい。」
4歳だった息子の言葉が、人生の行き先を変えた。
私は息子を育てているつもりだった。
でも。
あの300日のふるさとが、私を育ててくれた。
終