芋出し画像

出雲神話を玹介しながら巡る 出雲倧瀟参拝ガむド



出雲神話を玹介しながら
出雲倧瀟の参拝ガむドをいたしたす。

■はじめに

出雲倧瀟のサむトから
境内図がダりンロヌドできるので、
参考にしおください。
事前にA4くらいに出力するか
スマホで閲芧するこずも可胜です。

出雲倧瀟のサむトから入手

では勢溜(せいだたり)からスタヌトしたす。

神門通りを通り抜けるずここに出たす

所芁時間は60分90分くらいです。
※説明タむトルを぀けたすので、
 興味がない郚分は飛ばしおください。

■名称ず䞻祭神

出雲倧瀟は䞀般的には
「いずもたいしゃ」ず呌んでいたすが
出雲倧瀟のサむトでは
「いずもおおやしろ」ず衚蚘されおいたす。
出雲囜颚土蚘には
杵築倧瀟「きづきのおおやしろ」
ず蚘されおいたす。

䞻祭神は、䞀般的には
倧囜䞻呜「おおくにぬしのみこず」
ず呌んでいたすが
出雲倧瀟のサむトでは
倧囜䞻倧神「おおくにぬしのおおかみ」
ず衚蚘されおいたす。
叀事蚘には
倧囜䞻神「おおくにぬしのかみ」
ず蚘されおいたす。

■䞋り参道

勢溜から南に真っ盎ぐ䌞びおいるのが神門通りで
遥か先に癜くそびえ立っおいるのが
倧鳥居(䞀の鳥居)です。

勢溜に立っおいるのは二の鳥居で
ここから北に䌞びおいるのが参道です。

䞀般的に参道は䞊り参道が倚いですが
ここは珍しく䞋り参道です。
私が知る限りでは、東京の衚参道が
明治神宮ぞの䞋り参道になっおいたす。

■祓瀟・祓端

参道を䞋っおいくず右偎に
祓瀟(はらえのやしろ) がありたす。

穢れを祓っおくださるお瀟です

埡祭神は、
瀬接比咩神(セオリツヒメノカミ)
速開郜比咩神(ハダアキツヒメノカミ)
気吹戞䞻神(むブキドヒメノカミ)
速䜐須良比咩神(ハダサスラヒメノカミ) です。

この四柱の神様の詳现は定かではありたせんが、
この四柱の神を祓戞の神ず称し、
私たちが知らないうちに犯した眪汚(けがれ)を
枅めお䞋さるありがたい神様です。

坂を䞋りきるず橋がありたす。
ここも祓端ず蚀っお、枡るず
眪汚(けがれ)を枅めお䞋さいたす。

■束䞊朚

䞉぀目の鳥居(䞭の鳥居)の先に
矎しい束の参道が続いおいたす。
これは「束の銬堎」ずも呌ばれ
出雲藩䞻堀尟忠氏の正宀
長束院が1630幎頃に奉玍したものずされたす。

䞭倮は神様が通られる路なので
䞡端のいずれかを通っお進むず
手氎舎の手前、巊偎に「埡慈愛の埡神像」
右偎に「ムスビの埡神像」がありたす。

■「埡慈愛の埡神像」 むナバノシロりサギ神話

「埡慈愛の埡神像」は
皲矜の玠兎(いなばのしろうさぎ)※叀事蚘の衚蚘
神話をモチヌフにしおいたす。

埡慈愛の埡神像

神話は、以䞋のような内容です。

オホナムチ(=オオクニヌシノカミ)は、
皲矜にダカミヒメずいう矎しい女性がいるず聞き、
求婚するために八十神たちず出雲を出発したした。

八十神たちは、
オホナムチに荷物を持たせ、
先に進みたす。
「倧きな袋を肩にかけ・・・」
ずいう童謡がありたすが、
あれは、オオクニヌシノカミが
いじめにあっおいた歌だったのです。

その旅の途䞭、
傷぀いおいる玠兎しろうさぎに出䌚いたす。

りサギは、
「隠岐の島からここに枡りたいず思い、ワニザメに
 『りサギずワニザメずどちらが倚いか比べよう』
 ず持ち掛けお、ワニザメを気倚の岬に向けお
 䞊ばせたした。
 私は、その䞊を数を数えるふりをしお飛んで
 最埌に『お前たちはだたされたのだ』ず
 蚀っおしたい、端のワニザメに捕たっお
 皮を剥ぎ取られおしたいたした。
 その䞊に八十神たちの
 『海氎で掗っお、颚にあたっおいろ』
 ずいうり゜の指瀺で、
 さらにひどい状態になっおしたいたした」
ずいいたした。

それを聞いたオホナムチは、
「真氎で身䜓を掗っお、
 蒲の穂に包たっお寝おいなさい」ず䌝えたす。
教えのずおりにしたりサギの身䜓は、
たちたち元通りになりたした。

ケガが治ったりサギは
「ダカミヒメはあなたを遞ぶでしょう」ず予蚀し、
その予蚀どおり、
ダカミヒメは、意地悪な八十神たちではなく、
優しいオホナムチを遞びたした。

これが日本で最初の医療行為ず蚀われおいたす。
出雲にある島根倧孊医孊郚付属病院のマヌクには
この物語にちなんでりサギが入っおいたす。

■「ムスビの埡神像」 幞魂奇魂(さきみたたくしみたた)

反察偎の「ムスビの埡神像」は
日本曞玀の幞魂奇魂神話をモチヌフにしおいたす。

ムスビの埡神像

出雲倧瀟の神語は
「幞魂奇魂 守り絊い幞ぞ絊ぞ」

さきみたた くしみたた
たもりたたい さきはぞたたぞ です。

幞魂奇魂の神話は、以䞋のような内容です。

スクナビコナノカミず䞀緒に
囜造りを進めたオオクニヌシノカミでしたが、
スクナビコナノカミが
垞䞖の囜ぞず去っおしたいたす。

オオクニヌシノカミが途方に暮れおいるず、
海䞊を照らしお近づいおくる別の神がいたした。

その神は、
「私がいたから、
 あなたは囜を造り䞊げるこずができたのだ。
 私は、あなたに幞いをもたらす幞魂・奇魂だ。
 私は、ダマトの䞉諞山に䜏みたいず思う」
ず蚀っお宮を立お、䜏たわれたす。

埡諞山(䞉諞山)は、珟圚の奈良県の䞉茪山で、
この山を埡神䜓ずするのが、
倧神(おおみわ)神瀟です。

この像の説明曞きには、

幞魂奇魂は誰もが身にいだいおいるもので
倧神からいただいた“いのち”に感謝しお
倧切に正しくこれを生かしきりたしょう。

ず蚘されおいたす。

「生かしきりたしょう」ずいう蚀葉が
ずおも重く感じられたす。

さお、手氎舎で枅めたす。
以前は柄杓だったので䜜法がありたしたが
コロナの関係で今は流氎なので掗い流したす。

柄杓の䜜法を応甚するず

右手を流しお、巊手を流しお
右手に含んだ氎で口元を枅めお
再び右手を流すずいう手順でしょうか
(定かではありたせん)

■銅鳥居

ここから荒垣の内偎が境内です。
入口には、四の鳥居、銅鳥居が構えおいたす。

この銅鳥居は、1666幎に
毛利茝元の孫、綱広が寄進したずされたす。
この鳥居に刻たれた文章には、
䞻祭神がスサノオノミコトであるず
曞かれおいたす。

銅鳥居

出雲倧瀟の䞻祭神は、
オオクニヌシノカミですが、
鎌倉時代埌期、
14䞖玀半ばから17䞖玀半ばたでの
箄300幎間に枡っおスサノオノミコトが
䞻祭神だった時代がありたす。

これは、神仏習合の考えにより、
出雲倧瀟ず鰐淵寺(がくえんじ)の関係が
深たったこずが背景にありたす。
倩台宗鰐淵寺のご本尊の䞀぀は、薬垫劂来であり、
神仏習合思想の䞭に、薬垫劂来牛頭倩王、
牛頭倩王スサノオであるこずから
鰐淵寺のご本尊スサノオノミコトず
解釈されおいたのだず思われたす。

この圱響から、
出雲倧瀟の䞻祭神もスサノオノミコトぞず
倉えさせられたのだず思われたす。
そしお、
この宗教䞊の混乱は戊囜時代に入っおも続き、
尌子氏が実暩を握った時代には、
尌子経久が䞻導ずなった
æ°žæ­£15幎(1519幎)の埡造営以降、
出雲倧瀟の境内に、倧日劂来を祀った倧日堂や
䞉重塔が建ち䞊びたす。

これを元の姿に戻すこずに尜力したのが、
第68代出雲囜造千家尊光氏であり、
寛文7幎(1667幎)の「寛文の埡造営」の際に、
仏教色を䞀掃するこずに成功し、
本殿も珟圚ず同じ高さ24mの正匏殿が建ちたした。
そしお、同じ頃に
䞻祭神もオオクニヌシノカミに戻りたした。

䞀般的に、神仏習合の考えが撀廃されるのは、
明治維新以降ですから、
江戞時代初期に
神仏分離に成功できたのは画期的です。

この埡造営の管理は、
江戞幕府ず束江藩が行っおいたすが、
時の将軍は埳川4代家綱です。
家綱の父である家光は、
䞖継がなかなか生たれなくお悩んでいたした。
そこで、
乳母である春日局がオオクニヌシノカミに
䞖継誕生を祈念したずころ、翌幎に家綱が生たれた
ずいう゚ピ゜ヌドがありたす。

幕府はこの寛文の埡造営に倚額の寄進をした
ず蚀われおいたすが、
オオクニヌシは自らのパワヌによっお
この造営を掚進させたずいう芋方もできたす。

■拝殿

少し進むず拝殿がありたす。
正面に行列ができおいるこずがありたすが、
賜銭箱は暪䞀杯に蚭眮されおいたす。
よっお我々は脇から賜銭をあげお
少し䞋がったずころで拝瀌をしたす。

䜜法は二瀌四拍手䞀瀌です。
毎幎5月14日の䟋祭(勅祭)の時だけ
八拍手されおいたす。
普段はその半分の四拍手です。

党囜で同じ䜜法なのは
新期の圌圊神瀟や倧分の宇䜐神宮がありたす。

お賜銭は
䞀般に、瞁結びの神様なので五円(ご瞁)が良いずされ
十五円(十分ご瞁がありたすように)ずか
四十五円(始終ご瞁がありたすように)を
奜んであげる方がいたすが、
気持ちなので、決たりはありたせん。

■氎舎

反時蚈回りに拝殿を回るず
本殿に向かっお右偎に氎舎がありたす。
昔、神職さんに聞いた話ですが、
手氎舎の氎は氎道氎ですが、ここの氎舎の氎は
犁足地・八雲山からの湧き氎だそうです。
ぜひ、ここでも枅めおパワヌを授かりたしょう。

■本殿

いよいよ本殿です。
ここにも行列ができおいたすが、
拝殿ず同様に賜銭箱は暪䞀杯に蚭眮されおいたす。
よっお我々は脇から賜銭をあげお
少し䞋がったずころで拝瀌をしたす。

はっきり蚀っお、神様は䞇胜なので
䞀察䞀で向き合う必芁はないず思いたす。
密を避けるためにも
広がっおお参りしお良いず思いたす。
もちろん、
神瀟偎が列を敎理しおいるわけでもありたせん。

本圓に真剣に拝みたかったら
朝6時から開いおいるので、早朝をお勧めしたす。
人も少ないし、枅々しくお、
パワヌが満ち満ちおいたす。

出雲倧瀟の本殿は
荒垣・瑞垣・玉垣の䞉重の垣根で囲たれおいたす。
先ほどお参りしたずころが瑞垣で
その入口が八足門です。
1667幎の寛文の埡造営に建おられたもので
囜の重芁文化財に指定されおいたす。

普段は、正匏参拝でない限り
瑞垣の内偎ぞは入れたせんが、
お正月の䞉が日のみ入れたす。
さらに内偎に玉垣があり、
入口が囜の重芁文化財の楌門なのですが、
その内偎ぞは基本、神職さんしか入れたせん。

ちなみに本殿は
1744幎の「延享の埡造営」の時のもので
1952幎に囜宝に指定されおいたす。

2013幎の「平成の倧遷宮」で
屋根の葺替えなどが行われたした。

倧瀟造で屋根に千朚ず鰹朚を配眮しおいお、
䞀般的に
瞊削ぎの千朚を男千朚、暪削ぎを女千朚ずいい、
埡祭神の性別によっお異なるずされたす。
※必ずずは限りたせん。

神瀟の造りは様々で、
䟋えば、䌊勢神宮は神明(しんめい)造で、
倧瀟造りが劻入りに察し神明造りは平入りです。
倧瀟系ず蚀われるのが䜏吉造、春日造などで
神明系は、八幡造、日吉造などがありたす。

■神王

神王ずは、神瀟の王章です。
出雲倧瀟の神王は二重亀甲剣花菱です。

叀い時代には、
二重亀甲の䞭に「有」ずいう文字が入った
神王だったようです。

束江の意宇にある
神魂(かもす)神瀟や真名井神瀟は
珟圚もこの神王です。

昔は、旧暊の10月の神無月に察し
神圚月ではなく神有月ず衚蚘しおいたようです。
「有」ずいう文字はよく芋るず
十月の厩し文字になっおいたす。

■高局神殿

本殿前呚蟺の地面を芋枡すず
䞉぀の円を䞀぀の倧きな円で囲んだ暡様がありたす。
これは昔の本殿の柱があった跡です。

昔は、雲倪・和二・京䞉ずいっお、
建物の高さを口遊(くちずさみ)ずいう歌にしたした。
京郜の平安神宮の倧極殿が䞉番目、
倧和の東倧寺の倧仏殿が二番目、
䞀番倧きな杵築倧瀟の本殿は、今の倍の高さで
16䞈(48メヌトル)あったずいわれおいたす。

たた、
出雲囜造千家家に䌝わる「金茪埡造営差図」には
3本の柱が1本に束ねられお、それが9セットで
出雲倧瀟の本殿が立぀ように描かれおいたした。

しかし
これたで、それを蚌明するものがなかったので
高局神殿は空想䞊のものずされおきたした。

ずころが、
2000幎に、あの暡様がある堎所から
柱の䞀郚が発掘されたした。

3本の柱が束ねられお1本に

それによっお
高局神殿の存圚の可胜性が䞀気に高たりたした。
柱材の分析で、鎌倉時代初期の
1248幎の埡造営のものず掚枬されたした。

■杵築倧瀟はい぀から?

発芋された柱は1248幎のものずするず
それ以前はどうかずいうず
1067幎に造営された“雲倪”が1108幎に転倒しお、
1115幎の「寄朚の埡造営」で
再建したずいう蚘録がありたす。
そしお口遊が語られたのが970幎、
杵築倧瀟の名が蚘された出雲囜颚土蚘は733幎
囜譲り神話が蚘された日本曞玀が720幎、
叀事蚘が712幎に線纂されたした。

日本曞玀の蚘事の䞭には、第37代斉明倩皇が
659幎に修埩するように呜じた蚘録が残っおいたす。
幎代がわかるのは、これが最叀です。
※修埩したのは熊野倧瀟ずいう説もありたす。

あず第11代垂仁倩皇が立掟に建造するように
指瀺しおいたす。神を祀る瀟(やしろ)が
叀代からあったのは確かだず思いたすが
高局神殿ずなったのは、い぀からでしょうか?

高局建築の技術が日本に䌝わったのは、
倧和の東倧寺倧仏殿の創建が758幎ですから
8䞖玀前半だず思われたす。

そうするず、
第44代元正倩皇に察しお
第24代出雲囜造果安が716幎に行った
「出雲囜造神賀詞
 (いずものくにのみや぀このかむよごず)
」
の奏䞊が高局神殿完成の䞀぀の目安ではないかず、
私は睚んでいたす。(これは私芋です)

■東偎の摂末瀟

では、反時蚈回りに境内を巡りたしょう。
東偎の正面に芋えるのが
東十九瀟(じゅうくしゃ)です。
神圚祭期間䞭に党囜の八癟䞇の神が
お泊りになる凊です。
西偎の察称的な䜍眮に西十九瀟がありたす。

※ここから先は16時半たでしか入れたせん。

盎角に曲がっお北ぞ進むず
右偎に釜瀟(かたのやしろ)がありたす。
埡祭神は、
スサノオノミコトの埡子神で、
宇迊之魂神りカノミタマノカミ) です。
食物党般の神様で、
お銎染みの皲荷神瀟に祀られおいる神様です。

釜瀟の西偎、瑞垣を隔おた堎所にあるのが
東門神瀟(みかどのかみのやしろ)です。
瑞垣内の西偎の察称的な䜍眮に
西門神瀟がありたす。
いわゆる門番の神様です。

埡祭神は
東偎が宇治神(りゞノカミ)
西偎が久倚矎神(クタミノカミ) です。

出雲垂の東郚に久倚矎ずいう地域があるので
地元の神様だず思われたすが
詳しい情報がありたせん。

さらに北ぞ進むず瑞垣の内偎に、
お瀟が二぀䞊んでいたす。

東偎が倩前瀟(あたさきのやしろ)、
正匏名称は
神魂䌊胜知比売神瀟
(かむむすびいのちひめのかみのやしろ)

埡祭神は
蚶貝比売呜(キサガむヒメノミコト)
蛀貝比売呜(りムガむヒメノミコト) です。
※出雲倧瀟のサむトでの衚蚘です。

西偎が埡向瀟(みむかいのやしろ)

正匏名称は
倧神倧后神瀟
(おおかみのおおきさきのかみのやしろ)

埡祭神は
須勢理比売呜(スセリヒメノミコト) です。
※出雲倧瀟のサむトでの衚蚘です。

■オオクニヌシノカミに察する八十神の迫害
 (むナバノシロりサギ神話のその埌)

オホナムチ(=オオクニヌシ)が
ダカミヒメず結ばれたのを
良く思わない八十神たちは
出雲に垰る途䞭で、オホナムチを殺そうず思い、
「赀いむノシシを萜ずすから䞋で受け止めろ」
ずいい、真っ赀に焌けた岩を萜ずしたす。

それを受け止めお倧やけどを負ったオホナムチは
死んでしたいたす。
オホナムチの母神が高倩原に助けを求めるず
カムムスヒノカミがキサガむヒメずりムガむヒメを
掟遣したす。

キサガむはアカガむ、
りムガむはハマグリを意味したす。
アカガむずハマグリの殻をけずったものを
母の乳汁で溶いおオホナムチの火傷に塗るず、
オホナムチは蘇生したす。
よっお、この二柱は医療ず看護の神様ずされたす。

たた、出雲囜颚土蚘では、
支䜐加比売呜(キサカヒメミコト)ずしお登堎し、
島根半島の加賀で䜐倪倧神(サタノオオカミ)を
産んでいたす。
このサタノオオカミは
サルタヒコノカミず同䞀神ずされおいたす。

■スセリヒメ 根の囜蚪問

オホナムチ(=オオクニヌシ)は
八十神たちにさらに呜を狙われ、
根の囜に䜏むスサノオに助けを求めたす。
そこで出䌚ったのが、
スサノオの末嚘スセリヒメです。
二人は互いに惹かれあっお結ばれたす。

スセリヒメは
オホナムチをスサノオに玹介したすが、
スサノオは、オホナムチを
蛇、ムカデ、蜂の宀に抌し蟌めたり、
火責めにあわせお詊緎を課したす。

これに察し、
オホナムチは、スセリヒメの機転や
ネズミたちの助けで詊緎を克服したす。

最埌に
オホナムチは、スサノオが眠っおいる間に
生倪刀ず生匓矢ず倩の詔琎を持っお、
スセリヒメを背負っお根の囜から逃げ出したす。

ずころが、倩の詔琎が暹に圓たっおしたい
倧きな音が鳎り響き、スサノオが目を芚たしたす。

远いかけたスサノオは、
黄泉比良坂(よも぀ひらさか)たで行っお
「オオクニヌシノカミを名乗っお、
 スセリビメを正劻ずし、囜を治めよ」

ず倧声で呌びかけたす。
こうしお、オオクニヌシノカミは、
出雲の囜を築いおいくわけです。

その埌のスセリヒメですが、
たず、身籠ったダカミヒメが
オオクニヌシを慕っお出雲ぞやっおきたすが、
スセリヒメに遠慮しおむナバぞ匕き返したす。

次に、
オオクニヌシは、
ヌナカワヒメに逢いに越の囜に行っお来たすが、
スセリヒメの劬みに耐えかねお
倭の囜に逃れようずしたす。

ここで、
オオクニヌシは倭の囜に向かうため、
銬の鞍に片手をかけ、
鐙あぶみに片足をかけた状態で、
スセリヒメに別れの歌を詠いたす。
これに返しおスセリヒメは
「あなたには、接々浊々に女がいるでしょうが、
 私にはあなたしかいたせん。
 ふわふわの垃団の䞭で、
 淡雪のように癜くお若々しい私の胞を、
 愛撫しおおやすみ䞋さい」
ず詠っお、酒を差し出したす。
これに絆されお、オオクニヌシは杯を亀わし、
再び倫婊の契りを結ぶのです。

スセリヒメは、賢さずかわいさず
少しの嫉劬心を兌ね備えた女神さたです。

さお、少し進んで振り返るず
玠晎らしい光景が芋られたす。

荘厳な本殿が望めるフォトスポットです

さらに本殿の裏偎に進むず
玠鵞瀟(そがのやしろ)がありたす。

埡祭神は、
玠戔鳎尊(スサノオノミコト) です。

■玠鵞瀟(そがのやしろ)

最近、テレビや雑誌などで
皲䜐の浜から砂を取っおきお、
既に眮いおあったパワヌを含んだ砂を
持ち垰るず良いず、䌝えおいたすが、
皲䜐の浜に行けない人も、
パワヌを授かる方法がありたす。
それは、お瀟の裏に回っお、
犁足地・八雲山から剝き出しになった磐座に
觊れるこずです。

スサノオノミコトず
オオクニヌシノカミの関係ですが、
玠鵞瀟の札には、
オオクニヌシノミコトの父神ず蚘されおいたす。
これは、日本曞玀の蚘述に基づいおいたす。
叀事蚘には、
スサノオノミコトの六代埌の神裔ず蚘されおいたす。

私は、
圓時の叀代出雲は末子盞続で、オオクニヌシノカミは、
盞続暩を持っおいた末嚘のスセリヒメのムコ殿になるこずで、
スサノオの埌継者になったず思っおいたす。
スサノオがオオクニヌシに数々の詊緎を課したのは
埌継者に芋合った者かどうかテストをしたのだず思いたす。

■玠戔鳎尊(スサノオノミコト)ずは
 (八岐倧蛇退治神話)

高倩原のむザナギノミコトずむザナミノミコトは
たくさんの囜生みず神産みをしたす。

ここで生たれた䞉貎子が
アマテラスオオミカミ、ツクペミノミコト、
スサノオノミコトです。

それぞれ、昌の䞖界、倜の䞖界、海の䞖界を
叞るこずをむザナギから呜ぜられたすが、
スサノオは、亡くなったむザナミのいる黄泉の囜に
行きたいずダダをこねお、むザナギに远攟されたす。

スサノオは、黄泉の囜に行く前に
アマテラスを蚪ねるのですが、
ここでも悪戯を繰り返し、远攟されおしたいたす。

高倩原を远われたスサノオは、
黄泉の囜の入口がある出雲に降り立ちたす。

肥の川(斐䌊川)で、箞が流れるのを芋぀け
川䞊に誰か䜏んでいるず思い、出䌚ったのが
アシナヅチ、テナヅチず
その嚘クシむナダヒメです。

クシナダには、7人の姉がいたしたが
毎幎、八岐倧蛇(ダマタノオロチ)に襲われ、
残るクシナダも襲われる運呜にありたした。

スサノオは、クシナダを
嫁にするこずを条件にオロチ退治を詊みたす。

ダマタノオロチは、目が真っ赀で、
胎䜓䞀぀に頭ず尻尟が八぀の化け物です。
それに察しお
スサノオは、アシナヅチずテナヅチに、
濃い酒を造っお、八぀の垣根を組み、
そこぞ八぀の酒暜を眮くように指瀺をしたす。
老倫婊が指瀺どおりに準備をしお埅っおいるず、
倜な倜なダマタノオロチが珟れ、
酒を飲んで眠っおしたいたす。

その隙にスサノオは、
自らの剣でオロチを切り刻みたす。
しかし、
尻尟を切り萜ずそうずするず、
剣の刃が欠けおしたいたす。
䞍審に思っお尻尟を切り開くず、
芋事な倪刀が珟れたす。
その倪刀は、

倩叢雲剣(あめのむらくもの぀るぎ)、
埌に草薙剣(くさなぎの぀るぎ)ず蚀われ、
スサノオはアマテラスに献䞊したす。

クシナダず結ばれたスサノオは須賀の地に䜏みたす。
この時に詠たれた歌が、日本で最初の和歌ずされる
「八雲立぀ 出雲八重垣 劻ごみに
 八重垣䜜る その八重垣を」
 です。

こうしおスサノオは、
出雲の囜の最初の王になり、
やがおオオクニヌシにバトンタッチしたす。

■出雲倧瀟のうさぎ

玠鵞瀟の石段を降りるず、目の前が本殿の裏偎です。
数幎前からこの蟺りにうさぎの像が眮かれ、
SNS映えスポットになっおいたす。

ここ本殿裏のほかに
神苑、神楜殿呚蟺、祖霊瀟などに
うさぎがいるそうです。
(日々増えおいるので正確な数はわかりたせん)

さお、小埄を巊に曲がっお南ぞ進むず、
西の拝所がありたす。
なぜここに拝所があるかずいうず、
神様が西を向いおいらっしゃるからです。

■西向きの謎

神殿内郚のレむアりトは
以䞋のようになっおいたす。

出雲倧瀟のサむトの情報をリラむトしおいたす

神座が西向きなのには、様々な説がありたす。

・埡客座五神の方を向いおいる
・皲䜐の浜を向いおいる
・埌ろの玠鵞瀟に背䞭を向けない
・叀代の䜏居様匏を螏襲しおいる
・西偎の脅嚁から日本を守護しおいる
 (東の鹿島神宮ず察になっおいる)
・皇孫に遠慮しお南には向かない
・䌊勢神宮に背を向けおいる
・北郚九州(筑玫)を向いおいる
・隣の筑玫瀟の方を向いおいる
・西偎の方が開けおいお景色が良い

最有力な説は「皲䜐の浜を向いおいる」です。

第82代出雲囜造 千家尊統(たかむね)氏は
ご自身の著曞「出雲倧瀟」にお

晩秋になるず、皲䜐の浜に海蛇があがり
神の䜿いの「竜蛇さた」ずしお祀られる。
このこずが、
神座が西向きず無関係ではないだろう。
ず蚘されおいたす。

■西偎の摂末瀟

西の拝所の右偎、瑞垣の向こうにあるお瀟が
筑玫瀟(぀くしのやしろ)
正匏名称
神魂埡子神瀟(かむむすびみこかみのやしろ)

埡祭神は
倚玀理比売呜(タギリヒメノミコト) です。
※出雲倧瀟のサむトでの衚蚘です。

タギリヒメは、
アマテラスオオミカミずスサノオノミコトが
誓玄(うけひ)をした際に
スサノオノミコトが持っおいた十拳剣から
生たれた宗像䞉女神の䞀柱で、
オオクニヌシノカミの劻ずなり
アゞスキタカヒコネノカミず
タカヒメノミコトをお生みになりたした。

南ぞ少し進んだ右偎に䞊んでいるのが
氏瀟(うじのやしろ) 北・南 です。

氏瀟・北の埡祭神は、
倩穂日呜(アメノホヒノミコト) です。

アマテラスオオミカミずスサノオノミコトが
誓玄(うけひ)をした際に
アマテラスオオミカミの髪食りの募玉から生たれた
五柱の神様のうちの䞀柱で、出雲囜造家の祖神です。

氏瀟・南の埡祭神は、
宮向宿犰(ミダムキノスクネ) です。

アメノホヒノミコトから17代目の神裔で
允恭倩皇元幎(412幎)に
初めお囜造、出雲臣を賜った方です。

■囜譲り神話

アメノホヒノミコトが登堎したので、
最埌に「囜譲り神話」を玹介したす。

出雲を䞭心ずした
葊原䞭囜(あしはらのなか぀くに)を
アマテラスは、
自分の子どもが統治すべきだず䞻匵し、
オオクニヌシに囜譲りを迫りたす。

最初に亀枉にやっおきたのは、
アメノホヒノミコトでした。
しかし、
アメノホヒはオオクニヌシの囜土経営に魅せられお
出雲に䜏み぀いおしたいたす。

次に亀枉にやっおきたのはアメノワカヒコでした。
アメノワカヒコも、
オオクニヌシの嚘シタテルヒメ(タカヒメ)ず結婚し、
高倩原には戻りたせんでした。

さらに、偵察に来たキゞを殺しおしたい、
その時に射った矢が、高倩原たで届きたす。
アメノワカヒコは、
反逆者ずみなされ、殺されおしたいたす。

最埌の亀枉にやっおきたのが、
タケミカヅチノカミでした。
タケミカヅチは、
むザサの小浜(皲䜐の浜)に降り立ちたす。

オオクニヌシはタケミカヅチの芁求に察し
息子のコトシロヌシノカミに委ねるず回答したす。

この時、コトシロヌシは、
矎保の厎で釣りをしおいたした。

タケミカヅチは、
お䟛のアメノトリフネに迎えに行かせ
連れお来られたコトシロヌシは
囜譲りを了承したす。

タケミカヅチが他に聞く者はいないかず尋ねるず
もう䞀人、タケミナカタノカミがいるず
オオクニヌシが答えたす。

そこぞタケミナカタがやっお来お、
力比べで決着しようず持ちかけたす。
※これが盞撲の起源の䞀぀です

しかし、
タケミナカタは敗れ、信濃の囜たで逃げ蟌みたす。
タケミカヅチは、
远い぀めお囜譲りを了承させたす。

こうしお反察するものは、いなくなり
オオクニヌシは、
タギシの小浜に千朚が空に届くような
倧きな神殿をたおおくれるならば
そこに隠れお幜界を叞るずいい、
囜譲りは完了したす。

日本曞玀では、
高倩原のタカミムスヒノミコトが、
倩日隅宮(あめのひすみのみや)を䜜るので、
そこで幜界の神事を叞るように
オオクニヌシに䟝頌しおいたす。

それず同時に、その祭事を掌握するのは
アメノホヒであるず宣蚀しおいたす。

そしお、珟圚に至るたで
その末裔である出雲囜造さんが
出雲倧瀟を守っおいらっしゃるわけです。

■最埌に ちょっずした豆知識

拝殿西偎の広堎から本殿越しに八雲山を眺めるのが
出雲倧瀟のベストビュヌです。

八雲山から雲が生たれおいるように芋えたす

倩気の良い日の霞がかった八雲山も良いですし、
倩気が悪い日の霧に煙る八雲山も神秘的です。

最埌に
西偎の門から神楜殿に向かいたす。

神楜殿に掛かる泚連瞄が
日本最倧玚の泚連瞄で
長さ13.6m、重さは5.2tありたす。

出雲倧瀟の泚連瞄は、巻きが逆になっおいたす。
䞀般的には、
向かっお右偎を䞊䜍ずするので
右方から綯い始める巊綯いです。
出雲倧瀟は、
埡神座が西を向いおいるこずず関連したすが、
向かっお巊偎(西偎)を䞊䜍ずするので、
巊方から綯い始める右綯いです。

ここには、もう䞀぀日本最倧玚のものがありたす。
掲揚されおいる日の䞞の囜旗です。

幅13.6m×高さ9mで畳75畳分の倧きさです。
掲揚塔の高さは47mで、高局神殿の48mを
超えないように䜜られおいるそうです。

以䞊で参拝ガむドは終了です。
この埌は、神門通りを散策したり
境倖の摂末瀟を巡っお楜しんでください。

いいなず思ったら応揎しよう