
高精細の果てにある「インスタ疲れ」と、消えゆくプリント文化――ある写真徒然草
1. 手のひらの上の衝撃、OM-1という原点
今も掌が覚えている感触がある。それは、私がまだ子供の頃、親が買ったオリンパスOM-1を借りた時のことだ。それまでの「一眼レフ」といえば、重くて黒くて、プロや一部の愛好家だけが持つ特殊な機械だった。それがどうだろう。OM-1は、一般市民の手に届くサイズでありながら、ファインダーを覗けばそこには明るく広い世界が広がっていた。
当時はネガフィルム。シャッターを切るたびに、物理的な「お金」が消費される感覚があった。だからこそ、一枚を撮る前の緊張感は今の比ではなかった。それが私の「写真」との出会いであり、一生の付き合いの始まりだった。
2. ポジフィルム、F100、そして「戦場」の作法
就職して自前のF-401を買い、やがて私は「ポジフィルム」という魔法に出会った。現像から戻ってきたスリーブをライトボックスに乗せ、ルーペで覗き込む。そこにあるのは、現実よりも鮮やかな、光が透過する宝石のような世界だった。仲間はみんなベルビアを使っていたが、自分は世界へと考え、コダックを使い続けた。
コンテストへの挑戦が始まると、道具は単なる趣味の範疇を超えた。撮影名所での場所取りは、さながら「戦場」だった。大きなカメラ、堅牢な三脚。それらを持っていないと、不思議と自分の表現までが弱くなった気がした。連写性能とフォーカス速度を求め、ニコンF100を握りしめた。写真塾の先生に師事し、仲間と切磋琢磨したあの時代。写真は間違いなく、人生の中心にある「熱」だった。
3. D800からα7R4aへ――「道具」への納得と、マウントの決断
デジタルへの移行期、私は頑なにF100を使い続けた。10年以上が過ぎ、ようやく「これならフィルムの代わりになる」と思わせてくれたのが、ニコンD800だった。フィルム時代の延長線上に、デジタルの利便性が融合した。
しかし、時代の進歩は止まらない。一眼レフからミラーレスへ。私はさらなる高精細を求め、長年連れ添ったニコンをタンスにしまい、ソニーα7R4aを手にした。メーカーもマウントも変わる苦労はあったが、6100万画素が描き出す世界は、かつてのポジフィルムをも凌駕する超絶的な解像感だった。道具としては、今が間違いなく最高到達点にいる。
4. 「インスタ疲れ」――彩度のインフレに飽食する
ところが、道具が最高になった今、私の心には奇妙な「満腹感」が漂い始めている。
GoogleやInstagramを開けば、世界中からPhotoshopで極限まで磨き上げられた「超絶美作」が溢れ出してくる。光り輝き、ビビッドで、非現実的なまでに美しい。最初は感動していた。しかし、今はどうだろう。どこを見ても同じような「ガチンコ編集」の力作ばかりで、お腹がいっぱいになってしまったのだ。
「飽きた」と言ってしまえばそれまでだが、それは視覚的な暴力に近い。かつてコダックやフジフイルムの機関誌をめくり、一枚の秀作をじっと眺めていたあの「静かな感動」が、デジタルの激流に押し流されてしまったように感じる。
5. 拠点の喪失と、時代の交代
追い打ちをかけるように、私の住む県内では大型プリンターを持つ写真印刷サービスが次々と閉店していった。写真展で大型パネルを展示するための「物理的な出口」が塞がれたのだ。
振り返れば、長年お世話になった写真クラブの先生も高齢となり、あちこちのクラブが「最終回」を謳っている。
コンテストの出品、写真展の準備、クラブの運営……。これまで「やりがい」だったすべてが、今や「重荷」として肩にのしかかる。自分たちが愛した「銀塩から続く写真文化」という大きな物語が、静かに幕を閉じようとしているのを感じずにはいられない。
おわりに――写真の行き先を求めて
ネット印刷やSNSでの発信に切り替えればいい、という意見もあるだろう。しかし、私が求めていたのは「データ」ではなく、光を定着させた「作品」としての物質感だった。
時代が変わる。それは避けられないことだ。
α7R4aが映し出す超高精細な世界を、私はどこへ運んでいけばいいのか。今はまだ、その答えは見つからない。ただ、あのOM-1を初めて持った時の、純粋に「世界を切り取りたい」と願った初心だけは、タンスの中の古いカメラのように、大切にしまっておきたいと思っている。
先日、カメラのキタムラで、フジカラー100DX36を数十年ぶりに購入した。高くなっていた。これをタンスにしまったF100に詰めて、ノスタルジーに浸る。