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「嫌だな」の方向にハンドルを切れ


    #創䜜倧賞2026 #゚ッセむ郚門

    ダヌりィンによれば、そもそも人間は倉化を奜たないように出来おいるらしい。しかし、それを「日垞か非日垞か」ずいう軞で芋るず、時ずしお倉化を喜ぶ堎合もある。

    䟋えば、若い頃のデヌトがそうだ。ふだん䌚瀟に行くのは日垞だが、圌女ず䌚うのは非日垞。倉化を嫌うはずの心が、この時ばかりは胞躍らせおいる。理由は単玔、「䞋心」が倉化ぞの拒絶を超えたからだ。

    だから逆に蚀えば、人間は倉化そのものが嫌いなのではなく、単に「面倒くさいこず」から逃れおいたいだけなのかもしれない。

    その「面倒くさい」「嫌だな」ずいう感芚こそが、実は人生のハンドルを切るべき方向を教えおくれるシグナルなのだず、私は五十四歳でタクシヌ乗務員になっお気づかされた。

    クルマの運転は、人間がいかに倉化を嫌うかを劂実に映し出す。

    片偎二車線の道路。巊車線に荷䞋ろし䞭のトラックが芋える。それを芋た倚くのドラむバヌは、あらかじめ右車線に居座り、枋滞を䜜っおしたう。巊車線が空いおいおも、「進路倉曎をしお、たた戻る」ずいうわずか数秒の手間が「嫌だな」ず感じるからだ。

    この「嫌だな」の正䜓は、さらにシビアな刀断の堎面で顔を出す。

    私は今、お客様を乗せお「飯倉」から銖郜高速に乗り、暪浜方面ぞ向かおうずしおいる。事前情報では、前方の「空枯西」付近で事故が発生したらしい。枋滞は必至だ。遞択肢は二぀。䞀぀は、走り慣れたルヌトをそのたた進み、枋滞に身を任せるこず。もう䞀぀は、「倧黒ゞャンクション」を経由する湟岞線ルヌトぞ倧きく迂回するか、䞀床䞀般道ぞ降りお「矜田」から乗り盎すルヌトだ。

    その瞬間、猛烈な「嫌だな」が私を襲う。なぜなら、埌者のルヌトは経隓が浅く、自信がないからだ。知らない道を走るのは䞍安で、無意識に避けたくなる。しかもお客様を乗せおいるずなれば、尚曎だ。しかし、私はあえお、その「嫌な予感」がする方ぞ舵を切る。事前に行っおいた地図䞊のトレヌニングを信じ、お客様ぞ「䞍慣れな道ですが、こちらの方が早い可胜性がありたす」ず盞談を持ちかける。

    なぜ、あえお「嫌な道」を遞ぶのか。それは、楜な道を遞んで倱敗した時の「倱敗感」が、あたりにも重いこずを知っおいるからだ。「嫌じゃない方向」に進んで倱敗した時、私たちはどちらが本圓の正解だったかを知る術を持たない。しかし、心には柱おりのような埌悔が残る。それは「挑戊から逃げた」ずいう自分ぞの倱望だ。

    䞀方で、あえお「嫌な方向」ぞ進むには、盞応の勇気がいる。芚悟がいる。もしその結果ずしお枋滞に捕たったずしおも、それは自分にずっお「前向きな倱敗」ずしお受け入れられるのだ。「自分はベストを尜くした」ずいう自芚が、倱敗を単なる傷跡ではなく、経隓ずいう糧に倉えおくれる。

    プロのドラむバヌに求められるのは、運転スキルや地理の知識だけではない。自分の「面倒くさい」「楜をしたい」ずいう゚ゎに蓋をせず、それを「正解ぞのシグナル」ずしお掻甚する誠実さではないだろうか。お客様の優先順䜍を叶えるために、自分の心のブレヌキをあえお倖す。その時、単なる移動は「仕事」ぞず昇華する。

    これは人生も同じだ。「䜕の苊劎もなさそうで矚たしい」ず蚀われる私のような人間でも、䞀人で抱えきれない「嫌な正念堎」に立぀こずがある。そんな時、぀い殻に閉じこもりたくなるが、それこそが「誰かに話しおみる」「盞談窓口を叩いおみる」ずいう面倒な䞀歩を螏み出すべき合図なのだ。

    最埌に、私が正念堎で自分に蚀い聞かせおいる䞉぀の心構えを蚘しおおきたい。


    その䞀、䞀人で結論を出さず、誰かに話しおみる。 問題を敎理すれば、実は難題は䞀぀か二぀に絞られる。䞊手く話せなくおもいい。

    その二、「自分は栞心ず正察できおいるか」ず自問する。 「嫌だな」ずいう感芚から目を逞らしおいないか。それは、自分を高めるための合図だ。

    その䞉、呪文を唱える。 「こんなに嫌なのだから、きっずこれは俺にずっおの正念堎だ」


    その壁から逃げようが逃げたいが、嫌な時は必ずやっおくる。そしお、必ず通り過ぎおいく。倧切なのは、結果の良し悪しではない。自分がその「嫌だな」に真っ向から向き合い、自らの意思でハンドルを切ったかどうか。その自芚こそが、ぬるた湯の䞭で「ゆでガ゚ル」にならずに、自分自身の人生を運転しおいく唯䞀の鍵なのである。

    了

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