メインコンテンツへスキップ
見出し画像

【IT業界小説】ノルマ達成の代償

    第1章:数字という魔物

    「承知いたしました! すぐに要員状況を確認して折り返します。
    はい、よろしくお願いいたします!」

    オフィスに響き渡る大島の大きな声に、神谷はわずかに眉を顰めた。
    張りのあるトーン。
    淀みない相槌。営業のお手本のような活気だ。しかし、神谷の視線の先にあるダッシュボード上で、入社2年目の大島が今月獲得した契約数は「0」のままだった。

    9月中旬。下半期が始まる10月に向けて、各SES企業がしのぎを削る繁忙期の中、神谷の部署には途方もないノルマが課せられていた。
    10月開始の案件に向けて、あと10名のプロパーエンジニアの稼働先を決めなければならないのだ。
    自社開発の案件から漏れ、待機になりかけているエンジニアたちを、なんとしてもBP(ビジネスパートナー)先のプロジェクトにねじ込む必要がある。一人でも待機が出れば、その月の人件費は丸々赤字としてのしかかってくる。

    「大島、昨日のJavaエンジニアの件、どうなった」
    神谷が声をかけると、大島は弾かれたように立ち上がった。
    「はい! 先方から『もう少し単価を下げられないか』とメールがありましたので、今、本部長に確認のメールを投げたところです!」
    「……お前、それはただの伝書鳩だろ。先方の希望額は? 他社との競合状況は? なぜ単価を下げなきゃいけないんだ。そこを握らずに上に投げてどうする」
    「す、すみません! すぐに先方に電話して確認します!」
    大島が慌てて受話器を取るのを見て、神谷は小さく溜息をついた。大島はやる気はある。
    だが、思考が浅い。来た反響メールにただ機械のようにレスポンスをしているだけで、自分で交渉を前に進める力がないのだ。

    神谷はSES営業として10年のキャリアを持つ。
    かつては圧倒的な数字を叩き出すトッププレイヤーであり、その実績を買われて今の会社にマネージャーとしてヘッドハンティングされた。
    だからこそ、神谷には大島のような「結果の出ない営業」のことが理解できなかった。
    気合いや根性ではなく、ロジックを詰め、行動量を増やせば数字は嫌でも後からついてくる。自分がプレイヤー時代、あれほど圧倒的な行動量と執念で契約をもぎ取ってきたように。

    ふと視線を横に向けると、もう一人の部下である氷室が、無言でキーボードを叩いていた。
    入社4年目になる氷室は、大島とは対極の存在だった。
    声は小さく、愛想もない。神谷とのコミュニケーションも「報告・連絡・相談」の最低限のみ。しかし、彼のダッシュボード上の数字はすでに「3」を叩き出していた。
    感情を一切表に出さず、ただ打算的に、最も効率の良いルートで現場のPMにアプローチをかけ、着実にエンジニアを押し込んでいく。人間味の欠片も感じないが、結果を出している以上、マネージャーである神谷からは何も言えない。

    「……残り、7名か」

    神谷はネクタイを緩めながら、パソコンのモニターを睨みつけた。
    月末まではあと2週間。このまま大島がゼロ行進を続ければ、残りの兵力は氷室と自分だけになる。自分もプレイングマネージャーとして動けば何とかなるかもしれないが、本来なら部下を育成し、チーム全体で目標を達成するのがマネージャーの仕事だ。

    どうすれば、大島に火をつけられるのか。
    神谷は、焦燥感に急き立てられるように、今月の各個人のKPIリストを開いた。
    メール送信件数、電話件数、アポ件数。数字の羅列が、神谷の目にはまるで「お前のマネジメントは間違っている」と突きつける刃のように見えた。


    第2章:平行線のオフィス

    神谷は、ガラス張りの小さな会議室に大島を呼び出した。
    手元のバインダーには、今週の行動履歴が印刷されている。
    「大島、言い訳はいい。結論から先に話せ」
    神谷の低く冷たい声に、大島の肩がびくっと跳ねた。

    「なぜ、今週のメール送信件数が目標の半分しかいっていない? なぜ、アポ件数が先週より落ちている。理由を説明しろ」
    「はい……あ、あの、既存のパートナー様へのフォローアップに時間を取られてしまいまして。それに、エンジニアへのスキルシートの修正指示にも時間がかかって……」
    「言い訳するなと言ったはずだ」

    神谷はバインダーを机に放り投げた。乾いた音が響く。

    「フォローアップ? スキルシートの修正? そんなものは業務の合間にやる作業だ。営業の仕事はな、面談依頼件数を稼いで、エンジニアとの面談練習をすることだろうが。お前は俺がプレイヤーだった頃、どれだけやってたか知らないのか?」
    「……はい」
    「俺は、お前と同じ年次の頃、一日100件の電話件数は最低ノルマとして自分に課していた。
    メール送信件数なんて数えてすらいない。腱鞘炎になるまでキーボードを叩いて、声が枯れるまで電話をかけた。だから契約が取れたんだ。氷室を見ろ。あいつは何も言わずに結果を出している。お前とあいつの違いは何だ?」
    「……行動量、でしょうか」
    「違う。頭の使い方の問題だ。お前はただの伝書鳩だ。もっと頭を使え。……来週までに、死に物狂いでアポ5件取ってこい。できなきゃ、お前の席はないと思え」
    「はい! 申し訳ありません! 死ぬ気でやります!」

     大島の返事だけは、相変わらず見事だった。しかし、神谷の心の中には、何とも言えない徒労感だけが残った。

    数日後、オフィスの中央で、冷たい声が響いた。
    「大島さん、ちょっといいですか」
    普段は自分から口を開くことのない氷室が、自席から立ち上がり、大島のデスクの横に立っていた。
    「はい? 何でしょうか、氷室さん」
    「どうして、あんな誰も寄り付かない炎上案件に、うちの待機エンジニアを提案したんですか。あの人のスキル感じゃ絶対通らないことくらい、営業ならわかるでしょう」
    「えっ、でも、少しでも面談依頼件数を稼ごうと思って……」
    「やる気あります?」
     氷室の言葉は、氷のような冷たさを帯びていた。大島は言葉を失い、顔を赤らめる。
    「やる気……ありますよ! だから数を打とうと……」
    「数を打つのは結構ですが、無駄な弾を撃つのは迷惑なんです。今月のあなたのKPI、契約数ゼロですよね。僕らが今月、あと何人決めないといけないか、わかってますか?」

    氷室の正論は、反論の余地がないほど鋭かった。神谷は自席から立ち上がり、二人の仲裁に入ろうとした。
    「おい氷室、そこまでにしとけ。大島も考えてやった結果だ。お前も言い過ぎだぞ」
    だが、氷室は感情の一切こもっていない目で神谷を一瞥したきり、何も言わずに自分の席に戻ってしまった。大島は悔しさのあまり、唇を噛み締めて下を向いている。

    神谷はため息をつきつつ、自席に座り直した。
    氷室の言うことは100%正しい。彼には何も言えない。だが、結果を出している人間が偉いという空気が、チームを確実に蝕んでいた。
    神谷自身が作り上げた「数字が全て」という価値観が、今、彼自身の首をゆっくりと絞め始めていることに、神谷はまだ気づいていなかった。


    第3章:崩壊の足音

    9月下旬。
    朝礼の時間が過ぎても、大島は姿を見せなかった。
    9時半を回った頃、神谷の社用スマートフォンが低く振動した。大島からの着信だった。
    「……どうした、大島。今どこだ」
    『神谷マネージャー……す、すみません。朝、玄関で靴を履こうとしたら、急に息が苦しくなって……。身体が、動かなくて……』
    電話越しの声は、今まで聞いたことがないほど弱々しく、恐怖に震えているようだった。ただの風邪や寝坊ではない。神谷は直感で悟った。
    「わかった。今日は休め。休んで様子を見ろ。病院には行ったのか?」
    『いえ……今から、行きます。本当に、申し訳ありません……』
    通話が切れた後、神谷は重い溜息をついた。
    大島の休む理由は「体調不良」。
    だが、原因が自分からの過発なプレッシャーと、氷室との衝突によるストレスであることは自明だった。

    大島が欠け、チームの戦力は完全に半減した。
    ホワイトボードに書かれた10月稼働開始の目標人数「10」に対し、現在の達成数は氷室があげた「3」のみ。残り7名を、あと1週間足らずで決めなければならない。
    「……俺も、動くしかないか」
    神谷はネクタイを締め直し、かつての「プレイヤー」としての自分を呼び覚ました。手元の顧客リストを引き出し、電話をかけ始める。

    しかし、神谷が自分自身の営業活動に奔走し始めたことで、マネジメントの機能は完全にストップした。

    そして、そのしわ寄せを最もモロに被ったのは、氷室だった。
    氷室は、大島が残していった中途半端なやり取りや、対応漏れのメールを全て無言で引き継いだ。
    「氷室、大島の分まで背負わなくていい。お前は自分の数字だけに集中しろ」
    神谷が声をかけても、氷室はモニターから目を離さずに淡々と答えた。
    「引継ぎをしないと、会社としての信用問題に発展します。
    それに、このリストのエンジニアを放置すれば、10月の稼働率が大幅に下がりますよね。誰かがやるしかないでしょう」
    「……」
    完全に同意せざるを得ない、機械的な返答。
    氷室の目に感情の色はなかったが、神谷は彼が「自分のマネジメントの尻拭い」をしていることに気づいていた。

    それからの1週間、オフィスの空気は異様だった。
    大声で飛び交っていた大島の電話の声はなくなり、代わりに神谷と氷室が、ひたすら受話器越しに交渉を続ける低い声だけが響いていた。
    氷室の労働時間は、青天井で跳ね上がっていた。
    朝の8時にはすでに出社し、夜は終電ギリギリまでキーボードを叩き続ける。週の残業時間はあっという間に40時間を超え、労務から神谷宛に警告のメールが飛んできたが、神谷はそれを見なかったことにした。

    「月末までだ。月末になれば、終わる」

    神谷は自分にそう言い聞かせ、氷室の異常な稼働に目を瞑り続けた。
    目標を達成するためには、氷室という「優秀な機械」を限界まで回すしかなかったからだ。


    第4章:代償のノルマ達成

    9月最終営業日。
    オフィスの空気は、張り詰めた糸のような緊張感に包まれていた。
    あと1名。あと1名決まれば、目標の10名に達する。
    「お願いします! 単価はご希望通りに調整します。その代わり、今日の18時までに確定を頂けませんか!……はい! ありがとうございます!」

    神谷が受話器を置き、大きく息を吐き出した。
    「決まったぞ……! これで俺が3名、お前が7名だ。氷室、目標達成だ!」
    神谷は思わずガッツポーズを作って振り返った。だが、氷室の反応は薄かった。
    「……お疲れ様でした。では、各所への確定連絡と契約書発行の依頼を進めます」
    氷室は抑揚のない声でそう言うと、再びモニターに向かい、タイピングを再開した。その横顔には、達成感や喜びといった感情は一切浮かんでおらず、ただただ疲労によって顔色が悪化しているだけだった。

    神谷は差し出した拳を静かに下ろした。
    勝った。ノルマは達成した。だが、なぜこんなにも虚無感しか残らないのか。

    18時を回り、ひと段落ついた頃、神谷の社用スマホが震えた。
    大島からだった。休んでから数日、連絡が取れなかった彼からの着信だ。
    「もしもし、大島か。体調はどうだ」
    『……神谷マネージャー。お疲れ様です……』
     数日ぶりに聞く大島の声は、さらに生気を失っていた。
    『……病院に、行ってきました……。"適応障害"と診断されました』
    「……え?」
    『診断書は、後日郵送します。……申し訳ありませんが、当面の間、休職させてください。……もう、電話の声を聞くのも、怖くて……』
    「……そうか。わかった。仕事のことは気にするな。しっかり休め」

    通話が切れた後、神谷は呆然と立ち尽くした。
    自分の部下が、適応障害になった。
    あの「はい! やります!」と元気よく返事をしていた大島が、電話の音にすら恐怖を覚えるようになってしまった。
    ふと視線をやると、氷室はまだ無言で書類の作成を続けている。
    大島の分の仕事までを背負い込み、一人で7名もの契約を決めた氷室の背中は、神谷の目にはまるで、いつ糸が切れてもおかしくない操り人形のように見えた。


    第5章:焼け野原

    10月中旬。
    無事に稼働を開始したエンジニアたちからのクレームもなく、新しい下半期は順調に滑り出しているように見えた。
    あの大島の休職という犠牲を払ったものの、神谷は「これでようやく落ち着く」と安堵していた。

    しかし、その安堵は唐突に打ち砕かれた。
    「……神谷マネージャー。氷室さんが、出社していません」
    事務員からの報告を受け、神谷は氷室の携帯に何度も電話をかけた。しかし、コール電子音が虚しく鳴り響くだけで、誰も出ない。
    嫌な予感が背筋を走った。

    その日の夕方、氷室の家族から会社に連絡があった。
    「……過労による睡眠障害と、重度のうつ病、ですか」
    対応した神谷は、言葉を失った。家族の話によると、10月に入ってからも氷室は自宅で深夜まで会社のパソコンを開き続け、食事も喉を通らない状態が続いていたという。 
    あの感情を表に出さなかった氷室でさえ、内側ではとうに限界を超えていたのだ。彼が淡々とこなしていたあの仕事量は、ただ単に「自分がやらなければ組織が回らない」という強迫観念に突き動かされていたに過ぎなかった。

    神谷は受話器を置き、静まり返ったオフィスを見渡した。
    自分の島(デスク)には、もう誰もいない。
    元気だけが取り柄だった大島も、静かに確実に結果を出していた氷室も、自分が潰してしまった。

    『お前は俺がプレイヤーだった頃、どれだけやってたか知らないのか?』

    大島に吐き捨てた自分の言葉が、耳の奥でフラッシュバックする。
    自分はマネージャーなどではなかった。
    ただ、自分の過去の成功体験という型に部下を押し込み、型にはまらない者をロジックで追い詰め、無理やり適応させようとしていた「狂ったプレイヤー」でしかなかったのだ。

    パソコンの液晶画面には、10月のダッシュボードが映し出されている。
    あの時死に物狂いで獲得した「10」という数字が、今ではただの暴力の痕跡のように見えた。

    「……俺は、何のためにやってたんだ」
    数字は達成した。会社としての利益も守った。
    だが、残ったのは焼け野原になった組織と、二人もの若者を休職に追い込んだという消えない罪悪感だけだった。

    逃げ出したい。
    全てを投げ出して、ここから消え去りたい。

    神谷はネクタイを引き剥がすように外し、誰もいないデスクに、ゆっくりと顔を伏せた。


    お疲れ様です、Gメンです。

    数字至上主義によって会社維持はできたものの、営業部というチームは失ってしまいました。

    繁忙期に起こった悲しい物語です。

    あなたの職場でも似たような場面はありますか?

    ※この物語は、筆者がIT/SES業界で実際に見聞きした出来事を
    ベースに、フィクションとして再構成したものです。

    #IT業界小説 #SES #フィクション #短編小説 #エンジニア #マネジメント #適応障害

    #創作大賞2026 #ビジネス部門

     
     
    Gメンと申します。 ITエンジニア、SES営業へて現在は外部GMとして働いています。

    あなたへのおすすめ