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不登校児にとって学校は戦場だ 離脱してもかまわないのだ

    不登校の子供が増え続けている。
    私も学校が嫌いだったから、行きたくない気持ちはとてもよく分かる。
    集団生活が苦手、無気力、いじめなど、理由はいろいろあるだろう。
    子供自ら、「学校に行けないから、行かない」という決断を出来たのは、
    とても偉いと思う。
    あまたある選択肢の中から、「不登校」を選んだ。
    家族はその決断を尊重して寄り添うべきだ。

    しかし、困ったことに、家族や親族が納得していないことが多い。
    「不登校は悪」
    「不登校は母親のせいだ」
    「不登校は母親が育児に失敗したからだ」
    「学校に行っていないのに、習い事や遊びに行くなんて」
    と批判してくる。

    これらは皆、的外れな考えだ。
    頑張っている子供を追い詰めて、しかも、母親のせいにするなんて、
    決してしてはならない。

    それに、学校に行っていないことと、習い事は別の話だ。
    学校に行けないからと自宅で「謹慎処分」にするより、
    学校以外の場所で経験を積む方がずっといい。

    不登校の子の親は、普通の親以上に、子供の将来に関して、責任重大だ。
    親は、子供の心の鎧として、外界とのパイプ役になることが求められる。
    私が親の役割として思う一番大切なことは、
    子供が「不登校」という引け目を感じずに生きていけるようにすることだ。
    そして、自己肯定感を保てるように励ますこと。
    そして、親自身も自己肯定感を保てるように意識すること。
    子供は「怠け」「甘え」ではなく、
    本当にいっぱいいっぱいで頑張っていることを、
    無理解な家族に説明し続けること。

    子供の特性を理解し、苦手なことを援助して、励ますこと。
    子供の長所に焦点をあて、良さを伸ばしていけるようにすること。
    子供の好奇心を満たしてあげられるよう、機会を作ること。
    学校以外の人間関係を広げてあげること、居場所を作ること。
    定番の会話ではなく、子供の個性を引き出せるような話をすること。
    そして、決して他の子供と較べないこと。

    やるべきことはたくさんある。
    不透明な未来の中で、子供が生き抜いていけるように育てる。
    不登校の子の育児で悩んでいる親御さん達にエールを送る。
    なぜなら私もその一人だから。

    【不登校の親にとって、欠席連絡をするのが一番つらい】

    子供は、発達障害の一種、ASD(自閉スペクトラム症)で、
    数年前から不登校だ。
    予定通りに外出できない日がときどきある。
    そういうときドタキャンする理由を説明するのは一苦労だ。

    もちろん、子供に悪意がないのは分かっている。
    子供だって、気力がなくて、予定をキャンセルせざるを得ないのだろう。
    動きたくても体が動かない、それも分かる。

    でも、不登校の子の親も、同じように大変だ。
    学校への連絡は、幸い、アプリで送信すればよくなった。
    以前は電話連絡だったことを思うと、ずいぶん助かる。
    習い事の先生方からも理解が得られて、こちらも楽になった。

    ドタキャンの相手が事情を知っているなら、正直に話して、謝る。
    これでなんとかなる。

    でも、こちらをよく知らない相手との約束をドタキャンするのは、
    かなり勇気がいる。
    相手はこちらを、定型発達で普通の子供だろうという前提で見ていて、
    「標準」「常識」的な対応をこちらに期待してくるからだ。
    不登校は、今でこそ世間に知れ渡っているが(それでも偏見がある)、
    発達障害は、いまだに、誤解や偏見がかなり多いし、
    正直に話しても、相手が受け入れてくれるかどうかも分からない。
    「健常者」にとっては、とても重たい話題かもしれないのだ。
    どんな反応が返ってくるか、全く先が読めないのだ。

    だから、子供と私とで知恵を出し合って、ドタキャンの理由を考えた。
    猛暑のせいにして、体調を少し崩した、ということにしておいた。
    正確には、
    正直に言うなら、
    「不登校で気力がないから参加できない」なのだが、
    ここは正直に言わない方がいいかもしれない。

    なぜなら、
    正直に話すよりも、優しい嘘をつく方が相手が受け入れやすいからだ。
    それに、少なくとも体調がすぐれないのは本当だ。
    精神面も含めて、体調が良ければ、登校もできているはずだからだ。

    【ドタキャン相手の最難関は、受験予定の学校だった】

    一番の問題は、受験予定の学校のイベントだった。
    こちらを何度かドタキャンしたが、言い訳にとても苦労した。
    身体的な「体調不良」で押し通すか、
    不登校と発達障害の話までするか、対応に追われた。
    悩んだ末に、「体調不良」ということでご連絡差し上げた。

    何度もこういうことがあるので、本当に疲れた。
    受験予定の学校に対しては、本当に本当に気を遣って、疲れたのだ。
    子供のため、保護者である私のため、
    心証を悪くしないように、どれだけ心を砕いているか…
    子供はそんな私の苦労を分かっているのだろうか…
    そして夫は、育児を私に丸投げしていることに気が付いているだろうか…
    母親というのは、損な役回りだと思う。
    これだけ身を粉にして頑張っているのに、
    子供のことを一番に考えているのに、
    いまだに、不登校は母親のせいだと言われるからだ。
    家族や世間の無理解にイライラする…

    【祖父母との約束をドタキャンした】

    欠席連絡するのが大変だと書いたが、
    実は、家庭内でもドタキャンして大変なのだ。
    子供には気力の波があり、
    動ける時と、動けないで布団にうずくまる時の落差が激しい。
    今回は、祖父母との約束だった。
    祖父母は楽しみにされていた。
    前々から予約を入れておいてくださったお出かけだったのだ。

    でも、子供がどうしても布団から出てこられないので、
    私と夫とで心証を悪くしないような伝え方を考えて、
    私が祖母に伝えた。
    祖母は夫の母なのだから、本当は夫に伝えてほしいが、なぜか伝えてくれない。
    育児は私の領分だと思っているのかもしれない。
    私は、祖母が不機嫌になったり、怒ったりしないか不安になりながら、
    冷静に伝えたのだ。
    祖母は内心ではがっかりしたり不快になったりしたことと思うが、
    特に表情には出さず、こちらの希望を受け入れてくれた。
    ほっとした。ありがたかった。
    無事にキャンセルできたと思うと、どっと疲れがきた。

    不登校の子の親は、日夜、私と同じように、
    子供と世間に挟まれて、仲介役をしてるんだろうな。
    子供の気持ちも、世間の期待も分かるだけに、
    その溝を埋めるのは疲れるよね…
    本当に大変だよね…

    【またドタキャン もう嫌だ…でも最後はなんとかなった】

    子供は、外出もままならないことが多い。
    つい先日もそうだった。
    平日は学校があるから、出かけられないのは分かるけど、
    休日に出かけられないのはなんで?

    先日は、進学先の制服を採寸しに行く予定だった。
    もうすでに1回、ドタキャンしている。
    2回もドタキャンするなんて、嫌だ。
    不登校の親は、いつも謝ってばかりだ。
    子供がどうやっても動けないので、仕方なく2回目のドタキャンをした。
    いつも、ドタキャンする度、
    「信用を失くすのではないか」という不安に駆られる。
    子供は世間のことを何も分かっていない。
    同年齢の子と遊ぶ約束をしないから分からないのかな…
    それにしても、肩身の狭い思いをしながら謝るのは本当に嫌だ。

    でも、この前、子供の好きな習い事の後に、採寸の予約を入れてみた。
    そうしたら、朝起きられた!
    習い事の後、やっと、採寸しに行けた!
    楽しみと絡ませて予約を入れたのが、功を奏したようだ。

    これで入学式に間に合うように注文できたので、とてもほっとした。
    これでなんとかなる。嬉しい!

    【またドタキャン 私は通院もままならない】

    先日は私一人で病院に行く予定だった。
    前々から「〇日の午前中は出かけるよ」と子供に伝えておいた。
    なのに、
    当日になって、「お母さん、出かけないで」と言い出した。
    子供は分離不安が強く、どうしても出かけてほしくないらしい。
    卒業と入学で環境が変わるから、不安なのかな?
    今まで不登校で、入学したら急に登校しなきゃいけないのが不安なのかな?
    できれば家にいてあげたいけど、そろそろ薬が切れるので困った。
    私の体調も心配なので、ドタキャンしたくなかった。
    でも子供から離れるのも心配で、なんとか一緒に行けないか調べてみた。

    すると、翌日の夕方にも担当の先生がいらっしゃることが分かったので、
    すぐに予約を変更した。
    夕方なら放課後だから、子供も出かけられる。
    子供は安心したのか、とても喜んだ。
    私も安心した。

    でも、毎回ドタキャンするのは困る。
    いつもいつも、周囲が子供に合わせられるわけじゃない。
    他人の信用を損ねるのも怖い。
    約束事を違えるのは良くないし、
    私は生きるのに不可欠な通院もままならないのだ。
    入学して慣れてくるまでは私が踏ん張るか…
    登校できるようになったら、約束事の大切さを説こう。
    ふうう…

    【調整 直前のドタキャンを回避するためにキャンセルした】

    私はまた病院へ行く予定だった。
    でも、子供からはすでに引き留めをくらっていた。
    分離不安で、どうしても離れたくないらしい。
    来週、本当に直前のドタキャンをするよりは、
    今週のうちに予定変更したほうが、
    私にとっても、病院にとってもまだましだろうと考えた。

    それで、病院に電話した。
    そしたら、無事に夕方の時間帯に予約が取れた。
    ああ、良かった。
    これなら、放課後なので、子供も安心して私についてこられる。

    それにしても、空いていて良かった。
    ラッキーだった。
    これからは、できるだけドタキャンしないで済むように、
    あらかじめしっかり調整しておこう。

    【週末の母親業は子供の世界を広げてやることだ】

    我が子は平日は玄関や庭にも出られず、ずっと家にこもっているので、
    週末だけは外出するように私が促している。
    今週は映画館と子供の遊び場に出かけて来た。
    今回は幸い、スーパーにも寄ることが出来た。

    でも、いつもはなぜ寄ることが出来ないのか?
    それは、子供が全く寄りたがらないからだ。
    スーパーは子供にとって魅力的ではないので、寄らせてくれない…
    「あとで近所のコンビニにお母さんが行って、(食料品を)買って来て」
    と平気で言うのだ…

    原因は、やっぱり発達障害かなあ。
    私も子供もASDで、興味関心にムラがある。
    好きな事にはのめり込む一方で、興味のない事には本当に無関心だ。
    大人の私はその特性を意識して、幅広く興味を持つように努力したり、
    他人の好きな物事に興味がなくても、少しは調べたりして会話している。

    でも、子供は率直というか、純真というか、無邪気で残酷というか…
    要は、自分が楽しみにしていた事を楽しめさえすれば、
    スーパー(=食事の支度)なんてどうでもいいのだ。

    夕飯は、うちの近所のコンビニのお気に入りで満足なのだ。
    それがワンパターンで栄養満点ではなくても構わないのだ。
    ここまで徹底しているのだ。

    でも、私としては、
    コンビニよりも鮮度が高くて種類豊富なものがあるスーパーに寄りたい。
    今回は、子供の目当ての弁当が品切れしてたおかげで、
    寄ることが出来た。
    翌日は疲れて外出できないだろうと思い、たくさん買い込んだ。
    子供も、なんだかんだ言って、たまに来るスーパーが珍しくて、
    お菓子コーナーを見ていた。(良かった、ほっ)
    ハロウィンのお菓子を買った。

    これでこのスーパーがお気に入りになるといいな…
    子供のこの興味の偏り方は、
    決して悪い事ではないが、社会生活をするうえで損をするかもしれない。
    私が新しいものを見せて、未知のものに触れる機会を増やしたい。
    いずれは、いまの狭い世界を自ら広げるようになってほしい。
    次は他のスーパーを試してみようか…

    【不登校あるある うちに人を招けない】

    子供が四六時中家にいて、夕方まで布団にこもっていると、
    家事がスムーズに進められない。
    特に、片付けと掃除が出来ない。
    子供のいる部屋は入れないし、
    音をたてると嫌がるので、他の部屋の片付けもしにくい。
    自然、子供が散らかすスピードに親の片付けが追い付かなくなる。
    全く親のペースで動けないのだ。

    当然、人をお招きするのにも躊躇する。
    招けるのは、事情が分かっている教育関係の方達だけだ。
    子供は、外出の気力が出ないことが多いし、電話口にも出られないので、
    支援センターの方達も心配されているのだろう、
    家庭訪問したいと言われた。
    家がぐちゃぐちゃなので、本当はこちらが来所したいが、
    子供が出かけられない以上、仕方がない。
    安否確認のためだろうから、訪問は断れない。
    なので、あらかじめ、
    「うちはとても散らかっています」「とても汚いです」
    と宣言しておいた。

    これで大丈夫かな…ああ、心配…

    【家庭訪問 とうとう人を招いた ~下準備に勝るものなし~】

    子供の様子を見に、支援センターの方達が家庭訪問された。
    お二人でいらっしゃるとのことだったので、
    居間にあるソファーのクッションは別の部屋に隠して、
    大人の女性二人が座れる場所をなんとか作った。
    マグカップとお茶菓子も用意した。
    伝えたいことをA4用紙にまとめて、2部印刷した。
    (漏れがないように困り事や近況などを書いた)
    掃除ももちろん大事だが、
    このメモを書き起こすという下準備が特に大切なのだ。
    トイレ掃除も忘れずにした。
    玄関にはコート用のハンガーも用意した。
    訪問後は疲れてしまうだろうから、あらかじめ夕飯の弁当を買ってきた。

    子供も夕方には起きて、普段着に着替えたし、準備は整った。
    センターの方達がいらっしゃるまで、
    私はとても緊張して、家の中をうろうろ歩き回っていた。
    こういう待ち時間は苦手なのだ…

    しっかり準備できていたこともあり、スムーズにお話できた。
    私がお伝えしたいことはきちんと伝わった。
    私のメモを中心に話が進んだので、話しやすかった。
    いわば、想定問答集を前もって作ったようなものだったので、楽だった。

    会話中、子供が違う話を持ち出してきたが、なんとかまとまった。
    2時間ご相談できた。
    私は最初は緊張していたが、話が進むにつれ、和んできた。
    子供は子供で、自分の作品を披露できたので喜んでいた。
    下準備をこれでもかというくらい頑張ったお陰で、
    ほぼ細大漏らさず伝えることができた。

    アドバイスも頂けた。

    夕飯は弁当を買っておいて正解だった。
    話に花が咲いたが、やはり疲れた…
    私の読みは正解だった。
    これからも、メモを作る習慣は続けよう。
    用意するのが面倒でも、自分の助けになる。

    【担任の家庭訪問 子供より母の方が緊張した】

    今度は担任の先生が訪問された。
    かねてより打ち合わせてある午後4時に向けて、私はとても緊張していた。
    その時間に先生からお電話がきて、
    子供の様子次第で訪問されるかどうかを決めるのだった。

    先生に快適に過ごして頂けるようにと、
    久しぶりに掃除をして、クーラーと扇風機で部屋を冷やして、
    お茶、お茶菓子などを用意した。
    外はまだまだ暑いので、冷たいお茶を用意しておいた。
    うちのお客様に出す温かいお茶は、ティーバッグという略式なのと同じく、
    (いや、ズボラか?)
    冷たいお茶も、冷蔵庫で冷やしたペットボトルの麦茶なのだった。
    本来ならば茶葉から抽出するのが礼儀だとは思うが、
    これでも更年期の私には精一杯なのだった。

    結局、先生のお仕事のご都合で、1時間あまり遅くいらっしゃった。
    この空白の時間を待つ間、本当にドキドキした。
    何度も最終チェックをしたり、トイレに行ったりした。
    ASDの私は何か予定があると、もちろんその事で頭がいっぱいになり、
    他の事は出来ない。

    その一方で、家庭訪問の「主役」の我が子はというと(子供もASDだが)、
    部屋に籠って趣味に没頭している。
    先生の訪問を嫌がっているわけではないのは良かったが、
    関心があるのかどうか…
    子供には緊張感というものがないのかな…
    それとも接客は母の私がするから他人事なのかな…

    実は神経が図太いのでは…
    などと考えが巡った。

    先生は会議でお忙しかったようだ。
    そんなお忙しい中、寄ってくださったのだから感謝しかない。
    我が子に優しく話しかけてくださって、
    ゆったりとした時間が流れた。
    子供は珍しく部屋から出てきて、先生と居間で話をした。
    2人がやり取りする場面を見られて、私はとても嬉しかった。
    これだけでも進歩だ。
    そして、また後日、先生が訪問してくださることになった。

    【家庭訪問再び】

    今月、また学校の先生が家庭訪問にいらっしゃるので、片付けをしている。
    だいたい1か月に1回のペースでいらっしゃっているが、
    今回の我が家は、前回より少しましになっているかどうか、
    それともより雑然としているかどうか、気になるところだ。

    なにしろ、2月だというのに、いまだにクリスマスツリーを飾っている。
    テーブルの上には、100均で買ったプラスチックのカボチャのカゴも。
    ハロウィンから時間が止まっているのだ…
    ああ、どうしよう…

    最低限、先生がお座りになれる場所があればいいのだとは思う。
    先生は、子供に会いに来られているのであって、
    姑や小姑ではないのだから、住環境のことは大目に見てくださるとは思う。

    でも、やっぱり、私は恥ずかしいのだ。
    部屋干ししている下着類は忘れずに隠して、
    うつでシャワーの気力が出ない夫にも、なるべく身綺麗にしてもらって、
    ああ、もちろん、主役の子供にもシャワーしてもらって、
    と、いろいろ片付けるべき問題が出てくる。

    先生は、
    うちが障害者だらけの「規格外」の家庭だと、どの程度ご存じだろうか?
    不登校が問題なだけの子供を教育された経験はおありかもしれないが、
    精神障害者の家庭は初めてのパターンではないだろうか…
    スムーズにやりとりできるように、伝えたいことや質問をメモしておこう…

    【家庭訪問 ~楽しい時間を共有できた~】

    担任の先生が、お忙しい中、家庭訪問してくださった。
    今回は嬉しいことに、子供が嬉々として先生とお喋りした。
    自作のクレーンゲームを自慢したかったのだろうか。
    先生も、子供とたくさん話せて、嬉しそうでいらした。
    サマーキャンプのときの写真もお見せして、
    どんなことをしたのか、子供が説明した。
    とても話が弾み、楽しいひと時が流れた。
    先生と生徒というより、
    普通の大人と子供がしゃべっているようだった。
    子供はあまり緊張せずにいられたようだった。
    1時間がとても密に感じられた。
    私も心が和んだ。
    先生がお帰りになってから、
    子供は、頂いた図工のキットに色を塗り始めた。
    まだまだ登校できないが、一歩前進できた。

    【不登校の親は、これまでも、これからも、気を遣い続けるのだろうか…】

    子供が卒業して、進学したら、
    不登校の悩みは果たして消えるのだろうか?
    子供は毎日早起きして、登校できるのだろうか?

    いままではママ友付き合いが殆どなくて、
    孤独を好むと一般には言われるASDの私でも、孤独や疎外感を感じていた。
    子供が晴れて入学して、知り合いのママさんができるのは嬉しい。
    でも、彼女達とうまくやっていけるだろうか?

    懸念していることがある。杞憂ですんでほしいけど…
    卒業した学校の話題になったらどうしよう?
    例えば、「修学旅行」
    例えば、「卒業アルバム」「卒業文集」
    例えば、「PTA」
    私は、よく把握していないので、聞かれても答えられない。
    旅行は、確か、7月頃だったはずだ。
    もちろん参加していないから、理由を考えておいた方が良い。
    「運悪く、風邪を引いちゃって。行けなくてとても残念だったのよ」とか…
    アルバムは子供の希望で、写真を載せていない。
    もし、見せてと言われたら、どうやって断ろうか?
    PTAは、子供がまだ登校していた時に委員をした。
    でも、基本的な情報が欠けているかもしれない。
    もし、同じ学区からのママさんがいたら、
    不登校だとばれやしないだろうか?

    子供も子供で、同じような話題になるかもしれない。
    子供もあれこれ気を遣うかもしれない。

    進学先の学校には、不登校だと知られないようにしてほしい、
    とお願いをしたから、子供をフォローしてくれるはずだ。
    でも先生方が四六時中、子供を見ているわけにもいかない。
    大丈夫かな…
    入学前に、子供と情報を確かめておいた方がいいかな…
    学校の話になりかけたら、他の話題に誘導できるように、
    いくつかネタを用意しておいた方がいいのか…
    ああ、卒業してからも悩まされるのか…疲れる…

    【親にとって、子供以上の悩みがあるだろうか… ~卒業アルバム どんでん返し~】

    親は子供にいつも振り回される。
    まして、子供が不登校だったらなおさらだ。

    いま、私を悩ませている内容は、卒業アルバムだ。
    去年の12月に何度も子供の意思を確かめて、
    購入しないことに決めたはずだった。
    子供はその時点では全く登校できず、
    近所の子供達の声を聞くのも嫌なようだった。

    それなのに、卒業した途端に、アルバムが欲しいと言い出した。
    マイペース過ぎるのもいい加減にしてほしい。
    私はかつてアルバム委員をしたことがあって、家で作業していたから、
    子供も、裏方の大変さを少しは知っているはずだ。
    それなのに、急に方向転換した。
    どうしてそんな我が儘が言えるのか?
    アルバムのためにどれだけの人達が尽力してきたか想像できないのか!
    急に欲しいと言い出したら、どれほど迷惑か理解できないのか!

    まして、年度末のこんなに忙しい時に、言い出すなんて。
    母の私が何でも叶えてやるとでも勘違いしていないか?
    担任の先生にこれまでも大変なご負担を強いているのに、
    まだこの上、何か頼み事をするつもりか?

    でも、考えようによっては、
    卒業したことによって、学校の同級生の存在を少し受け入れられた、
    という、前向きな変化があったとも言えるのかもしれない。

    でも、我が儘を言って、他人を振り回すのは悪いことだ。
    ここは我慢させるべきところではないのか?
    それとも、「前向きな変化」と喜んで、
    担任の先生に無理やり購入を頼み込む方がよいのか?
    悩みが次々に出てくる…
    世間的には、育児が一段落した年齢のはずだから、
    この悩みを分かち合えるママ友がいない…つらい…

    【深刻な悩み】ママ友に会いたい

    不登校の子供を持つと、通常は、ママ友に会いたくないらしいが、
    私は違う。
    園時代を仲良く過ごした、優しいママ友さん達と、
    お喋りがしたくてしたくて、たまらない。
    あの人にも、この人にも、会いたい…
    平日の昼間にまとまった時間がとれないので、
    彼女達と会いたくても会えないのだ。
    これがとてもずっしりと重たく感じる…
    自分だけが世界から取り残されたような気分だ…
    母親として、子供を第一に考えるべきなのかもしれないが、
    友達に会うというのは、権利であり、生きていくための心の栄養である。
    まして私は、義両親と二世帯同居で、夫も病気で、いつも気疲れしている。
    だからこそ、なんでもない、平凡な、たわいないお喋りがしたい。
    家族以外の大人の話し相手はいるが、
    教育関係者と医療関係者と店員さんばかりだ。
    子供、病気、商品の話題が中心で、
    気遣いは感じられるが、友愛や寛ぎを感じ取れるような話ではない。
    はやく良い進路を見出して、解決してほしい…

    【詩 いつか来る その時を待て】

    学校へは 行ける日に行けばよい
    塾へも 行ける日に行けばよい
    行けない日は 家で心を休めればよい
    けっして 急ぐな

    どこで時を過ごそうと 若木は育つ
    どこで時を過ごそうと 大木になる
    それは 人も同じ

    じゅうぶんに休んだら

    君の瞳の中に明日がのぞく
    君の瞳の中に希望がみえる

    夜明けはもう近い

    【子供が自立するときに贈りたい詩】

    母は子供を産むが 子供は母の分身ではない
    人は 考えを言葉にするが
    子供の言葉も 母の言葉の分身ではない
    子供の心には 母が存在するが
    母は 子供のあるじではない

    子供よ 母の生き方を真似るな
    習うなら 善いところだけを見よ
    子供よ 自分の未来は みずから見つけよ
    いつも 前を見て 情熱をもって歩め
    いつも 自分を信じて 未知を恐れるな  
    いつも 自分らしく 開拓者たれ

    【終わりに】

    子供は、第一志望校に入学して、やっと毎日通えるようになった。
    新しい学校は、楽しい場所らしいので、私も本当に嬉しい。
    毎日、学校であった出来事が聞けるのが嬉しい。
    子供が幸せだと、私も幸せだ。
    登校してくれるおかげで、私もやっとママ友さん達に会うことが出来た。
    とても楽しいひとときを過ごせた。
    友達の存在は、子供にも大人にも貴重だ。

    卒業アルバムは、結局、買うことができた。
    担任の先生が業者さんに掛け合ってくださったのだ。
    本当にありがたかった。
    子供はいまは手元に置いているだけだが、
    もっと成長して、不登校だったことを受け入れられるようになったら、
    開いて見られるようになるのだろうか…

    新しい学校にこのまま通い続けてほしいけど、
    また不登校になった場合の時のことも考えておこう。
    これまでに書いた記事を読み返して、
    登校しているかどうかに関わらず、
    子供は常に一生懸命に成長しているんだということを忘れずにいたい。
    焦りや苛立ちは禁物なのだ。
    子供を信じて、見守っていく他ないのだ。

    これまで私が必死に支えてきたが、
    教育関係者の方々、医療関係者の方々、そして家族の協力なしには、
    ここまで来られなかったに違いない。
    彼女ら彼らにとても感謝している。

     
     
    育児真っ最中のASD(発達障害の一種)女性です。ロスジェネです。子供もASDで不登校です。夫の両親と同居しています。 辛いことは多いですが、子供の存在が救いです。趣味もありますが、こちらでは、日々思う事やストレス発散になることを中心に綴っていきます。よろしくお願いいたします。

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