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    <title>いのまたこうじ</title>
    <description>なんとなーく、ふと思う事とかを書いていこうかな。肩ひじ張らずに。</description>
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      <title>読書嫌いの理由とその解決策</title>
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      <description><![CDATA[<p name="d16728fa-edd0-430c-93c6-0471eb750076" id="d16728fa-edd0-430c-93c6-0471eb750076">　読書嫌いには「読書」を一つの種目と捉えて、たまたま読んだ本が合わなっただけで、「読書」というカテゴリー全体を拒否しているだけではないかと思う。</p><p name="992f4743-6b36-4f5c-95f8-fe7cf22c64e8" id="992f4743-6b36-4f5c-95f8-fe7cf22c64e8">　「読書」というのは「スポーツ」というカテゴリーと同じで、野球やサッカー、バスケ、バレーがあるように、小説、エッセイ、新書、ビジネス書など多種目が存在する。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n4af79c455d72'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 09 Sep 2026 08:24:12 +0900</pubDate>
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      <title>東京民と選挙前に牛丼食べてる政治家の共通点</title>
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      <description><![CDATA[<p name="dc83fee1-e5d9-4972-a164-8e8407db7e92" id="dc83fee1-e5d9-4972-a164-8e8407db7e92">　GWですが何処に行っても人多いし、交通費も宿泊費も高いので結局いつもの休みより引きこもりがちな連休真っ只中。<br>　本当は旅行に行きたいという内なる本能がそうさせているのか、いつもより旅行系動画やモトブログを多く見ている（バイク持ってないけど）<br>　いくつか色んな方が上げている動画を見て気になったのが、「神戸って以外と都会！」とか「福岡って街も自然もあって良い！」という感想。<br>　いや地方民からしたら当然だし、むしろ神戸も福岡も仙台も大都会だわ!!<br>　これはあれですかね。東京民の無意識のナチュラル地方ディスですかね。なーんか東京の人って、大阪と名古屋以外は田舎と思っているじゃないか説。あると思います。<br>　そんな東京民に対し、政令指定都市は大都会だと声を大にして言いたい。きっと東京の方は便利な環境に住んでおられるので、東京以外の事知らないんでしょ。言うて東京の人口って日本の総人口の10%程度でしょ。民主主義的には圧倒的少数野党ですよね。もうちょっと多数派の人々の感覚磨いた方が良いですよ。<br>　地方へ旅行に行って「意外と都会！」とか「意外に交通便利」と言っちゃうのは、選挙前に牛丼食べて庶民アピールしてる政治家と同じであると肝に銘じて頂きたいものですな。<br>　その感覚を分かっておかないと、地方出身者とビジネスの場面や飲み会の場で気付かない内に悪印象与えているかも知れませんよ…</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/ne4971a581cdf'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 04 May 2026 13:25:45 +0900</pubDate>
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      <title>人生で初めて感動した事</title>
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      <description><![CDATA[<p name="1c903fbe-008c-4ff6-b97d-510741c565d4" id="1c903fbe-008c-4ff6-b97d-510741c565d4">　タイトルの通り、皆さんは人生で初めて感動した事って覚えていますか？私は今でも鮮明に覚えています。<br>　中学生の時のある夜の事。ふとカーテンの隙間から漏れてくる光に気が付きそっと窓の外を覗くと、快晴で無風の夜空の中、月明かりが世界を青白く輝かせていた。そのあまりの明るさと静けさに心を奪われた。<br>　月は静かにこの世界の主であるかのように直視できない程に光り輝き、夜の世界を青白い世界に変貌させていた。今みたいに電気がない頃は満月の空の下勉強したと何かで読んだ事があったが、本当に本が読めてしまう明るさなんだと実際に試して納得した。<br>　その日の夜は静寂に包まれ、音が消える代わりに光がより強くなっているようだった。それまでも、そしてそれからも何度も満月の夜を経験しているけど、この日の夜程青白く輝く夜には今のところ再会出来ていない。それくらいこの夜は特別だった。<br>　そしてこの輝く夜は僕を夜型人間にし、月や星や宇宙といったものが僕の興味を引く存在として加わった。思えばあの時に覚えた感動は、夜に魅了された瞬間だったのかも知れない。<br>　これから先あと何度満月の夜を経験するかは分からない。けれどまたいつかあの輝く夜に再会したい。それが人生の中での静かに、確かに抱いた目標だ。まるで初恋に落ちる瞬間をまた探し求めているようだ。そう考えると再会はきっと出来ない。あの夜はあの夜だけの特別な瞬間だったのだと思う。けれど求めずにはいられない。魅了されると言うのはこういう事なんだな。<br>　心に焼き付いたあの光景は今も消えずに輝き、忘れられない恋人の様に心の一部を独占している。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/nef2c160554b7'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 06 Dec 2025 04:45:26 +0900</pubDate>
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      <title>オシャレの皮の下</title>
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      <description><![CDATA[<p name="ddbbf29e-a896-4f68-aea8-669f37799214" id="ddbbf29e-a896-4f68-aea8-669f37799214">　街にはそれぞれが持つイメージとか印象ってあると思うんですよ。旅行をした時に、その街に持っていたイメージか、合っていたり実際に現地に足を踏み入れて感じるディテールの差や、はたまた新たな一面が見えたりと感じる事あると思います。そんな風にいろんな街が持つ、または持っているイメージや印象。<br>　では例えば「横浜」ってどんなイメージありますか？なんとなく「お洒落」とか「洗練」とかかなと思うのです。駅構内や街を歩く人達の服装だったり佇まいが、派手ではないけどシュッとしてる、何処となくなんというかパリジェンヌ然としてるというか。これには私の田舎民の羨望の眼差し＆卑屈補正もあるかもしれないけど。まぁそんな感じ。<br>　今回久々に横浜の街を歩いて改めてそう感じたんですよ。やっぱ横浜はこうだよなー。派手な格好はしてないけど、きちんとしてて品がある感じだよねーっと。そう、町中を歩いてふと目にした看板を見るまでは…<br>　フラフラ本屋に向かって歩いている時に目に入った看板。<br>　「横浜家系ラーメン」<br>　横浜の今の名物はこれだよねー。すっかり定番になったなぁ。<br>　………………………ん？家系ラーメン？<br>　待てよ。家系だよな。濃厚スープ、食べ応えのある太麺、豚骨ベースの濃い味、ご飯がススム系ラーメン。たまに食べたくなるけど、年齢的に体調が噛み合った時しか食べれない、そんな横浜家系ラーメン………<br><br>　これ、オシャレとは正反対じゃない？オシャレって言えばイタリア～ンとか、フレンチ！とか洋食が浮かばない？そんな洋食がおそらく日本で1番最初に最初に流入し、お隣の横須賀では海軍の港が出来てからはカレーも定着し名物になりと、そんな文明開化、洋食文化開闢の地である横浜の地で家系ラーメンって。<br>　これはきっと横浜市民の心の奥底にある、ほんとは「お洒落とか決めつけるな！お洒落でいるのも大変なんだ！うるせぇ俺達だってイメージをかなぐり捨ててガツンといきたいんだ!!」と言う心の叫びの現れなんだ。<br>　そうだよね、ずっと洗練された格好って疲れるよね。たまにはラーメンをズルズルしたいよね。そして白飯をバクバクいきたいよね。お洒落な街でラーメンが生まれるなら、塩ラーメンとかさっぱりイメージで澄んだスープが流行りそうなものだけど、よりによって家系だもの。家系って所に心のフラストレーションの強さを感じるよね。でも背脂チャッチャ系じゃない所にオシャレさんの一面が垣間見えて良いよね。やっぱり横浜市民はお洒落なんだという矜持を感じるよね。<br>　以上勝手な考察という名の妄想でした。各地の地元名物には歴史もあれば、横浜家系ラーメンの様な心叫びを表しているのもあるのかもしれない。あなたの街の名物はどうでしょうか。名物から心の奥底に眠る欲求が見えるかも知れないですよ。<br></p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/ncbac4e402ace'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 27 Oct 2025 11:02:51 +0900</pubDate>
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      <title>置き換えられない食事</title>
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      <description><![CDATA[<p name="69111D7B-EFBB-4290-9864-70FDD3667175" id="69111D7B-EFBB-4290-9864-70FDD3667175">　ダイエット系の動画やネット記事でよくあるのは、「筋トレしよう！いつもより<br>ちょっとだけ多く歩こう！」といった運動系。「極端な食事制限はダメ！このメニューなら量多いのにヘルシー！この料理食べてたら○○キロ痩せた！」という食生活見直し系。それらに捕捉して記録つけたり、自身を取り巻くストレス環境を見直そうといった感じだと思う。ネットの発達と共に色々な情報やノウハウが広がっている。で、気になったものや出来そうなものから何かしらを試しているはず。<br>　私はこれらの中で1つだけどうしても根本的に実践出来ないものがある。それが「置き換えメニュー」。<br>　よくある「これならローカロリーでお腹いっぱいべても大丈夫！」とか「この料理のこの食材をこれに置き換えるだけでカロリーダウン！」とかいうタイプ。<br>　これらが「根本的」に出来ない理由は、「これが食べたいからこれを食べているんだ」と言うように毎食目的を持って料理して食事しているから。つまり食べたい理由が「食べたい」だから。置き換え系が出来る人って、食事にかかるウエイトが「楽しみ」より「栄養補給」という側面の方が勝っている人なのではないかと思う。そう仮説すると、置き換え系が出来る人って毎食もしくは数日分の食事に対し、きちんと何を作るかメニューを考えてから買い出ししてるのかな。そんなに計画的に食事の準備してるとしたら尊敬するわ。いつも量と価格とノリで食材を確保し、毎日の食事でも冷蔵庫にアレとアレがあるからこんな風に作ったら美味しくなんじゃね？と言う気持ちで取り組んでいる立場としては、未来を見据えた計画購入が出来る管理能力と自制心に感嘆を禁じ得ない。<br>　カッコつけて言えば、料理は毎日行う創作活動だと思ってる。<br>　毎食のレシピなんてないんよ。事前のレシピがないから置き換えなんて不可能。前提から成り立っていない無理なご提案なのです。<br>　じゃあ食材からローカロリーを用意すれば良いじゃないかという至極真っ当で鋭いご指摘もあるかと存じます。すいません反論させて頂くと、ローカロリー系食材の量や価格が購入意欲のラインを超えてこない事もさる事ながら、それらから創作意欲をかきた立たせるビビッとした刺激を感じられない私の感性の点がございまして、我が家の冷蔵庫にラインナップされないんですよ。残念ながら。だって創作活動だから。カロリー云々の基準より私の（未熟な）感性が優先されるのです。なお1番優先されるのは量と価格、いわゆるコスパです。世知辛い世の中ですね。<br>　さて、そろそろ1週間分の食材を確保しに行くとしますか。コスパと感性を優先に。そして頭の片隅にカロリーをへばりつけて。<br></p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n917c9d83f1a3'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Sun, 28 Sep 2025 08:42:53 +0900</pubDate>
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      <title>結局やらないんだよなぁ</title>
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      <description><![CDATA[<p name="E5070DEE-622E-4065-8FFC-5695B7DA7524" id="E5070DEE-622E-4065-8FFC-5695B7DA7524">　私は夏が好きじゃない。嫌いではない。好きではないだけ。何故なら暑いから。大抵の寒さは着込んで凌げるけど、暑さはそういった対策が出来ない。夏のレジャーの代名詞の一つのキャンプにしたって、夏場より冬場の方が良い。夏場の焚き火とが地獄過ぎる。なんなら寒い冬の方が楽しめる。<br>　でも夏で好きなものが1つだけある。キレイな青空に浮かぶ輪郭のクッキリとした夏雲だ。この雲は夏にしか出会えない。よく晴れた冬の空にも似たような雲は浮かぶが、夏ほどクッキリパリッとしていない。夏の雲は夏にしか見れないレア雲だ。<br>　毎年夏になると、どこかの木陰でぼーっと雲を眺めようと思っている。そう、毎年必ず思う。なのに1度も実行した事がない。その理由は簡単だ。だって暑いもん。<br>　夏の暑さが眺めていたくなるほど美しいキレイな雲を作り出しているのにも関わらず、その暑さが鑑賞の妨げの最大の原因となっている。なんというジレンマ。なんと自然は理不尽で意地悪なのだろうか。<br>　夏の暑さは強過ぎる。人類からやる気を奪ってしまう強力なパワーを宿している。そんな強大な力に対して我々人類は部屋に籠り、カーテンを閉じ、クーラーのスイッチを入れるだけで精一杯なのだ。<br>　そんな訳で今日も今日とてこれまで同様雲をのんびり眺めるという欲望を満たす事は叶わなそうだ。<br>　でもちょっとだけ成長した。<br>　それはこの散文を書いた事だ。眺める事は出来なかったけど文章には出来た。これは1つの成長と言っていいはず。さらに書くにあたって添える写真もちゃんと自分で撮影した。2つも出来たのは大いなる成長で間違いない。（撮影時間2分未満）<br>　最初はリビングから撮ろうとしたが、どの画角でも電線が写ってしまうので、意を決して玄関のドアを開き、さながらどこぞのスパイみたく秒で撮影した。あまりに暑くて眩しくて撮った画像を確認する間もなくクーラーの効いた安全地帯に避難したが。<br>　そんなへっぴり腰ではあったけど、去年より大いなる成長を遂げた自身を誇らしく思い、この夏の喜びとしよう。夏雲をのんびり眺める日は未来の自分へのご褒美として、取っておいてやる事にしよう。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/nb572848712cd'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 16 Aug 2025 15:16:05 +0900</pubDate>
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      <title>スケジュールが白い方が幸せ</title>
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      <description><![CDATA[<p name="6fd2c8a6-ba3c-42e7-a7ff-112c725d2814" id="6fd2c8a6-ba3c-42e7-a7ff-112c725d2814"><br>　休日には何も予定を入れたくない。予定があると、その予定の時間まで有意義に過ごせない。例えば予定が夕方や夜からでも、それまでの時間、常に何をしていても「予定まであと○時間」とカウントダウンがチラついている。<br>　そのため、その予定までの時間を全力で楽しむ事が出来ない。楽しい予定があるのは喜ばしい事なんだけど、「何も予定が無い」というストレスフリーには勝てない。<br>　だから極力予定は入れたくない。旅行も1日に1~2くらいしか行くところを決めない。決めるというか当たりをつける程度。<br>　旅行といえば、昔社会人になって少し余裕が出た頃に、ずっとやってみたかった行き当たりばったりの旅をした。夏休みをフルに使って9連休を作り、初日の福岡行きの航空券と1週間後の帰りの羽田発の航空券だけ手配して、あとはアバウトに「ここ行こ~」だけの旅行。宿もその日に取る。気に入った場所は時間を気にせず半日でも翌日までも使う。逆に食指が動かなかったら即移動。普通は宿取ってないと不安とかあるかもしれないけど、そこはボーナス全部使う予定で、最終手段は金にものを言わしてどうにかしたら大丈夫だろう、と強気な設定。<br>　結果、これまでした旅で1番思い出に残っている。旅程に縛られない旅こそ本当の旅だと分かった。時間があるからこそ、観光客が行かない所をフラつき、結果地元の方からたくさんお話を聞けるチャンスが転がり込み、とても大事な思い出になった。<br>　旅程を詳細に立てて、いろいろ回れるスケジューリングをして旅行を楽しむ人もいるしそれが好きという人もいる。私は予定を立てるのが苦手なので、それが出来る人は尊敬する。何より事前にちゃんと考えるのが面倒くさい。その時思いついた所、目についたところに気持ちが行っちゃう。注意散漫なんでしょうね。<br>　楽しみ方は人それぞれなので、合った方法で良いと思う。けどもし私のように、日常のお休みで予定があると思うように楽しめないという人には、予め旅程を立てない旅行をおすすめしたい。絶対に気にいるはず。宿が取れて無いと不安に思う気持ち分かるけど、便利な世の中になった今、最悪ネカフェもあるし。もしネカフェが恥ずかしいとか抵抗あるならば、こう思って欲しい。どうせお店の人はあなたの事なんて覚えてない。接客業してると1日に3桁の人と接するのだから、接客した人なんていちいち覚えてないです。誰かを気にしないであなたの時間を過ごして欲しい。<br>　誰にも気にせず自分だけの時間と空間を使う経験、それも数日単位というのは、意外にやっていない事が多いのでぜひ経験して欲しい。一人暮らしするのも一人で旅行するのも一緒です。一人暮らししたいと言う人は多いのに、一人で旅行したいと言う人が少ないのはどうしてなんでしょうかね。旅行は複数人でするもの、なんて先入観に囚われていませんか？そんな同調圧力なんてほっとけば良い。自分の時間は即ち自分の人生。人にどうこう言われて決めるんじゃなく、自分で決めた方が有意義に決まっているんだから。<br><br>　</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n8c6794507732'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 17 Jul 2025 21:56:32 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n8c6794507732</link>
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      <title>綺麗事の一つも言えないでどうするのよ</title>
      <description><![CDATA[<p name="55dd924c-0ef1-4b29-b313-7f575204d338" id="55dd924c-0ef1-4b29-b313-7f575204d338"><br>　最近私の職場では、上司とその部下の中が上手くいっていない。正直悪い。フロアで声を荒げて口論したりはないけど、まともに口を聞かなかったりする。それだけならまだ良いけど（本当は良くない、正直子供かよとは思う）いろんな部署への調整をすっ飛ばして自分の意見を通そうとしている。それも互いに。似た者同士過ぎるだろと傍目に思う。<br>　上司も堅物ではあるが、部下の立場の人は逆にその姿を反面教師として学んで欲しいものだ。意見がぶつかるのは良い事だが、合わない、承認してくれないからと言ってより上の立場の人や関係してくる他部署の上司と調整をするのはどうかと思う。ってかダメでしょ、普通に。<br><br>　よく「うちの上司は話が分からない」とか言って批判する人いるけど、よく考えて欲しい。特に今年度から初めて上司になった人とかに不満を抱いている人。<br><br>　上司も徐々に上司になるものですよ。<br><br>　4月1日に辞令を受け取った瞬間にRPGみたくレベルが上がる訳じゃないんだからさ。その日から突然上司としての自覚を持って仕事と責任を負わされる訳です。別に同情しろとか言っているのではなく、そう想いやれれば歩み寄れるでしょ。それに誰かの部下の立場でいる間は、いつか上司という立場になるための修行だと言う事を忘れている人が多いなと思う。仕事の目的は自分の意見を通すことではなく、良い成果を生み出すこと。自分の意見に反対する上司を説得できないのなら、自分の力量の無さを自覚して、考えを磨いて、また再挑戦すれば良いだけ。上司に怒りを向けるのではなく、内省した方がよっぽど経験値になる。<br>　皆んな上司に期待し過ぎ。冷静に考えて欲しいんだけど、部下達は基本的にいろんな事をいきなり「ちょっとお時間イイデスカ」と上司に相談しに行く。その時、100%な答えを無意識に求めていませんか。それってめちゃくちゃハードル高くない？十分に考える時間も与えられないのに完璧な答えを期待されて、そうじゃなかったら批判されるとか理不尽でしょ。<br>　そして上司の立場になった人なら分かると思うけど、一つ役職が上がるだけで部署のメンバーと見えない壁が生まれちゃうのよね。それまでどんなに仲良く和気藹々と仕事を進められていた関係性でも、よっぽどの仲でもなけりゃ上司と部下の関係性が薄くて見えない壁を構築する。お互いが立場を認識してしまうとそうなるのよね。で、上司の立場の方がそれを敏感に感じ取るもの。部下はそういう気持ちはなくてもね。上司の最たる社長やCEOの場合はどうなっちゃうんだろうね。よく経営者は孤独というけど、そういう事なんだろう。そんな孤独な人だから、遠慮なくズカズカ物をいうパートのおばちゃんが大好きなんだろうね。<br>　最近は○○ハラスメントという言葉でコミュニケーションに遠慮が生まれてしまう世の中だけど、せめて心持ちくらいは上司部下関係なく互いに思いやり歩み寄る気持ちがあれば上手く行くんじゃないかな。<br>　こんな意見は理想論だ、綺麗事だという人もいると思う。でも理想も綺麗事も言えなかったら何を言うの？理想が夢になり、夢を叶えるために具体性も持って考え、やがて目標となる。夢物語はいつか叶える為に抱くものでしょ。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n7f218a917d50'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 10 Jul 2025 21:21:36 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n7f218a917d50</link>
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      <title>1人10票制度ってどう？</title>
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      <description><![CDATA[<p name="856b38bc-522d-4f7b-b8c0-e69f0eb67004" id="856b38bc-522d-4f7b-b8c0-e69f0eb67004">　最近はSNS上で政治の話題も活発となり、あの政党が良い、あの政党はダメだ。なんでこの政策出しちゃうかなー。とか議論というか話題が耐えない。<br>　皆、状況なり世の中なり未来なりが良くなる事を願って投票行動に移ると思うが、どの政党を取っても、あそこはあれは良いのにココが駄目だ。と言った意見の応酬になっている気がする。<br>　それもこれも原因は「1人1票」しかない事にあると思う。<br>　1人1票というのはつまり0か100の選択を迫られているのと同じだ。<br>　でも実際の選挙に臨んでは、この政党のこの意見には賛成出来るけどここはなぁ〜というのもあれば、基本的に賛成出来ないけどこの意見は納得出来るというのが大多数の有権者の意見だと思う。<br>　100%同意出来る候補者なんて存在し得ない。もしそれを望むなら、自分自身が立候補するしかない。でもそれは現実的じゃないし、そうなると候補者が無数のカオスな選挙になる。選挙事務も大変だろうし、費用も掛かるし、町中に選挙カーが溢れうるさいし、ネットの広告も候補者ばかりになってウンザリするのは目に見えている。<br>　だから僕は「1人1票」じゃなく「1人10票」くれと言いたい。<br>　そしたら自分の意見の候補者、政党への同意割合で投票出来る。得票結果も「何人が同意」ではなく「国民全体を1つとした上で、何%が同意してるか」が分かる。<br>　これまでの選挙は多数決だが、1人10票制度なら多数決ではなく、意見の比重が推測出来る。どうですかね？<br><br>　もちろん落とし穴もある。<br>　絶対的なカリスマ性を持った人が出てくると、10票全部そこに投票しちゃうこともある。そうすると対抗するには、これまた絶対的なカリスマ性を持った人が1人から10票集めなければならない。他の候補者達との得票数の格差が凄まじい事になりそうだ。またカリスマさんが1人しかいない時(基本1人しか現れないと思う)、衆愚政治と化した際に一気に独裁制に突っ走ってしまうな。<br>　うーん、1人10票制度面白そうだけどリスクがデカ過ぎるな。これまで通りでいいのかなぁ…<br>　なんて色々考えながら投開票日を待ちます。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n34689aa0fa60'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 03 Jul 2025 08:26:21 +0900</pubDate>
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      <title>ラリーの果てに</title>
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      <description><![CDATA[<p name="b158aab6-40a9-47fd-8747-746edc8ae615" id="b158aab6-40a9-47fd-8747-746edc8ae615">　「ありがとう」と言われるとモチベーションに繋がると言う人は多い。というか人はみんなそうじゃないだろうか。私自身、飲食店で勤務していた事があるので、その時期は特にそうだった。めちゃくちゃ忙しくてやっとラストオーダーを終え、最後のお客さんが退店の時に「ごちそうさま、ありがとう」なんて言われた日には、それまでの激務の疲れが泡のように溶け、シャポン玉が弾けるより早く心と体が軽くなったものだ。<br>　今は事務系の仕事に戻り、お客さんと対面する機会が激減し、起伏の少ない穏やかなペースで仕事をしている。<br>　そんな時にふと思ったのが、昔ほどありがとうを言ったり貰ったりしてないなと。<br>　いや、お店を利用した時にはありがとうって言いまくってますよ。スーパーでも飲食店でも本屋でも空港でも。言うタイミングが合わない時は会釈になってしまいますが。つまり店員さんが対応してくれたら、そのお礼は言う。なんならAIにも言う時あるね。良い回答出してくれた時とかは特に。<br>　でも飲食で働いていた時に比べるとありがとうを言ったり言ってもらったりのラリーは減った。飲食業の時は、勤務中ずっとありがとうのラリーをしていた。けど今はそれがない。<br>　なるほど、ありがとうって言葉は、本当にあまり得られないから「有り難う」なんだと再認識した。<br>　サービス業はダイレクトに誰かに何かを提供するからこそ、提供してくれて「ありがとう」利用してくれて「ありがとう」になる。ならばそういう事と縁遠い職種なら少なくなるし、日常生活では何かしらのサービスを利用した際はありがとうのラリーが出来る。けどそんなに毎日外食する訳でもないし、毎日食材を買いに行きはしない。必然的に少なくなる。<br>　でも海外もそうかな？勝手な偏見だけど海外は日常生活でも日本より「ありがとうのラリー」が多い気がする。感謝も苦情もダイレクトに飛び交っているイメージ。<br>　変わって日本の場合は「すいません」が多い。「ありがとう」といってもその前に「すいません」がもれなく付いてくる。<br>　もちろんこの時の「すいません」には謙虚さや感謝のニュアンスが含まれているのは分かっている、けどありがとうファーストじゃない。<br>　むしろ「すいません」が先に来るから「すいません」で返す、「すいませんラリー」がメジャーな感じ。<br>　つまり日本は感謝してても「ありがとう」を投げない（投げにくい）環境って事だ。「ありがとう」がなかなか貰えないからこそ、そのありがたみが増し、モチベーションの向上に繋がっている。<br>　こう考えるとちょっと何というか寂しく思う。もっと気軽に感謝が素直に飛び交う環境の方が、そもそもの心の幸福度合いのベースが高くなるんじゃないかな。<br>　忙しさに心を病んでしまう人たちが増えている今の世の中、ありがとうが心の救いになっている人は多いと思う。それ自体はとても良い事だと思う。けど、そもそも心の幸福度の値が高ければ、病んでしまう状態に行くまでの距離が長くなって今よりもう少しは追い込まれにくい環境になるんじゃないかなと思う。心にゆとりを持たせる要因には業務量や忙しさだけでなく、他者からの感謝という他者からの承認もその一つだと思う。「ありがとう」はそんな心のゆとりを生み出すツールの一つだ。昨今のメンタルヘルスの問題を解決に至らしめる、地味で1番長く効く方法だと思う。誰かが誰かを思いやる「ほんのちょっとの想い」のラリーが、いつか知らないうちに大きな塊となりそれがやがて人々を包み込む「優しさ」になる。<br>　科学技術が発達しAIなんて便利な道具も増えたけど、原始的で人の心に作用するコスパもタイパも最強な道具は当たり前にすぐ側にあった。人が人を想うときに発する言葉こそが最高な道具なんだ。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/na282c03616f4'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 26 Jun 2025 21:18:46 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/na282c03616f4</link>
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      <title>いつだってそこにある</title>
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      <description><![CDATA[<p name="07671EED-EAC5-457C-B6F5-E38D408CD9E6" id="07671EED-EAC5-457C-B6F5-E38D408CD9E6">　夜中ふと目が醒めた。<br>　時間を確認するためにスマホに手を伸ばす。<br>　2時10分。<br>　何という半端な時間。しかも割と目が覚めていて直ぐに二度寝に行ける感じではない。<br>　眠気が来るまで何となくSNSやピックアップニュースをスワイプする。<br>　するとどこかのサイトが宇宙ステーション「きぼう」の見える時間帯を紹介していた。偶然にも今夜が日本で見られるチャンスらしい。私の住んでいる地域の上空を飛ぶのは午前3時50分ごろ。<br>　思わぬチャンスに心がときめく。2度寝モードからきぼう観測モードへ完全移行。時間になるまで時間潰しのためスマホをイジイジする。でも宇宙ステーションが楽しみで、いつも以上に何にも頭に入ってこない。時間だけをひたすら消化する。<br><br>　さぁ時間は午前3時35分。何となくリビングのカーテンを開け空を見上げる。<br>　薄曇りか？と思いきや快晴過ぎて月明かりが空いっぱいを照らし出しているための錯覚だった。宇宙ステーション鑑賞としては最高のコンディションじゃないか！<br>　童心に戻った足取りでいそいそと玄関を開け、そぉーと外に出る。ご近所さんにご迷惑にならないようにという配慮もあったが、何となくこんな時間に外に出るという非日常感がそうさせたと思う。<br>　いざ道路に出て空を見上げる。<br>　快晴の夜空は美しく、月がこれでもかと自己の美しさを主張をしている。星々はそんな月の一歩後ろで、でも負けじと輝いている。<br>　さて宇宙ステーションはどこだ、とキョロキョロと空を見渡す。確かサイトでは北北東の方角だったはず。<br>　しかし私の家ではちょうど北北東の方角に家々や丘があり、角度的に見えない。早歩きで少しでも空が開けた交差点へ向かったが、やはり見えない。屋上に登るべきだったか。いやそれでも多分見れないな。あたりを右往左往して悪あがきをする。でもやっぱり宇宙ステーションらしき明かりは見つからない。<br>　時刻は午前3時52分。私の空からきぼうが過ぎ去ってしまった。<br>　でも不思議と気持ちは晴れやかであった。確かに宇宙ステーションは見れなかったが、非日常を体験させてくれた。わずか数分であったが、最近感じた事がないくらいに心がはしゃいでいた。<br>　そういや情報を教えてくれたサイトへのコメントに、こんなのがあったな。<br><br>　きぼうはいつでも空にある。<br><br>　「希望」なのに、空にあるから手が届かないとか、いつでも見れるわけではない、といったネガティブな思いを抱く人もいるかもしれない。<br>　でも「希望」が「ある」というのはとても素晴らしいことだと思う。それに希望は手を伸ばして掴み取るものだから空にあって良いと思う。<br>　この宇宙ステーションに「きぼう」と名付けた人に感謝を。<br>　いつだってきぼうは空から地球を見守っている。<br>　まだ目にせぬきぼうに思いを馳せ、また見るチャンスに出会えたら今度こそはと希望を抱き眠りにつく。<br>　寝坊せずに会社に無事出社出来ることを希望しつつ。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n6575c09af9cf'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 20 Jun 2025 06:45:43 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n6575c09af9cf</link>
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      <title>ノリと勢いって結構良いもの</title>
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      <description><![CDATA[<p name="00843fbd-1606-4b97-ab3a-d9e2af9f0542" id="00843fbd-1606-4b97-ab3a-d9e2af9f0542">　ちょっと前に友人と旅行に行った。普段は1人で行動している事が多いのだが、今回は久しぶり友人との旅行となった。薄々分かっていたつもりだったが、改めて趣味趣向の合った友人と旅行に行くのは楽しいものだと再認識した。<br>　最高に楽しかったライブの感想を居酒屋で熱が冷めやらぬ状態で語り合う。これまた最高の時間だ。(実際は語彙力が消滅してるから、お互い『良かったね…！』を捻り出す作業が小一時間続いていた)<br>　同行者がいると旅程においても普段は興味を示さない観光地、飲食店などに行くキッカケにもなるし、その逆にこちらが勧めることもある。また雑談の中で良さげな行き先を思いついたりと互い良い影響を与えあっていた。<br>　泊まる部屋も一緒でも良いが、寝る時くらいは別だとお互いのひとり時間も確保される。今回はホテルだけ一緒にしてあとは個々の自由で。<br>　夜にホテルのエレベーターで翌朝の集合時間だけをなんとなくアバウトに決め、行くところもこれまたアバウトに「行けたら行こか」スタイルで決める。(7割方行けなくなる)<br>　普段だったらあちこち巡ってばかりでご飯の時以外は休憩などしないが、歩き疲れた友人の誘いで喫茶店にふらっと入る。普段しない行動に心がちょっと浮き立つ。そして一服して心身を落ち着かせるのも悪くないことをしる。<br>　1人の時は貧乏性な為か、少しでも行きたかった場所に行こうと駆けずり回ってしまう。でも落ち着いて今行ってきた場所を振り返り、そして次の目的地までの行程と再確認する。その時にまた面白そうな寄り道ポイントが見つかる。そんな想定外の相乗効果が嬉しい。いつも一人旅が多いので、こういう自分では想定することすら無い行動が良き連鎖反応を起こしていく。<br>　そんな旅行の最終日。帰りの前日に友人から疲れたから明日はクラスJに席をグレードアップしようと話があった。JALやANAは当日でも空きがあれば、2〜3千円でエコノミーより広くて前の席に行けるのは知っていたが使った事はなかった。だって追加料金発生するし、フライト中はどうせほとんど寝てるから。<br>　普段ならグレードアップなんて絶対しないし、この時も自分だけはそのままにしようかと思っていた。けど今回の旅行では友人の提案に乗ってたくさんの新しい良い体験をした事だし、旅の最後まで乗っかる事にした。<br>　最終日、保安検査〆切まで1時間近くある余裕ある状態で飛行場に着き、互いにお土産を買ったり機内での準備をしていると、搭乗予定の便の搭乗時刻に20分程度の遅れと搭乗口変更のアナウンス。<br>　遅れといっても20分程度だし、変更された搭乗口も30メートルも離れていないしこれくらいの変更は変更と言えない位の範囲。お互いに搭乗口変わったね〜位で気にせずのんびり時間が来るのを待つ。<br>　そしていざ搭乗。<br>　機内に乗り込むと自分が知ってるクラスJの席より断然広い。というか明らかに席が豪華。あぁ、この機はファーストクラスがあるのかと思って歩みを進めると自分の席も同様に豪華！<br>　前の方に座った友人のもとにCAさんが行き、何やら話している。想定外の良い席にいい歳して少しドギマギしていると私の方へもCAさんが。<br>　「この度が機材変更に伴いお席が変わってしまい申し訳ありません」<br>　いやいやいや、明らかにグレードアップしてますよね!?<br>　思わず「いや、グレードアップしてますよね、むしろありがとうございます！」と目をキラキラさせてお礼を言った。もう感謝が溢れ出ちゃったわ。<br>　なんでも変更されたこの機は普段国際線で使用されており、今私達がいる席はビジネスクラスだそうだ。<br>　人生初のビジネスクラスがこんな形で舞い降りるとは…友人に感謝感激である。<br>　さすが国際線のビジネスクラス。席がフルフラットになる。YouTubeとかでは見たことあったけど、実際体験するとめちゃくちゃテンション上がる！<br>　離陸しシートベルトサインが消えた瞬間、速攻でフルフラットにしたよね。で、フラット体験でおぉっ！とひとしきり感動したあとは、エコノミーでは絶対出来ない足を伸ばしてのリクライニング。まるで長椅子やロッキングチェアに座っているかのごとく寛ぐ。多分他の人からは何とも横柄な態度の乗客に見えたはず。<br>　本当ならちょっと寛いだ姿勢でiPadでnoteとか書いてたらさまになっていたかもしれないけど、テンション上がってそれどころじゃなかった。こんな時に人の本性って出るよね。しかもよりによってこの時読んでいたのが『ドカ食いダイスキ！きもちづきさん』ときた。いや、もちづきさんは悪くないよ。この場にチョイスした私が全面的に悪いです。テンション高い私はそんな事に気づかず、もちづきさん読みながらビジネスクラスの快適さに『至って』いた。<br>　ビジネスクラス座って分かったことが一つ。席が前方だからエンジンの音がエコノミーより小さく、少し静かに過ごせるのである。これは意外な発見であった。一度この快適さを覚えてしまったら、もう抜けられないかも…<br>　旅の最後のフライトって結局寝て過ごして、若干の気怠さを伴い家路につくのが常だったが、今回友人のお陰で旅程の最後である帰りのフライトまで豪華な「旅程」として旅を満喫する事が出来た。<br>　普段は1人で行動することばかりだが、またこうしてたまには同行者ありの旅行をしたいと思う自分の気持ちの新たな一面に気付かされた。そして次行く1人旅の時には、友人が気に入るスポットかも、と言う新しい目線で旅先を楽しめる事だろう。友人との旅行が一人旅も豊かにしてくれたのだ。<br>　<br>　<br>　</p><p name="81dbf3ab-7c0b-4a77-a780-abf3e1725207" id="81dbf3ab-7c0b-4a77-a780-abf3e1725207"><br></p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n61cbca3be074'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Thu, 12 Jun 2025 20:49:40 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n61cbca3be074</link>
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      <title>人、灯り、寄り添い合う</title>
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      <description><![CDATA[<p name="4fc7a36a-ad39-4ba4-acad-31702b68a8a1" id="4fc7a36a-ad39-4ba4-acad-31702b68a8a1">　夜景は何故あんなに魅力的なんだろうか。<br>　夕闇が迫り、やがて夜の帳が下りる。<br>　空が青から赤に染まり始め、やがて僅かながらの青色を孕みつつ、そして黒い空に変わっていく。<br>　街のあちこちで街灯や家の明かりが灯り始め、地表に人の作り出した星が瞬き始める。<br>　通り沿いには街灯が流星のように連なり、星群のようにマンションに明かりが灯る。<br>　例えば夜空が雨で陰り満天の星が見えなくても、人の作る星空は広がる。<br>　頭上に広がる星々の輝きと同じくらいの魅力を、人の創り出す夜景にも感じる。<br>　その魅力の根源はなんだろうか。<br><br>　私は夜景の輝きの一つ一つが、人の営みだからだと思う。</p><p name="ff570243-9524-45c9-a48b-2b1c7a8fc887" id="ff570243-9524-45c9-a48b-2b1c7a8fc887">　家やマンションやビジネス街のビルに星が灯る。<br>　その灯りの下には、灯りの数の家庭があり、人生がある。<br>　誰かとの楽しい時間を照らす灯りもあれば、仕事と戦っている人を応援している灯りもあり、未来の為に勉強している人を応援する灯りもある。または悲しみに包まれ少し前まで真っ暗な部屋で過ごしていた人が、立ち上がるべく部屋の電気をつけ、明るく照らす光。そんな誰かに寄り添う灯りもあるかもしれない。<br><br>　古来から人は、焚き火でも夜を彩っていた。<br>　焚き火の側には人がいる。<br>　複数で囲む場合もあれば、1人の場合もある。<br>　でも必ずそこに命があり、人生がある。<br>　<br>　そしていつだって灯りの側には命の灯火があった。<br>　<br>　たとえどんなに離れていても、これからも必ず互いを照らし合う。<br>　</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n75d88043c8a6'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Sat, 07 Jun 2025 20:51:04 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n75d88043c8a6</link>
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      <title>欲深さが健康の秘訣</title>
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      <description><![CDATA[<p name="4BA9C3BA-6C95-480D-9D52-8A7380F003C4" id="4BA9C3BA-6C95-480D-9D52-8A7380F003C4">　明日死ぬと思って日々を大事に生きる。<br>　<br>　よく聞く格言。<br>　立派だし、そういう心持ちで日々を大事に出来たら毎日の充実度はきっととてつもないのだろう。<br>　でもほとんどの人は出来ない。<br>　だからこそ心に響くし、チクっと刺さって怠惰な毎日を見直そうと思うキッカケにもなる。</p><p name="F12D62DC-2F00-4C30-B3E6-5AA3327EAF47" id="F12D62DC-2F00-4C30-B3E6-5AA3327EAF47">　でもこの生き方、1つ落とし穴を見つけてしまった。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n300fab827352'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 28 May 2025 22:03:16 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n300fab827352</link>
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      <title>次の誰かのため</title>
      <description><![CDATA[<p name="53DAC75D-2C72-4B79-9DD0-20FED6C14DA9" id="53DAC75D-2C72-4B79-9DD0-20FED6C14DA9">　仕事場での一コマ。<br>　「コピー機の補充の紙ってこれですか？」<br>　「そうです。あ、私補充しておきますよ。」<br>　「あざっす！このホッチキス借りても良いですか？って、芯きれてる。ん？これもきれてるし…ってこれもきれてるってか壊れてるじゃん！マジかよー。」<br>　「あら、替え芯も無くなっちゃってるの？じゃあ私の予備の替え芯持ってきますね。」<br>　「ありがとうございます！」<br>　「コピー機の紙は途中で無くなるし、ホッチキスは全部芯きれてるし、なんなら1つ壊れてるときた。なんか今日俺、朝からこんなのばっかりなんすよー」<br>　「まぁいいじゃん。次の誰かの為になってるし。」<br>　「なるほど！次の誰かの為かぁ！」</p><p name="E733234D-FAA5-4528-A6FE-297EA141B614" id="E733234D-FAA5-4528-A6FE-297EA141B614">　みんながまだ見ぬ「次の誰かのため」と思えたら世の中はちょっとずつ良くなるはず。　　<br>　前の人が補充しておけよと言うのはもっともな意見のように聞こえるが、何か緊急事態があって急いでいたのかも知れない。<br>　<br>　誰かの非や責任を問うのではなく、誰かのためを思って行動したい。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n0833374f14e3'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Fri, 23 May 2025 21:26:14 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n0833374f14e3</link>
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      <title>愛されない雑草。愛された雑草。</title>
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      <description><![CDATA[<p name="38BFA4A8-175B-4335-926F-A5201C33C13D" id="38BFA4A8-175B-4335-926F-A5201C33C13D">　いつもの通勤路を歩く。<br>　鳥の鳴き声がしてふと目線であたりをなぞる。電線に小鳥が止まっている。少し高めの声で鳴いている。ちょっと離れた人に挨拶でもしているのだろうか。<br>　かわって道の向かいの空には、2羽のカラスが戯れ合うようにもつれながら飛んでいる。まるで小学生がはしゃぎながら登校しているかのよう。そして丘の向こうへ消えていく。<br>　世の中は意外に自然に満ちているのかも知れないと思った。<br><br>　でもそんな僕はアスファルトの上を歩いている。<br><br>　最後に土の上を歩いたのはいつだろうか。<br>　公園やキャンプ場や海岸ではなく、剥き出しの土が広がる自然の道。<br>　僕は本当にそんな自然の道を歩いたことなんてあったかな。</p><p name="25D39DCE-6CF7-460E-9835-B1EAED12CACA" id="25D39DCE-6CF7-460E-9835-B1EAED12CACA">　昔働いていた職場は裏にハイキング出来る小山があって、時折登っていた。夏には草が生い茂る登山道を登った先には、ちょっとだけ海が見えた。<br>　登山道は自然の道だろうか。場合によってはそうかも知れないが、厳しいことを言えば登山道は「整備」されている。人が登りやすいように加工している。自然半分人の手半分といった所か。<br>　そうなると本当の自然に触れるためには前人未到の僻地へ向かうしかない。冒険者になるしかない。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n6c2b10458e1e'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 14 May 2025 21:04:12 +0900</pubDate>
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      <title>コーヒーかお茶かそれ以外か</title>
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      <description><![CDATA[<p name="B2D5C8DE-96EA-4D48-A297-3DB9E2959292" id="B2D5C8DE-96EA-4D48-A297-3DB9E2959292">　私はコーヒーが好きでは無い。が、焙煎の香りは大好きである。あの独特な香ばしい芳醇な香りはちょっとテンションを上げめにしつつ、同時に安らぎを与えてくれる魔性の香りだ。だがコーヒーそのものはあまり好きではない。積極的に自らコーヒーを購入する事はない。付き合いでスタバ等に行くことはあるがそう言う時は決まってカフェモカしかオーダーしない。（チョコレートが好きなので）<br>　休みの日に家以外で本を読みたいなと思った時、世の中には無数のお店があるのに、そう言う目的で利用できるお店はいわゆる喫茶店しかない。仕方がないので近所の喫茶店へ行き、メニューにカフェモカが無いことにガッカリしている様子を悟られないようスマートにオーダーし、コーヒー片手に心穏やかに読書を嗜んでいるように見せかけている。<br>　しかし喫茶店ってなんでドリンクメニューの9割がコーヒーなんだろうか。『喫茶』って『茶』が入っているのにお茶のカテゴリーは良くて2〜3種しか無いよなぁ。東京や大阪といった都会であればお茶専門のまさしく『喫茶店』もあるだろうけど、地方住まいではそうはいかないのが辛いところ。<br>　これだけコーヒーにケチをつけているならお茶好きなのかと問われたら、決してそうではない。いや確かに普段はお茶飲んでますよ。蕎麦茶や玄米茶といった香ばしい系が好みではありますが、好きで飲んでいるかと言われればそうではない。健康に害がなければ毎日コーラかマウンテンデュー飲んでるよ、多分。<br>　これだけ科学技術が発展しAIなんてものまでが誕生した現代において、今だに人類の嗜好品がコーヒーかお茶しかないというのはどう言うことなんだろうか。嗜好品の選択肢が2つのままである、いや2つで良いとしている人類。飲み物という3大欲求の1つの欲望に対して謙虚であるそんな人類が、今だに互いの欲望をぶつけ合い戦争をしているなんて信じられない。<br>　コーヒーは香りは好きだか好みでは無い。お茶は特段好きな訳ではない。そんな私にとってこれは由々しき問題である。何かないかとネットの海を泳いでみたが、驚くとこにコーヒー、お茶以外に検索にヒットしない。<br>　そんな中、1つ一瞬心を引いたのが、香港で好まれているいう「鴛鴦茶（えんおうちゃ）」。これなんとコーヒーに紅茶を混ぜた飲み物だそうだ。さすが香港。中国の東洋文化と英国の西洋文化が文字通り混ざった訳だ。(あれ、どっちも代表的なのはお茶じゃね？)<br>　作り方もコーヒーと紅茶を別々に作って後から混ぜたり、コーヒーの粉と茶葉を混ぜてお湯を注ぐパターンもあれば、紅茶を先に作って後からコーヒーの粉をドボンとするという方法と様々あるらしい（ウィキペディア参照）。<br>　良さそうだなと思って試そうとしたが、この鴛鴦茶なるもの、自宅で楽しむにはいくつか難点があることに気づいた。まずコーヒーの粉を混ぜるパターンではコーヒーの芳醇な香りが楽しめないので却下。別々に作って混ぜるパターンは純粋に洗い物と廃棄物が2倍になる。茶器にコーヒードリップの道具にプラスして茶ばとコーヒーの出涸らし？が発生する。これは片付けを考えた時、心がしんどい。飲み終える頃に片付けのことが頭をよぎり、楽しみより憂鬱さが優ってしまう。あとカフェインをハイブリッドに摂取するってのがヤバそう。<br>　結局コーヒーとお茶に変わる嗜好品は見つけられなかった訳である。<br>　残りの人生を終えるまでに第3の嗜好品に出会えるのであろうか。第3の嗜好品を見つけた（発明した）人はノーベル平和賞を贈られるべきだ。そもそもコーヒーもお茶も生産している国の労働者の就労環境や格差問題があったりするし、紅茶に至っては戦争の引き金にもなった歴史がある。そんな訳だから嗜好品を馬鹿にしてはいけない。コーヒーお茶に変わる第3の選択肢は人類社会に平和をもたらすきっかけになるかも知れない。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/nf69a7eaef9a4'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Mon, 05 May 2025 20:14:48 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/nf69a7eaef9a4</link>
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      <title>濁った水が人を救う</title>
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      <description><![CDATA[<p name="DC033605-7D2A-450E-B2C5-2E25CA18E76D" id="DC033605-7D2A-450E-B2C5-2E25CA18E76D">　ここ数年でよく使われるようになった新しく一般化した表現として、<br>　「言語化出来ない」<br>　があると思う。<br>　感動したり何か衝撃的な出来事に出会った時によく聞く表現だ。<br>　この世界では人の考えていることや想像の範囲を超える出来事が起きる訳だし、そういう言語化出来ないことは多々あるはず。住んでいる国や地域で使用する言葉も異なるし、それぞれの言語にしかない表現もあったりするから、もしかしたら例えば日本語では言語化出来なくても英語なら言語化出来たりする可能性もある。<br>　日本語は世界中の言語の中でも習得レベルが高いとはよく聞く話だ。平仮名、カタカナ、漢字と3種の文字を使用し、同じ言葉でもどの文字で書くかで微妙なニュアンスの違いも表せたりする。例えば「ともだち」「トモダチ」「友達」と3種類の文字で書き表した時、意味は同じでもそれぞれに受ける印象に若干の違いがあるのは日本語ネイティブや日本語文化に長く触れた方なら分かるはず。<br>　自分の思っている事を伝える表現力として、より詳細に言語化出来るに越した事はないかも知れない。でも思っていることを何でもかんでも詳しく言語化出来るのは良いことばかりではないと思う。<br>　「言語化出来ない」と言う表現が使用される場面は概ねポジティブな場面に遭遇した場合が多い。喜びを共有するという言わば善行為をしたいけど、それが出来ない歯痒さから「言語化出来ない」と言っている場面がほとんどだと思う。<br>　しかし誰も彼もが自分の思いや考えを言語化出来てしまった場合、それ故に不幸を生む場面もある。<br>　それは他者への悪意を表現するときだ。<br>　うまく言語化出来ないから「ムカつく」「キモい」と言った範囲が広く曖昧な表現で敵意を向けている場面で（もちろんこれでも十分不快だが）、悪意を向けてくる側が言語化能力が高かった場合、より詳細に、より的確に、鋭くい表現の刃で悪意を突き刺してくる事になる。<br>　悪意ある表現以外にも曖昧だからこそ、表現出来ないからこそ良い場面はある。特に悲しみを表すときは濁っている方が良い。切り傷を見ると痛みが増すように、的確な悲しみの表現は心の傷に塩を塗りたくる行為になってしまうかも知れないから。<br>　正論が時に不和を生むように、正確な表現が傷つけることもある。だから「察する」だけで良いのだ。<br>　人は言葉だけでコミュニケーションをとっている訳ではない。表情、立ち姿、眼差し、身振り、色々な表現で相手を慮っている。<br>　ネットが発達した今の世の中、言語でコミュニケートする場面が非常に増えた。XもYouTubeも他の配信サイトも基本的にコメントを「書き込んで」いる。だから言語化したい気持ちが大きくなり、「言語化出来ない」と言う新しく比喩表現が生まれたのだと思う。<br>　でもだからと言って、何でもかんでも言語化出来なくて良い。人と人とのコミュニケーションはまだまだ直接対面する方が影響力が大きい。だからこそ世界の首脳たちはわざわざ時間と手間をかけて直接会談をして、「腹の探り合い」をしていることからも自明の理だろう。<br>　<br>　時に見事な歌詞や文章は多くの人の心に大きな感動の共感を生む。だがネガティブな事で見事な表現をされてしまったら、同様に多くの人の心に悪意の共感を抱かせてしまう。本当に大事なのは言語化する表現力ではなく、相手の思いを慮ろうとする気持ちの「察する能力」なのかも知れない。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/ne02571091063'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 30 Apr 2025 21:51:00 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/ne02571091063</link>
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      <title>強いられる二者択一と隠れた敬意</title>
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      <description><![CDATA[<p name="624c7cd5-ca35-49c1-a61f-2d7b905e28c5" id="624c7cd5-ca35-49c1-a61f-2d7b905e28c5">　よくある会話。<br>　「犬と猫どっちが好き？」<br>　いつも思う。なんで「犬」と「猫」の二者択一なんだろう。もっと言えば何で哺乳類限定なんだろう。鳥、カエル、熱帯魚といった鳥類や爬虫類、魚類はそもそもカテゴリーとして選択肢に加わっていない。何故？<br>　人類の歴史を振り返ると、縄文時代とかそれくらいのレベルの昔から犬と猫は人と一緒に暮らしていたららしい。その付き合いの古さがDNAに染み付いているから無意識に選択肢に挙げられる存在になったのかもしれない。<br>　他にも家畜としてだけど付き合いの長い牛や豚、移動手段で活躍した馬もいるけど、なぜか選択肢には挙がらない。とは言っても現代において身近な動物じゃないから仕方ないか。そもそも犬と猫って聞いてる時はペットとして聞いているわけだから、彼らに対して深層意識でペットではない動物として認識されているはず。（むしろ食材）<br>　となると選択肢に挙げられる条件は、「身近で人のそばで活動していて愛らしいこと」になるだろうか。それなら鳥は選択肢になり得るはず。一昔前とは異なり、ペット以外の犬や猫は見かけなくなったが、鳥は普通にいるよね。鳩やカラスはちょっと大きくて威圧感あるから個人的に愛らしさは感じにくいけど、メジロとかウグイスといった小鳥ならOKでしょ。小鳥なら普通に公園や街路樹にいるくらいだし。あー、でも近くにはいるけど姿って意識して探さないと見かけないな。鳴き声はするのに姿が見えないのが鳥の弱点かも。<br>　人は近くに感じられて、姿も見えて、愛らしさを感じさせてくれる存在じゃないと愛でることは出来ないのだろうか。<br>　いや、そんなことはないな。そもそも犬派猫派論争は不特定多数の人を想定した問いかけであって、マイノリティーが想定されていない不確かな問いかけなのだ。正しくは「好きな動物は何？」と聞けば良いだけなのだ。それならば自由に好みの動物を答えればいい。でも犬か猫と聞いてしまうのは、それだけ普段の生活で触れられる動物がいないという事を示唆している訳だ。前述したように鳥は本当は身近にいるけど、感じられていない貴重な存在なのかも知れない。<br>　鳥はペットとして飼いにくいから身近じゃないという事もあるかも知れない。昔の漫画とかでは小鳥を飼っているシーンとかもあったけど、最近は見ないな。（確かドラえもんのしずかちゃんは小鳥を飼っているシーンがあったはず）<br>　身近さを表す指標として、言葉もあるかも。例えば諺や慣用句。<br>　犬も歩けば棒に当たる。猫に小判。豚に真珠。馬の耳に念仏。一石二鳥。水を得た魚。これは逆にあり過ぎて指標にならないな。<br>　鳥が犬や猫並みにペットとしてメジャーになれば、無意識に選択肢になる時が来るかも。でもきっとそんな時代は来ないだろうな。どんなに鳥が表情豊かになり芸を覚えたりしてもメジャーペットにはならない。鳥を飼うということは、鳥の自由さを大きく束縛してしまうから。犬や猫と違い、空を飛べるという圧倒的な自由を持っている鳥に対して人は無意識下で憧れと尊敬を抱いていると思う。だから鳥籠に閉じ込めることを「可哀想」と感じてしまうのではないだろうか。人が手に出来ない自由を奪ってしまうから。<br>　つまり選択肢にあがらないと言うことは、人はそれだけ鳥に対し敬意を払っていると言うことだったのだ。姿が見えないと言うことはそれだけ畏れ多い存在であり、選択肢に挙げてしまうのは不敬な行為なのだ。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/ne2f466bac54a'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 23 Apr 2025 22:53:02 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/ne2f466bac54a</link>
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      <title>科学技術の発展がもたらす恋人たちへの受難</title>
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      <description><![CDATA[<p name="A86EF9F8-41F4-4919-B7FC-1ADA7C6BE2AD" id="A86EF9F8-41F4-4919-B7FC-1ADA7C6BE2AD">　4月も半ばとなり、慌ただしい日々を過ごしている人も多いと思います。仕事していたら「えっ⁉︎もう16時なの‼︎」とか感じる事、ありますよね。<br>　充実した時間は体感時間が短くなり、逆に退屈な時間はゆっくり感じられるとか言いますが、この時期の仕事中の時の流れる早さの原因は充実とは程遠いと思っているのは私だけでしょうか。何というか仕事が充実しているとかバシバシ捌けているというよりは、仕事や状況がうねりを伴って流れていると思うのですよ。そんな荒波の中仕事というバタフライでで泳いでいるので、退勤時の疲労感が平時の1.5倍はあるんですよね。早く平泳ぎで泳げる状況に戻りたい。<br>　ところでこの体感時間というか時間のベースは、地球に暮らす生命すべてに共通で地球が太陽の周りを公転するスピードと地球の自転速度によって構築されていますよね。<br>今より科学技術が発達し、例えば月で生まれ育った人類が誕生した際にその人の時間の感覚ってどうなるんでしょうかね？<br>　月の自転速度と太陽の周りを公転する速度は当然地球のそれとは異なるわけですから、体感の時間感覚って異なってくると思うんですよ。人類社会が機能するためには統一の基準として1日24時間というのは共通になると思うのですが、地球上で24時間経つ間に、違う星では太陽が2回昇ることもあるはず。24時間で2回夕日が沈む星に移住した場合、時間感覚とか大変なことになりそう。地球から移住していたら自律神経もメチャクチャになりそう。人類がどこかの恒星系の星に移住するのが当たり前になった社会では、もうみんなの時間感覚がバラバラになっちゃうね。（映画「インターステラー」で似たような描写ありましたね。ある星に降り立って数時間調査して母船に戻ったら、母船では数十年経過していたってやつ。）<br>　星間規模での遠距離恋愛とかすると、時間の感覚のズレが問題になるかも。一方は地球に住んで地球時間で3年ぶりに会うのに、もう一方は地球時間では3年だけどその星の体感では2日とかなった場合、二人の温度差は致命的。カップルが別れる原因の一つに時間感覚の差というのがランクインする時代が来るかも知れない。でもそれを乗り越えた恋人たちは、まさに時空を超えて結ばれた運命的な二人ということになるのだろうか。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n05b2284954d7'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 16 Apr 2025 21:54:21 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n05b2284954d7</link>
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      <title>幽霊のディスコミュニケーション</title>
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      <description><![CDATA[<p name="ec85f712-15e9-4611-9cff-47b8f53774ce" id="ec85f712-15e9-4611-9cff-47b8f53774ce">　最近何かの本かだったかコラムで書いてあって、みょーに関心したのがこれです。<br><br>　「幽霊が悪さをするのは、生きている人に向けた『こういうふうになるなよ』というメッセージ」<br><br>　これまで聞いてきた怪談話などに出てくる幽霊って事故だったり事件の被害者だったりが、無念のあまり化けて出てくる。生きてる人や犯人が恨めしくて「うやめしや〜」と出てきて悪さをする。<br>　でも確かになんで皆が皆、恨む方向になるのはおかしな話ではある。人によっては生きている人を思いやる事もあるだろうし、むしろ同じ目に遭って欲しくないと思うのが多いのではないだろうか？(特に事故とかなら)<br>　でも残念ながら幽霊は言葉が話せない。言えてもうめき声程度なイメージ。だから写真に写り込んだり、音を出したり、うっすら姿を見せたりしてなんとか伝えようとしているのだろうか。でも上手く伝わらないから、逆に恐怖を感じさせてしまっているのかも知れない。伝わらない優しさ。悲しきディスコミュニケーション。<br>　しかし幽霊がしている(と思われる)行動って、こう見てみると、なんか喋る以外は結構なんでも出来てる感あるな。なるほど、言葉というか会話というのはコミュニケーションの手段として優秀なんだなと改めて思う。<br>　もし幽霊が「あ…あぁ…………う…」みたいなうめき声ではなく、めっちゃ流暢に話せたらどんな感じになるのかな。それでいてイケボやロリ声だったりしたら…<br>　逆に聞き惚れてしまって同じ事故に遭ったりするから駄目かな。現場から遠ざけるという意味では怖がらせた方が正しいのかも知れない。<br>　怖がらせるというのは、目的に応じた正しい手段なのかもね。<br>　となると今後も流暢なイケボ幽霊は出て来ないのか…ちょっと残念。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n63cc1492b2d0'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 09 Apr 2025 22:11:43 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n63cc1492b2d0</link>
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      <title>タイパの行き着く先は人生の喪失</title>
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      <description><![CDATA[<p name="190a63d5-319d-4013-a2dd-3145579c48a8" id="190a63d5-319d-4013-a2dd-3145579c48a8">　ネットの世界が生活の一部となった昨今、よく耳にする「オールドメディア」という言葉。そのオールドメディアがSNSをを批判する際によく使われる主張が「不確かな情報を信じてしまうから危ない」がある。それを聞いたSNSやネット主流派の反論は「オールドメディアも忖度や放送しない権利で偏った情報を流しているじゃないか。」である。<br>　私はどちらの主張もそもそも的を外れていると思っている。それはどちらも「信じる事」を前提にしているからだ。メディアの新旧に限らず、受け取った情報は「信じる」のではなく、信じる前に「受け止める」のが1番最初にすべき事であり、その後に調べる、根拠を当たるという順序になる。<br>　よくネットは一部の団体や組織などに忖度のない、個人発信の生な情報で所謂「リアル」な情報だと主張する人が多い。<br>　でもネットに溢れる情報は根拠が曖昧なものが多いのも事実だ。そもそも根拠が根拠になっていなかったりする。<br>　「オールドメディア」は生活から遠い存在から発信されていたため、権威的な空気感を纏っていた。言わば上位的(に感じてしまった)な存在からの情報だったが故に信じる事が前提になってしまった。逆にネットは見知らぬ生活感が近い(と感じられる)人の情報が入手出来るため親しみを感じやすく、オールドメディアに対する反発感の如く、より信じる方向にバイアスが掛かっていると思う。<br>　そのオールドメディアからネットという新しいメディアへ移り変わっていく際に、我々のメディアに対する相対し方が「信じるもの」という前提のままであるため、根拠が曖昧なネットの情報もその「信じる」が前提に広まってしまっていると思う。<br>　でも本来情報というのは捉え方と考える事が大事だと思う。テレビはニュース番組で解説者を置くことで、1つの視点で情報を伝えている。そもそも会社が主体である以上、株主やスポンサーといったステークホルダーのフィルターが掛かっている。ネットはネットで発信者の思想なり主義主張のフィルター越しに流されている。理想は事実だけを淡々と伝えもらえたら良いのだが、世の中で起きている全ての事象を捉えて理解出来るほど我々のキャパは大きくないので、メディア会社なり発信者なり情報を選別して提供する存在が必要だ。<br>　その際に、受け取った情報には、(意図しなくても)発信元の思想なり視点、立場が入っている事を忘れず、咀嚼しなければならない。<br>　ネットという新しいメディアが広がるのは良いと思うし、この流れはますます加速するはず。<br>　ネットが広がり多種多様な情報が溢れた結果、ショート動画や切り抜きなど所謂タイパのよいコンテンツが好まれている。この傾向に対し、警鐘を鳴らしている意見は多い。私が思う1番の懸念は独裁者が誕生する下地がちゃくちゃくと育っている点にある。<br>　タイパを求めた結果、単純で分かりやすい主張を好む。世の中の問題はそんな単純ではなくいくつかの問題が絡み合っているのに、何が1つや2つの問題を解決するだけで全て上手くいくかのように楽観視している。<br>　信じるというのは生き方を放棄するに等しい。考えに考え抜いて信じるという結果に至るのは良いが、「この人が言っているから」と理由だけで信じては駄目だ。どんなに意見が素晴らしくても、面倒くさいがいちいち意見に対し考えなければならない。(盲目的に)何かを信じるという生き方はタイパが良いのではない。決断に至る時間が短いだけだ。<br>　考えると言うことは生きる指針を問うこと。生きる指針にタイパを求めてはいけない。人生の結果と言うパフォーマンスは死ぬ瞬間にしか分からないし、その価値は自分で決めるものである。<br>　そして生きている限り人生の指針は死ぬまでアップデートし続けるものなのだから、死ぬ瞬間まで考え続けなけれならない。<br>　こうも考えてばっかりだと、人間は「考える葦」ではなく「考える事しか出来ない葦」なのかもしれない。<br>　</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/na7f15c16d1c3'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 02 Apr 2025 22:23:33 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/na7f15c16d1c3</link>
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      <title>忙しいに飲まれるな</title>
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      <description><![CDATA[<p name="fcd9d663-2712-46f6-a74b-50e6eb30bebb" id="fcd9d663-2712-46f6-a74b-50e6eb30bebb">　年度の終わりと始まりの今の時期、みんな口癖のように無意識に「忙しい」と口にしていませんか。<br>　でもちょっと待って欲しい。今、本当に「忙しい」ですか？<br>　周りの空気に飲まれていませんか？<br><br>　心を亡くすと書いて「忙しい」</p><p name="45E639FB-ADDA-429E-B6EF-FEFF03DEC707" id="45E639FB-ADDA-429E-B6EF-FEFF03DEC707">　昔からよく言われていますね。<br>　私は基本的に忙しいとは口にしないようにしています。口にすると本当にそうなってしまうから。<br>　意外に冷静に自分の置かれている状況を見てみると「忙しい」じゃないんですよ。「面倒くさい事」が連なっているだけなんです。<br>　なんか年度末になると急に面倒くさい案件や話持ってこられたりしますよね。それが続きやすいだけの時期なんですよ、今って。<br><br>　「忙しい」と言うのは状況です。<br><br>　状況を好転させるのはなかなかに労力が入ります。状況というのは多数の事情が積み重なって生まれる自身を取り巻く環境です。多数の要素で構成されているので自分の力では変えられないと思い込み心を亡くしてしまうのです。まるでスピリチュアルな何かのように人智が及ばないと思い込まされてしまっているのです。「忙しい」と思っている時、あれもやらなきゃ、これもやらなきゃと「忙しさ」を構成している「事案」の1つ1つに向き合えていないのです。<br><br>　落ち着いてその「忙しい」を生み出している元凶ともいうべき個々の「面倒くさい」事案にフォーカスしてみましょう。事案は1つ1つ確実に解消させることが出来ます。状況ではなく「事案」なので自分の力やチーム、仲間の力で解消出来るのです。人智が及ぶ現実問題なのです。（まぁめんどくさい事案が湧いて出てくるのはスピリチャルではありますが。）</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n9c08bfebd255'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 26 Mar 2025 20:49:18 +0900</pubDate>
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      <title>無意識に、意識高い系になっていた</title>
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      <description><![CDATA[<p name="b646d2ce-7beb-404d-92fb-f6dfaa2a8943" id="b646d2ce-7beb-404d-92fb-f6dfaa2a8943">　最近何かといつもよりちょっとだけ早く目が覚める。本当に10分か15分といった時間。家に居てもやること無いしどうせならと早めに出社して、適当に空いているベンチで読書している。これがなかなかいい感じになっている。でも良い感じだからと言って無理に起きる時間を早めたりはしない。あくまでたまたま早く起きた時だけ。その方が自然体だから。自然体の偶然の産物だからこそ気分が良い。逆にその為にわざわざ時間を作ると、義務化して楽しめなくなる気がするんだよね。<br>　そんな朝の読書をしている時に、前を通りかかった別の部署の同僚が私に話しかけるのでもなくそっと口にした。<br>　「おっ、イノマタさん本読んでる。心を落ち着かせているね。」<br>　『心を落ち着かせている』<br>　とても面白い表現だ。<br>　面白い表現過ぎて、思わずページをめくる手が止まっちゃった。<br>　確かに落ち着いていなきゃ本は読めないし、気分を切り替えたい時に本って読むよね。面白すぎて興奮しちゃう本もあるけど。<br>　つまり私は気せずして心を落ち着かせて1日をスタートさせていたのか。無意識に意識高い系な日常を過ごしていたのか。<br>　これで寝起きに白湯とか飲んでたら最強だな。あ、でも最近まで朝ご飯はヨーグルトにドライフルーツとグラノーラだったわ。完全にやっちゃってるわ。<br>　けど今はやっていないからやっぱ違うな、ギリ普通人だ。（ヨーグルトじゃお昼まで持たないのよね）<br>　この読書する意識高い系はいつまで続くかな。暑くなってきたら出来なくなるような気がするなぁ。暑いと出社した時点で汗かいてるし、本を読む気分とは遠ざかりそうだ。となると寒い時期だけか、意識高い系でいられるのは。温暖化が進む昨今では意識高い系でいられる時期は短くなる一方だな。それなら意識高い系でいられるように意識高い系らしく温暖化問題とかSDGsとかの本も読まなきゃね。<br>　あれ、これでは本を読むために本を読むことになってしまう。困ったものだ。やっぱり意識高いとか意識せず、自然が1番だな。<br>　</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n154dc0bb7cc8'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 19 Mar 2025 21:17:34 +0900</pubDate>
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      <title>お金持ちという職業</title>
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      <description><![CDATA[<p name="9dc89ba9-dade-42d4-acd5-63cedce96d7c" id="9dc89ba9-dade-42d4-acd5-63cedce96d7c">　ちょっとSNSを見れば、キラキラしたセレブや成功者と言われる人達の煌びやかな生活を目の当たりにする。それを見て「私も、自分もなりたい！なるんだ！」という人は多い。でもそれを真似るように目指す先に何があるのかな？現代ではお金は生きる為に必須だし、求めるのは分かる。けど、本当に所謂お金持ちになりたいと思っている人達はどれくらいいるのかな？<br>　ただお金を求める生き方って、お金持ちと言う職業に就きたいって事じゃないですか？お金はモノやサービスを手に入れる道具でしかない。道具がいっぱいあっても使い道と使う時間、そして何より使う目的がないと意味が無い。<br><br>　学生の頃の授業でこんな問いかけがあった。もし生活に困らないだけのお金があった場合、あなたは仕事をしますか？20名近くいたその教室で手を挙げたのは私と同じ専攻の先輩1人の計2人だけだった。手を挙げなかった人は「社会に関わっていないと駄目になりそう」とかそういった意見であった。仕事をするのは生活の為ではないそうだ。それから何十年か経ち、仕事してお金を稼いでいるその時手を挙げなかった人達は今も同じ意見なのだろうか。<br>　ちなみに手を挙げた私と先輩の見解は一致しており、生活の為にお金が必要なのだからそれが担保されているなら働く必要などない、である。正直ちょっと苦手としていた先輩であったが、ここまで見事に一致した見解を持っていてちょっと心の距離が近くなった気がした。(その数年後、先輩の卒業間際に初めて学食に誘われた。会話が全く合わず弾まずで中々な気まずさがあったのを覚えている)<br>　<br>　社会との関係性を重視するのは大事だと思う。人間は社会を形成して生きているし、社会から離れて生きていると言う人はごく僅かなマイノリティだし。<br>　やりたい事や社会と関わりたい手段が何なのかを考えるべきだと思う。仕事しないでいいならしないという考えの私でも、やりたい事が「仕事」という形でしか世の中に無いならば、お金の有無に関係なくその仕事をする。<br>　お金(給料)が発生しないと責任が無くなると言う人もいるが、給料の有無関係なく人の行動には責任が伴うと言いたい。<br><br>　お金欲しいと思っている人達は、盲目的に欲しがるのではなく、「何をしたいのか」というのを考えてみるべきだと思う。<br>　お金が幸せや満足をもたらすのではなく、お金を使って手に入れている、実現しているということを思い出すべきだ。やりたい事、実現したい事に必要な分だけ稼げは良いと思う。<br>　こんなのを書いているとお金に余裕があるからだろとか思われるかも知れないが、所得の1／3近くが家のローンに消えていて、なかなか厳しい生活してます。でも心にゆとりがあると意外に生活は楽なんですよ。もっと危機感持った方が良いですか？でもどうせいつか死ぬなら、やりたい事が出来る時間や考える事が出来るゆとりがある生き方の方が良いかなと楽観的に生きてます。</p><br/><a href='https://note.com/glad_skink8676/n/n250d741e7c0e'>続きをみる</a>]]></description>
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      <note:creatorName>いのまたこうじ</note:creatorName>
      <pubDate>Wed, 12 Mar 2025 18:59:58 +0900</pubDate>
      <link>https://note.com/glad_skink8676/n/n250d741e7c0e</link>
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