
【エッセイ】人の読み方
〇〇さん、これなんて読むの?
利用者の脳トレプリントに出てくる漢字が読めず、私を呼ぶ同僚。
『あく、ですかね?』
『さすが!賢いね!』
同僚は灰汁が読めなかった。ただそれだけ。
賢いとかではない、知ってるか知らないか。
なぜ私は知ってるのか、本を読んでいるから。同僚は私が本を読んでいる間、友人達とショッピングや外食を楽しんでいる。
同僚の業務をこなすスピードには私は敵わない。おそらく偏差値は私が上だろう。が、IQは同僚が上のはずだ。
名前も環境もお金も体力も学力も何もかもが違っていた2人が、こうして同一の職場でほぼ同一の賃金で働いている。
同僚はこんな筈ではなかったと思っているだろうか、私のように。
何もかもが相対であってこそ、私たちは成り立つ。相対とは補完し合うことであり、相手に求めるものではない。相手にあって、自分にないものがあるからだ。
有能とか無能とか、優秀とかクズとか、顔なしで誰でも吐けるようになった。
バカでも他人の批判はできる、とは矛盾した物言いになるだろうか。バカと言っていることが。
伝わり様のないことを、不十分な言語で充満させて右から左へ流していく。何の生産性もないやりとりが流れていく。元締めに対価だけを置いていく。
なぜ悩むのか。思考が伝わらないからだ。言葉は記号であるからだ。なおさら他者の思考など知る由もない。ならば如何に不毛なやりとりがなされているか分かるだろう。
灰汁を、アクと読めたとて、同僚と私に優劣の関係はない。ただ同僚が私より半年ほど先に入社している以外には。
先輩という、言外に意味を含めた言葉が出てきたことに自己嫌悪がとまらない。
まぁいいだろう。自分が先輩であるという態度を少しは見せている同僚だから。
利用者は、意味も分からないまま“あく“とルビをふっていた。
同僚と私の行く末も大して変わらず、優劣もないのだろう。そう信じたい。