
ほどける前に、気づけたらいい
古着を扱っていると、
ほつれを見つけることがあります。
袖口の糸が一本だけ出ている。
脇の縫い目が、ほんの少し開き始めている。
裾のステッチが、一か所だけ緩んでいる。
遠くから見れば、分かりません。
写真に撮っても、たぶん気づかない。
まだ普通に着ることもできます。
けれど私は、そういう小さなほつれを見ると、つい手が止まります。
今なら、まだ間に合う。
一本の糸を切って、少し縫い直せばいい。
ほんの数分で済むことです。
でも、そのままにして着続けると、
一本だったほつれが二本になり、
少しずつ縫い目が開き、
気がついた時には、大きく裂けていることがあります。
服は、不思議なほど正直です。
いきなり壊れるのではなく、
その前に、小さな合図を出している。
「ここ、少し無理していますよ」
と。
人も、同じなのかもしれません。
突然、心が折れたように見える人がいます。
突然、仕事を辞める人。
突然、誰かとの関係を終わらせる人。
突然、何もしたくなくなる人。
周りから見ると、
「どうして急に?」
と思います。
でも本人にとっては、
きっと突然ではなかったのでしょう。
ずっと前から、
小さなほつれがあった。
朝、起きるのが少しつらくなった。
好きだったことを、面倒に感じるようになった。
人と話していても、笑えなくなった。
誰かに何かを言われても、
以前なら流せた言葉が妙に心に残るようになった。
それでも私たちは、
「これくらい大丈夫」
と言います。
仕事だから。
家族がいるから。
迷惑をかけられないから。
みんな頑張っているから。
そう言いながら、
出ている糸を服の内側へ押し込むように、
気づかないふりをしてしまいます。
私も、そうでした。
商売をしていた頃、
何かがおかしいと感じる瞬間は、何度もあったと思います。
数字。
借入。
人の問題。
店の空気。
自分自身の疲れ。
今振り返れば、
いろいろなところから小さな糸が出ていました。
でも、その頃の私は、
止まることが怖かった。
経営者ですから、
「疲れました」
では済まないと思っていました。
店を開ければ、お客様が来る。
従業員もいる。
支払いもある。
明日もやってくる。
だから、
ほつれを直すことより、
とにかく着続けることを選びました。
少しくらいなら大丈夫。
まだいける。
来月になれば。
次のシーズンになれば。
売上が戻れば。
そんなことを考えながら。
結局、
服は大きく裂けました。
店を失いました。
もちろん、原因は一つではありません。
「あの時、糸を一本直していれば全部うまくいった」
などと言うつもりもありません。
人生は、そんなに単純ではありません。
それでも今になって思うのです。
もう少し早く、
自分のほつれを見てやればよかった、と。
古着を補修するとき、
大切なのは、
新品に戻すことではありません。
新品には戻りません。
年月を重ねた生地には、
色褪せがあります。
擦れがあります。
前の人が着ていた跡があります。
それを全部消してしまったら、
もはや古着ではありません。
だから、
必要なところだけ直します。
これ以上裂けないように。
もう一度、誰かが着られるように。
私は、この感覚が好きです。
人も、
元通りになる必要はないのではないでしょうか。
若い頃の自分に戻らなくてもいい。
失敗する前の自分に戻らなくてもいい。
傷つく前の自分になろうとしなくてもいい。
ただ、
これ以上ほどけないように、
少し縫い直す。
それで十分な時があります。
私は昔、
「立ち直る」という言葉を、
もっと大きなものだと思っていました。
人生を変える。
再起する。
成功する。
何かを成し遂げる。
けれど最近は、
もう少し小さなものなのではないかと思います。
今日は少し眠る。
誰かに話してみる。
一日だけ休む。
行きたくない誘いを断る。
無理に笑わない。
「今はちょっとしんどいな」
と、自分に言ってみる。
そんなことも、
立派な補修なのだと思います。
大きく裂けてから直すより、
糸が一本出ている時に気づいた方がいい。
そして、
もう一つ思うことがあります。
自分のほつれは、
案外、自分では見えないものです。
服の背中のほつれを、
着ている本人が見つけにくいように。
「最近、少し疲れていない?」
「無理してない?」
そんな一言で、
初めて気づくことがあります。
だから人には、
時々、誰かが必要なのでしょう。
修理する人ではなくていい。
答えを出す人でもなくていい。
ただ、
「そこ、少しほつれてるよ」
と教えてくれる人。
そして、
隣に座ってくれる人。
私は、
それが「伴走。」なのではないかと思っています。
誰かが弱っている時、
私たちはつい、
「頑張れ」
と言ってしまいます。
悪気はありません。
元気になってほしいからです。
でも、ほつれた服を引っ張れば、
もっと裂けてしまいます。
そんな時は、
引っ張るより、
そっと手を添えた方がいい。
「今日は、ここまででいいんじゃない」
そんな言葉の方が、
必要なこともあります。
古着には、
直した跡が残ることがあります。
同じ色の糸がなければ、
少し色が違う。
縫い方も、
最初とは少し違う。
でも私は、
それを悪いとは思いません。
むしろ、
「この服は、誰かに捨てられずに済んだんだな」
と思います。
直された跡は、
生き延びた跡でもあります。
人の傷も、
そうなのかもしれません。
完全には隠れない。
なかったことにもできない。
でも、
その傷があるからこそ、
誰かのほつれに気づけることがあります。
以前の私なら、
通り過ぎていたかもしれない。
けれど、
自分も一度ほどけたから、
今は少しだけ見えるものがあります。
それなら、
あの時間も、
すべてが無駄だったわけではないのでしょう。
もし今、
あなたの中に、
一本だけ出ている糸があるなら。
まだ、
「たいしたことではない」
と思っているかもしれません。
それでも、
少しだけ見てあげてください。
切ってもいい糸なのか。
縫い直した方がいいのか。
誰かに見てもらった方がいいのか。
答えは、今日出なくても構いません。
ただ、
無理に内側へ押し込まなくてもいい。
服も、人も、
長く使われていれば、
少しくらいほつれます。
それは、
弱いからではありません。
生きて、動いてきたからです。
今日も古着を手に取りながら、
私は小さな糸を探します。
まだ大丈夫だろう、と見過ごさずに。
ほどけてしまう前に。
そして、
自分自身にも、
時々同じことを聞いてみます。
「どこか、ほつれていないか。」
人生を大きく縫い直すことはできなくても、
今日という一日くらいなら、
少し丁寧に繕える。
そんなふうに思っています。