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Photo bytomekantyou1

私の形 ― 三人組の中で見つけたもの ―


    #創作大賞2026
    #エッセイ部門



      三人組は、外から見るときれいだ。
    まるで、どの辺も同じ長さで結ばれた正三角形のように、安定していて、楽しそうに見える。けれどその内側にいると、ほんの少しの距離の違いが、驚くほど大きく感じられる。
    私たちの友情も、きっとそんな形をしていたと思う。


    三人で歩くとき、私はいつも少し後ろを歩いていた。道幅が狭いから、誰か一人は後ろに下がらなければならない。ただそれだけのことだ。誰かに言われたわけでもない。自然とそうなっていた。前を歩く二人の背中を見ながら、私はぼんやり思う。
    『ああ、今日も私はここなんだ。』
    今振り返ると、その「一歩後ろ」は、私の三人組の中での立ち位置そのものだった気がする。


       高校一年生のとき、私は部活動が同じだった二人と仲良くなった。昼休みは一緒にご飯を食べ、放課後は熱心に部活に取り組み、帰り道ではどうでもいい話をしながら笑った。二人と一緒にいる時間が、私は好きだった。
    まるで綺麗な正三角形のようにバランスが取れていて、何もかもが幸せだった。
    あの時間が、ずっと続くものだと信じていた。
    でも、そんなものは案外あっさり形を変える。


      二年生の春。学年が上がると同時に行われるクラス替えによって、綺麗な正三角形が、別の形へと変化していく。
    新学期初日の登校日。掲示板の前で、自分の名前を探す。
    「あった。」
    そのすぐあと、二人の名前を見つけた。二人は同じ列に並んでいた。その瞬間、胸の奥がすうっと冷えていくのを感じた。

    『私だけが違う。』

    その言葉が、誰にも聞こえないように胸の中に落ちた。
    「まあ、部活で会えるしね。」
    私は笑ってそう言った。二人も「そうだよ」と笑った。
    たぶん、誰も悪くなかった。
    でもその日から、確かに何かが変わっていった。


    私には新しいクラスに友だちはいなかった。かと言って二人に会うために別クラスに一人で行く勇気はない。休み時間、私は一人で教室にいることが増えた。みんなが誰かと話している中、私は教科書を開いて、読んでいるふりをして過ごした。何一つ頭に入らない数式を眺めるのは、必死に何かをやっている風に演じる手段だった。
    三人でいたときは短すぎると感じた十分が、まるで、終わりの見えない数列のように続いていた。

    その時間を乗り越えて、ようやく二人に会える昼休み。廊下で合流すると、二人は楽しそうに話している。
    「今日の授業、やばくなかった?」
    「それな!先生の顔、ずっと真顔だったよね。」
    私は笑って割って入る。
    「そうなんだ!詳しく教えてよ」
    けれど、その話の続きを聞いても私は心から笑えなかった。教室の中で生まれた笑いは、教室にいない私には共有されなかった。会話に入っているはずなのに、私だけ少し外側にいる。その感覚は、日に日に大きくなった。




     そして決定的なことが起こった。


       私は規則を破ったりするのが大嫌いな人間だった。だから放課後の寄り道はもってのほかだった。部活で忙しい私たちにとって、唯一時間が空くのは部活がない平日のみ。だから遊ぶ選択肢は放課後しかなかった。
    「今日放課後、カラオケ行かない?」
    せっかくの誘いも
    「ごめん。あまり寄り道したくないから」
    と一人だけ先に帰ったり、部活帰りの
    「アイス買って帰ろうよ!」
    と言う提案も
    「先生に見つかったらまずいから、私はいいや」
    と、断り続けた。
    そんな私を二人は理解してくれた。責めることもなかった。その優しさに、私はつい甘えてしまった。ずっと、待っていてくれるものだと思っていた。そう、信じていた。


    ある夜、ベッドに寝転びながら、なんとなくSNSを開いた。画面を流していた指が止まる。見慣れた二人の笑顔。
    「親友と二人でタピオカ!楽しかったね!」
    コメントに書かれたその一言が、やけに明るかった。
    『あ、今日遊んでたんだ。』
    その瞬間、胸のどこかがきゅっと縮んだ。呼ばれなかった、という事実が、静かに胸に刺さった。
    もちろん分かっていた。断り続けたのは私だ。誘われなくなって当然だった。それでも、せめて一度くらい声をかけてほしかった。
    「来ないって分かってるけど、一応聞くね。」
    たったそれだけでよかったのに。
    でもそんなことを望む自分は、少しわがままだとも思った。だから私は、自分を納得させることにした。
    「二人は悪くない。悪いのは私だ。」
    そう言い聞かせた。そうすることでしか、自分を守れなかった。
    だが、そんなことが頻繁に起こるようになった。

    「え? 今日このまま遊びに行くの?」
    帰りの電車で、いつもと違う駅で降りる二人の背中を、私は車内から一人静かに見送った。どうせ誘っても行かないだろうと、気を使ってくれたのだろうか。SNSに書かれた『親友二人』という文字が頭に浮かぶ。私の知らないところで、二人の距離が少しずつ縮まっていくのを、ただ見ていることしかできなかった。
    そんなことが続くうちに、私はだんだん、三人でいることが苦しくなっていった。


    やがて私は、少しずつ二人と距離を取るようになった。

    昼休みはクラスで出来た友だちとご飯を食べるようになったり、あえて二人と登校時間をずらしたりした。三人で歩いていた帰り道を、一人で歩く。その方が、楽だった。
    二人の後ろを歩くより、一人で歩く方がずっと呼吸がしやすかった。
    私はそのとき初めて、「一人」の自由を知った。二人の背中を必死に眺めていたあの頃とは、少し世界が違って見えた。強くなったのかもしれない。いや、傷つかないふりが上手くなっただけかもしれない。


       私たちの関係は、まるで二等辺三角形のようだった。三人ともつながっているはずなのに、なぜかいつも二辺だけが寄り添い、残る一辺だけが少し遠い。
    その「少し」の距離は、他人から見れば取るに足らないものだったかもしれない。けれど、当時の私には、そのわずかな隙間がどこまでも長く感じられた。



      そして一年後。
    高校三年生になり、今度は私が「二」の側になった。同じクラスに親しい友人がいる。それは、素直に嬉しかった。
    けれど、その喜びはすぐに別の感情へ変わっていく。

    『あの子は、今どんな気持ちなんだろう。』

    一度「一」を経験した人間は、「一」の痛みを忘れられない。少し申し訳なくて、少し安心して、少し嬉しい。そんな、自分でも説明のつかない感情だった。
    けれど、そんな心配は杞憂に終わる。
    休み時間になると、教室のドアが開く。
    「おはよう」
    そう言って入ってくるのは、別のクラスになった三人組の「一」になった友人。けれど、その足は私ではなく、もう一人の友人へ向かっていく。
    「ねぇー!聞いてよ、昨日さ——」
    楽しそうに話し始める二人。私には「おはよう」とだけ言って、また二人の世界へ戻っていく。私はその光景を、何度も見送った。そのたびに思う。
    私が苦しかったのは、「一人だったこと」ではない。
    「選ばれていない」と感じることだったのだ。それは想像していたより、ずっと静かで、ずっと鋭く心を刺した。
    「三人でいたはずなのに」
    その思いだけが、胸の中で少しずつ膨らんでいった。




       ある日、「一」の方になった友人がぽつりと言った。
    「最近、クラスに居づらくて。」
    仲の良かったグループで、少し揉めたらしい。それから彼女は、昼休みに私たちの教室へ来るようになった。
    「こっちの方が楽しい。」
    そう笑う彼女の顔は、どこか疲れていた。最初は、ただ力になりたいと思った。少しでも安心できる場所になればいい、と。
    けれど、その子がいることで「二」だった私の関係が「一」と「二」に分かれてしまう。

    二等辺三角形は、二辺が近づくほど、その内側だけが深くなる。二人だけの世界が狭く、濃くなっていくほど、残された一辺との距離だけが、静かに広がっていった。

    そのとき、私はもう三角形ではなくなったように感じた。二つの点を結ぶ、一本の線。

    ───────そこに私はいない。




    けれど、私は知らなかったのだ。
    自分だけがこの悩みを抱えているとばかり思っていたが、実際は違った。


       ある日、私たちはいつも通り三人で昼食を囲み、何気ない話をしていた。
    「そういえばさっきの先生、またあの話してたよね。」
    同じクラスの友人がそう言うと、私はその出来事を思い出し、すぐに笑った。
    「あれ、何回目だろうね。」
    私たちは自然に笑い合った。けれど、その瞬間ちらりと横目で見えたのは微笑む彼女だった。向かいに座る彼女だけが、静かに笑っていた。会話には入っている。ちゃんとそこにいる。それなのに、少しだけ遠い。その表情を見たとき、胸の奥がひやりとした。

    『ああ、これだ。』

    私は今、自分がかつてされたことを、無意識にしてしまっていた。悪気なんてなかった。仲間外れにするつもりも、もちろんない。それでも、知らない話題の中に一人だけ置かれる苦しさを、私は誰より知っていたはずなのに。
    私は、自分だけが苦しいのだと思っていた。


    「一」にいる苦しさも、選ばれない寂しさも、置いていかれる痛みも。全部、自分だけのものだと思い込んでいた。


    けれど、違った。あの子はあの子で、自分の居場所を失っていた。もう一人の友人も、二人の間に立ちながら、見えない気遣いを重ねていたのかもしれない。私は、自分の痛みばかりを見て、二人の痛みに気づいていなかった。



       難しいのは、三人組でいることじゃない。人と人との距離を測ることなのだ。近すぎれば、息が詰まる。遠すぎれば、不安になる。
    その『ちょうどいい距離』を探し続けること。
    それが、きっと友情なのだと思う。
    私たちは、きれいな正三角形にはなれなかった。少なくとも私はそう思っている。辺の長さは少しずつ変わり、ときには二等辺三角形になり、ときには、ほとんど直線のようになった。それでも私たちは、形を変えながら、同じ図形の中に居続けていた。不格好でも、その形こそが、あの頃の私たちの友情だったのだと思う。


    もし今、同じように三人組の中で苦しんでいる人がいるなら、一度だけ深呼吸をしてみてほしい。目の前の二等辺三角形に夢中になっていると、その形が世界のすべてのように思えてしまう。けれど、少し視線を上げれば、世の中にはもっとたくさんの形がある。平行四辺形も、七角形も、どこにも属さない「点」だってある。
    そして、自分自身もまた、自由に形を変えていい。誰かに合わせて、無理に辺を伸ばさなくていい。誰かと同じ長さになろうとしなくていい。
    正しい形があるのではなく、自分で選んだ形が、きっと自分の答えになる。
    少し立ち止まって、自分は何が好きで、どこにいたいのかを考えてみる。そうすればきっと、自分だけの形が見えてくる。


       私は今でも、三人で歩くと、少し後ろを意識してしまう。でも、もうその位置を怖いとは思わない。あの二等辺三角形の中で悩み続けた時間が、今の私をつくっている。
    だから私は今日も、「私の形」を探し続けながら、前を向いて歩いていく。

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