
学習用データ市場は誰が作るのか / Ross事件と著作権法30条の4ただし書 雑感
0 アブストラクト
AI学習のために他人の著作物を複製してよいかという問いは、最後には、学習用データのライセンス市場が著作権法の保護する市場かどうかという一点に帰着する。本稿は、この問いが米国のフェアユース第4因子と日本の著作権法30条の4ただし書に共通して埋め込まれていることを取り出し、市場の画定を権利者側の行動に委ねる設計が権利制限の中身を空洞化させうるという視点から、日本の行政解釈の射程を検討する。
比較法視点で参照するのは、Thomson Reuters v. Ross Intelligence をめぐる議論である。Miquel Peguera Pochが2025年5月に公表した論評は、デラウェア州の連邦地方裁判所が2025年2月11日に下した判断を整理し、Westlawのヘッドノートに創作性を認めたうえで、法情報検索AIを訓練したRossの利用は変容的でなく、学習用データの潜在市場に影響しうるとしてフェアユースを否定した決定の骨格を示している。同事件は第3巡回区控訴裁判所に係属し、2026年6月11日に口頭弁論が行われた。
Ⅰ フェアユース判断が第4因子に収斂していく
AI学習と著作権をめぐる議論は、変容的利用をめぐる争いとして語られることが多い。もっとも、米国の裁判所が実際に結論を分けてきた場所は、変容性そのものではなく、第4因子で描かれる市場の輪郭であったように見える。Thomson Reuters v. Ross Intelligence は、その構造をかなり素朴な形で見せてくれる事件である。
1 変容性の否定と中間的複製論の切り分け
Rossは法情報検索のAIを開発するにあたり、Thomson ReutersにWestlawの利用許諾を求めたが、競合他社であることを理由に断られた。そこでLegalEase社に問答集の作成を委託し、同社はWestlawのヘッドノートをもとに約2万5000組の問答を作成して、Rossはこれを学習に用いた〔注1〕。2020年に提訴された同事件では、2023年9月にBibas判事が事実審理を要するとして双方の申立てを退けていたが、2025年2月11日の決定で判断を改め、2243件のヘッドノートについて複製と実質的類似性を認め、フェアユースの抗弁も斥けた〔注1〕〔注2〕。判事は、判決文という素材から何を切り出して残すかを決める作業を彫刻家の仕事になぞらえ、判決文の文言をほぼそのまま用いたヘッドノートにも創作性があるとしている〔注1〕。
第1因子について、判事は、Rossの利用に別の目的も異なる性格もないと述べた。Rossの道具は生成AIではなく、利用者の法律上の問いに対して関連する判決を返す検索ツールであり、学習に用いたヘッドノートを出力に表示していない〔注1〕。その意味でRossの複製は中間的複製に近い。判事はしかし、中間的複製がフェアユースとされた先例には、複製の対象がプログラムのコードであったことと、変容的利用のために複製が必要であったことという2つの要素が備わっており、本件はいずれも欠くと切り分けた〔注1〕。
4つの因子のうち、著作物の性質を問う第2因子と、利用された部分の量を問う第3因子は、いずれもRossに有利に評価されている〔注3〕。それでも結論が否定に傾いたのは、判事が第4因子を最も重要な要素と位置付けたからである〔注1〕。ここで判事が述べたのは、Rossが代替品を作って競争しようとしていること、そしてRossによるデータの利用が、AIの訓練用データの利用についての潜在市場に影響しうるということであった〔注1〕。中間的複製の先例をコードの複製に限る切り分けは、技術の外形に着目した線引きのようにも見えるが、判事が実際に見ていたのは競合品の制作を容易にするための複製という一点であり、第1因子の名を借りた第4因子の議論であったと読める。
2 控訴審の口頭弁論が市場の画定に集中した理由
第3巡回区は2025年6月17日に中間上訴を受理し〔注4〕、2026年6月11日にフィラデルフィアで口頭弁論を開いた。Restrepo、Montgomery-Reeves、Boveの3判事の質問は、変容性と市場への影響に集中したと報じられている〔注5〕〔注6〕。Ross側の代理人であるMark S. Davies弁護士は、問題となる著作物はヘッドノート自体であって、単一のヘッドノートにも、AI学習素材としてのヘッドノートにも市場は存在しないと述べた〔注5〕。Bove判事がAI学習の市場がありうるかと問うたのに対し、Davies弁護士は、Thomson Reutersに失われた市場を主張させることは循環すると答えている。どの権利者も、後にフェアユースだと主張される当の利用について、自分ならライセンスしたはずだと言えてしまうからである〔注5〕。
循環という指摘は、フェアユースの構造上避けがたい弱点を突いていると思われる。第4因子は利用が著作物の潜在的市場または価値に及ぼす影響を問うが、潜在的市場の外延は、権利者が主張した時点で確定するものではない。どの市場が著作権法の保護する市場かという規範的な絞り込みを先に済ませておかなければ、第4因子は権利者の言い値で決まりかねない。もっとも、Restrepo判事がRossはWestlawの直接の競合者であると指摘し、Montgomery-Reeves判事が商業的代替品を狙ったものかと問うたのに対し、Davies弁護士が、著作権法は既存事業者を競争から守るために設けられたものではないと応じた場面もある〔注5〕。市場の画定は、代替の有無という事実問題の顔をしながら、実際には保護範囲の規範的選択を含んでいる。
Ross側は、第3巡回区が2026年4月7日に言い渡したASTM v. UpCodesにも依拠した〔注5〕。同判決は、法に取り込まれた技術基準を全文公開したUpCodesの利用について、法の内容を伝えるという別個の目的があるとして変容性を認め、市場への影響は決め手を欠くとして、仮処分の却下を維持している〔注7〕。法に近い事実的な著作物には薄い保護しか及ばないという読み筋が通るのか、それとも法の公開という固有の事情に限られた判断にとどまるのかは、控訴審の判断待ちである。
Ⅱ 生成か非生成かは変容性を決めていない
Pegueraの論評は、Ross事件が非生成AIの限定された事案であり、OpenAIやStabilityAI、Perplexity、Metaといった大規模な開発者を相手取る訴訟の方がはるかに複雑な問題を含む、と結んでいる〔注1〕。2025年5月時点の整理としては自然な見立てであろう。ところが、その後の展開は複雑さの所在を別の場所に置いた。
カリフォルニア州北部地区の連邦地方裁判所は、2025年6月23日のBartz v. Anthropicで、書籍を用いた大規模言語モデルの学習を極めて変容的であるとしてフェアユースを認めた。学習用ライセンス市場が奪われるという著作者側の主張については、著作権法が著作者に与えた市場ではないとして斥けている〔注8〕。その2日後のKadrey v. Meta Platformsは、学習が高度に変容的であることを認めたうえで、市場希釈の立証がないという理由で被告に軍配を上げ、原告らが誤った主張を選び、正しい主張を支える記録を作らなかっただけであると明示した〔注9〕。
生成AIの学習は変容的とされ、非生成の検索AIの学習は変容的でないとされた。技術の性質だけを並べれば、この結果は逆立ちしている。両者を分けたのは、被告の産出物が原告の商品を正面から置き換えるかどうかであり、Rossの検索ツールはWestlawの代替として設計されていた。とすれば、変容性の判断もまた市場の代替性に引きずられており、107条が並列に置いた4因子は、実際には第4因子が他を従える構造で運用されていると見ることができる。しかも、学習用データのライセンス市場を認めるかどうかで、Bibas判事とAlsup判事の判断は正面から割れている。第3巡回区は、この対立に控訴審として最初の答えを出す位置にある。
Ⅲ 30条の4ただし書と潜在的販路の自己創出
1 同じ事案は日本では本文で決着し、ただし書だけが残る
著作権法30条の4は、著作物に表現された思想又は感情を自ら享受し又は他人に享受させることを目的としない場合に、その必要と認められる限度で著作物を利用できるとし、2号で情報解析の用に供する場合をその例に挙げる。ただし書は、著作物の種類及び用途並びに利用の態様に照らし著作権者の利益を不当に害することとなる場合を、適用対象から外す。
Rossの利用を日本法に置き換えてみると、ヘッドノートを問答に変換して検索モデルを訓練する行為は情報解析にあたり、出力にヘッドノートを表示していない以上、享受目的が併存すると評価するのも難しいであろう。変容性という概念は条文のどこにもないから、Bibas判事が費やした第1因子の分析も、中間的複製の先例の切り分けも、日本法では出番がない。米国で足かけ6年争われてきた論点の大半が、日本では本文の要件充足で片付いてしまい、残るのはただし書だけになる。上野達弘教授が、日本には諸外国に例を見ないほど広範な情報解析の権利制限があるとして日本を機械学習パラダイスと呼んだのは、この構えの広さを指している〔注10〕。
2 技術的措置からの推認は市場を後から作り出す
文化審議会著作権分科会法制度小委員会が令和6年3月15日に取りまとめた「AIと著作権に関する考え方について」は、ただし書該当性を、著作権者の著作物の利用市場と衝突するか、将来における著作物の潜在的販路を阻害するかという観点から、諸般の事情を総合考慮して判断するとしている〔注11〕。該当例として挙げられるのは、大量の情報を容易に情報解析に活用できる形で整理したデータベースの著作物が販売されている場合に、これを情報解析目的で複製等する行為である〔注11〕。さらに、AI学習のための複製等を防止する技術的な措置が講じられているといった事情から、当該データを情報解析に活用できる形で整理したデータベースの著作物が将来販売される予定があると推認できる場合には、その措置を回避して複製等をする行為もただし書に該当するとされる〔注11〕〔注12〕。
文化庁の整理は、第3巡回区でいま争われている問いに、日本が既に一つの答えを出していることを意味する。学習用データのライセンス市場は著作権法上保護されうる市場だ、という答えである。しかも、現に販売されている事実がなくとも、robots.txtのような技術的措置から将来の販売予定を推認するという経路まで用意されている。Davies弁護士が第3巡回区で述べた循環の懸念は、この構成にほぼそのまま当てはまるように思われる。権利者は、クローラを拒否する設定を置くことによって、後から阻害されたと主張しうる販路の存在を推認させることができるからである。
筆者は、ただし書にいう潜在的販路を、権利者の一方的な意思表示や技術的措置だけで作り出せるものとして読むべきではないと考える。理由は立法趣旨にある。30条の4を含む柔軟な権利制限規定は、技術革新により大量の情報の収集と利用が可能になる中で、著作物の市場に大きな影響を与えないものについて個々の許諾を不要とする趣旨で、平成30年改正により設けられたものである〔注11〕。ここでいう市場は、当該非享受目的の利用が現れる前から存在していた市場を指すと理解される。利用が現れてはじめて観念される市場を潜在的販路に読み込んでしまえば、本文が想定した許諾不要の領域は、権利者の設定操作ひとつで消えることになる。現に情報解析用のデータベースとして販売されているか、販売の具体的な準備が進んでいるかという、外形から確認できる事実に絞って読むのが穏当であろう。技術的措置の無視を問題視する筋道自体を否定する趣旨ではなく、それは契約や不正競争防止法など著作権法の外側で処理する余地が残されている。
3 新聞社対Perplexity訴訟がただし書の射程を先に決める
読売新聞グループ3社は2025年8月7日に、朝日新聞社と日本経済新聞社は同月26日に、いずれも東京地方裁判所に、生成AI検索サービスを提供するPerplexity AI, Inc.を相手取って提訴している〔注13〕。報じられている争点には、各社がボットの巡回を拒否する設定を置いていたにもかかわらず記事が取得されたという主張が含まれている〔注14〕。
新聞社側の主張の中心は複製権や公衆送信権の侵害と不正競争行為にあり、学習段階の適法性のみを問う構成ではない。それでも、被告が30条の4本文による抗弁を組み立てるならば、裁判所はただし書の解釈に踏み込まざるをえないであろう。文化庁の考え方が技術的措置を推認のきっかけとして挙げたことの帰結が、行政解釈のままではなく判決として示される場面が近づいている。第3巡回区が第4因子で市場をどう画定するかと、東京地裁がただし書で潜在的販路をどう画定するかは、条文も法体系も違うが、問われているものは重なっている。
Ⅳ むすびにかえて
Ross事件の決定は、非生成AIの、しかも競合他社どうしの、記録の限られた事案についての判断であり、判事自身がその射程の狭さを断っている〔注1〕。それでも各国の議論を引き寄せているのは、学習用データのライセンス市場を著作権法上の市場として承認するかという問いが、技術の種類にも国境にも関係なく立ち上がるからであろう。
日本の議論を眺めていると、この問いは権利制限の要件論の内側に折り畳まれていて、正面から扱われていないように見える。ただし書は、著作権者の利益を不当に害するかという評価的な文言ひとつで市場画定の作業を引き受けており、その中身は行政の解釈文書が埋めている。米国の裁判所が4つの因子を並べ、判事どうしが正面から対立しながら答えを探しているのに比べると、日本の構えは静かである。静かであることは、争点が片付いていることを意味しない。
第3巡回区の判断は2026年後半に示される見込みだと報じられている〔注6〕。学習用データのライセンス市場を否定する方向で書かれるなら、日本のただし書解釈にとっても、潜在的販路をどこまで広げてよいかを考え直す材料になる。肯定する方向で書かれるなら、日本が機械学習パラダイスと呼ばれてきた根拠は、条文の広さではなく、ただし書がまだ本格的に使われていないという事実にすぎなかったことになるのかもしれない。いずれにせよ、市場を誰が作るのかという問いを避けたまま権利制限の広狭だけを論じても、議論は前に進まないであろう。
出典
〔注1〕 Miquel Peguera Poch, Entrenamiento de sistemas de IA y derechos de autor: el caso Thomson Reuters v. Ross Intelligence, IurisCrimPol, Blog de los Estudios de Derecho y Ciencia Política, Universitat Oberta de Catalunya (May 21, 2025), https://blogs.uoc.edu/edcp/es/entrenamiento-de-sistemas-de-ia-y-derechos-de-autor-el-caso-thomson-reuters-v-ross-intelligence/, last visited July 17, 2026.
〔注2〕 Thomson Reuters Enterprise Centre GmbH v. Ross Intelligence Inc., 765 F. Supp. 3d 382 (D. Del. 2025).
〔注3〕 Reed Smith LLP, Court Shuts Down AI Fair Use Argument in Thomson Reuters Enterprise Centre GMBH v. Ross Intelligence Inc., https://www.reedsmith.com/articles/court-ai-fair-use-thomson-reuters-enterprise-gmbh-ross-intelligence/, last visited July 17, 2026.
〔注4〕 Thomson Reuters Centre GmbH v. Ross Intelligence Inc., No. 25-8018 (3d Cir. June 17, 2025). Kluwer Copyright Blog, Copyright case: Thomson Reuters Centre GmbH v. Ross Intelligence Inc., USA, https://legalblogs.wolterskluwer.com/copyright-blog/copyright-case-thomson-reuters-centre-gmbh-v-ross-intelligence-inc-usa/, last visited July 17, 2026.
〔注5〕 Robert J. Ambrogi, At 3rd Circuit, Judges Press ROSS and Thomson Reuters on Fair Use, AI Training and Market Harm, LawSites (June 2026), https://www.lawnext.com/2026/06/at-3rd-circuit-judges-press-ross-and-thomson-reuters-on-fair-use-ai-training-and-market-harm.html, last visited July 17, 2026.
〔注6〕 Baker Botts L.L.P., Third Circuit Hears Oral Argument in Ross v. Reuters AI Training Copyright Case (July 2026), https://www.bakerbotts.com/thought-leadership/publications/2026/july/third-circuit-hears-oral-argument, last visited July 17, 2026.
〔注7〕 American Society for Testing & Materials v. UpCodes Inc., No. 24-2965 (3d Cir. Apr. 7, 2026), https://law.justia.com/cases/federal/appellate-courts/ca3/24-2965/24-2965-2026-04-07.html, last visited July 17, 2026.
〔注8〕 Bartz v. Anthropic PBC, No. 3:24-cv-05417 (N.D. Cal. June 23, 2025). ArentFox Schiff LLP, Landmark Ruling on AI Copyright: Fair Use vs. Infringement in Bartz v. Anthropic, https://www.afslaw.com/perspectives/alerts/landmark-ruling-ai-copyright-fair-use-vs-infringement-bartz-v-anthropic, last visited July 17, 2026.
〔注9〕 Kadrey v. Meta Platforms, Inc., No. 23-cv-03417-VC (N.D. Cal. June 25, 2025). Goodwin Procter LLP, Northern District of California Judge Rules That Meta's Training of AI Models Is Fair Use, https://www.goodwinlaw.com/en/insights/publications/2025/06/alerts-practices-aiml-northern-district-of-california-judge-rules, last visited July 17, 2026.
〔注10〕 上野達弘「情報解析と著作権──『機械学習パラダイス』としての日本」人工知能36巻6号(2021年)745頁(https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjsai/36/6/36_745/_article/-char/ja/、2026年7月17日最終閲覧)。
〔注11〕 文化審議会著作権分科会法制度小委員会「AIと著作権に関する考え方について」(令和6年3月15日)(https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/chosakuken/pdf/94037901_01.pdf、2026年7月17日最終閲覧)。
〔注12〕 文化庁著作権課「AIと著作権に関するチェックリスト&ガイダンス」(令和6年7月31日)。文化庁「AIと著作権について」(https://www.bunka.go.jp/seisaku/chosakuken/aiandcopyright.html、2026年7月17日最終閲覧)。
〔注13〕 ITmedia AI+「朝日と日経、米Perplexityを共同提訴 読売に続き 「記事の無断利用」で計44億円請求」(2025年8月26日)(https://www.itmedia.co.jp/aiplus/articles/2508/26/news100.html、2026年7月17日最終閲覧)。
〔注14〕 共同通信「「特集」ゲームチェンジの行方 新聞社vs生成AI 訴訟が問う核心とは」(2025年10月17日)(https://www.kyodo.co.jp/news/2025-10-17_3966274/、2026年7月17日最終閲覧)。
(マガジン)「AIと法雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
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