
ゆで卵の恋しさとせつなさと心強さと
一度だけ海外旅行をしたことがある。
新婚旅行で北欧に行ったのだ。
フィヨルド、サンタクロース、デザインを堪能しつつ、北欧のクセのある食事だけはどうしても苦手であった。
そんな時に僕を救ったのは、何も混ぜない、ただそこにあるものにかじりつくというフルーツとゆで卵であった。
そうだ、その無垢な味は僕を北欧旅行の疲れから癒したのは確実であった。
もしもフルーツとゆで卵がなかったのであれば、僕は北欧旅行の途中で離脱して日本に戻り、お茶漬けをじっくりと味わったことであろう。
そうならなかったのはひとえに、フルーツとゆで卵が毎朝のビュッフェスタイルの食卓にあったということに他ならない。
そうだ、ゆで卵は僕を救ったのだ。
今一度、このゆで卵の偉大さを語らなければならない。
そうだ、高校生で野球をやっている息子が、体を作るために毎日毎日おにぎりをたくさん持っていっている。
それを全て食べきらなければならない。
けれども、おにぎりだけではやや物足りない。
中身に何を入れようが、おにぎりなんて所詮おにぎりである。
それ以上でもそれ以下でもない。
そこにプラスするのがゆで卵である。
ゆで卵は、それだけで絵になる。
それに塩を振って入れておけば、それでいいのだ。
そんな尊い食べ物が簡単に手に入る現代、これはゆで卵を食べない手はないということになる。
僕もゆで卵が大好きである。
ゆで卵というか、卵が好きなのだ。
様々ある卵料理、それぞれ語りたいところであるが、今はただその卵を茹でるだけの料理、ゆで卵に集中しよう。
ボイルドエッグというものを語ってみたいわけである。
味付けなどいらない。こんなものに味付けをするなんて、野暮なことは僕はしないのだ。
ただ塩気がないとやや物足りない。だから塩は振っておく。
塩だけで良い。
逆に言えば、塩以外に何かを加えてみれば、それはもうゆで卵ではなくなる。加工品である。
例えばマヨネーズを混ぜてしまったならば、タルタルである。
もうゆで卵には戻れない。
ゆで卵、塩だけで食べる卵の尊さ、美味さを皆さんはご存知だろうか。
いやおそらく、知らないはずだ。
改めて、ゆで卵だけを塩で食べること、なんて現代に削ぐわない。
もっと手をかけて、出汁や、スパイスや、さまざまな具材と一緒に、と走ってしまう。
そうでない、一途な尊さ、現代はこれを取り戻さねばならない。
さぁ、ゆで卵を傍に携えて、散歩に出よう。