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慰霊の日。私の想像力では、“いくさ世“のことは浮かばない。

    朝早く目が覚めた。いつも通り5時15分のアラーム。寝転がったままぐーっと背伸びをする。
    毎朝、脳も瞼も停止したまま、スリッパを履いて外に出る。
    ゆったりと歩きながら肩を回し、ぼーっとただ歩みを進める。
    しばらくすると、脳と瞼が目覚めてくる。そこからの思考は流れのままに。
    1年で最も日の長い時期。薄明を迎えた空を見上げて、すっと息を吸い込む。
    静かに瞼を閉じて、81年前の朝に思いを馳せる。
    そこには、確かに豊かな島の姿があった。
    澄んだ空気をやわらかく、しかしぬるめの風が包み、閑かな木々の間を抜ける。
    うるまに寄せる波。その果ての水平線から顔を出した陽の光は、白く輝く水面を跳ねる。
    ただ、一歩深く入ると、そこには想像もつかない、どんな言葉でも陳腐に聞こえる世界が
    毒の沼のように広がり、地を這うへどろのごとくまとわりついていたのだろう。
    目を閉じて絵を浮かべても、沖縄の自然ばかりが浮かんでくる。
    私の想像力では、“いくさ世“のことは浮かばない。
    いくら話を聞いても、いくら映像を見ても、私が生きてきた34年の道の中には
    “差し迫ったいくさ世”はないのである。
    それでも私は思いを馳せる。
    アメリカ世で幼少を過ごした父や母の少年時代に。
    まちやーぐわぁにセントを握りしめて、駄菓子を買ったという父。
    幼い頃から家畜を育てる役目を背負いながら学んでいたという母。
    それでも私は思いを馳せる。
    10代でありながら集団自決のガマの中で生き残った祖母。
    対馬丸に乗るつもりだったが家族が引き戻したという祖父の妹。
    捕虜になった経験を語ってくれた隣のまちやーぐわぁの気の良いおじいちゃん。
    それでも私は思いを馳せる。
    幼い頃から我が家にあった仏壇に飾られている曽祖母の夫や祖母の兄の遺影。
    何か怖い雰囲気がするからと近寄らなかった、地域の公園にある慰霊の塔に刻まれた名前。
    この豊かな島に生まれ育ち、私は幾度もいくさ世に触れてきた。
    それでもまだ、私の想像力では“いくさ世”のことは浮かばない。
    私の周りには、家族の末っ子ながら地域に住み続け、地域の発掘を続けてきた母しか遺されていない。
    その母も戦後16年経って生まれたのである。そこからさらに30年後に私が生まれた。
    そんな私に何ができるというのだ。
    流れる血には、確かにいくさ世の記憶が残っている。
    思いを馳せようと、学び、知ろうと努めるちむぐくるも湧き上がる。
    島を流れるぬるい風も、水平線の奥の陽の光も当時と何も変わらない。
    木々も、その下に根付く草花も、そこに息づく生き物たちも
    あの頃の島の姿を見させてくれる。
    それでもまだ、私の想像力では“いくさ世”のことは浮かばない。
    そんな私に何ができるというのだ。
    私はどんなバトンを受け取った?
    私はどんなバトンを次の世代へ託していく?
    自問したところで明確な答えを持ち得ない。
    そんな私に何ができるというのだ。
    81年の年月を経て、風化していく現実に。
    抗うこともできず、未来を担う子どもたちの前に立つ。
    未来の平和をどう創る?
    過去が薄れていく中で、語り部も少なくなる中で、
    私は何もできないまま子どもたちの前に立つ。
    そんな嘆きを先人たちが見たら、怒鳴りつけられるのだろうか?
    それとも落胆させてしまうのだろうか。
    私が今生きている意味を問う。
    すっと瞼を開いた先には、いつもと変わらぬ景色があった。
    81年の年月を経て、確かに平和は流れ続けていた。
    いや、私たちが平和と名づけていたのかもしれない。
    本当の平和を問う。
    答えの輪郭さえ見えない平和を問う。
    そうやってもがく道をこれからも歩んでいく。
    いつか必ず満ちる“平和“の空気を、すっと吸い込む。
    今日が人生最高の“平和”であり、明日がさらなる“最高の平和“になるように。

     
     
    【教師は最高のエンタメだ!】現役小学校教師&4児の父。◆授業スライド・実践の公開 ◆生成AI×教育の活用 ◆子育て絵本「父ちゃん365」。「先生って辛そう」なイメージを変えたい。毎日がドラマな学校と家庭のリアルを綴ります。 詳しい自己紹介は固定記事からどうぞ👇

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