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老人になった時の心境の変化、独特の変化がある物だ。

老人の心境

 若い時から第1戦に立って活躍してきた。それが87歳になって、仕事が無くなると、気の抜けた炭酸水のように、張り合いというものが全く無い人生に代わった。老人なのだからこれで良いのだ。悠々自適で生活の事だけ考えていればよい。

 そのように思い込もうとしているのだが長年、第1戦で活躍してきた自分である。その活躍の舞台が急に無くなると、意味が無くなった人生の様な感じになった。高齢なのだから、無理をしないで、日向ぼっこをして悠々自適で暮らせばよいのだ。

 老人というのは足腰が弱り、思い道理に活躍が出来ない身体であっても、自分の中ではまだ若い積りで、色々な事を考えている。そのくせ、いざ歩き出すと臀部から足に掛けて重だるく、10分も歩くと座って休憩したくなる。

 こんな状態が続くと、もうあまり積極的な行動は、出来ないと思い始める。頭の中の思いと、身体の行動が一致しないのである。毎日、5000歩のウォーキングを無理にでも自分に課せている。そうしないと、ずるずると本当の老人に転落する危険性があるのだ。

 体調の変化は、日によって変化する。酷く足が重い日が有ったり、なんだか今日は足が軽いと思うような日もある。天候の変化によるものか、食べ物の質によるものか?老人の体調は心の動きのように、毎日変化しているようだ。

 毎日毎日が、今日も無事に活躍できた、有難う。太陽様ありがとう。皆様ありがとう。年を取るとこの様に、何事に対しても感謝の心が湧いてくる。何もできない自分が、お金の力で、悠々と暮らす事が出来る。世間のお陰様で生かせてもらえる。有り難い事だ。

 近頃は、心細いという感じが起きてくる。若い時のように、身体から湧き出るような活動的なエネルギーの、ちょうど反対の感情である。寂しいとか、憂鬱とかの感情ではない、心細いのだ。消えゆく生命の乏しさを自覚する事による心細さだと思う。

 年を取ると死ぬのが当たり前である。老人が死ぬから、新しい命が地球上に生きていく余裕が生まれる。どうせ死ぬなら、ピンピンコロリの死に方をしたいものだ。自分は鍼灸師だ、飛行機が着陸する時に、きれいにスーッと着陸する。

 あのように鍼灸治療で身体を修正しながら、軟着陸を成功させたいと思っている。

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