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七つ星の災厄【第八章:駆け抜けて、一番星】(終)

     穢れた赫あかが床一面に、満ち満ちていた。白いチョークで描かれた魔法陣の中に倒れていたのは、青年の母親を気取っていた妄執の魔女だった残骸である。本性を覆い隠すべく、着込んでいた白いスーツを朱に染めるミデュア・クルファスに、彼はぼそりと呟いた。
    「じゃあな、毒持ち」
     血液がべったりとついた安物の包丁を放り投げると、朽ちた教会に乾いた音が反響した。ミデュアが蘇我そが七々子ななこを初め、僕しもべとして使っていた女達を洗脳する儀式が行なわれていた会場がまさに、此処だった。
     七々子が音おと羽わイオを守るべく、【陰おん陽寮みょうりょう】に密かに接触しているのは知っていた。だが、青年はミデュアに報告しなかった。その方が青年に取って、都合の良い事態が訪れるからだ。
    「………………………」
     鼠に食い荒らされたように空いた刺創から、御使ファミリアが飛び出してくる妄想が脳裏によぎる。ついこの間まで、ミデュアが使役して彼につけていた魔力の端切れだ。最も、逆に魔力でクラッキングを仕掛けて役立たずにし、ミデュアを誘き寄せる餌として利用してやったが。
     青年は鉄臭いペンキに塗れたブレザーを脱ぎ捨てると、ミデュアの遺体に力の限り叩き付けた。
    「な、なんで…………そこまで、するの?」
     椅子に縛られ、怯えの表情を見せながらも目には反抗の光を灯す音おと羽わイオがステージ上から怒りを交えながら疑問符を投げてくる。いかにも平和ボケした言葉に、青年はイオの鼻っ柱を殴りつけ、血を出させたくなるのを必死で堪えた。
    「お前なんぞが知らなくて良い事だ、【紅玉円盤ルビー・カレンダー】」
     乱雑な言葉を吐き捨て、青年はイオと死体を残して、礼拝堂を後にした。
     雨漏りの目立つ食堂に入ると椅子を引き、腰を下ろす。テーブルの上に飾った写真を手に取り、青年はうっとりとした表情を浮かべた。
     耳を覆うほどに長く、織物のように煌めく黒髪。深淵を湛え、誰にも心を開けずに悶えている双眸そうぼう。多少の肉はあるが、やや骨張っていて、桜の枝のように細い身体つき。儚い持久力に起因した、煽情的とすら思える息切れ。
     誰にも媚びる事無く、青年を公平に見てくれる、ただ一人の存在。
    「創…………君は、本当にいい、な」
     下腹部に蝮まむしが這い寄るような、激烈な高熱が着火する。写真に映る創に接吻したくなるのを堪えて、殊更厳かに立ち上がった。
     もうすぐ、夢にまで見た、本物の創を手に入れられる。そうしたら、まずは身に叩き込まれた化粧で心ゆくまで、たっぷりと御粧おめかししてあげよう。
     そして、邪魔な衣服を取っ払った後は、フリル付きの、純白のウエディングドレスを手取り足取り、痛ぶるように着させてあげる。

     何処からか、水の音が聞こえる。黒塚くろづか創そうは軽く項うなじを掻きながら、暗闇に進む自分の身体に従うがままになっていた。
     トンネルじみた闇を抜けた先にあったのはーーー鈍重に流れていく、大いなる川だった。三途の川にいつの間にか、召されてしまったのかもしれない。
    「………ツマ、来て、こっち」
     すぐ足元の、河原から久しく聞いていなかった少女の声に呼ばれる。呼称は意味を汲み取り兼ねたが、間違い無く、シュビィのものと分かった。
     堤防に設けられた階段を降りて行く。世紫野よしのと同じように薪をくべるシュビィは創が近くに寄ると、鉄面皮を僅かに緩めた。
    「座る、隣」
     逆らう必要性も特に無かったし、聞きたい事もあったので、創は黙ってシュビィの横に座った。羽毛布団のような感触が臀でん部ぶを介して伝わってくる。
     川面を隠すアシ群の向こうから、揺らりと誰かが姿を見せる。薄いピンクのカーディガンを羽織る女性だった。川の畔ほとりで道案内をして、シトリ達と引き合わせてくれた、その人に相違なかった。
    「あ、貴女、は」
    『また、会えた、ね』
     表情の極めて薄い女性は墨色のボブカットを手で梳すきながら対面の位置に正座した。溢れる気品の良さに、創は少しむず痒くなった。
    「名前、名乗る。話、進む、円滑」
     細い火箸で真っ黒な木材達をいじるシュビィに促され、女性は躊躇いがちに口を開いた。
    『私は誉ほ波なみって言う、の。旧姓は金剛こんごう寺じ。そしてーーー』
     女性の台詞は祭りで詠われる祝詞のりとのように、美麗な響きを持っていた。ごくりと唾を嚥下する。
    『泰民やすたみさんと結婚して、神坂の家に入った、の』
     脳天から、足の先まで凄まじい勢いで冷気の波が駆け抜ける。 
    「そ、それ、じゃ……………あ、貴女、が」
    『…………貴方の、母親、ね』
     眠たげな目。整った錘状の鼻。自分の顔に似ているかは断定出来なかったが、直感で嘘じゃない、と知れた。
    『貴方は生まれた時から、狙われて……………【黒山羊の宴バールベック・サバト】に誘拐されて、戸籍の上では亡くなった貴方を見つけたまでは、良かったのだけれど』
     指をあやとりでもするように重ねながら、伏し目がちになる誉波。
    『ごめんなさい、ね。あの子に貴方を任せた後…………不覚にも、奴らに殺されて、しまって』
    「………………え、でも」
     葛西かさい昭彦あきひこの言に寄れば、救助された母親の腕に抱かれていたのでは無かったか。どうにも、話が噛み合わない。やはり、所詮は夢という事か。
    「誉波、言葉、本当。……………ツマ、ここ、境界さかい」
     眠たげな目で、心の奥底を見抜いたような一言を放つシュビィ。
    「な、なんの、境界なんだ」
    『あの世とこの世…………そう言えば、分かり易いかしら、ね』
     誉波は地面に手をつき、ゆったりと立ち上がる。滑るように移動してくるなり、創を身近に抱き寄せてきた。ふわりと、何処かで嗅いだような花の香りが鼻腔をくすぐり、涙腺が緩む。
    『貴方は今、最大の土壇場にいる。だから、鍵を解いてあげないと、ね』
     誉波の左手が額を軽く摩さすってくる。全身に暖かな光ーーー魔力の奔流が漲ってくるのが本能的に分かった。
    『貴方を救うは神坂の伝家の宝刀、【九十九つくも式神しきがみ】が一つ、ーーーーー【◼️◼️◼️】よ』
     ちゃんと耳を澄ましていたにも関わらず、誉波の言葉の末尾は良く聞き取れなかった。
    『そろそろ、行く、ね。……………これからの貴方の旅路に、幸多からん事を』
     やや格式ばった謝辞を告げた誉波は、先ほどと同じ大河の向こうへと消えていく。骨の浮いた項うなじを見て、最後に何か言いたい、と思った時にはもう、影も形も見当たらなかった。
    「会える、いずれ。現世うつしよ、別れ、常つね」
     シュビィは淡々と老成した台詞を紡ぐと、火箸で煙を上げる栗の実を口に放り込んだ。口内で器用に冷ましながら、甘味を楽しむほくほく顔の彼女に創はおずおずと質問を繰り出した。
    「な、なあ、シュビィ。なんで、お前はイオを、誘拐したんだ」
    「任務、遂行、忠実。雇い主、求む、それのみ」
     茶色い釉薬ゆうやくの掛かった瓶を傾け、一息に呷あおるシュビィ。ぷっはー、と擬音語で、感嘆を表した後。
    「……………メネス、ツマ、狙ってる。油断、ダメ」
     今更な感もある警告を受けた創は彼女の眼窩に嵌まる一対の黒曜石を見据えて、真正面から答える。
    「大丈夫だ。必ず、イオを助けて終止符を打つ。この命に代えても」
    「……………然り。……………ツマ、我、隠れる、しばし。…………また、会う、必ず」
     シュビィは突如として、背中から一対の翼を広げ、漆黒の空へと飛び上がる。強風に全身を隈なく叩き付けられ、目を瞑った途端、焚き火もヨシ原も全てが暗転してーーーーーー

     顔面に、何か眩しいものが当たっている。目ま蓋ぶただけで、防ぐ事の出来なかった黒塚くろづか創そうは光の猛攻に耐えかね、とうとう目を覚ました。
     横向きに映るテーブルから天井に目を向けると、ソファにもたれて眠る星宮ほしみや綾あや音ねの顔が見えて、一気に脳味噌が覚醒する。
     素早く頭を上げ、身を起こす。綾音のジーンズの、自分の頭が乗っていた所だけが寄れていて、頬が熱くなった。
     どうやら、昨日はあのまま夢の世界に落ちていったらしい。余程疲れているのか、綾音はまだ可愛らしい寝息を立てていた。
    「………………ふっ」
     安堵から、笑みが溢れる。ようやく、つまずいた所から上体を起こして、歩み出せた。
     そんな彼の感傷に犬歯を立てるように、響いたのはスマートフォンの呼び出し音だった。マナーモードにしてはあったが、テーブルに置いてあったので、耳障りなノイズがしっかりと届いてきたのだ。
     画面は非通知だった。普段ならまず出ないのだが、応答しなければいけない気がした創は着信ボタンをそっとタップした。
    「も、もしもし」
    『おはよう。昨日はよく眠れたかなーーー創』
     花のように、柔らかな声が鼓膜を震わせる。一瞬、誰か分からなかったが、記憶の糸を辿ってどうにか、間に合う。
    「え、あ、はい…………………九里くのり会長、ですよね?なんで、俺の番号を」
    『ははっ、それは勿論、愛する者の全てを知るのは、義務だからね』
     爽やかな笑いの後に続いた言葉の意味がよく分からず、首を傾げた。全身に立った鳥肌がはっきりと視認されて、震えが止まらなくなる。
    「な、なにを、言ってるんです。………冗談なんて、らしくないですよ」
    『冗談じゃないよ。……………君は僕の、ただ一人の、ドールだからね』
     さらりと日常から逸脱した台詞を吐く暁あけ実みに、絶え間ない不快感が這い寄ってくる。心臓が凍り付き、胃の中身をぶち撒けたくなった。
    『…………………取り引きだ、創。虚こ空山くうざんの第二登山ルートの途中に、目印のテープで雁字搦めにした木がある。そこから外れて獣道を歩くと、ボロい教会に着く。僕はそこに音羽イオと共にいるから、一人で来ておくれ。お邪魔虫を連れてきたりしたら彼女を殺すし、明日の零時までに来なくても、心臓を抜いて、白瀬川に捨てるから』
    「……………っ!…………待ってろ。必ず、行く」
    『ふふっ、その意気だ創。それじゃ、待ってるからね』
     電話が切れると同時、重力をまともに受けきれず、ソファに倒れた。噴き出した冷や汗のせいで、シャツと背中がくっ付いて、気持ち悪かった。
    「お、おい、起きるんだ、二人とも!」
     深刻そうな表情のシトリが飛び込んでくる。ぐっすりと寝ていた綾音も流石にシトリの声量には敵わず、目を擦りながら首をこちらに向けてきた。
    「ふぁ………あぁ〜おはよ、二人とも…………で、何かあったの、シトリ」
    「條じょう賀が市長が殺された。おまけに、色々とやばい情報がリークされてる。スマホのニュースにも出て、大騒ぎになってる」
     クラゲの刺胞みたいに絡まる暁実の言葉を追い払い、創は検索エンジンですぐに麻衣那まいなの名前を検索した。
    「これ…………どうなってるの」
     綾音と全く同じ感想が脳内に浮かんだ。ネットニュースのタイトルを総舐めにしていたのは、西方市の市長たる麻衣那が『テロ組織』【黒山羊の宴】のトップだったという市井の人には目から鱗の情報だった。アゾッターのトレンドも「テロリスト市長」「反社市長」「自業自得」などの単語と、それに付随した罵詈雑言が洪水となって横溢おういつしていた。
     【陰陽寮】を初め、種々の魔術師と接点を持った今となっては【黒山羊の宴】が魔術結社だと分かる。しかし、そもそも一般人は【黒山羊の宴】が過去に暴れたテロリスト集団くらいの認識しかない。
    「知り合いの記者と連絡取ってたけど…………タレコミは正確な部分がかなりあった。まず間違い無く、身内のリーク……裏切りだろうね」
    「…………ミデュアが條賀麻衣那だった、って訳ね。でも、殺したって…………何?どういう事?」
    「見せるのはあれだけど…………一部週刊誌が條賀麻衣那の惨殺写真をそのまま掲載して、そいつがネットの海に流れたみたいでね。後はお馴染みの無限拡散が行なわれてるって有様さ」
     シトリが苦い顔をして、首を振った。
    「あ、あの、さっき、九里……から電話が、あったんです。虚空山にある【黒山羊の宴】の教会に俺一人で来いって。奴が多分、ミデュアの息子だったんです」
     彼がミデュアの息子だと明言した訳ではない。ただ、このタイミングでイオを手元に置いている人間はミデュアの最側近ーーー彼女の息子しかいないだろう。
    「全然、気付かなかった。会長、魔術師の素振そぶりも見せなかったから。…………して、やられた……………!」
     創の言葉を受け、綾音が歯ぎしる。
    「イオちゃんも、そこにいるとか、って」
    「いる、みたいです。ただ…………」
     創は胃のあたりに不快感を抱えたまま、つい数分前の通話の内容を二人に伝えた。シトリは大して表情を変えなかったが、綾音はあからさまに不愉快そうな面持ちになった。
    「………………………思い当たる節が、無い訳じゃない。創が生徒会に入ったら良いんじゃないか、とか科学部がもっと輝けるように、土壌を改革しようとか、聞いた事はあった。でも、まさか、まさか、そこまでこじらせていたなんて………」
     シトリは綾音の様子を具つぶさに見ながら、創に話を振る。
    「少年、どうするんだい?奴の誘い、乗る?」
    「まさか!創だけを、行かせるなんて」
     唐突なシトリの提案に、綾音はダメ出しをする。だが、創の心は最初から決まっていた。
    「大丈夫だ、綾音。俺は必ず、生きて帰る。九里の誘いに、乗ります。イオを必ず、助け出します」
     創は真っ直ぐ、二人の瞳を見据えて答える。綾音は呆れの溜め息を吐いたのち、彼の意を汲んで対暁実戦への準備を始めた。

     【黒山羊の宴】のアジトだという教会までの道のりはとても険しいものだった。カラスの鳴き声よりも、キツツキやウグイスといった、都市部では中々聞かない鳥の調べが創の旅路を飾り立てていた。
     普段ならもう、肩で息をしている頃だ。しかし、シトリの護符の効果、誉波が授けてくれた例の式神、そして綾音の、
    「必ず、生きて帰ってきなさい。良い?」
     そんな、不器用ながらも温かさの籠ったエールのお陰で、無限に動けそうな勢いを創は得ていたのだった。
     虚空山の道からアスファルトが消えて既に久しい。十数メートル間隔に現れる街灯だけが頼りだった。動かし続けた大腿部に僅かだけ重みを感じるようになった頃、暁実が言った目印のテープだらけの樹木に遭遇する。
    「…………これ、か」
     入口だけを塞ぐ獣道を潜ると、急に下草の刈られた道が出現する。懐中電灯で行く先を照らして歩き出すと、僅か十分ほどで目的地に到着出来た。
     朽ちた教会は沈没寸前の戦艦のようにも見えた。萎びた茶色の草に覆われた、観音開きの扉を開けると、ミサなどで使われる礼拝堂に繋がるのだろう。
     朝方、電話口で聞いた暁実の、生々しい声が肌を舐め、ぞっとする。しかし、ここで引き下がればイオを助ける事は出来ない。
     蔦の絡まるドアを強引に動かして、礼拝堂に足を踏み入れる。
     真昼のような懐中電灯の光が最初に照らし出したのは、赤い液体に沈む女性の遺体だった。
    「……………っ、こ、れはっ………」
     胴部に獅子王学園の制服が乗せられた條賀麻衣那の顔は土気色に染まっており、傷口にはハエやシデムシなどの分解屋の類が無数にたかっていた。
    「ふっ、ははっ……………この宇宙のどこかにある、【故郷ほし】に帰りたいなどとほざく毒持ちの末路が、それさ。滑稽だろ?」
     他より一段高くなったステージ上から、青年の嘲りに染まった声が降りかかる。眉目秀麗の生徒会長、九里暁実その人が確かにそこにいた。隣の椅子に縛られ、心細さに身を縮めるイオがぱあっと明るさを咲かせる。
    「イオ!」
    「創!!!やっぱり、来てくれたん、だねっ…………!」
     オパールに似た白い肌に、紅を差すイオ。だが、すぐに再会を喜ぶ時間は終わる。イオの頭部に暁実が拳銃を突き付けたからだった。
    「静かにしろ、バケモノ。…………ようやく、来てくれたねぇ、創!ああ、待ち侘びたよ、本当にっ……!」
     暁実は気が触れたように、ゆらゆらと揺れて、こちらに歩んでくる。バケモノはお前だ、と言いたくなるのを堪えて、創は暁実をじっと睨んだ。
    「…………………九里、会長」
    「創………!僕の事も名前で呼んでおくれよ!さぁ!!!」
    「イオを取り戻しに来ました。貴方に用はありません」
     創はまともに相手にせず、淡々と要求を投げる。
    「つれないなあ、全く。まあ、良いさ。悪いけど、それは出来ない相談だ。何せ、この女は【ヨーロッパ魔ま導法院どうほういん】との取り引きに使うからな」
     こちらに座席を向けた、三人がけのベンチに座る暁実。
    「………………嘘、ついたんですね」
    「ははっ、僕が嘘つきなら、この女はもっと嘘つきさ」
     眉間を歪め、暁実はイオの近くにあった壺を撃つ。陶器の割れる音が反響し、弾が飛んで、小動物のように怯えるイオ。
    「やめろ!!!」
     いつもより大きな声で暁実に制止を求める。彼はにっと不気味な笑みを浮かべて、こちらに向き直った。
    「……………………そこの女こそ、【紅玉円盤】なんだよ、創。この音羽イオってのは器にしか過ぎなくってねえ。五十年前に【七つ星の災厄プレイアデス】の召喚儀式が失敗に終わった後、触媒たる【紅玉円盤】を隠すべく製作されたのが、イオの肉体ボディなのさ」
     拍動が津波の如く波打つ。視界に入れたイオは後ろめたそうな顔をして、いつもよりも静かな口調で、暁実の言葉の真意を話し出す。
    「…………そいつに言われて、朧気ながら思い出せた部分はあるの…………イオが傷だらけになりながら、創を抱えて逃げてる記憶が、何となく、浮かんできて………」
     イオの真紅の目から、一筋の涙が流れる。
    「でも、やっぱり、イオはイオなの………!音羽イオは、『なよたけの杜』の院内学級を卒業して、薔薇園に入った後は、創と出会って………創と同じ学校に通って、一緒に学校生活を送りたいって思ったの…………!!!イオは、人間なの!!!!」
     イオの宣言に心臓を叩かれ、涙腺が決壊する。目元を拭わないまま、彼女の方にはっきりと照準を合わせて、
    「イオ、大丈夫。俺は、君を信じる。ずっと、ずっと死ぬまで」
     強く、はっきりと口にした。イオは一瞬だけ目を見開いた後、
    「創………創っ……………ごめん、ごめん………………ありが、とうっ…………!」
     神の差配が完璧に施された美貌をくしゃくしゃにして、絶え間無く、涙を流す。咽び泣く彼女にどんな過去があれ、今のイオは紛れも無く、自分にとって大事な『人間』なのだ。
    「あぁ………おい、何勝手に盛り上がってんだよ、なぁ!!!」
     暁実は拳銃を床に叩き付けると、乱雑な動作でベンチを立った。
    「何度でも言うよ、創。僕は、君を手に入れたい。本当に嫌だけど、抵抗するなら、四肢切断も止むなし、だね」
     立て掛けられた槍を手に暁実は一人、創の前へと歩いてくる。大人の背を優に超える柄、半月型に湾曲する刃部が放つ、どろりとした敵意こういを受けても尚、創は動揺しなかった。
    「上等だ。……………俺は、イオを助けて、綾音の所に戻る」
     右手を高らかに夜空へと掲げた瞬間ーーーー星辰が鼓動し、猛烈な北風が吹き始める。創を中心に太陽嵐にも、星の産声にも匹敵する魔力が教会の腐った外壁を洗い流していく。ベンチや窓が吹き飛び、種々の設備が塵になり、豪華なシャンデリアごと天井の木材が蛍火になっていった。
     やがて、顕現したのは彗星が如き淡い魔力を纏まといし、一振りの長大な刀剣だった。六つのうねりを持ち、七つの星が刻印された身が雲間より差す月光で静かに、しかし、泰然と輝く。
    「【天母斬あまのははきり】!!!」
     人生で初めて喋った母親、金剛こんごう寺じ誉ほ波なみが教えてくれた、大切な人を守る武器の名前である。
    「は、ははっ、やっぱり凄いな、創…………!!!」
     暁実が喜び勇みながら、槍を薙ぐ。空気の振動がやがて、魔力の波となって、創に牙を剥いてくる。
     天井になった夜空へ、跳躍する。白鳥のように舞った創は暁実の一撃を躱すと同時、彼我の実力差を察する。イオの為にも、さっさと終わらせよう。
     翔ける。空に身体を躍らせながら、片手を造作も無く振るった。鼓膜を魔力と空気の凄まじい圧が震わせ、空気諸共、暁実のいた空間を容易く破り捨てていった。
     イオのいる場所を除き、教会は完全に崩れ去った。周囲の森林や岩石すらも粒子に変じ、夜の空へと還っていく。
     小隕石の墜落に匹敵する、クレーターのその只中に。【天母斬】の凄まじい一撃で、見るも無惨な重傷を負った暁実が倒れていた。
     空から床部分に降り立った創は暁実の方を見つめた。最早、その視線は憐憫の情そのものでしか無かった。
    「これで…………終わり、です………九里会長」
    「は、ははっ………そ、そう、みたい……だなっ、がはっ…………」
     右肩から、ごっそりと腕を失った暁実はどす黒い血を吐く。
    「投降、してください…………俺は、会長を殺したく、ないんです」
     これは創の本心だった。今ならまだ【陰陽寮】に降る事で、治療を受けられる。暁実には何も言わなかったが、虚空山の麓には第十八部隊の面々が控えている。今の一撃で決着を察し、ここに直進している筈だ。
     だが、創の心付けはまるで通じなかった。
    「ふ、ふふっ…………ど、どこ、までも………優しい、なぁ…………………冷酷なっ、ドール、だ………君、は……」
     不気味な人物評を披露され、苛立ちを覚えた次の瞬間。
     暁実は首元に突きつけていた【天母斬】を左手でぎりぎりと掴んだのだ。高魔力で編まれた刀が、彼の肉を焼く嫌な臭いを充満させる。
    「なっ、なに、を」
    「くぅっ、ひっひゅっ、ひっひひっ……………き、君が、初めて手を、かけるのはっ…………ぼ、ぼくっ、なんだ、よぉ………!…………ふっ、ふふっ、ぐっ、あ、あああっ…………………!!!!!」
     血の泡を口から飛ばしながら、暁実は【天母斬】の切先きっさきを深々と自分の喉に突き刺した。黒々と空いた喉の刺創から滂沱の如き、温ぬるい血液が溢れていく。
    「は、ははっ、は……………………」
     返り血を浴びた創を見て、実に爽やかな笑顔を浮かべーーー九里暁実は奈落の底に堕ちていった。
    「う、うぅ、うぁぁ……………」
     人を、殺した。暁実の言葉ーーどこまでも、優しいーーという意味を掴めぬまま、創は式神を手離し、一人苦悶し続ける。
     憎々しいほどに美しい星空が、ただ茫然と彼を見下ろしていた。

     消毒液の染みたシートで軽く手を拭き、ごみ箱に放り込む。
     黒塚創は制服のネクタイを緩めると、獅子王学園の昇降口から外に出た。構外から、こちらにカメラを向けるメディアを避けて、通用口の方に潜り込む。
     九里暁実との死闘から早いもので、既に一週間が経っていた。今日は午前だけ、亡き暁実への全校生徒のお別れ会が開かれていた。綾音は無理しなくて良いと言ってはくれたのだが、自分なりのけじめだと言って、参列した。
     【黒山羊の宴】は構成員のほとんどは【陰陽寮】に拘束され、東京に移送されていった。創と音羽イオに関しては第十八部隊の隊員ーーー上農建人、物部伊澄、王子沙耶香が西方市に常駐し、更に隊長の廣庭アリスが定期的に面談等を行なうという条件で、元の日常に戻れる事になった。
     イオを娘のように面倒見ていた蘇我七々子に関しては取り調べの為、一時的には西方市から去ったが、じきに戻ってくるのだという。ただ、『フェアリースワン』は條賀麻衣那こと、ミデュア・クルファスとの関係が取り沙汰されたので、当分は謹慎状態になるらしい。
     通用口から入ってすぐの壁にもたれかかる。思えば、しっかり暁実と面識を持ったのもこの場所だったか。死の間際の、彼の哄笑を思い出し、創は身震いした。
    「はぁ……………疲れる、な」
    「あ、創!やっと見つけたー!」
     正門側の方から、元気溌剌な少女の声に叩かれる。獅子王学園の制服に身を包み、小走りで駆け寄ってきたのは音羽イオだった。
    「もー、急にいなくなったから、探したんだよ?」
    「あ、ああ、ごめん」
     創は頭に手をやり、ぺこぺこと殊勝に謝る。
    「ほら、そしたら、行くよ!」
    「え、どこに」
    「カラオケ、だよ!綾音に、建人、伊澄、沙耶香………色んな子達がイオの歓迎会がわりに行こうって、さ!」
     歌う歌が無いから、とクラスの懇親会なども断ってきた創だったが、今日ばかりは欠席出来そうに無かった。
     まごついていた創を見かねたイオが、彼の手を無造作に引っ張っていく。
     自分にもイオにも、色々な事があったけれど。そんな過去むかしを置き去りに、現在いまをひたすら駆け抜けよう。
     厳しい冬がやっと明け、新たな青春のAパートがスタートしたのだから。

     
     
    手描きイラスト付きの小説を投稿します。20時〜21時の間に投稿(曜日は不定期)。※文章、イラストは無断転載、AI学習など禁止。

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