
【エッセイ】「オタク」がまだ恥ずかしい言葉だった頃、僕たちはラップを作っていた
「オタク」という言葉で人生初のソノシートを作ってもらえる事になるとは、高校生の僕らは1ミリも思っていませんでした
今でこそ「オタク」は世界共通語です
アニメ、マンガ、ゲーム。海外のイベントに行けば「OTAKU!」と誇らしげに叫ぶ人たちは大勢いますよね
しかし、僕らが高校生だった1980年代、『オタク』という言葉には、今とはずいぶん違う空気がありました
どちらかと言えば、ちょっと残念な人を指す言葉
少なくとも、自分から胸を張って名乗るようなものではありませんでした
そんな時代に、私たちは「OTAKU」というタイトルのラップ曲を作っていました
当時からすると、なかなか自虐的でありつつ、揶揄する様な、曲になるわけです
それでは 私たちの青春の高校生時代に
さかのぼることにしましょう
⚪︎⚪︎
当時の僕らはテクノポップ少年でした。
(今も、そうです 年は重ねましたが)
もちろん憧れはYMO
特に、高橋幸宏さんの洗練されたセンスには、完全にやられていました
そして、その流れで憧れたのがCASIOの電子楽器です。
友人や年上の方の中にはRZ-1やCZシリーズを持っている人もいました
みんなカッコよかった
しかし、当然ながら私のお財布事情は厳しかった
欲しい機材は山ほどありましたが、買う事は、ままなりません
そんな私が貯金を全部はたいて購入したのが、CASIO SK-1でした。
定価17,000円
近所の楽器店で、発売後、即買いしました
高校生の私にとって17,000円は大金です
今の感覚で言えば、もしかすると17万円くらいの気持ちだったかもしれません
買った帰り道は、気分としては、Fairlight CMI、Synclavierや、E-muのオーナーになったような気分でした (気分だけね😉)
「これで、ユキヒロをはじめ、アート・オブ・ノイズが出来る!」
このSK-1という楽器
今でこそ伝説的なサンプリングキーボードとして語られますし、当時としても、かなり革命的でした
自分の声や身の回りの音を、短時間ですが、録音して鍵盤で演奏できる
たったそれだけのことなのですが、その「たったそれだけ」が未来でした
故高橋幸宏さんが、関わったCASIOの電子楽器開発には、「誰も聴いたことのない音を作る」という発想が流れていたと言われています。
SK-1はまさにそんな精神の庶民版だったのかもしれません。
⚪︎お金はない。
⚪︎機材もない。
でも
⚪︎遊び心だけはある。
そんな高校生には最高に、真剣に、没頭できるアイテムでした
ただし問題がありました
・私は楽器🎹が弾けません
・私は譜面🎼が読めません
・メロディ🎵もろくに作れません
・コード理論なんて、もってのほか
・リズム感もたいしてない
今ならDAWもAIもあります
しかし当時はそんな便利なものはありせん
あるのは勢いだけです
そこで、YMO周辺のリンボを共に泳いでいた、レーベルの友人たちで、アイデア💡出しをし、作詞・作曲を
そして、みんなで、歌い、ラップをし、カセットテープ📼に、吹き込んで完成させました
まるで小さな町工場
家内制手工業
(マニュファクチャシステム)
です
一人では何も作れませんが、集まるとなんだか面白いものが生まれる
そんなチームでした
もちろん、メインで、骨格を作ってくれたレーベルの友人は、言わずもがなですし、3人組のバンドだったのですが
特筆すべきは、ゲスト参加してくれた、英語の発音に、卓越していた友人です
実名ではないので、書いちゃいますが、
「IMO」と呼ばれていた神童です。
彼はちょっとした奇才でした。
発想も変わっているし、行動も変わっている
のちに専門学校に入学した際の、研修旅行先のHawaiiでは、一歩も外に出ず、(カーテンを閉め切り、ビーチには、全く関心がない状態)
恩師へのHawaii旅行のお土産は、
「貰うのが困るくらい、大きい金ピカのシャチホコの置き物」でした
余談でした
今思えば、あの曲に必要だった最後のピースは彼だったと思います。ラップで大活躍というわけです。
その結果、生まれたのが迷曲「OTAKU」です。
名曲ではありません。
迷曲です。
そこは強調しておきたい。
しかし、妙な熱量だけはありました。
まだ日本にジャパニーズ・ラップという文化がほとんど根付いていなかったタイミングです
ラップが何なのかも、みんなよく分かっていませんでした
(大好きなRUN DMC などが、オールドスクールなどと、呼ばれるのは、少し先の話です)
だから逆に自由でした。
ルールもない
正解もない
なら好きにやろう
そんな空気の中から生まれた曲でした
そして、人生には時々意味の分からないことが起きます。
なんと、この「OTAKU」が、
テッチーという音楽雑誌の69コンピレーションという企画に選ばれ、ソノシートにしてもらったのです。
(その前には、数曲もチャレンジして、何度もいいところまでいってたのですが)
しかも選者は、立花ハジメさん
後から考えても信じられません
(その投稿者の中には、あの高野寛さんもいました❗️)
高校生が遊び半分と本気半分で作ったような曲が、まさかソノシートになるとは
(本当のところは、かなり目が血走ってたと思います)
人生、何が起きるか分かりません
本当に分かりません
あの時の自分に教えてあげたいくらいです
「お前、そのSK-1、買って正解だぞ」と
そして、さらに驚くのはその後の世界です。
当時、ちょっと肩身の狭かった「オタク」という言葉。
それが40年近く経った今ではどうでしょう
・世界中の人が日本のアニメを見ています
・日本のゲームを遊んでいます
・コスプレイベントが開かれています
OTAKUという言葉は国境を越えました
もはや文化的市民権どころか、日本を代表するグローバルな文化の一つになっています
あの頃の僕らが見たら驚くでしょう
「え? OTAKUって輸出されるの?」
と
未来は本当に分からないものです
だからこそ、たまに昔の曲を聴くと面白いのです
上手いとか下手とかではなく、その時代の空気が閉じ込められている
高校生だった自分たちの無謀さや勘違いや熱量まで一緒に記録されている
音楽はタイムマシンであり、タイムカプセルなのだなと思います
そして、その夢をまだ、追い続けられているのは、シヤワセなことなんだと
⚪︎⚪︎
本エッセイは、故高橋幸宏さんの誕生日 6月6日に因んで、書かせていただきました。
いつも、ありがとうございます。
世界がハピネスに包まれます様に
⚪︎⚪︎
最後まで読んでくださって、ありがとうございました
もし1980年代の空気を少しだけ体験してみたい方がいらっしゃいましたら、おまけとして、当時の迷曲「OTAKU」を置いておきます
どうか名曲を期待せず、1980年代の高校生がSK-1を抱えて、未来を妄想していた姿を想像しながら聴いていただけると、「オモロシ・タノシシ・ウレシシ」かもしれません
▼ SoundCloudはこちら
https://on.soundcloud.com/Aicoaid6ZonP6uhz30
↑4:44分くらいに収録されてます
それでは、また
というところで