
[短編小説]海と船
港に、一隻の小さな船がいました。
白くて、きれいな船でした。
船体には傷ひとつなく、錆もありません。
港の人たちは、よくその船を褒めました。
「なんて立派な船なんだろう」
「まるで新品みたいだ」
小さな船は、その言葉を聞くのが好きでした。
海へ出た船たちは、みんな傷ついて帰ってきます。
船体は軋み、錆びて、ところどころ歪んでいました。
中には、帰ってこなかった船もいました。
だから小さな船は、海が怖かったのです。
ある日、友達の船が帰ってきました。
船の横には、大きな傷ができていました。
「海って、やっぱり怖い?」
小さな船が聞くと、友達の船は笑いました。
「怖いよ」
波に揺られながら、友達の船は言いました。
「錆もできるし、変な音も鳴るようになった」
小さな船は、自分の白い船体を見ました。
やっぱり、海は怖いところなんだ。
そう思いました。
でもその日から、小さな船は、前よりもっと海を見るようになりました。
昼の海も。
夕方の海も。
夜の海も。
なぜだかわかりません。
ただ、気がつくと、海を見ていました。
ある静かな夜のことです。
小さな船は、波の音を聞きながら、港のはしまで来ていました。
そこで、古い灯台に話しかけられました。
「眠れないのかい」
灯台は、長い間ずっと海を照らしてきたのでした。
小さな船は、少し迷ってから聞きました。
「海って、どんなところなの?」
灯台は、しばらく黙っていました。
遠くで、波の音がしていました。
「怖いところだよ」
灯台は静かに言いました。
「錆もできるし、歪みも増える」
暗い海を見つめながら、灯台は続けました。
「私の友達の船も、波にさらわれて沈んでしまった」
小さな船は、少し寂しそうに言いました。
「やっぱりそうなんだ……」
灯台の明かりが、静かな海をゆっくり照らしていました。
しばらくして、灯台はぽつりと言いました。
「でもね」
波の音が、暗い海の向こうで揺れていました。
「海から見る夜空は、美しいらしいんだ」
小さな船は、もう一度だけ海を見ました。
黒い海の向こうで、波が静かに光っていました。
港の水面は、静かなままのはずでした。
なのに、小さな船が、ほんの少しだけ揺れたのです。