
私の命を、みんなの喜びに使ってください
また今日も、目が覚めてしまった。
そう思った朝が、何度あっただろう。
「ああ、今日も、あの心地よい世界には帰れなかった。」
事故のあと、朝を迎えるたびに、そんなことを思った。
夫には笑って、
「また今日も目が覚めました。」
と話していた。
笑っていたけれど、本当は違った。
「私のお迎えは、いつ来るのだろう。」
そんなことを思う日もあった。
けれど、ある朝、ふと気づいた。
違う。
私は、まだ終わっていない。
まだ、この命に託されているものがある。
フレッド博士は言った。
「大人の一番大切な仕事は、子どもたちに愛と平和な世界を手渡すこと。」
私は、その世界をまだ届けきれていない。
だから今日も、目が覚めた。
19歳のとき、私はバイクの事故で生死の境をさまよった。
あと5分、生き返るのが遅ければ、霊安所に運ばれていたと、あとから聞かされた。
けれど、そのときの私は、不思議なくらい幸せだった。
何もない世界だった。
空もない。
家もない。
人もいない。
お金もない。
肩書きもない。
本当に、何もない。
それなのに、ただ満たされていた。
「ああ、ここは、なんて気持ちがいいんだろう。」
そう思っていた、そのときだった。
耳元で、大きな声が響いた。
「和子さん、聞こえますか!」
思わず腹が立った。
「幸せをぶち壊す人は誰よ!」
次の瞬間、私は救急車の中にいた。
目の前には父がいた。
父は何も言わず、ただ笑ってうなずいていた。
「なんか知らんけど、まあいいか。」
そう思って目を閉じた。
次に目を開けたときは翌日だった。
天井から足が吊られていた。
「一番痛くて怖い手術を、まるっとショートカットできた。なんてラッキー!」
そう思った瞬間、
「イタター!!」
激痛が全身を走った。
そのとき初めて知った。
生きているって、痛い。
仮に死んでいる間は、痛みを何ひとつ感じなかった。
だから私は思う。
この地球は、痛みも、喜びも、悲しみも、愛しさも、味わうためにある場所なのだと。
それからも人生は、思うようにはいかなかった。
37歳の頃、心が底なし沼に沈んだ。
光さえ痛く感じ、体重は30キロ台まで落ちた。
そんな私に、当時9歳だった娘が言った。
「お母さんはな、息を吸って、息を吐いているだけでいいからね。」
私は、その言葉に生かされた。
その後も、信号待ちで三度追突され、寝たきりになったこともある。
気づけば、おまけでもらった人生のほうが長くなっていた。
私は何度も命を拾ってきた。
だから、この命は、生き延びるためではなく、使い切るためにあるのだと思う。
子どもの頃から、私はぽつんと一人でいる子が気になった。
そして今度は、私がぽつんと一人になったとき、誰かが声をかけてくれた。
人生には、拾う人がいる。
だから私は、人の気持ちに蓋をしたくない。
どんな気持ちにも、
「そんなふうに感じているんだね。」
と寄り添っていたい。
あの何もない世界を知っている私には、ひとつだけ確かなことがある。
人は、何ひとつ持って帰れない。
持って帰れるのは、
誰かと笑ったこと。
涙を流したこと。
心が震えたこと。
精いっぱい生きたという記憶。
それだけだ。
今年のお正月、同じ年代の大切な人を二人見送った。
朝、目を覚まさなかった人。
難病と向き合い、命を生き切った人。
命は、いつ終わるかわからない。
だから、朝、目が覚めることは奇跡だ。
息を吸う。
息を吐く。
それだけでもう、生きている。
だから私は、この命を自分のためだけに終わらせたくない。
子どもたちが安心して笑える世界を。
孫たちが、「生まれてきてよかった」と思える未来を。
今年の七夕、風に揺れる短冊を見上げながら、私は静かに手を合わせた。
健康長寿を願ったのではない。
残りの命を、どう使うか。
私の願いは、ただ一つ。
私の命を、みんなの喜びに使ってください。