
第1回エコバッグの叔父を乗せて、霧の紫雲台へ。──ある看護師が選んだ、家族を海へ還すまでの記録
第1回:蛇口から流れる御先祖様
我が家のキッチンで、私がジャバジャバと蛇口を開けるとき。
そこには、私の御先祖様がいる。
「何言ってるんだ」と思われるかもしれない。
でも、私は本気でそう思っているし、毎朝、蛇口から流れる水に感謝して手を合わせていきたい。
誤解のないように言っておくと、私は伝統的なお葬式や、お寺とお墓のシステムをすべて否定したいわけではない。
格式高い戒名をいただき、お寺に見守られ、立派なお墓に納まる。それは長い歴史の中で作られてきた、大切な供養の文化だ。それを提供するために尽力している葬儀屋さんや、お寺の方々には、それぞれの役割と事情があることも重々分かっている。
ただ、それは私が目指す「家族の見送り方」とは、少しだけ形が違った。ただ、それだけのことなのだ。
私は一人の看護師として、最前線で数々の「死の臨床」を見つめ続けてきた。
命が消えるその瞬間まで、誰よりも泥臭く、生々しく、その人の尊厳に寄り添ってきた自負がある。だからこそ、形式やマニュアルに縛られるのではなく、その人自身の人生に一番寄り添った、オーダーメイドの見送り方をしてあげたいと願ってしまう。
私のこの、少し変わっているかもしれないけれど、まっすぐな死生観。
そのルーツは、私の両親の生まれ故郷である北海道・釧路の海と、そこに生きた一人のタフな女にある。
私の祖母──「カネヨの母さん」だ。
祖母は、釧路の水産の世界で泥臭く生きた、とにかく海を愛した人だった。
その祖母が、生前に「海が見えるから」という理由で、自分で足を運んで購入を決めたお墓がある。太平洋を見下ろす高台にある、海からの冷たい強風が、真っ白な霧を次から次へと運び込んでくる、あの紫雲台墓地。
そこには今、祖母も、私のことが大好きだった祖父も、そしてコロナ禍の嵐の中で私が看取りきった私の母も眠っている。
私は先日、そこに一人の叔父を送り届けてきた。
お寺や葬儀屋さんの用意してくれた一般的なコースを外れ、火葬された叔父の骨をエコバッグにそっと納め、レンタカーの助手席に乗せた、二人きりのドライブの果てに。
これは、世間の「100点満点の普通のお葬式」ではなく、大切な家族の尊厳と想いを自分なりに守り抜こうとした、ある看護師の記録だ。
そして私は決めている。
叔父の三回忌を迎えたら、私はあの紫雲台のお墓を「墓じまい」しようと思っている。
お墓の石を整理し、中に眠る全員のお骨を連れ出して、祖母が愛した釧路の広大な海へと、盛大に海洋散骨するのだ。
釧路の海は、私が暮らす神奈川の海にも繋がっている。
いや、海だけじゃない。水というものは、この地球上のどこまでも、すべて繋がっている。
だから、自宅の蛇口をひねったその瞬間、そこにはいつでも、海を愛した祖母も、ドライブが好きだった叔父も、みんながいてくれる。
決まった場所に縛られることなく、私たちは水の循環の中で、いつでも一緒に生きていける。
その散骨の時には、母の友人たちもたくさん呼んで、笑顔で、盛大に、写真をいっぱい撮って送ってあげたい。
「見てよ、これが私たちの選んだ、最高に自由な家族の旅立ちだよ」って、たくさんの人に温かい気持ちで話せるように。
時計の針を、少しだけ巻き戻そう。
すべての始まりは、釧路の荒れる海と、あの「カネヨの母さん」が遺してくれた、理不尽な状況でも自分で考えて道を切り拓くための、大切な血筋だった──。
(第2回につづく)