
エッセイ おたまじゃくし
日曜の午前、8歳の誕生日を迎えたばかりの娘がYouTubeやゲームに飽きて、構って!遊んで!
どこか連れていって!猛烈にアピールをしてくる。
ちょうどレイチェルカーソンのセンスオブワンダーを読み終え、感化されていた私が
『田んぼの生き物を見に行こうか』
と提案すると、娘は行く!と身支度も早々に玄関で私を待っている。5月の日差しは穏やかで
苗が植えられ水をたたえた田んぼは一面に空を映し、初夏を感じさせる。
田んぼを静かにじっと観察すると、多様な生き物がいることに気づく。大人になり普段の生活で
タニシやゲンゴロウを見かける機会もなくなった。
おたまじゃくしを見つけた娘が
『いっぱいおる!』
と、歓喜の声をあげながら網で掬おうと奮闘する。キラキラした顔でおたまじゃくしを掬おうとする小さな子供を見ていると、YouTubeやゲームもいいが、自然に触れ、体験することがとても価値のあることに思える。レイチェルには
『余計な手出しをしない』
と叱られそうだが、見かねて私が網を代わってバケツに取ってあげる。
持ち帰ったバケツを見ていると近所の子達も加わり、いつの間にか“おたまじゃくし探し”が小さなブームになった。虫取り網やバケツを持って走り回り、誰が大きいものを見つけたか、足が生えた、手が生えたで大騒ぎする。以前から私には確信に近い仮説がある。それは
『子供は押しなべておたまじゃくしが好きである』
というものだ。
丸い頭に細い尻尾という、どこか愛嬌のある姿。
群れで動く様子の面白さ。手ですくえそうで、
するりと逃げる絶妙な距離感。そして何より
「カエルになる」という変化への期待だ。
子供は変身の物語が好きである。小さな命が手足を生やし、やがて水の外へ出ていく過程には、説明のいらない神秘がある。
張り込んでキャンプに連れて行く必要はない。
もちろん、趣味としてのキャンプは別として。
身の回りにある自然に少しだけ目を向けること。季節ごとに変わる風向き、草木や鳥の声に意識を向けること。そこから感じるものを大切にして欲しい。レイチェルのようにはなれないが、私の仮説は今のところ実証されている。今のところ。