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英国紳士はスーツを着ているとは限らない

    僕は以前、イギリス留学中にロンドンの中心部で、すれ違ったスーツを着た初老の男性に『靴紐がほどけていますよ』と声をかけられたことがある。

    この時はこれが噂の英国紳士というやつか!と感動したが、これは非常に例外的なケースで、実際は一般的なイギリス人の雰囲気は、我々日本人が『紳士の国イギリス』と聞いて思い浮かべるものとは大きく異なる。

    東京の街を歩いても和服を着ている人は数少ないし、ロボットもニンジャもいないのと同じ理屈だ。

    一方で、5-6年ほど住んでいる間に、上の例のように、今もイギリスには紳士の国らしさが根付いているんだな、と感じられた経験も何度もあり、今回はそういった習慣をいくつか紹介したいと思う。

    列になって並ぶ

    日本とイギリス以外の国で暮らしたことがないので他の国の事情と比べてどうかまではわからないが、イギリス人は日本人と同じくらいよく列に並ぶ。

    そして、イギリス人はこれをイギリス国民の道徳的な美徳と捉えている節がある。順番を抜かしたり、横入りする人への抵抗感も日本での感覚とかなり似たものがあるように思う。

    以前ロンドンの地下鉄で扉のわきにそれて、中から出てくる人がいなくなるのを並んで待っていた(ちなみにだが、イギリスの電車は日本と違って扉の位置が決まっていないので、これをするのは結構難しい)ところ、人の流れが切れた瞬間に後ろから来た人が一番に電車に乗ってしまった、ということがあった。

    この時僕は扉の左側で待っていて、対面の右側で待っていた背の高い男の人とちょうど目が合ったのだが、その彼と肩をすくめてやれやれ、といわんばかりのジェスチャーを交わしたことがある。

    また、空港のカウンターで、テープなどで仕切られまっすぐ進めなくなっているタイプの列があると思うのだが、そのテープの下をかいくぐって直線的に進むことで通路を歩いている人をごぼう抜きにしていく人に遭遇した際に、抜かされていったイギリスの老婦人グループが一ひそひそと話し出したのはいかにもイギリスらしくて笑ってしまった記憶がある。

    "存在しない"列に並ぶイギリス人の特殊能力

    また、イギリスには、"存在しない"列に並ぶ、というほとんど日本には存在せず、かつえらく難易度の高い習慣もある。

    つまりどういうことかというと、イギリス人は物理的に列が存在しない場合でも、順番を記憶していてその通りに注文などをしようとするのだ。

    これが一番頻繁に発生するのが少し混みあっているパブやバーのカウンターだ。

    バーカウンターの周りには1列になって人が並べるスペースがないし、縦に並ぶと店内に突き出してしまって非常に邪魔なので、人々はバーカウンターの周りでごちゃごちゃっとまとまりながら、思い思いの話に興じたり、スクリーンのサッカーの試合を観戦するなどしながら自分の注文の番を待つのだが、この時に自分より先に誰がカウンター周りに既に居たかを覚えておかなくてはならないのだ。

    注文はその仮想上の列の順番に従って行われるべきで、自分より先に注文を待っていた客が優先されなくてはならないい。

    もちろん、とはいえ店員さんの方はカウンターで後ろを向いて行う必要がある作業もあり、常に誰がどこにいるかを見ていることはできないので、この順番の管理はどちらかというと客側に任される。

    なので、店員さんの"Who's next? (次の方)"という声に合わせて、注文者は自分の番で名乗り出て、逆に勘違いなどがあれば『いえ、あちらの女性の方が私より先ですよ』のような譲り合いが発生する。

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    財布はイギリスでも意外と返ってくる

    ちなみに、余談だが、外で落とした財布がきちんと届けられて持ち主のもとに返される、というのは実は日本の専売特許というわけでもなく、意外とイギリスでも返ってくる。

    流石に日本の場合よりも可能性は低いと思うが、僕の大学時代の友人で落とした財布が届けられた、という子もいたし、財布ではないが自分もバスの中にカバンを忘れて降りてしまったことがあり、それは普通に終点の駅の落とし物センターにそのまま届けられていた。

    スマートに荷物を持つ

    また、イギリスには日本にはあまりないタイプのよりアクティブな形での紳士的な習慣も存在している。

    イギリスで日本と明らかに違うな、と思ったのが、街で重い荷物を持っている人がいるなどした際に、段差を越えるときなどに皆が積極的にそれを助けてくれることだ。

    大学時代の友人にロンドン出身で、北部の人は本当に優しい!と感嘆していた子がいたので、もしかするとロンドンとイングランド北部で事情は異なるのかもしれないが、イギリスでは町の人がバスや電車の乗降の際や階段などで、特に女性やお年寄りに対してスーツケースなどの荷物を運ぶ手助けを申し出ることが日本よりも非常に多い。

    以前どこかの駅の階段で、前をスウェットやパーカーにニット帽、という格好の若いカップルが手をつなぎながら歩いていた時に、若い恐らく北欧系?の観光客と思われる女性がスーツケースを二つ抱えて苦労しながら階段を下っているのとすれ違ったことがあったのだが、その際に男の子のほうが即座に『ちょっと待っててね、ハニー』という感じで彼女の手を離すと、その女性に駆け寄り、スーツケースを抱えて階段の下まで運んでからまたすぐ『お待たせ』という感じですぐに戻ってきて、再び彼女の手をつないで歩きだした、ということがあり、流石英国紳士の国だな、と感動した記憶がある。

    上手く説明するのが難しいのだが、イギリス人はこういった親切をとてもさりげなく、スマートに行うのがとてもうまい。

    同じ親切を日本人が申し出てもこうはならないというか、かなりあたふたした感じが出てしまったり、あるいは『いえいえ、結構ですので』みたいなやり取りが発生してしまってあまりスマートにならないのではないか、という気がする。

    どういう特殊能力なのか、単純に場数を踏めば身に着けることができるのかわからないが、手助けをするのは当然なので、という感じで人を助けるのが彼らは非常にうまいのだ。

    イギリスに暮らしていたころ何とか自分でもこの技を身につけようと努力したのだが、結局本家のイギリス人のスマートさにはかなわなかった。

    ただ、もしかすると、このような親切がある程度多い分、助けられる側もそこまで抵抗なくそれを受け入れてくれる、という違いはあるかもしれない。昔ロンドンの地下鉄の階段で子供連れのお母さんの荷物を上まで持ちましょうか、と申し出たときに『あら本当?それは助かるわ』という感じの返答で、スマートな人助けは助ける側と助かる側の共同作業で初めて実現するのかもしれない。

    日本だと、いえいえ、本当に大丈夫ですので、という感じで恐縮されてしまいそうだ。

    ドアを支え続ける

    とはいえ荷物を持ってあげたり持ってもらったり、というのは日本でも時々は発生しているし、必ずしもイギリスで特によく行われている、というわけではないと思うが、この『ドアを支え続ける』というのはほとんど日本では見たことがないし、非常にイギリスらしい習慣だと思う。

    単に日本のドアの多くが自動ドアだからその必要性がない、というのはあるし、日本でも例えばデパートなどで時々ある手動で押したり引いたりすることで開けるタイプのドアを後ろの人のために支えておいてあげるのは当たり前だ!という意見もあるだろうが、イギリス人のそれは次元が違う。

    イギリス人的な感覚の『後ろの人』の範囲があまりに広いのだ。支え"続ける"というのが重要で、イギリス人は自分の真後ろの人のためにドアをちょっと持つ、なんていうレベルではなく、人の流れが完全に途切れていても、はるか遠くの人のためにずっとドアをもって支え続ける。

    留学していたころ、大学の構内は手動のドアが多かったので、よくドアを支える必要がある場面に遭遇したのだが、彼らは信じられないくらい後ろの人のためにもドアを支えて待ってくれる。

    『え、これは僕のためにドアを支えているんですか?』と怪訝に思ってしまうくらいの距離(15-20mくらいあったと思う)でも前の人がドアを支えて来るのを待ってくれていたので、申し訳なくなってドアまで小走りまで行ったこともあるくらいだ。

    ちなみにこのドアを支える時間が長すぎるゆえに起こる若干気まずい小走りはそれなりに頻繁にイギリスでは発生する。

    イギリス人は絶対に人の目の前でドアがぴしゃりと閉まる、という状況を作り出してはならない、という使命感すら持っているようなのだ。

    紳士はスーツを着ているとは限らない

    他にも、運転している人の歩行者優先の意識が非常に強かったり(横断歩道がないところでも結構止まってくれる)、例えばバスにベビーカーの親子が乗車してきた際に、バス中の人が総出でベビーカーや荷物を運ぶのを手助けして、かつ親子が快適に座れる場所を確保するためのオペレーションが行われる、みたいなこともあるのだが、僕の人生で、最も印象に残っており感動的だったイギリスでのエピソードを最後に一つ紹介したい。

    東日本大震災があった年、僕はイギリスに居た。

    津波の映像がBBCなどでも報じられ、遠く離れたイギリスでも話題になり、日本のためのチャリティ活動がその後行われていた時期があった。

    この時、街のチャリティ主催者から大学の知り合い経由で、音楽系のイベントに『日本語の曲を演奏・歌える人が誰か出演できないか』という依頼があり、僕がそのイベントに参加することになった。

    それは公民館のようなところで開催され、入場無料で演奏が聴ける代わりに、観客が思い思いの額を寄付し、それがすべて日本の支援に使われる、というタイプのイベントだった。自分が呼ばれた出番は夜のステージだったのだが、その日は町全体で日本支援デーのような形でイベントが行われていた。

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    当時僕が留学していたイギリス南東部コルチェスターの町

    その企画の一つに、路上アーティスト/パフォーマーは今日の売り上げをすべて寄付しよう、というものがあった。イギリスではこういった路上パフォーマンスやライブを非常に好意的にとらえ、チップを払う、という文化があり、人口の多い街であれば、専業でも生活していけるのではないか?というというくらいの額が稼げると思う。

    その何年か後に、また違う町で、自分もバイト代わりに路上ライブをやっていたことがあるが、そこまで人が多いわけでもない田舎町でも、天気の良い土曜の午後などであれば、時給換算で20-30£(今のレートだと5000円くらい)もらえた記憶がある。

    話を戻すと、この日は日本支援のためにこのお金を寄付します、のような看板を立てて演奏していたのだが、日が暮れはじめ、そろそろ帰って夜の出演に備えようかな、と思い始めたくらいの頃に一人の男性が歌う僕の前で足を止めた。

    長髪でギターケースを背負い、くたびれた長袖のTシャツにダメージジーンズ、といういかにも路上ミュージシャン、という風貌の彼は恐らく30代後半-40代くらいだったはずだ。

    会話を交わしたわけではないので、ここからはただの推測に過ぎないのだが、彼は恐らく、普段から町で演奏している路上アーティストで、今日こういった支援イベントが行われていることなどは特に知らず、普通に一日の仕事を終えて家路につくところだったのではないかと思う。

    彼は何気なく歩いて僕の前を通り過ぎようとしたところで看板に目を留め、僕の前に置いてあったギターケースに入ったお金が全て日本に寄付されることを知ると、おもむろに体の前に着けていたウエストポーチを開けて少しだけ体を前に傾けた。

    そのウエストポーチには、彼が路上ライブで稼いだ小銭がパンパンに詰まっていた(かなりの額だったので、それは一日分ではなく、何日分かの小銭をそれにすべて入れていたのではないかと思う)が、それをすべてジャラジャラと僕のギターケースに入れ始めたのだ。

    5秒くらいはそうしていただろうか。驚いた僕は曲の演奏だけ続けながら小さな声で"Thank you."というのが精いっぱいだったのだが、そのまま路上ミュージシャンの彼は歌の邪魔をしないようにただ僕の頭を軽くポンポンとたたき、がんばれよ、と言わんばかりに親指を立てるジェスチャーだけすると、無言で去っていったのだった。

    彼は「英国紳士」と聞いて頭に浮かぶ姿とは程遠い風貌をしていたが、僕がイギリスで出会った誰よりも紳士だったと思う。


     
     
    (恐らく)留学とか英語とか鬱とかイギリスとかサッカーについて書いています。 連絡やメッセージなどはこちらからおくって頂けるとメールで届きます: https://arsenal-koramu.com/page-2427/

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