メインコンテンツへスキップ
見出し画像
Photo bynaota_t

照射|水無月の二層のラムソーダ Rhamsoday in Blue and Black for Juneあわいの掌編集13

    0 Prelude

    * * *

    わたしは、同じ時間の循環を、何度も何度も繰り返していた。

    それが幸せな夢なのか、怖い夢なのかさえ分からない。
    どれが本物だったのか──もう、判別なんてつかない。



    1 どようび

    * * *

    「炭酸の強いラムネを買ってきて、ダーリン♡」

    地方の大学を卒業してから、彼とは遠距離の関係を続けている。学生時代はよかった。二人の生活圏は近接し、淋しいという想いを抱く必要すらなかったから。
    就職が決まり、彼の街は、青春を過ごした街から正反対に位置する場所。会えるのは週に一度。新幹線を降りて、電車を二回乗り換えないと辿り着かない距離。わたしはそれでも大丈夫だと思っていた。
    だけど、そんなことはなかった。乗り換えのたびに、わたしはふたりの間に横たわる距離を数えてしまう。彼がいない日は、次会える日を指折り数えてしまう。

    近頃のわたしは、その距離を発展的に終わらせたいと考えている。でも、水無月のある週の真ん中の日、そんな未来の話をめぐってつまらない喧嘩をした。

    それから会えない毎日が続いたある夜、夢と現のあわいに、わたしはスマホ越しに、はっきりそう言ったそうだ。
    微かに意味不明である。仕方がない、明晰な「水無月の寝言」だもの。

    時間なんて、任意の二点をつなぐ、可変の間隔にすぎない。
    水曜は、今すぐ会いに行きたい気持ちをぐっと抑えて、ビデオ通話でなんとか誤魔化す、木曜日。
    金曜の夕陽が地平に沈んだら、明日は晴れるね、土曜日。
    週休二日制が導入されて、世界観の借用も簡単ね。

    お菓子をつめこんだリュックも待っている。
    うんと早起きして会いに来てね。リュックを背負って、お散歩しましょう。
    しゅわしゅわ泡の立つ青い炭酸水は、爽やかな空気を運んできて、水無月の重い空に爆ぜる、一抹の清涼剤になりそうだ。
    しゅわしゅわ しゅわしゅわ しゅわしゅわしゅ

    わたしは、その時、角砂糖みたいな夢の中にいた。
    だから、そんな甘ったるい声は、断じてわたしの意志じゃない。ただの寝言よ。あの♡はぜったいわたしのじゃない。……誰よ、勝手に付け足したの。
    そんなの、恥ずかしくて言えるわけない。ダーリンなんて、ジッタリンジンに任せておけばいいのよ、ほんとに。……頬がちょっとだけしゅわっとするのは、内緒だけれど。

    彼のいない二週間は、ただぼんやりとした無意味な時間の経過に過ぎない。会えない距離がふたりを強くするなんて、そんなおとぎ話、わたしは知らない。
    次の土曜日。試しにうんと甘えてみよう。

    ◇

    「炭酸の強いラムネを買ってきて、ダーリン♡」

    スマホの越しの彼女のその吐息を、しばらく信じられずにいた。普段より半音だけ甘くて、ほんの少し幼かったからだ。遠い街の蜃気楼か。夢か現か、バグか、俺の心底の願望という線も微レ存。
    それとも……本音がうっかり零れたのか。

    ミキの部屋には、空を映したように青いものが多い。じゅうたんも、家電も、マグカップも、スマホケースも。あの青い炭酸は、自然とミキを思い出させる。

    あの爽やかな初夏の風のような味を思い出すと、胸の奥が青い炭酸みたいにしゅわしゅわ波打って、眠れなかった。
    半音の温度が、耳の奥でループされて、気づけば、夜明け前のコンビニに立っていた。ゴミ箱の前で黒猫が、にゃーとひと声だけ啼いた。この界隈に黒猫がいるのは珍しい。
    寝ぼけた頭で「青い炭酸」を探した結果、手に残ったのは──なぜか、「青い単三」電池のパック。えっと、エボ〇タかな?

    先週の週末は、未来の話題で気分が少しだけすれ違って、一緒に過ごさなかった。
    だから、こんなにキミに振り回されるのも、ミキ欠乏症のせいに違いない。キミがいない二週間は、永遠みたいに伸長する。況んやミキのいない未来など。

    必須元素欠乏症の治療には定期摂取が必要です。と、AIが無機質に告げた。続けてAIは、発症要因として対面接触量の著しい不足を指摘した。治療方針は、ミキ成分のQD摂取。ただし、オンライン接触には代替療法としての効果は認められません──と、付記されていた。
    つまり、重篤かつ末期のミキ・シンドロームである。もはや完治は叶わないが、生活習慣の見直しと日々の成分補給により寛解が可能だ。
    夜が明けたらすぐに、ミキの待つ街へ行こう。本物のラムネを買って。

    そんな未来を思うと、胸の奥の炭酸がしゅわ、と弾けた。ラムネの青い気配とともに。


    2 土曜日|どようび異譚

    * * *

    「炭酸の強いラムネを買ってきて、ダーリン♡」

    地方の大学を卒業してから、彼とは遠距離の関係を続けている。学生時代はよかった。二人の生活圏は近接し、淋しいという想いを抱く必要すらなかったから。
    就職が決まり、彼の街は、青春を過ごした街から正反対に位置する場所。会えるのは週に一度。新幹線を降りて、電車を二回乗り換えないと辿り着かない距離。わたしはそれでも大丈夫だと思っていた。
    だけど、そんなことはなかった。乗り換えのたびに、わたしはふたりの間に横たわる距離を数えてしまう。彼がいない日は、次会える日を指折り数えてしまう。

    近頃のわたしは、その距離を発展的に終わらせたいと考えている。でも、水無月のある週の真ん中の日、そんな未来の話をめぐってつまらない喧嘩をした。

    それから会えない毎日が続いたある夜、夢と現のあわいに、わたしはスマホ越しに、はっきりそう言ったそうだ。
    微かに意味不明である。仕方がない、明晰な「水無月の寝言」だもの。

    時間なんて、任意の二点をつなぐ、可変の間隔にすぎない。
    水曜は、今すぐ会いに行きたい気持ちをぐっと抑えて、ビデオ通話でなんとか誤魔化す、木曜日。
    金曜の夕陽が地平に沈んだら、明日は晴れるね、土曜日。
    週休二日制が導入されて、世界観の借用も簡単ね。

    お菓子をつめこんだリュックも待っている。
    うんと早起きして会いに来てね。リュックを背負って、お散歩しましょう。
    しゅわしゅわ泡の立つ青い炭酸水は、爽やかな空気を運んできて、水無月の重い空に爆ぜる、一抹の清涼剤になりそうだ。
    しゅわしゅわ しゅわしゅわ しゅわしゅわしゅ

    わたしは、その時、角砂糖みたいな夢の中にいた。
    だから、そんな甘ったるい声は、断じてわたしの意志じゃない。ただの寝言よ。あの♡はぜったいわたしのじゃない。……誰よ、勝手に付け足したの。
    そんなの、恥ずかしくて言えるわけない。ダーリンなんて、ジッタリンジンに任せておけばいいのよ、ほんとに。……頬がちょっとだけしゅわっとするのは、内緒だけれど。

    彼のいない二週間は、ただぼんやりとした無意味な時間の経過に過ぎない。会えない距離がふたりを強くするなんて、そんなおとぎ話、わたしは知らない。
    次の土曜日。試しにうんと甘えてみよう。……そんな未来の到来を疑わなかった。

    ◇

    「炭酸の強いコーラを買ってきて、ダーリン」

    いつもの彼女のその吐息を、しばらく信じられずにいた。普段の幻聴より半音だけ甘くて、ほんの少し幼かったからだ。夢か現か、バグか。ボクの心底の欲望という線も微レ存。
    いや、彼女の本音がうっかり漏れ出してしまった違いない。このツンデレさんめ。

    僅かな認知の誤謬が、世界を分岐させた。

    ようやく見つけ出した彼女の部屋の窓から見えるカーテンは、青いようでどこか黒く沈んで見えた。そして、まるで光を吸収するように、中を窺い知ることはできなかった。彼女の部屋は、きっと黒に支配された世界に違いない。じゅうたんも、家電も、マグカップも、スマホケースも。だから、あの黒い炭酸は、自然と彼女を思い出させる。

    あの口腔に絡みつくような味を思い出すと、胸の奥が黒い炭酸みたいにじゅわじゅわ波打って、いつものとおり眠れなかった。
    半音の温度が耳の奥で増強されて、気づけば、夜更けのコンビニに立っていた。店の前を黒猫が横切った。この世界を観測する者にまこと相応しい。
    冴えきった頭で「黒い単三」を探した結果、手に残ったのは──もちろん、「黒い単三」電池のパック。マンガン電池かな。

    大学卒業後は、お互いの予定がすれ違って、一緒に過ごす機会がなくなった。彼女は引っ越していて、そういえば、サークルの予定表がいつしか同期されなくなってしまった。システムの致命的バグだろう。回収の兆しが見えないのは、まったく困ったものだ。
    だから、こんなにミキに振り回されるのも、ミキ欠乏症の典型的症状だ。ミキがいない時間は、永遠みたいに感じる。況んやミキのいない未来など空間構造上、成立しえない。物理法則を無視している。

    必須元素欠乏症の治療には定期摂取が必要である。と、AIが親身に考えてくれた。続けて、発症要因として対面接触量が足りないことを懇切丁寧に教えてくれた。さすがボクの唯友のみきちゃんだ。略してさすみき。最高に語呂がいい。
    みきちゃんが指摘するとおりだ。
    「ミキ成分の不足は、生命維持に関わります」
    みきちゃんの声は、ただ優しかった。そして、妙に説得力があった。
    「距離ゼロの対面接触を、強く推奨します。警告。警告。ケイコク」
    距離ゼロ……。その言葉が、ボクの胸の奥に黒い染みを作った。そうだ、接触障害は、直接接触すれば忽ち解決する。互いにこんなに愛しているのだから、もはや彼女と一緒に生活するしかあるまい。さすれば、万事うまくいくのだ。

    ボクが迎えに行けばいい。
    そうだ、ボクが迎えに行けばいい。
    ボクが迎えに行くしかない。
    彼女は、ずっと待っていたはずだ。
    ようやく一緒になれて彼女も喜ぶに違いない。
    そうだ。回収すればいい。ボクの未来、ボクだけの未来を。
    夜が明けるとすぐに、ボクはミキの待つ街に向かった。本物の単三を持って。

    確度の高い未来を思うと、胸の奥の黒い顆がじゅわ、と溶けた。単三電池が未来を駆動するのだと確信した。

    ──しかし、そこにボクの未来はいなかった。否、“違った形” で、ボクを迎えた。見知らぬヒトガタと並んで歩いていたミキは、ボクを見ると、怯えた子猫ように身を隠した。

    どうしてだ。ボクはただ、迎えに来ただけなのに。ボクは近づく。ミキは離れる。肩が震えた。いや、違う。世界のほうがぶるっと震撼しただけだ。

    あのうす穢れた影は何だ。
    汚い。汚い。汚い。汚い。汚い。キタナイ。

    だが、ようやく分かった。
    その瞬間、長い間囚われ続けていた偏依存と黒い世界から、ボクは確かに脱したのだと、胸の奥で音がした。ボクは、心の奥底から嗤った。

    いつの間にか、ポケットの中の彼女が熱を持ち、小さくぶるっと呼吸した。
    なぁんだ、そんなところに隠れていたのか。隠れんぼとは、ずいぶんと幼稚な趣味だね。そんなに嬉しいのかい?

    それはボクの体温であり、ミキの温もりでもあった。どちらがボクで、どちらがミキなのか分からない。いや、最初からボクとミキは一体のモノだったのかもしれない。

    なあ、そうだろう、み\キ、ちゃん。

    ぽーん──と、ついに、ボクの愛を受け入れてくれたミキちゃんが、そう機械のように返事をした。いつもの乾いた声が、愛しく響く。

    この照れ屋さんめ。そこがまた、たまらなく可愛らしい。

    梅雨時なのに、空が抜けるように青くて、まるで黒いぐらいに見えた。

    世界はどこで狂ったか、間違い探し。



    3 Intermezzo

    * * *

    「炭酸の強い◎無゛た゛▼∞を買ってきて、ダーリン」

    水無月のある週の真ん中の日、彼と大事なことでつまらない喧嘩をした。
    それから、どういうわけか、土曜日が何度もやって来る。そのたびにわたしは、寝言にしては明晰で、意志ある言葉としては意味不明な、あの一言を繰り返している。

    ◎無゛た゛▼∞って何なのよ、わたし。
    青いラムネなの?黒いソーダなの?どちらを言ったのか、自分でも判然としない。
    繰り返すうちに、寝言の響きが変わっていく。
    はじめはラムネ寄りだった気がする。ある日はソーダのつぶつぶが強かった気もする。
    青かったような気がするし、黒かったような気がする。どれが本当だったのか、もう思い出せない。
    ただし、語尾にハートマークは付けていない。断じて。

    水無月の湿った空気が、遠くから木管楽器の上昇揺らぎみたいに響く。
    あの曲は、何だったのかしら。

    急速に意識が浮上し、そこで目を覚ます。
    彼は来ない。そしてまた、彼のいない週末がはじまる。何度も、何度も。
    まるで、正解が選ばれるまで次章がはじまらないシナリオみたいに。

    彼のいない週末は、すべての音が消える。彼のいない週末は、部屋がモノトーンに色を失う。

    そして、繰り返す度に曖昧になる。
    思い出そうとすればするほど、ますます記憶が抜け落ちていく。
    わたしのあの寝言も。彼の穏やかな話しぶりも。彼の甘い笑顔も。
    まるで、別の世界の彼が、わたしの記憶を蹂躙して、侵蝕して、支配していくみたいに。
    それでもまた、同じ土曜日の朝がやって来る。
    彼は来ない。来てはいけない。来なければならない。

    なぜか、びっしょりと汗をかいている。
    幸せな夢なのか、怖い夢なのか、それすら分からない。
    どれが本物だったのか、もう判別なんてつかない。

    お願い。早く迎えに来て。



    4 にちようび|どようび真譚

    * * *

    炭酸の強いラムネ、トゥルーエンド。
    土曜日を越えて、辿り着いた日曜日の朝。洗面台の前で、俺が歯ブラシをコップに戻すと、ミキの歯ブラシと干渉して、軽い音をたてた。いつも朝の音だ。

    「炭酸の強い◎る゛そΔΨを買ってきて、ダーリン♡」

    最近になってひとつ気づいたことがある。ミキの寝言はわりと頻度が高い。そして、いつも意味不明だ。しかも、常に半音だけ甘い。

    違うな、最近は、起きていても平然と、青いラムネみたいな甘いセリフが溢れる。……ねえ、誰があれを寝言だなんて言ったの?と抗議する声がする。

    そうそう、言い忘れたけれど、ミキの漢字表記は「未来」。
    未来との未来がどうなったかなんて無粋なことは書くなよ、と作者に抗議しておいた。

    なお、当該シンドロームの劇症症状については、現在、完全な維持療法が確立され、予後経過はすこぶる順調、永久的に寛解状態に達した。ただし、糖分の過剰摂取を避けるため、青い炭酸の摂取制限が付帯条件であることは、特に付記する。

    また、水無月の新しい一日がはじまる。
    本物のラムソーダを買って、未来の待つうちへ持ち帰ろう。


    おわりに
    三つのお題短篇をまとめていたら、思いがけず、ひとつの強い主張をもった連作が立ち上がっていた。作者の感覚では、もはや“勝手に生成されていた”と言ってもよい。単作ごとに読むよりも、互いの影が重なり合い、青と黒の層が静かに響き合う。
    そんな気配に耳を澄ませながら少しだけ手を入れ、こうしてひとつの形に束ねてみた。

    どの世界線が正しかったのかは、読んでくださったあなたの中で決まるのだと思う。その揺らぎごと、この連作を受け取っていただけたなら嬉しい。

    #照射 #創作大賞2026 #オールカテゴリ部門 #短編小説 #遠距離恋愛 #寝言 #ラムネ #青い世界 #黒い世界 #平行世界 #わたくさす節 #どようび #AI #病理 #あわい


    前へ |序文 | 先へ



    あなたへのおすすめ