
#17 家にいる天才。
啓成くんが、春になると頭がおかしくなりそうという言葉が妙に印象に残っていて、たびたび思い出して笑っている。相変わらず陽気な日々が続いていて、僕は気持ちがいい。啓成くんはわからないけれど。笑
最近は、暇なときに『ぽこあポケモン』をやっている。これが面白い。ポケモンと友達になりながら、フィールドのさまざまなものを育てていくゲーム。わんこと暮らしている自分にとっては、なんだか家族が増えたみたいで、気持ちがいい。
本来バトルが前提の今までのポケモンは、確かに一辺倒だよなとも、このゲームをやって気づいた。
暖かくなってくると、半袖を着たくなる。というかもう着ているのだが、夜になると少し肌寒くてパーカーを羽織ったりするから、まだ完全に半袖なわけではない。
僕はぶかぶかの服を着るのが好きなので、半袖やスウェットは3XLを買う。おかげで半袖は太ももぐらいまで丈が伸びている。でも袖周りはゆったりとしていて、開放感があって気持ちがいい。
大体なんでも、余白がないとやっていられない。予定を詰め込みすぎていた時期は体調を崩しがちだったし、家にものが増えてくると、なんだか気持ちが悪くなる。特に家の中の些細な余白は、僕にとってはかなり大事。家具の位置とかでも、心の居座りに影響されてしまう。つくづく繊細な人間だと自分でも思う。
これはみんな同じなのだろうかと一瞬考えたが、きっと違うだろうなと思った。部屋の中を整理していない人もいるし、予定を棍詰めている人もいる。なんだかんだで人間には個体差がありすぎるなと思う。
昨日聞いていたポッドキャストで、「そもそも人間は人によっての生まれ持った差がありすぎるから、天才はいる。」という話が出ていた。
確かに、天才はいるなあ、と思う。モデルは容姿が大事だし、野球選手はフィジカル。生まれながらの体格とかがもろに影響するものには、天才がいるなあ、と思う。
でも、天才はその分野の天才なだけであって、汎用性のある天才はいないと思う。なんでもできる、なんでも世界一、なんて人はいない気がする。それでもって、人はなんらかの分野の天才であると謳った歌がよくあるが、まあそれも納得がいく。
結局は、何かの天才であることは、好きでやっていることの延長線上なわけで、そういう人は、自分が好きじゃないことはやらないわけで。そりゃ勝手にその分野の天才になるよな、と思う。
昔から「器用貧乏」という言葉がなんだか違和感で、いまだに意味がわかっていない。きっと、器用すぎてなんでもできちゃうから貧乏、なんていう嫉妬から生まれた言葉なのかなと、思っている。
器用なことは、何かの天才ではないかもしれないけど、それはそれで幸せなのかなと思う。だから貧乏ではない気がする。
天才が幸せかわからないし、器用なことが幸せなのかわからない。もちろん、平凡が幸せなのかもわからない。というか、幸せにならなくても生きてはいけるし。まあ、ちょっと苦しいかもしれないけど。
人は何かをうまくやるとか、幸せを追い求めるとか、どんどんどんどん今の現在地から離れて行ってしまって、たまに寂しくなる。
きっと、啓成くんが感じていることも、これに似ているんじゃないか、と勝手に思っている。
僕は家でのんびりと書いているだけだから、それでいうと現在地を掘り続けている感覚はある。そういう意味では、家にいる天才、なのかも。