
24歳の私からあなたへ
幼い頃、私には1人の大親友がいた。
その人は、アメリカの田舎町で農業している恰幅のいいおじいちゃんで、私にとって太陽みたいな人だった。
いつどんな時も笑顔で、会う度に私を抱きしめてくれるとても愛情深い人だった。
そんな彼を、私は「ビージーコーのおじちゃん」と呼んでいたのだが、実際に彼と会ったことは1度もない。
なぜなら、彼は、私の頭の中にしか存在しない
”イマジナリーフレンド”だったからだ。
イマジナリーフレンドは、幼い子どもが心の中につくり出すもうひとつの現実。
だが、幼い頃の私にとって彼は、空想なんかではなかった。
ちゃんと笑って、ちゃんと話して、ちゃんと私を抱きしめてくれる、“本当にいる人”だった。
喜怒哀楽、全ての感情を彼と共有してきた。
彼と会う日は、毎回清澄な青が輝く大空の下だった。
本当にアメリカに行ったわけでもないのに、頭の中に広い畑の匂いと土の感触が浮かんでいた。
彼は、いつも変わらない笑顔で私を迎え入れてくれた。
大人になった今、改めて考えてみる。
「なぜ、私は彼を生み出したのだろうか?」と。
当時は無意識だったが、私は当時から安心感や愛情を求め、無条件に自分という存在を受け入れてくれる何かを渇望していた。
また、イマジナリーフレンドは一般的に感受性が豊かなタイプに多いと言われていることから、私のような人間にはあるあるの現象なのだろう。
いつからか、彼の存在が自然と遠くなってしまい、気がついた時には完全に消えてしまっていた。
最後に話した内容ももう思い出せない。
ただ、彼がいつも笑顔でいたこと、抱きしめてくれたときの優しい温もり、私が会いたいと願ったら会いに来てくれたこと、幼い私にたくさんの感情や経験を教えてくれたこと。
これらは、ずっと記憶に残り続けている。
ビージーコーのおじちゃん、お元気ですか?
あの頃幼かった私は、もうすぐ25歳を向かえようとしています。
今の私を見て、あなたは何て言うかな?
あの頃と変わらず、優しい笑顔で温かな手で頭を撫でてくれる?
会えなくなってしまってから長い時間が経ってしまったけれど、あなたの存在自体を忘れたことは一度もありません。
あなたと共に過ごした時間は、今でも私の中で生き続けているし、私たちの思い出は何一つ色褪せていないよ。
私の世界で一緒に過ごしてくれて、私の世界を守ってくれたこと、本当に感謝しています。
ありがとう。また会える日まで… 愛を込めて。